主人公も悪女も好きに生きたっていいじゃない
よくある転生モノです。
オチらしいオチもなく、悪役らしい悪役もいない、そんな緩いお話です。
暇つぶしにどうぞ。
―――王宮にて―――
とある国のデビュタント、成人の儀という国を挙げての式典後に行われる舞踏会の華やかで煌びやかな会場でそれは起こった。
「ローザ、君とは婚約破棄させてもらう」
このデビュタントの舞踏会の主役とも言える、数多の令息令嬢と共にこの場で一際人々の視線を集めていた第二王子のトリスタンが放ったその言葉に、まずは彼の周囲が、そしてさらに会場全体へ伝染するように静けさが広がる。
めでたい日の明るく華やかな席での王子の発言に、伯爵令嬢のローザはスッと扇子で口元を隠し目を細め、冷ややかな視線を婚約者である王子に向けて固定した。
「このような場で言うことですの? 祝の席だというのに」
抑揚のないその声に、王子がピクッと反応する。
「このような場でなければ君とは話すこともままならないだろう」
「それは殿下が多忙だと仰るので配慮してのことです。殿下の申し出にずっと従ってきたはずですが」
「っ、君はすぐそうやって!」
明らかに不満と苛立ちを募らせた王子の声色に、人の不幸が見られるのではと期待しながらヒソヒソ会話をしていた令息令嬢たちまでもが口を噤んだ。
「すぐそうやって、なんですの? 間違った事を申し上げたつもりはこざいませんわ。私は妃教育がありますし、殿下はすでに成人し、後の国王となられる王太子殿下をお支えするためにと国政に携わるための勉学で更に忙しくなっているはず。それでも意思疎通のため、婚約者として互いに定期的に茶会の席を設けておりますし、貴族の皆さまとの交流のため夜会や舞踏会、茶会に揃って出席しております。いくらでも殿下が私に大事な話をする機会はありますけれど。……それで、わざわざこの場で婚約破棄ですか? その理由をお聞かせいただけます?」
そのあまりにも落ち着き払った態度に王子は更に苛立ちを募らせた。ギリッと奥歯を噛み締めたせいで顔が歪み、それを目の当たりにした周囲の者たちは一歩静かに後退る。
「そもそも、君は伯爵令嬢だ」
「はい、そうです」
「君よりも格上の侯爵家、公爵家が存在するにも関わらず」
「そうですわね」
「ずっと不満だった、何故、侯爵家令嬢のマリエラが蔑ろにされてきたのか」
「蔑ろに……誰が、そんなことを?」
「!! 君たち全員だ!! 貴族として名を連ねる者たちがまるで示し合わせたように侯爵令嬢マリエラをずっと蔑ろにしてきただろうが!!」
「殿下……」
不安げに、微かに唇を震わせたのは、さっきからずっと王子の後ろで俯いていた一人の令嬢。
「マリエラ、大丈夫、私がついている」
「殿下っ」
躊躇いがちに顔を上げて、手を震わせてゆっくりと王子に伸ばされた手を、王子は両手で握りしめる。
「ああ、そういうことですか」
ローザは驚いたような大きな声でそう言葉を投げかけた。
「つまり、伯爵令嬢の私よりもマリエラ様が婚約者として相応しい、ということですのね?」
「当然だろう! 家柄は申し分なく、これほど奥ゆかしく美しい人ならば、この私の婚約者として相応しいに決まっている」
「そうですわね、確かに……侯爵令嬢ですもの申し分ないですわ、ええ、ええ、納得です」
噛み締めるようにそう言葉を発したローザに向けて、王子はついさっきまでの苛立ちをスッと消し去り入れ替えるようにして目に何かを期待する輝きを灯す。
「婚約破棄、私個人としては……受け入れる所存です」
今度は会場がザワッとどよめいた。
「この場で私が言えるのはそれだけでございます。後のことは私の両親と、そして両陛下にこの件について託される事になりますから」
「そ、そうかっ!」
あからさまな浮かれ上擦る王子の声と、目に涙を溜めて唇を震わせながら小さな声で『ありがとうございます』と呟く侯爵家令嬢の声を拾ったローザは、扇子を閉じると優雅にカーテシーをする。
「お二人の末永く幸福な未来を、お祈り申し上げます」
去り際、ローザはマリエラと一瞬目が合った。
何か言いたげ、という目ではない。
ただ、彼女はローザがあっさりと婚約破棄したことに驚くことはなく、寧ろ分かっていたかのような落ち着きがあるように見えた。
