秋風
朝から涼しい気温だった。涼しいといった感想が生まれる段階などとうに通り越して肌を震わせる寒さへと貌を変えてしまっていた。
勇人は身体を震わせながらブレザーに甘える気持ちで歩いていた。
「よっ、やっと俺らの季節らしくなってきたよな」
勇人の歩みに同行、同じ目的地を目指す仲間。クラスメイトの日之影 怜はブレザーを華麗に身に纏い、片目が隠れる位置に手を掲げる。
そう、厨二病患者大好物、学校制服名物の季節なのだった。
「怜は今日も元気そうだな」
勇人は自身の寒がりを記憶や今の実感から確かめて余裕などないのだと悟っていた。怜は明るい笑顔で勇人の肩を叩く。いつもならばここでその強さに苦言を飛ばしてしまうはずだったものの、今日はそれほどの痛みどころか押されて空気を掻き切るような衝撃さえその身を叩きにかかってくることはなかった。
「なんだ、強くなったのか嬉しいぜ」
怜の喜びの影で勇人は陰を思わせる感情を巡らせる。そう、強くなった分も多少はあるかも知れないものの、明らかに昔より感覚が鈍っているように思えた。脚が地を踏む感覚も風が運んで来る微かな自然の香りも、勇人自身の中で万華鏡のように移り変わりいつでも少しずつ異なるものを映す色彩も、何もかもがくすんで色あせて鈍っている。何もかもが闇に飲み込まれ始めているような感覚に得も言われぬ不安を抱き始めていた。
勇人の表情にかかる薄い煙を見通してか、怜は怪訝な表情を向けていた。
「大丈夫か、どうにもいつもより顔が暗いぜ」
瞳を撫でる薄っすらとした闇のひとつにすら気が付いてしまう、それは確かな友情の織り成す業だった。
「いつも通り笑っていてくれよ、可愛い顔で」
本気の心配は心に染み入って不安を優しくほどいてくれた。ほの暗い想いを運んで学校へ身を流してみても授業という時間に身を置いてみてもきっと集中など出来ない。それが分かり切っていただけに怜から与えられる感情は、怜の言葉より汲み取られた想いがこの上なくありがたかった。
秋風は寒気を身に染み込ませ、秋の訪れを訴えかける。それはまさに四季の変貌。この国は世界の中でも非常に多くの貌を持っていて、常に人々の心を豊かにしてくれる。
勇人は表情を緩めて明るい声で怜に返事を贈ってみせた。
「秋風にやられてただけだよ、俺寒がりなんでね」
感情を隠すべく事実を覆いかぶせて創り上げた答えは怜に明るい感情を上手く伝えられたようで、笑いの声を混ぜながら言葉を射ていた。
「そうだったな、勇人は寒がりだったな。コート着ろよ、かっこいいぜ」
果たして学校指定のコートなどあっただろうか。記憶の中に散りばめられた知識を集めて繋ぎ合わせてはみたものの、答えなど見つかりそうもなかった。
「おっ、着いた着いた。今日も授業とか教師とか言う悪魔どもが住まう見栄えだけ立派なおんぼろな城がよ」
そうして入り込む学校、秋風は校舎の中に入っても微かに残って漂って寒気を纏っていた。この寒気のひとつ、それすら感じられない日が来てしまいそうで、それを想うだけでも勇人の胸は締め付けられ、不安に息が詰まって身体がふらついていた。
勇人が送る戦いの日々は、確実に身を蝕んでいた。
心が潰れるか身が下の世に落とされてしまうか。いつの日にか訪れる限界に目を向けて、深淵に落とされた気分を噛み締める。きっと周りの人々とは異なって、栄光か並みのものか、それにすら届かずに苦しみの中へと落ちて墜ちて堕ちておちてオチテ。
もはや自身の感覚のひとつさえあてにはならなくなってしまうだろう。頼りないことこの上ない。怜と鈴香のふたりだけが心の支え、人生を歩む中での道しるべの光になっていた。
学校での授業はもう役に立つ気がしなかった。卒業まで必要だから受けるだけ、親の話、勇人を大学に進ませる金などないとのこと。彼の進む先、終着点を見通しているように思えた。いや、きっと知っているのだろう。やましい世界の中の住民とは言えどもやましさだらけで表に出られないとは言えども、その狭い世界の中では由緒ある一族が、ある時期から同じ手段を用いて勇人と同じ業をいくつもの代にて与え続けて来た軌跡を一切記していないはずなどなかった。家に帰ってからの予定は立てられていた。
家族が総じて包み隠している情報を、どこかに残されている記録を探し出すこと、それこそが目指す場所、呪われた一族の宿命を終わりにすることが出来ないものか調べることが叶えば更によし。
勇人の代で薬を飲んで自らの身を心を自身の中の存在価値をも削って戦う運命の鎖を断ちたくて。
「おーい、勇人、昼休みだぞ」
怜と勇人のふたりがこの場にいて、周囲は揶揄う視線を向けていた。
そう、彼らはクラスの中では最強厨二病コンビと名付けられている。その役割を演じながら勇人はふと思う。もしも怜にも本当に魔法のチカラが、風を操って戦う裏の姿があったとしたら、厨二病コンビは一体どのような意味を持つことになるだろう。きっと生半可な揶揄いなど通用することがなくなってしまうだろう。
勇人は今日もまた、怜の話を聞いていた。