図書館で
気が付いたその時、意識は図書室に引き戻されていた。地面にへたり込み情けない様をこの狭くて静かな世界の中にさらけ出していた幸詩郎とそこにしっかりと絡み付くように腕を巻きつけ抱き締めつつも今にも落ちてしまいそうな少女を目にして。
柔らかな感触、生々しい温かさと優しい息づかい、呼吸によってゆっくりと微かに動く身体は由実が生きているのだとしっかりと語っていた。
腕までしっかりと縛り付けるように、他の誰にもその手を伸ばすことは許さないと言わんばかりのしっかりとした腕の回し方に幸詩郎は由実の我が儘を知った。
「分かってるよ。大丈夫、キミのことだけだから、愛するのは、由実だけ」
「ふふ、当たり前」
由実がふと呟いた。あまりにも静かな声で、図書室でなければ聞き逃してしまいそうなほどほんのりとした弱々しい音色。
幸詩郎は抱き締められて愛に縛られた腕を引き抜いて由実の背中に回してしっかりと抱いてみせた。
「もう、あんな天使なんかにさせないからな」
「大丈夫、アレはどこかのセカイの近い未来にいる誰か、私じゃない私に残されてるだけ。私はならない」
言葉は果たして真実を述べているだろうか。分からない。天井を、白い天上の底を見つめ眉を顰める幸詩郎の耳元で、丸々とした顔を近付け地声交じりに囁いた。
「幸詩郎くんが捕まえてくれてる限り、飛び立たないから」
「そっか、じゃあ、あんな姿になることないな……一生一緒だよ」
振り向いたその視界いっぱいに広がる由実の笑顔につられて幸詩郎もまた、微かな笑みを見せて、愛しいキミのいる世界に心を温めていた。
知識の中、無表情の中、由実を囲む壁に阻まれてかくれんぼしていた恋慕の想いは隠れることなく堂々と表に立っていた。
そんな由実は幸詩郎の頬をなぞる。下へと滴り落ちてゆく指、口元を撫でるようになぞり、首筋へと降りた時、由実は表情を平常に戻し、言葉をぶつけに来た。
「それは嬉しい。一生一緒だから、あんな写真とか見ないでね」
幸詩郎は顔を赤くした。煮えるような恥ずかしさと胸を充たす責めの水が喉元を締め付ける。気まずさと罪悪感に苛まれていた。
「わ、分かってるから」
辺りを見回して、貸出カウンターに今更目を向けた。そこに居座る司書の年老いた女性は意識を失い椅子を壁に着けて眠っていた。
「司書さんには見られてないな」
「あっ、見られてたらいやだね、出よっか」
由実は魔導書を仕舞い込んで幸詩郎は服を整える。すぐさま教室を抜け出し廊下を歩いて。
途中ですれ違う霊体になど目もやらないまま突き進んで。
さらに途中にて目を向けて来る鋭い目つきの男と子どものような顔をした男。ふたり組の同級生が闇に覆われただの魔法の気配などと語り合っていたものの気にすることなく下駄箱に気がかりを持ち込むことなどなくたどり着いた。
外は快晴、夕暮れ前の青空はさほど時間を経ていないと色と温度で示していた。涼しくて軽やかな風が吹くこの場所を歩き爽やかな想いを引き連れて由実と隣り合っていた。
「今日の晩ごはん、おごってくれるの」
「ごめん、あれは流石に酷かったみたいだから」
そう、あの行ないひとつだと思っていたところでそれは由実にとっては信じられないような裏切りだった。きっとそれは変わりないだろう。
「でも許さないけど。ごはんで釣れば許してくれるだなんて、浅い考え」
「ごめん、ホント」
「いいわ、許さないけど、ごはんは一緒に行きたいもの。絶対許さないけど」
許さないことが関係を繋ぎ止める糸の一本にでもなっているのだろうか、幸詩郎はその視えない糸を小指に巻きつけて由実の手を取る。
「でも行くんだね」
「言っとくけど、私のぽっちゃり体型見たらわかると思うけど身長の割に食べるから。値段高くついても知らない」
由実の身体へと自然と視線は向かっていた。意識が、内で暴れ回る想いがあまりにも恥ずかしくて逸らしたくてでもずっと浸かっていたくて。
そんな幸詩郎の感情など悟ることなく由実は紡がれる会話の中に黒々とした糸を織り交ぜていく。
「ねえ、幸詩郎くん、もしあれなら無理しなくていいんだ。あれだけワガママ言って今更なんだけど本当は好きじゃないなら無理しなくて。私みたいになにも良いとこもないししかもアナタを独り占めしようなんて女、アナタにはアナタの人生があるのに」
「別にムリなんかしてないし、今の由実が可愛いからなあ。良いとこないなんて言わないで。惚れた俺までむなしくなるだけじゃなくて……由実の全部を否定するなんて自分にとってもむなしいだろ」
いいところなど無いように思えてもどこかにあるはず。見つけられるのは自身を含めたすべての人間で、関係の万華鏡の中でいいところが、輝きがひとつもない人物などきっとこの世にはいない。
「俺は由実のこと大好きだ。昨日と今日たった二日で感情振り回されっぱなしだよ」
きっと晩ごはんを迎える頃には情に振り回され過ぎて疲れ果てているだろう。右往左往して恐ろしいほどに動き回る情緒は由実に抱いた偉大な初恋、ありふれていながらも唯一の感情だった。