(あちらも、なかなかの役者だわ)
白で統一された正装の若者たちの中、紺を基調とした金糸で豪華に飾り立てられた王子の正装とそれと揃いと一目瞭然な豪奢なドレスを纏う侯爵令嬢は、この会場で主役にも見えるし、浮いているようにも見える、奇妙な存在と化していた。
―――遡ること3日前―――
「ローザ、ドレス以外も準備は出来ている?」
「もちろんよ、アクセサリーも抜かりなし」
「流石ね。で、問題は王子だけど、あちらはどうなの?」
「すこぶる順調よ、マリエラ嬢を連れてドレスを見に行って発注、完成して届けられたのも確認済よ。自分の正装と合わせて色もアクセサリーも揃えてるみたいよ」
落ち着いた、でもどこか嬉しそうな声のローザのその発言に、友人の男爵令嬢ジェンナはデビュタントでローザが身につけるドレスを前に一瞬固まった。
「色を合わせて、アクセサリーを合わせた?」
「そう、合わせてるの」
「ば、馬鹿だわ」
「馬鹿だよね」
デビュタントする令息令嬢の身につけるものには明確なルールがある。
全身を覆うメインである正装は白、装飾となる刺繍やレースといった類のものは同じく白か銀糸、金糸のみ。そしてアクセサリーは華美にならないように真珠を基調としたもの。これは爵位も性別も関係なく皆が平等に成人を迎え祝われるべきであるという国の方針であり古くからの礼儀でもある。この時ばかりはたとえ高位貴族でもそのルールから逸脱することはない。もししてしまえば国、つまり王家への反発や抵抗を示すことになりかねないからだ。これはデビュタントを迎える子を持つ貴族ならばそれこそ子供達がうんざりするほど聞かされ、そしてさらにその子供達へと引き継がれることでもあった。
「本当、ありえない。王子がプレゼントするなら許されると思ってるってことでしょ?」
「ついでに言えば。当日は忙しいから一人で行ってくれって言われてる」
「……殴る?」
「それは流石に不敬罪と暴行罪で捕まるから止めて」
―――王宮にて―――
ローザは優雅に颯爽とその場を離れる。後ろでは感極まった王子とマリエラ嬢が抱き合っていて、周囲はこの事態を祝うべきかどうか相当悩んでいるらしく拍手をしつつもその手の動きは緩慢で疎らな、半端としか言いようがない拍手が聞こえるだけだ。
去り際、学園の学友や友人達が心配して駆け寄ってきてくれるのを笑顔で『私は大丈夫』と上手く躱しながらローザは足早にとある控室に向かう。
「ジェンナ! 妃殿下!! 婚約破棄宣言されて来ました!!」
扉の前で控えていた騎士が名前を告げれば黙したまま頷き扉を開けてくれた。
見切り発車気味に足を踏み入れた瞬間にデビュタントの正装を纏った令嬢がそれはそれは明るく元気に婚約破棄されたことを宣言したので騎士はぎょっとしてつい身を仰け反らせた。
「あ、あははは……」
「許してね、今とっても気分がいいの」
気まずげに笑った騎士に、ローザはウィンクしてみせる。ぽっと赤くなる騎士を無視して彼女は自らの手で扉を閉める。
すると、友人のジェンナと、この国の王太子妃であるクラリスは座っていたソファーから立ち上がり、満面の笑顔で物凄く力んだ拍手で出迎えた。
「やったわねローザ!!」
瞳を潤ませジェンナが大声を出しその場で飛び跳ねる。
「ローザ目標達成しましたー!!」
それに応えるようにローザも再び大きな声で宣言した。
そしてもう一人。
「これで晴れて、皆が望んだ『ハッピーエンド』になったわね」
王太子妃クラリスは、気品漂う凛とした笑みでありながらもどこか茶目っ気のある声色でそう二人に声をかけた。
クラリスの言葉に、ローザとジェンナはフルフルと体を震わせてから抱き合った。
「妃殿下ありがとうございますーーー! あの馬鹿から破棄してくれましたよぉぉぉぉ!」
「良かった、良かったぁ! あたしの飯テロで大儲け作戦がこれで心置きなく進められる! そしてローザが女伯爵になれますーーー!!」
抱き合う二人をニコニコと笑顔で眺めるクラリスは、ぽんと軽く肩のあたりで手を叩いた。
「ふふふふっ、役に立ったでしょ? 私の知識が。これで心置きなくこの世界で幸せになれるわね」
「「はいーーー!! クラリス様々です!!」」
