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〈分散〉の雷  作者: 焼魚圭
並行世界より
37/75

掃除屋

 夜は未だ背に、夕暮れの破片をチラつかせていた。夕暮れの跡形をも連れ去ろうとしている絶妙に青くて昏い空はやがて自身をも闇の中に沈めてしまうものだろうか。

 そんな闇の訪れを近場に控えた独特な時を刻む空の下、老いた男はふたりの少年に対して見おろすように目を向ける。父親似の勇人にとってその眼には敵意も輝きも感じられなかった。こちらの勇人にとってその瞳には、輝きの届かない底には人生の埃が積もっているように見えた。特に誇りもない埃。それでいながら上澄みの輝きには胸を張る男の姿勢が住んでいた。様々な出来事を見て聞いて愉しみ苦しみながら心は色彩に乏しくあれども色彩豊かな道のりを生き抜いてきた男の目だった。

 男は右腕に巻かれた包帯を風になびかせて少しばかりほどいてみせた。右腕を隠し通すという包帯は役目を一旦休む許可を与えられて風に流され見えない道筋を描くようになびいていた。

 ふたりの勇人は共に全く似ていない目を思い切り広げて目を逸らしてしまった。

 男が包帯に隠していたそこには何もなかった、否、勇人はそこに不可視を見た。瞳が捉えたそれは水底の闇よりも深い何か、しっかりと目に入れることはおろか視界の隅でつまむことすら拒んでしまう程に強い嫌悪感を運び込む何か。暗黒をも超えた深くて浅い、見えないようで見えてしまう、理解できないはずなのに分かってしまう、そんな虚無がそこには在った。

「ほう、ふたりともに目を逸らすか、敵の攻撃を見もせずに戦うつもりか」

 頭を割ってしまいそうなほどの嫌悪感。何も見えないはずなのに目も当てられないそれを目にしながら、嫌悪の圧を堪えながら戦わなければならないという事実。

 まさに全てを片付ける脅威だった。

「俺にはお前らに名乗るほどの名はない。名を知りたければ生きて帰ることだ。だが、これだけは言っておこう」

 老いた男の声からは年季を感じさせてそれがまた重みを増していた。しかしながら軽薄一色に染まった言葉を放っている様は未だ二十代を続けているように見えた。数十年も続く二十代。それが男の根本なのだろうか。

 名乗りさえ上げない男は得意げで鋭い笑みを、男特有の視線を浴びせながら続きを空気に耳に魂に刻み込んだ。

「俺はこの界隈ではこう呼ばれている。〈悪魔憑きの掃除屋〉とな」

 そこから更なる問いが重しとなってふたりを潰しにかかる。

「似てないが、並行世界に住む同じ野郎なんだろう、どっちがゲンガーだ」

 真実を見定める目は確かなものだろうか。誤認から誤りを事実に塗り替えられてしまっては堪らない。勇人は口を震わせながらも告げる。

「俺がホンモノ、本当だよ、家まで来れば分かる」

 途端のことだった。掃除屋の目つきに刃同等の煌めきが差し込み勇人の声を切り裂く。気圧されて言葉のひとつも出せなくなって引っ込んで。続けて黙り込み地に目を向けてしまった勇人の心を言の葉で切り刻みにかかった。

「ほう、つまり親にまで迷惑をかけようってのか。骨のない男には皮と肉しか残らない、生き残りたいが為に誇りを殺そうというものか」

 掃除屋は一度大きく息を吸い込み、取り入れた情豊かな虹色の空気を鈍色に変えて。凄みで削った棘のある声を空気と共に吐き付け叫び散らした。

「親の言葉で死にながら生きようとするな。てめえの言葉で足掻き生き抜いて見せろ。誇りは殺すな、みっともなく埃被った心にこそ誇りは宿る」

 掃除屋は見えない右腕を上げ、振り下ろした。その瞳に見えていた狙いそのものだったのだろうか、乾いて張り詰めた空気に織り交ぜるに程よい生ぬるさを、安易な非現実感を持った蒼黒い雷と交差し互いに弾けて音を薄蒼い火花に変えて辺りに散りばめた。

「いいじゃねえか、気に入った。だが殺さねえといけないようだが」

 凶暴な面をして言葉を攻撃で討つ並行世界の勇人と向かい合い、掃除屋は右腕を回す。空気は邪悪に染められ濁り、不可視の端に虚無の逃げ水となって滲み出ていた。

 勇人の手のひらの上に試験管が落とされる。ゴムの蓋を開き、蒼黒い水を右手にぶちまけて試験管は放り捨てられた。試験管は地へと落ちるのを待つことなく宙に放られ踊るように落ちながら水の作用で〈分散〉されながら溶けるように消え去った。

 右手に纏わりつく雷により更なる鋭さを、禍々しい輝きを瞳に宿しながら手を突き出して雷を放つ。

「この悪魔諸共〈分散〉してやるよ老いぼれが」

 満明に向かってひび割れのような独特な曲線を描きながら突き進む雷を捉えて勇人は急いで腕を引き、青白い雷を放つ。

 満明は表情ひとつ動かすことなくただふたつの閃光を、二色の脅威に驚異のひとつも見せることなく右腕ひとつで振り払ってみせた。

「ガキの顔の方、てめえはもう何もするな、骨なしの回答が出た時点で負けてんだ。勝負にも、偽者の格にもな」

 色の無い視線は見下しているようで勇人の中からふつふつとこみ上げてくる熱がその冷たさに対して言葉無き怒りを躍らせていた。

「去れよ、腰抜け、勝つことより生きることが大事なんだろう」

 間違いではない、正しさはどちらにもあってズレは歪みは心が生み出しただけの境界線。

 勇人はその境界線の向こうを、満明が立つ場所を遠目に見て手を伸ばし、駆け寄って。きっと怜も知っている向こう側を知りたい、全てを手にしたい。そんな渇望と共に更に手を伸ばして、現実の勇人は手を引いて雷を手繰り寄せていた。

「鈴香を守るためだ。ここで退いたら、きっと何も守れない」

 打って変わって瞳に冷気を宿していた。感情の揺れのカタチからしてきっとこの勇人は男のセカイを知らない。それでも踏み出し現した感情。そうした感情を不器用に貼り付けた眼を見て掃除屋は目を細め、陰に充ちた暗い笑みを浮かべていた。

「よく言った、だが向こうは殺すことにだけ命を懸けてやがる。お前の戦いの経験にそぐわない重みに殺されないよう支えてやる」

 勇人は幼さを感じさせる目を大きく広げ、掃除屋に目を向けていた。意思とは関係なしに感情は顔を通して訴えられていた。

「俺の名は満明だ。勇人、ふたりで片づけるぞ。業務外の清掃。俺は今日もまた死にぞこないのオッサンとなる」

 勇人は立ち去ったはずの夕暮れの輝きを貌に当てて一度頷いた。

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