手帳
互いの顔すら見えない中でも魔法の気配だけははっきりと見えた。この世界の中では魔力の色合いこそが顔の代わりで魔法そのものが手足の代わり。スタイルの良さは力の種類に量、化粧に本人の魔法の使い方。
まさに全てが現実と変わりがない。見栄えがそれ程までに大切な世界だった。
「醜い魔法は自分を痛めるものかしら、満明の右腕みたいに」
過去に悪魔の〈分散〉に失敗して右腕が見ることすらためらわれるような嫌悪感の塊の悪魔に侵食された満明。魔法のセカイでは醜いことなど分かっていてもそれでもなお結婚することにした。
「もう遠い日のことね」
これから真昼の戦いが始まる。幼子はただ真昼を見つめ訊ねた。
「あなたからかかってきたら? 私戦闘向けの魔法持ってないんだよね」
あくまでも時と空間を司る。宇宙を思わせる存在。その可愛らしい顔に収まる小宇宙の発現。彼女の発言は間違いなくて本人はあまり攻撃が得意ではない。それこそが〈神〉の髄。
そんな言葉にも構わず真昼は手帳を取り出した。
「どうせ躱すことで自信がとかそんな事なのでしょう、分かってるわ、簡単な話だと思わないかしら。いつでも逃げれるくせに」
そう、いつでも並行世界に移ることが出来る。あくまでもこの世界に映り声を奏で存在の香りをまき散らしているに過ぎない。
「バレたか。だってキミはさ、何処の世界線にまで逃げても追ってきそうじゃん」
見抜かれると共に見抜いていた。情報など無くても分かるといった様。まるで本人のようで薄気味悪さを極め尽くしていた。
「生意気な子どもね、その言動といい絶対見た目の三倍以上でしょ。いいかしら。本当にそれを見抜いてるのなら」
真昼は手帳を開き、ページをめくる。その中に綴られたものは様々な幾何学模様と文字の組み合わせによって創り上げられた真昼の世。魔法陣を引くことで文字たちを、詠唱の異邦文字訳を書き留めた手帳。
「私、詠唱は何週間も前に終わらせる派なの」
そう告げられた。本来強大な魔法を放つためには必要不可欠な言葉を交えた魔力の練り固め。そうしたものの代わりに真昼は言葉を選ぶ。
「制限してあげるわ。あなたの能よ凍てつけ、時の魔法よ、凍り付け」
手帳に書き留められた魔法は、解き放たれた。手のひらに収まる世界に閉じ込められたそれは薄い水色の輝きをみせながら、闇に透き通る色の弱々しさで、確実な強さを訴えていた。
輝きの後に視えるものなど何もなく、闇と静寂が返って来た時には真昼の魔法が既に行使された後なのだと、自身に付けられた見えない跡を時の操作の失敗によって確認する。
「遅い」
いつの間の話だろうか。真昼は二振りの剣を手にして〈神〉に肉薄していた。口の端に手帳を咥えた豊満な胸をした女の姿がその目に大きく映っていた。
剣を振るい、小さな身体を容赦なく分断しようとするもののそれは叶わない。〈神〉にはこれ以上近付くことが出来ない。世界の法則が許してくれない。
「ふふ、どうして空間を抑えなかったのか」
「過去からの追撃が恐ろしかったのでね」
それを耳にするや否や〈神〉は隔てられた空間越しに指を振りながらニヤけを浮かべる。
「違う違う、どうして両方奪わなかったのかなって」
「受けた本人が分かってるでしょうが!」
片方しか抑えきれない。この大業にはそうした制限が設けられていた。幾つもの大きな魔法を封じ込めることなど真昼の頭が許さない。こうしている内にも使用している魔法に、自らの力に脳を潰されてしまいそうだった。
詠唱が必要な規模の魔法をいくつも同時展開することなど人類の脳では、生物の能では決して達成できないことだった。
「ふうん、これが真昼さんとやらの全力かあ。仲間がいっぱいいるんだよね。そりゃあ危険だねえ」
危険そのもの。それは理解していた。ひとりでは勝てなくても同じ程度の実力を持つ者が何人もいるのだとすればあまりにも危うい。それを全員抑えきれない時点で〈神〉を名乗って良いものだろうか。思考に陰が過ぎっていた。
「まあいいや、私はまた別の世界に行くよ。新しい父親似のイケメン勇人を迎えに行かなきゃ」
そう告げて、身体は存在は、この世界から消え失せた。
真昼の肩から力は抜け落ちて、剣は消え去った。
「男の好みまで……何もかも私そっくり」
男どころか女まで、真昼は全てを射貫くような目つきの鋭さを持つ人物が好きだった。過去に置いて行かれて今を共に歩むことの出来ない最愛の少女。手を繋ぐことが出来なくなって四十年近くは経っただろうか。敵の魔法使いの組織に潜入して殺されてしまった彼氏、姿すら見ることが出来なくなって三十年以上は過ぎ去ってしまっただろう。遺影のひとつたりとも残されることなく抹消されていた。
ふたりとも目つきの鋭い人物だった。そして夫に迎えて未だ共に魔法の界隈で戦い続けている彼もまた、鋭い鈍色の瞳が真昼の心を撃ち抜いていた。
結局のところ、真昼の好みはいつまでも一貫していて相手がいなくなってしまっても尚、また同じような人物を好み付き合う。性懲りもなく愛する相手を切り替える。
氷のような冷たい心、そう思われても仕方のないことだと冷え切った夜に相応しいまでに冷え込んだ目で今を見ていた。