―――遡ること一年前―――
「まずいわ、このままだとあのお馬鹿とローザの結婚式の日取りの話し合いが始まってしまうわね」
「いやーーーー!!」
「クラリス様、どうにかなりませんか?!」
皇太子妃クラリスは本気で頭を悩ませていた。
彼女の夫である王太子タイロンの持つ聡明さや柔軟さ、それでいて常に人とは距離を取り孤高さを窺わせる王族然とした雰囲気は王宮どころか市井でも知られており、その地位は揺るぎないものだ。気難しく食えぬところがある事で一部の有力者からは煙たがられて忌避されているものの、クラリスの実家である公爵家がガッチリと後ろ盾として君臨することで反発などは容易く抑え込めている。王太子タイロンが時期が来ればこのまま国王に即位することは誰が見ても揺るぎない事実と捉えられている。
一方で。
第二王子トリスタンは幼い頃から王宮内で問題視されている事は公然の秘密であり、有力貴族たちの悩みの種であった。
どう悩みかというと。
王太子とは七歳の年の差はあるものの、それでも国王を始めとした王宮内の人々は彼が王子として将来国の要人となるに相応しい教育を王太子と遜色なく施してきた。それは王家、国のれっきとした義務でもあるからだ。だが、どこでどう間違いが起こったのか、はたまた王子の生まれ持った本質ゆえか、あらゆる面で『平凡』から脱することなく成人してしまっていた。
その平凡も、努力を嫌う性質で物事を表面だけで判断してしまう浅慮なところがあるため、周りの陰ながらのサポートありきで保たれていると言っても過言ではなかった。
王族も高位貴族の子供たちも通う学園に通っていた頃の成績は卒業まで平均して中の上を何とか維持、一度も上位に食込むことは無かった。上位どころか首席を独占し続けた兄の王太子とは雲泥の差があるにも関わらず、それでも第二王子が平然と学園に通えていたのには理由がある。
「顔だけはいいからねぇ。あれのお陰で女性からの支持は高いから下手な圧力はかけられなくて」
「顔だけ良くても将来ご飯は食べていけませんよ」
「そうですよ! それに私は細マッチョが好きです!!」
「あなたの好みを聞かされても困るわローザ」
学園入学前には『この王子、もしかして』と、その平凡さに外部で気づく者も出始めていた。外部でそれである、内部、つまり王宮内では末端までその事実は知られていたため、彼の婚約については最低限の体裁を保てる地位の女性か、もしくはサポート出来る有能な女性でなけらばならないだろうという声が多く、故に婚約者の選定に難航していた。
王太子の時はちょうど一歳下に公爵家の娘であるクラリスがおり、幼い頃から両親を煩わせることなく何事にも積極的に取り組み学ぶ真面目さがあったし、それに見合う聡明さをすでに兼ね備えていたため互いに十に満たないうちに婚約と相成った。しかも学園に入学後は優秀な男子生徒たちに劣ることなく学年首席を争う才女として王宮内での評判も高く、何より王太子もクラリスを政略婚を抜きにして気に入って良好な関係を築くに至り、互いに信頼し合える仲にまでなった。
だからこそ、第二王子の婚約は難航したのだ。
いつか近い未来、兄の補佐として国の中心人物の一人とならなければならない王子が、頼りにならない不安要素でしかないと判断されたのだから。
そんな最中、数年前名前が挙がったのがローザだった。
彼女は学友のジェンナと共に学園入学直後から上位成績者に名を連ねていたからだ。しかもその学年は将来有望と名が知られていた令息が多い『当たり年』と期待される世代。その中で上位成績を争っていたのは女子ではローザとジェンナだけ、それほどに激しい学力競争で好成績であること、伯爵家で家格がそれなりにあること、教養と言った淑女教育も順調に熟していた事から白羽の矢が立つことになってしまったのである。
―――王宮にて―――
「それにしても……殿下はあのマリエラと本当に婚約する気?」
「するわよ、それに現在の『王家の意向』としてはそうなんですよね?」
ローザからそう問われたクラリスは頷く。
「そうね、侯爵家としてはあの痴女が片付くなら願ったり叶ったりでしょうし、こちらとしても婚約どころか結婚まで進んで貰うともっと助かるわ」
