笑顔
勇人の手を掴み、これ以上の攻撃を許さない。その手は勇人の攻撃を遂行させないためであろう、微かにも動けない。その目は勇人に対してやめろと強く訴えかけているようで合わせられた目を逸らしてしまう。
勇人の失われた目の色はまさに使命に憑りつかれているよう。魔女の性質とはそこまで人を変えてしまうものだろうか。
「放せ、怜。鈴香の敵になるやつなんだ、闇の中に命ごと〈分散〉しなきゃ」
色を失った言葉など受け止めてはもらえないのだろうか。勇人の言葉に対して言葉が重ねられる。
「それはさせねえ、ホンモノはそんなこと望まねえから」
まるで今ここに立っている自身が偽者だと呼ばれているような錯覚に陥れられた。紛れもない自分自身が己でないと否定されている。それはもはや存在の否定のようにすら感じ取れる仕打ち。
「思い出せよ、目の前の子は勇人に対して殺されるようなことやっちまったか」
明るい笑顔が咲き誇る、明るい声は夏を思わせる元気いっぱいの音色を奏でていた。夜闇で苦しむ魔女、ここまで追い詰めてしまったのは何処の誰だろう。正義というガラスの壁一枚隔てて感情を痛みを遮断して、人間という存在という事実から顔を背けて魔女というラベルを貼り付けて命に劣悪な価値を付ける。人として最悪だと思っていた行動を今ここで行なっているのは何処の誰だろう。
「こんな魔女としての貌が本性だと思ってるのか。この子の笑顔は嘘だったのか。思い返してみろよ、洋子の表情は何色だったか」
その笑顔は、貌の色。差し込む優しい日差しにも負けない輝きに勇人の薄暗い影に閉ざされた心は安らぎを得た。零れて差し込む光がこの上なく温かくていつまでも触れていたい、そんな気持ちを呼んでいた。
「一緒に歩いたこと、一緒に話したこと、どれもひとりの可愛い女の子だった、そうだろ」
ここぞとばかりに追憶の表層に浮かび上がる彼女の声を今も耳にしていた。名前を呼んでくれる時、並んで笑ってくれる時、味すら感じられない食事に味を与えてくれた彼女。
「殺そうなんて、俺、どうかしてたよ」
ようやく気が付いたその目に映り込む羊子の姿は苦しみに充ちていた。洋子の明るみなどもはやそこになくて、浮かべる笑顔にはあの輝きなど宿っていなかった。曇り切った笑顔に目を向けて、勇人は稲妻を収め、呟いた。
「大丈夫、魔女の闇だけを、世界の中にまき散らしてあの笑顔を……取り戻すから」
怜の表情の和らぎを見て、その手をすり抜けて、勇人は腕を引いた。
集う稲妻に違いなど見られなかったものの、鋭い輝きを受けた勇人の表情には、暗い感情の雲など何ひとつ浮かんでいなかった。
最も澄んだ瞳で魔女の嗤い顔に覆い尽くされ隠された洋子の笑顔を見る。
「魔女に纏わり固まりし闇よ、少女の心にしがみつく闇の根を断ち切りこの世界に蔓延りし闇の中に〈分散〉されよ」
突き出された腕は稲妻を放つ。突き放しているように見える仕草の中を引き寄せが、受け入れの気持ちが多大に泳いでいる。瞳の深海の、底なしの心海の、暗く見通すことの出来ない底から届く優しく温かい星のような輝きは洋子にも届いていた。稲妻の煌めきは洋子に纏わりつき羊子という魔女の人格を演出している闇の舞台、小さな劇場を砕いて塵に変え、世の中へと消し去って行く。
塵となり散りゆく闇はやがてその姿を保つことが出来なくなりその場にひとりの少女を残すのみだった。
闇の中、勇人は地にて眠りの姿を見せ続ける洋子へと駆け寄ってしっかりと抱き締める。
「ほら、よかっただろ。実は好きなんだろ、互いにな」
怜の口によってふたりの関係に挟まれた余計な声は余分な問いを運んで来ていた。
「あんまりそういうこと言ってたら怜にも揶揄われる状況作っちゃうぞ」
「おおよろしくよろしく」
夜闇などまるで見えない、そんな明るい関係だった。
☆
茶色がかった桃色の天井を見つめ、そこに塗り付けるように浮かぶバラの模様を目にして勇人は落ち着かない様子を示していた。
茶色をした髪がよくうねり心地よく踊っている。茶色の長い髪は女を彩る装飾のひとつになっていた。
「この方が〈東の魔女〉東院 真奈、娘さんは今どうしてるのかしら」
真奈、そう呼ばれた女性は娘には何も任せられない、そう語っていた。熟さない実を他者に御出しすることなど出来ないのだという。
「私は他の可能性から来た女、本来なら今頃この世界では私が高校生やってる頃でしょう」
その女性は本来ならば水色の髪をしていたと語る。
「ってことはこの方もドッペルゲンガーか、それも時空まで超えてきた」
「そうね」
真奈は洋子に向けて手をかざしていた。薄水色の光が注がれて、洋子に安らぎの涼しさを与えていた。それと同時に、大切なものを持っていられるようにと洋子の名前を包んでいるようにも見えた。
「名前、洋子ちゃんから『さんずい』が抜けないように水魔法で固定しといたから。これで魔女の暴走はないはず」
洋子の裏に潜み、夜闇の中、張り裂けるほどに口を大きく広げて嗤いを浮かべるあの魔女、羊子を呼び起こさないための処置なのだそうだ。
洋子は全力で明るい礼を小さな仕草に留めて現わしていた。
「いいのいいの、私なんて女を落としてしまったんだから。苗字も変えたしこの世界の歴史に偽りも埋め込んだし」
やっていることは滅茶苦茶極まりないこと、世を滅してしまいかねない程に苦い茶を注ぐような行ない、並行世界の正常を保ったまま清浄な変化をもたらすことを極めていた。
洋子に魔法をかけ終えたそうで、一度大きな咳払いをする。勇人は目を疑った。
その場所に真奈は既にいなかったのだから。




