刹菜の刻
夕焼け小焼け、大焼け大空。空の白に混ざる薄い朱の層がどこまでも広がる景色は勇人の心を見事に打っていた。その景色は目を惹いて見る必要のある地上へと視線を引くことすら許してはくれない。その目は空から退くことが出来ないままでいた。
その空は一日の終わりを告げ始めているようで、心にどこか物足りない美しさを彩ってくれる。そうした感情が織り成す好みなど人々が勝手に決めたものなのだろうか。
勇人はそれでも構わない、心の中でそう結論を出していた。勝手な行ない、しかし人が景色を目にしてどのような情を抱こうとも勝手なこと、きっと神さまは許してくれる。
「綺麗な景色だね」
勇人がぽつりと零した言葉に怜は淡々と答えてみせた。
「そうだな、この空の向こうに敵が現れる夜が控えてるなんて信じられないよな」
空が顔を変えてしまったそこに敵は現れる。空を見つめるお天道様、沈みかけの太陽。それが見ていない内に悪さをしてしまおうなどと思っているのかただ単に夜が戦場なだけなのだろうか。勇人は思い巡らせてみるものの、どうにも結論を掴むことが出来なかった。
しばらく夕空を見つめていた勇人だったものの、怜のひと言で空から目を背けてふたり歩き始める。目に広がる景色の全て、何もかもに夕日が焼き付いていて世界が独特な色に染まっていた。そこに美しさを見るのは人の心が織り成す感情の芸術なのだろう。
「逢魔が時は近い。今の俺らは魔に逢おうとしてるんだよな」
逢魔が時、午後六時ごろ。逢うという字を使っている理由は何だろう。ヒトと魔は親しいものなのだろうか。勇人は思考を巡らせてみた。日々起きる犯罪や悪しき行ない、そうしたきっかけのひとつに魔が差すという言葉を当てはめることもあって、やはりヒトと魔は親しいものなのだろう。腐れ縁やある種の悪友のようだった。
魔に逢う、そう言った怜が向ける目の先にはつい最近訪問したあの家が建っていた。そこから伸びる影が聳え立っているようで、より大きく見せてくれる。
「魔に逢うぞ、逢魔が時に、間に合うんだ」
名前の無い在籍者、そう名乗る男が時たま放つ発音の重なりに触発されてだろうか、それとも人知れず出てしまったものだろうか。怜の口からダジャレがこぼれていた。
「さあ行くぞ」
呼び鈴を押して、何度でも押して。家の口が開かれて怜の言う魔を待っていた。
ドアは開かれてそこから美しさを保ったままの女が現れた。
「真昼さん、夕飯作り続けていいからさ、刹菜と話がしたいんだ」
ここで頼る相手が刹菜なのだという。彼女は頼りになるだろうか、少しの心配が滲み出て来て今にも噴き出てしまいそうだった。
「そう、嬉しいわ。刹菜に構ってくれる人なんて魔法使いしかいないみたいだから味方の魔法使いと話せて喜んでるみたいなの」
真昼は夕日に似合わぬ笑顔の輝きを見せながらふたりを上げた。
すぐに家に上がり、刹菜の座る部屋へと導いて真昼は去って行った。
「刹菜のやつ、魔力の質が良くないみたいで一般人には嫌われっぱなしなんだ」
そういう人物もいるのだろうか。勇人は改めて自身に刻まれた遺伝子が、流れ続けるその血が魔法使いの一族のものなのだと確認していた。
部屋のドアを開く。軽い感触のあまり怜は勢い余って吸い込まれるように部屋の中へと滑り込んで行った。
そこに待ち受けていたのは髪の房を左肩に垂らしてニヤけを浮かべる女の姿だった。
「いやんエッチ。なに女の子の部屋に侵入してきてんだ。排除をお望みで? ゴミはお掃除」
「ふざけてる場合じゃない」
怜の対応はあまりにも冷静で、刹菜の扱いには慣れ切っている様が手に取るように目に見える。
「それより聞いてくれ」
「イヤだ」
拒否を口は示したものの、目はしっかりと怜の方を見つめていた。言葉と態度が釣り合っていないようだったがそうしたものまで含めて彼女なのだろう。ふざけに隠された真面目の片りんを見た気がした。
「勇人が魔女に会ったんだと、戦って一応今は何もないみてえだが」
「それは大変。魔女って魔女みたいな美女のことだろう。ついつい尻尾を振って性愛の道へと進むとこだったんだね」
言葉こそはふざけていたものの、貌もいつものニヤけを浮かべていたものの、雰囲気からしっかりと聞いているのだとつかんでいた。態度も言葉も彼女なりの化粧なのかも知れない。刹菜は急に話に寄り添い進み始めた。
「で、魔女だね。最近うわさになってるのは……あのうわさの魔女か、人をお菓子のようにぼりぼり食らう食いしん坊のお嬢さん」
「多分そうだ、黒のドレス、まさにそうだよな」
「正しくは時間は知らないけど夜中三時をおやつの時間だと勘違いしてるし〈お菓子の魔女〉とかかな」
謎の推測が繰り広げられる中、勇人はひとりこの会話から置き去りにされていた。当事者が一番話について行けないという状況だった。
「さあさあ、これからどのように魔女から魔を引き離すか考えようじゃないか」
刹菜の言葉はただの飾りだろう。きっと人類亜点一種とまで呼ばれた変異を除去するなど奇跡でも起こさなければ出来ないことだろう。
つまり無効化するか倒すか、アプローチの手段は多くとも二択の問いでしかなかった。