蠱惑的に微笑んだクラリスに、ローザとジェンナはニヤッと笑って返す。
侯爵家令嬢マリエラの『男漁り』について侯爵家からの睨みを恐れ表立って噂する者はいなかったが、親しい者だけが集まる倶楽部やお茶会では度々名前が挙がり話題に事欠かない女として周知されていた。
それは子供達だけが集められるお茶会という名の、社交界の縮図で今後必要となる駆け引きや人脈づくりの訓練場から既に始まっていた。
数年前のこと、侯爵令嬢は子供達の賑やかな輪から離れ、庭園の木陰に見目麗しい美少年令息と共に行き、何と手を握り合いチュッチュッと唇を合わせていたのである。
その子供達のためのお茶会にはローザも出席していたが、偶然かそれとも神のいたずらか、緊張をほぐすために離席し庭園に行ってたまたまその光景を目撃。その衝撃的な光景がきっかけで彼女は『前世を思い出した』。
ちなみにその時ローザが前世を思い出しブツブツと呟いている姿をジェンナは目撃、すでに『転生者であると自覚』していたジェンナはその場でローザにそのことを告白、以来同じ『転生者』として情報共有する仲となっている。
そして歳を重ねるごとにマリエラはどんどん美しくなっていった。儚げな、清楚で天使のような美しさはヒロインであっても問題ないレベルで、簡単に数多の男たちの視線を奪って、彼女に求婚するために離婚したり婚約破棄したり、今までローザ達が知るだけでも十人以上もの男たちが虜になった。
しかし、それでもマリエラには婚約者が今の今まで出来なかった。彼女は一人の男と愛し愛されたいのではく、沢山の男に愛されているという優越感で他の貴族婦女子にマウントを取りたいだけなのだ。
そんな独りよがりな欲望に振り回された男たちから得た情報によると『彼女は今まで知らなかった新しい愛欲の世界を齎してくれる』と口を揃え、彼女を巡り男達が醜い争いすら起こす手管を持っていたのだ。
そして侯爵家が『美顔ローラー』『むくみ解消ソックス』なるものを開発し販売、社交界に留まらず国外でも話題・人気となる画期的な商品はマリエラの醜聞を抑え込むのに十分な力となっている。
これらのことを総合的に見てクラリスは確信したのである。マリエラが『転生者』だと。
「すでに骨抜きにされてるようよ、公休日はよほど楽しんでるんじゃないかしらね、休み明けの王族も出席する小会議に三週連続大遅刻して来週からは出席しなくていいと陛下から言い渡されていたわ」
「うわ、それって高官なら降格処分で左遷になってしまうのと同じくらい屈辱……ですよね?」
目を丸くして驚くローザの隣、ジェンナは初めて聞く話なのか目をパチパチさせた。
「え、そうなの?」
「うん、お父様から教えられて。高官が小会議であっても出席を認められないってことは、それは公職に就く資格なしと言い渡されたも同然、役職無しで左遷と同じ。しかも左遷先は発展している辺境伯のところじゃなくその隣の荒野しかない開発の遅れてる未開の森の調査や開拓の人員としてね。そうですよねクラリス様」
「ええ、流石にトリスタンがそこへ突然送られることはないけれど。ただ……会議に出られないとなると、外での奉仕を余儀なくされるわ、それだって教会や孤児院を訪問して市井の意見を直接聞いて回ったり騎士団と共に貧民街の定期的な巡回による犯罪抑止活動といった体力を使う事がほとんど。とてもあのトリスタンに務まることではないわ」
「では、どうされるんですか?」
ローザが質問するとまたクラリスは微笑んだ。
「何もさせないわ」
「「えっ」」
二人が同時に驚いて上擦った声を出すとクラリスは愉快げに笑った。
「させたって今まで重労働や危険なことから逃げ回っていたんだから効率よく進めるなんて出来るはずもなく時間の無駄、護衛や補佐官を増やすことは可能だけれどそんなの税金の無駄、だったら離宮で謹慎させておけばいいじゃない。その方がお金はかからないし」
―――遡ること三年前―――
王太子妃になってからずっと、クラリスは成人前の令嬢たちを定期的に主催する茶会に招いていた。
この中から自分付き侍女となる者、有能な貴族に嫁ぐ者が輩出されることを考慮しての茶会なのだが。
クラリスはとある令嬢二人に静かに注目していた。周りに悟られぬようにクラリス同様『転生者』かどうかを探るため。
