ロボトミー
……おれは死んだ。死んだ。死んだ。死んだ死んだ死んだ。と、このように考えるだけで吐き気がし、さっき実際に吐いて、前に並んでいる奴と喧嘩になるところだった。
そう、並んでいる。この列に。この列は一体なんだ? いや、わかるさ。これが何か。天国か地獄の審査の列だろう。そうとしか考えられない。だって、おれは死んだのだから……。あぁぁぁぁ……。
「次の方どうぞ。このカーテンをくぐってください」
「ひゃ、は、はい!」
……声が裏返り、周りにいる奴らに笑われてしまった。嫌な連中だ。多分、地獄行き。ざまあみろ。
審査官は女のようだった。愛想がなく、笑顔でも見せてくれればいいものを、ああ緊張する。正直、まだ死んだことを受け入れられない。すぐにでも逃げ出したいくらいだったが、ここは薄い霧がかかっている、左右が高い壁の挟まれた通路のような場所だ。逃げるなら後ろしかないが、振り返ると死んだような顔をした、いや実際死んでいるのだからそうなのだが、暗い顔の連中がずらりぎっしりと恐らくこの霧がなくとも果てが見えないほど並んでいる。
かき分け進もうとしてもきっと途中で力尽きるか虫の居所の悪い奴にぶん殴られるに決まっている。
実際、ここまで来るのに三回程喧嘩の場面に出くわした。だから無駄なことはしない。そう、きっと大丈夫だ。おれは天国に行けるはず。良い人間……だ。多分。法律は……まあ、守ってきたほうだ。高校生の頃にタバコを吸ったことがあったが、一箱だけだ。あとはまあ、人に優しくもしてきたつもりだし……。
「どうも、こんにちは。さ、この椅子にお座りください」
「あ、は、はい! よろしくお願いします!」
カーテンをくぐり、仮設テントのようなものの中に入ると、そこにいたのは医者のような男。思えば先程の女は看護師に見えなくもない。白衣の天使とはよく言ったものだ。そして、審査官はあの女ではなく、この男なのだろうか。
「あ、あの、おれ、あ、自分、ほんと、バスでおばあさんに席譲ったりとか! ゲホッ、ゴホッ、すみません。ふぅー、緊張しちゃって、はははは……」
「はい、頭にこれを着けるね。それから体を固定するね」
と、医者のような男は笑うことなく淡々とおれの体をベルトで椅子に固定していく。
「あ、はい。え、あの、これで審査を、あ、嘘発見器みたいなやつですか? あ、あはは。結構、現代的というか俗世的というか、なんか不思議な力でとかではないんですね、あはは……」
「あー、はいはい。ちょーっとそのままでね、お待ちくださいね」男はそう言うと何かの機械をいじり始めた。
「あ、はい。まあ、動けないんですけど、あはは……あの、やっぱ地獄に堕ちる人とか多いんですか?
ほら、虫殺したり嘘つくだけで地獄行きとか言うじゃないですか、いや、言うんですよ。現世では、あれってははは、勝手に言ってるだけですよね?」
「ん? あれ、君、もしかして地獄行き希望者?」
「え、いやいやいやいや天国! 天国がいいです!」
「だよねっと、あれ、装置の調子がおかしいなぁ」
「あ、あの、先生、あ、ははは、雰囲気でつい先生って呼んじゃいました。お医者さんみたいですね、あはは……。あの、どうなんですかね、おれ、天国行けますかね?」
「あー、行けるよ。ここがこうでっと……」
「え……ま、マジすか! お、おおおー! うわ、マジかぁ、あっはっはっは! いやー、なんか一気に気が楽になりましたよぉ。まさに天にも昇るようなって、あっはっはっは! いやー、にしてもどんなところなんですかねぇ天国って。やっぱりイメージ通りですかね? 白い雲、花畑、泉に他にも何でもあって、みんな穏やかで」
「あー、みんな穏やかは合ってるね。じゃないと天国にいられないもの」
「あ、そうなんすか。じゃあ、向こうに行っても良い子にしていないと、ですね。追い出されちゃったりして」
「んー、というかね、なるというか。あ、やっぱり調子悪いなぁ。仕方ない。手作業でやろう。面倒だなぁ」
「は、はぁ、お願いします……え、そのぶっとい針、なんですか?」
「これが先の方がいいでしょ」
「い、いや、なんの、いや、いやいやいやなにしようとしてんすか! ちょっと! なん、なんなんすか!」
「ああ、ほら動かない動かない」
「で、でも! なにを」
「この針をね、目から入れてね。脳をね、破壊するの。それだけ。いい? だから動かないで」
「え、あ、は? 脳、え、なんで、なんで」
「はぁー、そうするとね。穏やかになるの。今みたいにね、うるさくしないの。装置が動けば勝手にやってくれるんだけどね。睾丸と生殖器に胃とかまあ、不要なものを全部取っちゃうの。
脳があるといけないこと考えちゃうでしょ? 性欲があると争いが生まれるでしょ? 胃があるとおなかすくでしょ?
だからなの。全部取っちゃえば穏やかでいられるの。宗教とかね、人種とか関係なく、天国でみんな仲良くね」
「いや、いやだ……いやだいやだいやだ!」
「ああ、また暴れる。みんなそう。だから装置がおかしくなっちゃうの。はぁ……そんなに嫌なら地獄行く?」
「じご、地獄は……普通に、普通に生きれる、あ、死んでるか、と、とにかく、脳には触るな!」
「はいはい、はぁーあ……じゃあ、地獄行きねっと……じゃあ、そこから出て穴に落ちてね」
血の池針山釜茹で業火極寒。イメージ通りの地獄でも、そこに自分という意識、存在があるのなら苦を共にする連中がいるのなら、まだマシだ。
拘束を解かれ、促された先にあった穴に飛び込んだおれはそう思った。落ちる間もずっと。
落ちる……落ちる……真っ暗闇の中、落ち続け、地獄に近づいているのだろう、だんだんと暑くなってきた。
そして、勢いがなくなってきて、狭く温かく……。
「次の方どうぞ」
「は、はい! よろしくお願いします、先生」
「はーい、どうも。お加減はいかがですか?」
「は、はい! 順調です! ふふっ、もうじき会えるんですね。私の赤ちゃん……」