満明
目の前に立つ凶暴な顔の持ち主は全てを見下したような笑いをひねり出し、ふたりの存在に対して下等なる価値を身勝手に定めていた。
「そこのてめえら絶対殺す」
父親似の勇人はそう語り試験管の蓋を開いた。
その様子を鈍色の感情で、怒りのひとつも憎しみの搾りかすさえも持たずに睨みつけ、勇人の肩に左手を置いて満明は聞かせてみせた。
「いいか勇人、目の前のアレは俺たちのチカラを知る前、その時点でしかないってのにもう勝利を見てやがる。敗北から逃げてやがるんだ」
あの目が捉えている勝利は幻想。そっくりそのまま現実に変わってしまうか幻想のまま現在のまま消却してしまうか、それはここにいる三人の思考の輝石と行動の軌跡の積み重ねによって築き上げられる。
現実に顕現されるパイは苦みの層を重ねたものとなるのか甘みだけを折り重ねて美味なる運命を呼び寄せるのか。
「敗北からの背走。行くぞ、アイツにニセモノに敗走を配送してやるぞ」
「当然、俺こそがホンモノだって声を上げてやる」
父親似の勇人の蒼黒い雷、勇人の青白い雷、そこに乗せるように重ねられたもの。不快なる不可視の右腕より解き放たれし純黒の雷。
「そうだ、俺もまた〈分散〉の使い手だ」
ふたりの雷を飲み込み黒い雷は凶暴な面をした勇人の左手に乗せられた試験管へ、内側に溜められ収められた蒼黒い水へと向かって行った。
「俺はかつての友の邪悪な計画を知り、魔法の素質もない一般人の身にしてアイツが呼んだ悪魔を世界の中に〈分散〉した」
満明が語っていることは一体いつの話なのだろう。彼は右眼で今を見て左眼で過去を視ているように思えた。
空気を弾き裂きながら雷は進み続ける。きっと試験管の透き通る脆い身体などいとも容易く突き破ってしまうことだろう。勇人は異なる顔で同じ貌をしていた。黒い雷がふたりの〈分散〉の術式に宿る微かな闇、不純物なる術の中の不純たるつなぎを食いちぎりほどいて試験管へと向かうまでの一秒未満のセカイ。その短時間のコマ送りの中で驚きの感情に支配されるという致命的な状況へと陥っていた。
見事なまでに予想通り、ヒトという闇の手が加わり創り上げられた試験管などという物質は、人の手によって姿を変えられたケイ素の身体は打ち砕かれて見た目通りの儚さを破片に変えて宙に弾き飛ばされる。そうした状態の変化などお構いなしに雷は試験管に身を包まれていた蒼黒い水にまで到達した。当然のように蒼黒い水は蒸発し浄化され、世界の中へと雫となることさえ許されないままに溶かされ消え去って行った。
ここまでのふたりの勇人の表情と行動を目の当たりにして満明は鉄錆を思わせるニヤけ面を、ボロボロに削り砕いたような顔に期待外れの男たちに色無きニヤけを纏わりつかせながら続きを語る。
「実戦慣れしていないな。俺は一度きりの〈分散〉を行ない魔法とも昔の友とも縁を切ろうと考えてたんだがな」
「語りながら戦いだ? なめんじゃねえぞクソジジイ」
どれだけ〈分散〉したところで無駄でしかなかった。幼子が後ろで指を繰るだけで凶暴な顔をした凶悪な男の手のひらには再び試験管が乗せられるのだから。
「俺は〈分散〉に失敗した。悪魔の殆どは消えたが一部を俺が肩代わりする羽目になったのだ」
きっと右腕に宿る不快な禍々しさがそうなのだろう。それを見て取って、勇人は子どものような目を再び背ける。
「勇人、お前はもう一度あのニセモノと魔法をぶつけ合え。〈分散〉は所詮闇を分解さて世界にばら撒く技。何度も撃たせては異界の闇を世界に」
「ごちゃごちゃうるせえ」
試験管の蓋は再び開かれる。
勇人は理解していた。そう、〈分散〉は所詮魔法世界の法則における化学反応のひとつに過ぎないことを。水を蒸発させて蒸気に変えることと特に変わりがないのだということを。
異界から次元の穴を通して持ち込まれた闇を世界にばら撒きすぎては世の均衡が崩れ去ることは必然だった。
つまり異界の勇人は生き残って戦い続けたいが為に世界諸共死へと向かっていること。生きるために自分が生きる舞台をも殺そうとしていること。簡単な話だった。
「鈴香と生きるために、世界のバランス崩壊を止める」
蒼黒い水をぶちまけた手、勢いよく後ろへと引かれた手。共に各々の魂の色を帯びた雷を創り上げ引き寄せ、その手は突き出された。
互いに噛み付き合う雷。そこに強いも弱いも何もなく、ただただ互いに食らい合い互いに術を組むために用いられたつなぎとなっている闇を〈分散〉し合うだけ。
気が付けば闇に飲み込まれた空の中で輝くふたつの魔法が消え去ったその時、異界の勇人は目を見開いた。
凶悪な顔に収まりし悪しき眼に映った光景、空から勢いよく迫り来る満明の姿は鳥肌に塗れてしまう程に不快な気配を巻き込み露わにしていた。
「食らうがいい、これが俺の薄っぺらな人生で築き上げてきた一撃の重みだ」
迫り来る腕、きっと衝撃に打たれて気を失ってしまうことだろう。しかしながら勇人はその瞬間を、生きた痛みすら味わうことが叶わなかった。殴られた痛みや振動を理解する暇もなく意識は闇へと切り落とされて行った。