「どう思う?」
「うーん……甘いだけで、あんまり美味しくないかも」
「そうだよね、ローザならどんな感じだったらいい?」
「私なら砂糖を抑えて酸味を加えてほしい」
「だよね! 勿体ないんだよね、せっかくいいオレンジの果肉を使ってるのに、ゼリー部分にこんなに砂糖加えちゃってて台無し。砂糖を自由に使えるっていうのを見せたいだけなんだもん、王宮パティシエ何やってんのって感じ」
「涼しげって感じもしないし……冷たくても、喉が潤う感じはないから残念」
「上にホイップ載せてるのも余計だよ、あたしなら、グレープフルーツのクラッシュゼリー載せて、ミントを載せる。オレンジの果肉もあえて大きめにして噛んだ時にジュワってなるようにするかな」
「それ、それ食べたい! あー……ジェンナの家で食べた杏仁豆腐、美味しかったなぁ、思い出しちゃったわ。あれお土産に持たせてくれたでしょ、お父様とお母様が最後の一つを巡って静かに攻防戦を繰り広げて大変だったのよ」
「じゃあまた作るね。でもあれ杏の種がないと。安定的に仕入れられない? うちの男爵領には杏の木がほとんどなくて」
「お父様に相談してみる。杏の用途が広がるなら本格的な土地開拓もありよね、予算を捻出しないと。ジェンナのお陰で杏ジャムや他のジャムも美味しくなって売上が伸びてるし、甘いものが美味しくなるとお母様も喜ぶから説得は楽かも」
(……杏仁豆腐、私も食べたいわ)
この世界にはない食べ物と、目の前にあるスイーツへの辛口な評価。
そしてクラリスは妙に大人びた雰囲気を時折醸し出す令嬢二人を見て確信したのである。この子たちもまた、自分と同じ『転生者』である、と。
とある乙女ゲームの世界観の中にいて、本来ヒロインとして攻略対象に愛されることになる希少な光魔法を操れるはずのジェンナが、本来ならとっくにその力を発現させているはずなのに未だ一切の兆候を見せることなく男爵令嬢として可もなく不可もなくの立ち位置にいること。
悪役令嬢の取り巻きの一人として他の令嬢たちを侮辱したりわがまま放題をして周りから腫れ物扱いされるはずのローザが両親を事ある毎に周囲に娘自慢する親馬鹿にしてしまう才女っぷりでしかも虐めるはずのジェンナと親しいこと。
ジェンナに恋をする第二王子を渡すまいと悪役令嬢としてジェンナに数々の嫌がらせを始めているはずの侯爵令嬢マリエラが、今度は茶会を抜け出し王宮の裏にある森にとある令息と入り、ドレス越しとはいえ胸元や下半身を触らせ二人で興奮しおかしな雰囲気になっているという、ある意味悪女だがかなり斜めな方向へと爆進していること。
クラリスは心の中で頭を抱えた。
神様、この人選はこれで適切なのでしょうか、いたずらでしょうか、それとも間違ったのでしょうか、どうかそのへん詳しく聞かせてもらえないでしょうか、と。
乙女ゲームの破綻、その事実に本来ならばモブとして静かにこの世界を見守るだけだったはずのクラリスは、せめてこの国までもおかしなことにならないように、王太子妃として少なからずの干渉をすべきだと決意した。
―――王宮にて―――
「どうせトリスタンはどんな公務に就かせても鳴かず飛ばずで結果なんて残せないというのがタイロンの見立てよ。だったらあのマリエラと結婚させてしまえばいい。どうせあの痴女なら直ぐにトリスタンだけては物足りなくて他の男を漁りだすだろうからそのまま大スキャンダルでも起こしてもらって妻をコントロール出来ない夫というレッテルを貼ってあの二人を辺境に追いやりその上で娘を王子に相応しい淑女として教育出来なかった侯爵家ごと飼い殺しにすると言っていたわ」
「タイロン様らしい……。さすがです」
そしてローザは続けた。
「それにしてもトリスタンはどうしてあんな感じに育ったんです? 側妃様の子という負い目とかあったんでしょうか?」
「だとしたらまだ十三歳の第三王子も同じ道を辿らなきゃおかしいでしょ?」
「……そうでした、失言いたしました」
