斬撃の除霊
目の前の闇、そこに紛れしモノはこの世のモノではないものか、或いは此の世の者という考え方そのものが人類の視覚本位のものなのだろうか。
巫女装束を纏い、日本刀を握る手に必要以上の力を込める。
目の前に広がる闇の中、どうしても怜の貌がチラついて色付いた残像となって眼のまえから離れてはくれない。
「先輩、絶対に私」
絶対に、続きは声にもならずに状況という存在の手によって切り落とされた。
目前にて漂う足のない幽霊ども。下半身からは太い緒が伸びていて、まさにいつの日かの人類が抱いていた幽霊という存在の偏見によって形作られていた。
「そう、何も知らない人類が軽いイメージで姿変えちゃったのね」
うわさ話や有名になったマンガやドラマ、そういったものによって根付いてしまった印象を持ったまま実際にその状況になってしまった人々。彼らの持つ空想のチカラに引っ張られて同じような姿、同じような行動を取る。
つまるところ、特に理由もない恨みや特に理由のない怨念を持ったタチの悪い怨霊共がそこにはいた。
闇を駆けるハリボテの怨念、偽りと言っても差し支えのない程に薄弱な怨霊。その人々のうわさ話によって創り上げられた偽りの暗黒を斬り裂くべく、刀を掲げたその時のことだった。
「うわあ、ここにも幽霊いっぱいだな。怜喜びそうだな」
夜の闇を打ち木霊して響く声は子どものものだろうか、「れい」とはそこにいるではないか。
「れい……怜。まさかね」
思い込みだった、そうした思い込みを抱えて思い込みだと思い込んでいる真実を振り下ろした刀の重みで引き裂いた。
きっと別の霊、幽霊仲間、或いは他の「れい」と名付けられた人物だろう。特別珍しい名前であるわけでもない。
菜穂の刀は空気を切り裂いて、誰の身を捉えるわけでもなく衝動に任せて闇に空っぽの一閃を引いた。
ただそれだけの事であるにもかかわらず、恰好だけの斬撃で誰にも当てていないはずが。
目の前、刀が届かない程には離れている霊が短い悲鳴を上げながら霧のような薄い身体を千切られ消滅していった。
これこそが菜穂の持つ能力。〈斬撃の巫女〉としてのチカラだった。
「当てるのは心だけ、目に見えていれば、全ての過程を排して戦える」
その能力は、世界に矛盾を産み落としていた。幾つも幾たびも幾程でも、菜穂が斬る前に斬れているという矛盾を武器にしていた。
夜闇を裂く子どもの声をしっかりと耳にして、軽い笑いを浮かべていた。
「き、消えた」
「あの子には摩訶不思議を提供しようかしら、そもそも幽霊自体が非日常、ひとつ加えたところでね」
希薄なモノが消えた、ただそれだけの話だった。幻想を幻想で打ち破ったところで幻想を理解しない人物には見分けがつかない、きっと霊が気まぐれで姿を消したと思うだけだろう。
菜穂は怜の姿がチラついて思考を邪魔してしまうその目に再び霊の姿を映し込み、刀を振る。それだけで除霊が出来てしまうのだから楽なことこの上なかった。
菜穂の能力は、便利で強すぎる。本人にその自覚はしっかりとあった。
「私自身の力で出来ることならその過程を斬って結果だけをその場に巻き起こす現象、それが私の一族、〈斬撃の巫女〉霧島家に伝えられし秘術」
得意げになるまでもない、人類の精神衛生上良くないモノをこの世から取り除くこと、ただそれだけのことに一喜一憂するまでもなかった。
菜穂が感情を注いでいたいのはどこの何者かもつかないような霊ではなく、ただひとりのあの人である怜に対してだった。
そうして想いを巡らせながらも実際にやっていることは恋などとは程遠い戦い。自身が惨めに想えていたその時のことだった。
静寂の闇の向こうから届いて来る相変わらずか細くて高い声が彼の姿勢の変化を告げていた。
「人のうわさ、それによって霊の姿が変わるものなのか」
子どもだと思っていた声が述べた発音や言葉、そこから感じられるものは明らかに歳不相応の雰囲気だった。
「確か和服の女性の霊も当時のひとだったりそういった偏見からそういう姿になることも」
――何あの人、何分析してるの
菜穂の頭の中に上がり込んで来た疑問符はその姿を増やし続けて行った。仲間を呼んでは増えて上がり込んできては増殖して、もはや分からない。
あの言葉がどこまでもおかしなものに感じられた。
「じゃあ、あれはヒトの闇だね」
――絶対そんな声してる歳じゃないでしょあなた
菜穂の思考の中は愉快なことになっていた。コメディともシュールな現実ともある種のホラーともつかない思考の中で、戸惑いに流され回され続けていた。一方で声の主はしっかりと動き出していた。
その正体は突然現れた細くて鋭い稲妻の輝きによって照らされた。背丈からして明らかに中学生以上だということだけは見て取ることが出来た。
「目の前にて纏まり漂いし闇よ、この世界の中に流れ広がり蔓延りし大いなる闇の中に〈分散〉されよ」
均衡を保つ者、その言葉が相応しいその男が肩の後ろにまで引いていた手を突き出した途端、雷は弾けて周囲へと張り巡らされて散りながら空気のひび割れとなり始めた。
少年の所作は、弓矢を扱う様を連想させた。
そこからしっかりと全ての霊を消し去り、少年は膝を曲げて手を着いて肩で息をする。それからすぐさまふらつく身体に鞭を打って立ち去り始めた。
ひとり残された菜穂は大きなため息をついて、目には映らない少年を睨みつけていた。
「あれは、私の仕事を人知れず奪ってしまう……大きな敵」
顔は確認できなかったものの、背丈とその歳に見合わない声だけはしっかりと脳の中に、忌まわしき記憶、憎むべき相手として刻み込んだ。
忘れないように、時が来たら容赦を持たずに命を地の底へと叩き落とすことが出来るように、強く深く何度でも、闇の感情と共に刻み付けていた。