元の姿
シャッターを切る時に瞬きの輝きにアカシアは実をつけた。本来は有り得ない姿、透明な実を枝から下げたその姿。どこかの国では男性が告白をする時に贈っていたこともある花であるのだそう。そうした花ではなく架空の実をつけて、熟れた姿など想像も付かせないようなガラスのようなものを枝から下げていた。
「これで、願いが叶うのか」
これで終わりにしていいのか、全くもって分からない。
戸惑い動くことも叶わない幸詩郎はひたすら立ち尽くしていたものの、一瞬の光が散り、数多の塵となって雨のように降り注いでいく様。その光景を目にして心を掴まれて、改めて動くことも叶わずただひたすら立ち尽くす。
塵の雨は幸詩郎の瞳を通して様々な願いの花に色付いた姿を、黄色の衣に彩られて完成された姿を見せつけていた。
そこにある願いの多くは恋を叶えること、金持ちになること、芸術家としての成功といったもので、今の幸詩郎にはありきたりなものばかりだった。
その中に異彩を放った花弁を見いだして、願いを追う目を止める。
その花弁の色は掠れていてくすんでいて、端がボロボロに砕けた歪なもので願いというモノからはあまりにも遠いものに感じられた。
花弁が示す映像を凝視する。それは擦り切れても尚くっきりはっきりとした目立つ光景。あまりにも鮮明なそれは途端に幸詩郎の意を射た。
願われたこと、それはどうやら死者の蘇生。願いを告げる男の表情はあまりにも強張っていて、隣に立つ屈強な男は腰に手を当てて胸を張り、得意げに笑っているだけ。
映像はそこで途切れ、幸詩郎の目は現世を映していた。
ああ、なんて悲しい経緯だろう
出来事の端と彼らの表情を見ただけで何となく分かってしまう。あの願いの主は主であることを放棄した。そうしてふたつ目の願いに手を伸ばすことだろう。欲張って人の幸せ迄奪い取って高らかに笑うことだろう。そうした態度を想うだけで胸いっぱいの吐き気が肺を這うように昇り、重々しい気持ちとなって吐き気へと姿を変えて、喉元に留まったまま。そこで代わりに願いを叶えていた黒髪の男を思い出していた。あの人物、髪こそは闇のような美しい漆黒を体現していたものの、灰色の瞳、幸詩郎はそれを知っていた。いかに感情が宿っていたところで違うとは言わせない。その目をごまかすことなど出来なかった。
名前の無い在籍者、彼もまたある運命に巻き込まれただけに過ぎないのだから。
身勝手な男に、今は無き影に、苦い感情に満ち溢れた睨みを浴びせて幸詩郎は立ち去った。校舎を歩き、グラウンドを目指して進み抜けて。
進んだ先にあのバケモノはいなかった。
幸詩郎を出迎えたのは感情を見せない灰色の瞳、名前すら持たない彼は幸詩郎の姿を認めると共に形だけの礼を述べていた。
「おかげでこの子を助けることが出来た、勇人を邪魔するのは困ったが今では邪魔のひとつもないだろうし何よりここに異形として居座られた方が彼の妨げになるかも知れない」
そこに本音は感じられなかった。心ひとつ見えてこない。名前だけでなく心も、魂まで落としてしまったように見えて仕方がなかった。それをただ放っておくほど、困りも想いも自覚しない人物をただ放っておくほど幸詩郎は大人として出来上がってはいなかった、同時に人としてある種の味わいがあって、言葉を漂って会話の中に流れ始めていた。
「本当にそう思ってるんですか、勇人の為って言いつつあなたにはどこにも気持ちが見えない、もしかして」
願いのこと、人を生き返らせるというあまりにも昔のように思えること、今ではきっと社会に放り出されて幾年か、そんな男と目の前の金髪と灰色の目を持つ人物を重ねていた。
「われの願いのことならば、気にしなくていい。それから様々なことがありながらも今こうして生きているのだから」
様々なこと、きっと感情を宿さなくなってしまったことにも理由があるのだろう。男は菜穂が温もりを求めるように甘えるように差し出す手を握りしめて、伝わらぬ一方通行の愛を訴える菜穂の身体を引き寄せてその腕で包みながらお礼の品の眠る場所を言葉に乗せて風に飛ばす。
「そうだ、美術科の生徒がコンクールに出してきた品々を保管する教室、アカシアもそこに在っただろう。そこの壁に立てかけるように置いてある枝を持って行くがいい。そして……それを弓にして並行世界との隔たりの綻びを撃て、矢は貴様の内にある」
言葉の中に無造作に放り込まれた頼み、お礼の品を渡すついでに頼み事をする態度に軽い呆れを覚えつつも背を向けて教室へと戻って行った。
「それでいい、勇人をもっと戦わせなければ」
聴覚の端にそのような言葉を捉えた気がしたものの、風によって切り刻まれて先ほどの言葉への意識は失われた。
幸詩郎は進み続ける。美術科の作品保管室。そこに再び足を踏み入れてアカシアの枝を手に取る。
――アカシャの木、これで……穿つ
美術準備室へと歩みを進めて闇を掻き分ける。グイグイと進んだ先に見えてきた目的のドアを開き、そこに眠りし美しき紐を手に取り結び付け、弓を形成する。形を成した美しさは子どもの頃遊びで作ったものと同じ純粋の姿を取っていた。
それから幸詩郎は想いを探り、意識の深くへと潜って行く。ヒトの想い、同じ人物がもつ想いから生まれた異なる行動。こうしておけば、ああしておけば、もしもこれがあれだったら。そうした意思と感情のチカラが生み出した異なる道筋をたどる世界を探して動くことなく歩き続ける。
やがて幸詩郎は異なる色彩を視て、その目を開く。右眼は言葉でも感覚でも言い表すことの出来ぬような色彩の万華鏡、想いや行動の違いのひとつで姿が変わり果ててしまうそれのような姿をしていた。
想いを見て可能性を見透かす瞳、それが目に映したものは空間に入ったひび割れのような亀裂。
この世界はガラス質なのだろうか、驚きに心の色を変えながら幸詩郎はアカシャの弓を構え、弦を引く。途端、美しく加工された弦はアカシアの自然と同化して蔓へと成り果てる。引かれた弓、なかったはずの矢はいつの間にかそこに在った。黄色の花が羽根の代わりに伸びたアカシャの細い枝の矢。それを留める指を離す、ただそれだけ。それだけのことで矢は当然のように空気を掻き分け引き裂きながら進み、亀裂をも突き破ってこの世界を飛び出して何処かへと飛んで行った。
それを見届けてチカラは矢に吸い込まれるように抜けて行って、床にへたり込む。
それからしばらく経った後のことだった。亀裂を通して作られた繋がりの道を通して並行世界から新たなるうわさ話がこの場にやって来たのは。
周囲でドッペルゲンガーのウワサが広がり始めたのは。