「平気よ、皆口に出さないだけで思っていることだもの。もう本人の気質としか言いようがないわね。まあ、第三王子が生まれるまでそれなりに甘やかされた事実は否定できないとタイロンも言っていたけれど。でも、マリエラの噂を知っていて最初は毛嫌いしていたのにすり寄られて直ぐに靡いたことからも分かるわね、彼は王族としての覚悟や責任感が全く育っていなかったということが」
「んー、それって乙女ゲームの影響もあるんじゃないですか? 確かトリスタンは攻略難易度が高くなくてそれが現実でも適応されてしまってる、とか」
ジェンナは首を傾げたけれど、穏やかな表情でクラリスはそれを首を振って否定した。
「それだと難易度の低い騎士団団長や隣国からの留学生魔導師も攻略しやすいことになるわ、でもあの二人は婚約者と駄目になることもなかったし、まして魔導師は国に帰って即結婚式を挙げたほど。それに、マリエラはヒロインじゃないわ。影響を与えるならジェンナ、あなたのはず。それでもあなただって変な強制力も働かずここまで来ているんだもの、攻略対象だから影響が出た、というのはないはずよ」
「確かにそうですね。というか、マリエラが悪女は悪女でも別方向の悪女になってる時点で強制力なんてないですよね……彼女にはクラリス様がおっしゃったように乙女ゲームの知識は本当にないんでしょうか? 一応、全員一回は彼女にロックオンされてません?」
「ないわね、あったらきっと『上昇アイテム』を探すはずだもの」
言い切ったクラリスの目の前、ジェンナは苦い顔をする。
「あー……好感度を上げるアイテム、でしたっけ?」
「ええ、困ったことに実際に存在しているからこちらとしてはそれを入手されたらどうしようかとヒヤヒヤしたものだわ」
わざとらしくクラリスは肩を竦めて見せる。
「でもあなた達もそうだけど、……一度として探すような動きを見せなかった。中にはかなり強力なアイテムもあるのよ、知っていたら手に入れようと動くはずだわ」
「あの、ずっと気になってたんですけど、その強力アイテムってどんなものなんですか?」
「西国から入ってくる香水に偶然紛れているという設定なの。勿論それはとある攻略対象と市井の夜市でデートをするというイベントを起こさないと手に入らないわ、でも強力なアイテムの割にはそれだけで手に入ってしまうから当時自分が攻略したいキャラに使うためにその対象とデートをする流れにもっていくプレーヤーは多かったわね」
「クラリス様もやったんですか?」
「勿論よ、ちなみに全攻略対象に使ってみたけど全員三十ポイントも一気に貰えるっていう本当に破格なアイテムで、そのあと攻略の面白みが薄れるって声が多くてランダムでポイントが変動する仕様に変更されたのよ」
「まあ、ゲームとしてそっちが面白いですね」
「ええ。でも実際問題、万が一無関係の人が入手して使用してしまうとどんなことが起きるのか未知数で、タイロンに相談してその他のアイテム含めて好感度を上げるアイテムは極秘で回収しすぐさま私自ら処分したのよ」
「それ正解です、そんなものあっちゃだめですよ」
しかめっ面でそう言ったジェンナの隣、ローザも同意を込めて深く頷いた。
「すでに乙女ゲームの世界観……つまりはシナリオね、それは完全に破綻しているわ。ヒロインも悪役令嬢もその取り巻きも、誰一人ストーリーに沿って行動していない。ここまで来ればもう大丈夫、私も一安心だわ」
クラリスの言葉に、ローザが笑った。
「クラリス様もそうですもんね」
「そうね、私なんて本来名前すら出てこないモブだもの。それでもこうして皇太子妃になっているから」
「公爵令嬢がモブって、改めて考えると凄いですよね」
「でもそうしないとストーリーとしては成立しなかった、ということなんでしょうね。タイロンは攻略対象外で名前しか出てこなかったし、彼の婚約者はもっとストーリーには必要ないもの、存在を仄めかすことすら不要よね……あら、随分話し込んでしまったわ」
彼女の言葉でローザとクラリスは立ち上がる。
「今頃国王陛下と王妃陛下が会場でトリスタンを叱責しているわね、その場でとりあえず二人まとめて謹慎処分を言い渡されているはず」
「大人しく謹慎しますかね?」
わざとらしい困った顔をしたジェンナ。クラリスはフフッとたおやかに笑う。
「引き離される悲劇のヒロインを演じるくらいあの子は簡単よ。そんなマリエラに絆されてトリスタンは夜な夜な通い詰めるのよきっと。意図的に警備が緩められているとも気付かずに、ね。平凡から脱することができないとはいえ王子ですもの、侯爵家も利権や立ち位置を考えて婚約を急ぐはずだから、今後の展開が楽しみだわ。……さてローザはそろそろ裏門から帰らないと。婚約破棄された令嬢が城にいつまでもいたら未練があるのかと誤解されかねないし」
「それは断固否定しますけどね!」
「ジェンナはローザに付き添って一緒に帰るのよ?」
「勿論です! この後新作ケーキの原料のことで相談もありますし図々しくローザの家にお泊りする予定です」
「そう、あなたの新作ケーキ楽しみにしてるわ、タイロンも心待ちにしているから出来たら連絡よろしくね? お茶会の招待状を届けさせるわ」
「オッケーです!! カフェオープン絶対に実現しますからね、そしたらクラリス様をお客様第一号として誠心誠意おもてなししてみせますから!!」
「フフッ期待しているわ」
華やかな年に一度のデビュタント。
婚約破棄と新しいカップル誕生という物語のような事が起こったこの日の出来事は、翌日の新聞の一面を飾り、社交界では勿論庶民の間でも当面の間面白おかしく語られることとなった。
―――デビュタントから二年後―――
ローザは二年前の今頃の事を思い出しながらこの日手元に届いた新聞を読み一人静かに笑った。
「結局クラリス様の言った通りになっちゃったわねぇ」
第二王子トリスタンと、侯爵令嬢マリエラはあの後間もなく正式に婚約。
一方で婚約破棄されたローザは所謂傷物令嬢として社交界の話題にされたが日々齎されるスキャンダルや噂にいつの間にか埋もれ、彼女に対するくだらぬ憶測や噂は聞かれなくなっていた。それどころか彼女は予てから想いを寄せていた騎士団に所属する若く有望な騎士に自分からプロポーズ、今はその彼との結婚の準備で日々忙しくしていた。
一人娘だったローザがトリスタンと結婚していたら、爵位と領地を賜り伯爵家は従兄弟に継がせる話し合いもされてきたが、彼女が婿を迎えることで伯爵家は彼女が継ぐことになった。前世、農家の娘で大学では品種改良などの研究に携わり農業に精通していた強みをそのまま活かして、ローザ主導の元、伯爵家では現在進行系で沢山の野菜や果物を品種改良し領地を潤し発展させ続けている。
そして更に時は過ぎ。
「聞いた? 殿下とマリエラのこと」
「勿論よ」
「ついに王家からの支給金が四分の一にされたって本当?」
「ええ、本当よ。議会でその話がされたってお父様から聞かされたもの」
「うええっ、これからどうやってあの二人生活してくの」
「マリエラが男に貢がせてるから大丈夫みたいよ」
「は?」
「マリエラに養ってもらってるんだって、トリスタン殿下。今じゃ召使いと変わらないみたい」
「うわ、殿下、憐れ。そしてマリエラ逞しい……」
案の定、マリエラはトリスタンだけではすぐに物足りず、トントン拍子で進んだ結婚式の前日にトリスタン付きの侍従との密会が見つかった。トリスタンは直ぐ様結婚は無かったことにと大騒ぎしたものの、彼の訴えは聞き入れて貰えず結局夫婦となった。
爵位を与えられ給わるはずだった領地もトリスタンの監督不足や王族にも関わらず度々職務怠慢で王太子や国王から叱責されるだけでなく周囲からも不満が噴出し、結果、真面目に領主として務めればそれなりの生活が出来るはずだった領地ではなく、クラリスの言った通り辺境の未開の地が広がる王領地にマリエラと共に送られることになった。
他にもトリスタンは支給されるお金を投資や開発にと注ぎ込んだものの全て失敗、生活の支援をしてくれる侯爵家の顔色を窺いながらの生活となっていたし、男の扱いに長けたマリエラが男に貢がせ悠々自適、自由奔放なその隣で逆らえない日々を送っている。腐っても王子、その地位と知名度は辺境の地ではそれなりの価値があるらしく王家と侯爵家、そしてマリエラ本人が互いに都合好く彼を利用しているため、トリスタンは離婚もできず、使えるお金を極端に制限され王子らしからぬ惨めなその状況に同情の声すら聞かれるようになっていたが、藪をつついて大蛇が出ても困るので誰も手を差し伸べることはない。
そう考えると、マリエラは辺境の地に追いやられた形にはなっているが、自分に逆らう者はいないしましてや自分より地位の高い者はトリスタンだけ、その夫にすら傅く必要もない。侯爵家の全面バックアップで好き勝手に生きられる今は、すでに目欲しい男を手中に収め尽くした王都よりも楽しいのかもしれない。
「彼女はどこにいても強かに生きられるんじゃない?」
「そうかも」
ローズのおどけた言葉にジェンナはフッと笑って頷いた。
「そんなことより。新作のスイーツの試食を今度お願いするからね」
「え、嬉しい! 今度は何?!」
「マカロン。粉糖が安定的に生産出来るようになったお陰でようやく試作に入れるわ」
「凄い、マカロンってカラフルに仕上げられるからクラリス様も絶対喜ぶよ」
「そう、クラリス様の主催するお茶会で出してもらおうって魂胆よ!」
「自分で魂胆とか言わないで」
あれからジェンナはローザと伯爵家と協力し新作スイーツをどんどん開発している。それと並行し男爵家はカフェの経営を始めて丸っと前世の知識を活かしたスイーツを販売、王都では他の追随を許さない人気ぶりとなっている。クラリスは勿論王太子もそしてローザの婚約者もジェンナのスイーツのファンということで、ついに先日王家御用達と認められ騎士団のおやつ開発にも着手し、近々男爵家は子爵に……という話も出て来ている。
ジェンナの両親は他の令嬢のように結婚をしてほしいと思っているようだが、如何せん彼女がスイーツ開発をしてくれるからこそのこの勢いなので強く言えないようである。
ローザも最近では花の品種改良にも力を入れている。特に王太子タイロンからの要望でクラリスのために彼女の好きな色の淡い青紫色のバラやガーベラを作れないかと言われており、日々前世知識とこれまで蓄積したデータとにらめっこをしている。
きっとローザとジェンナの快進撃にマリエラは二人が転生者であることに気づいているだろう。先日突然『なめらかプリン』と『カステラ』を開発しないのか、したらレシピを言い値で買うので教えて欲しいし今後開発する美容品をいくらでもプレゼントするという手紙をジェンナは受け取っている。ローザに対しては荒涼地でも何とか収穫できる芋や豆があるのでそれの品種改良を頼みたい、そのための投資は惜しまないしやはりこちらにも美容品をプレゼントするという手紙が届いていた。
転生者同士仲良くするわけでもなく、対立するわけでもない。
だからといって無視するでもなく、程よい距離のまま。
互いに利用し利用され、今の『いい感じ』な生活を維持している。
転生者たちは逞しい。
―――王宮にて―――
「タイロン、食べ過ぎです」
「いいじゃないか、久しぶりの新作だろ?」
ジェンナから献上されたスイーツを真顔で次々口に運ぶ王太子に呆れつつ、クラリスはようやく首が座り始めた第一子の王女を抱きながらフッと笑った。
「トリスタンを上手く操り周囲を巻き込んでここまで事を進めた王太子としてはこの状況をどう見ます?」
「……悪くない、と言っておこうか」
意味ありげに口角を上げた王太子タイロン。
「満足しているとは言わないでおく」
「欲張りですね」
「そうか? 俺は……」
王太子タイロンは娘を抱く妻に向けて笑みを向けた。
「知識を活用して楽しく生きようとする奴には徹底的にやってもらいたいだけだ。半端なことして周りに潰されるなんて馬鹿馬鹿しいし勿体ないから裏から手を回しているだけで、もしあいつらが何もせず大人しくしているなら放っておいたし余計な期待なんてしなかったよ。自分の意思で三人は今のポジションを築いた、今更なかった事にしてくださいやこれ以上は無理ですなんて無責任なことを言わせない。国の発展のため、せいぜい前世知識を活かして楽しく生きてもらおうじゃないか。勿論、そのためにはこれからも裏で手を回してあいつらがやりやすいような環境くらいは整えてやるけどな……同郷の誼として」
かつて書いて、実力不足でこれ以上広げられず、短編で、放置していたとはいえ、勿体ないので掲載しました。この手のものが好きだからなんでもござれ!と思ってくださる方や、時間つぶしにでも読んで頂けていたら幸いです。
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