怜と怜
帰り道、己を省みることもなく歩き続ける怜の肩を叩く者の存在に思わず顧みた。
「なんだ、勇人か……いや、お前は」
途端に吹き荒れる烈風に飛ばされつつも風を掴んで舞い、宙を舞うように飛ばされていた。
その目で捉えた男、視界はその存在を捕らえることがやめられなかった。
――俺自身か
怜の髪は動きに合わせて乱れ揺れ、身体は地を目指す。瞳に映る怜は薄暗い笑顔を浮かべながら再び風を放っていた。
「てめっ」
短い叫びは感情の表れ、これまでの戦いの中でも特に厳しい状況に置かれていた。
風を再びつかみ舞う。手から滲み風に流された血が風に沿って途切れ途切れの道筋を描いて伸びるものの構うことはない。少々の痛みに嘆いている暇などありはしなかった。
相手は自分自身、同じ能力、恐らくは同じ実力の持ち主。そこに余計な思考を挟む余地などなかった。
宙を舞う怜は風を内側の魔力を何ひとつ外に染み出すことなく練り上げた後に風を操りドッペルゲンガーに向けて大きな一撃を放っていた。
「くそったれが、ドッペルゲンガーだかなんだか知らねえが言いたいことあんなら言えよ。何のための口だクソが」
言葉を添えて巻き込み気性の荒い風は空気を裂きながら地に立つ怜の方へと向かいゆく。
無言、それを貫く怜は手を伸ばし、薄暗い笑顔を更なる影で彩りながら風を放つ。
そこから見えてきた光景は怜の宙の移動を怠ってしまいそうなものだった。
風は弾かれ怜に向かって進み始める。空気を噛みながら襲いかかって来る不可視の獣を思わせる風を、魔力の流れで見通していた。
――完全に力負けか
思い直した。魔力を操り宙に滞在しながら別に魔力を練りながら扱う魔法など同格の本気の圧に敵うはずもなかった。
この環境、敵の方が状況に適していた。
風を掴み敵から遠ざかりつつ地へと降り立ち、駆け始めた。敵に背を向ける恰好はカッコ悪くて惨めそのもの。しかしそれでよかった。同じ姿の敵は怜の思惑など知ることもなく追いかけて来た。同じ思考は持っていないようだった。
角を曲がり、怜は敵がたどり着く時を待つ。一瞬が勝負の時。それを逃してしまえば全てに於いて台無しのひと言を自ら叩き付けることとなってしまう。心臓の鼓動は速まる。脈は激しく強くなって行って新鮮な焦りの情をいつまでも送り込んで来る。否応なしに行なわれる感情の換気は換気をも巻き込み乾いた緊張感を持ち込んで静電気を思わせる情の動きが張り詰めた空気を演出していた。
一秒、そこに現れる気配はない。
二秒、緊張の糸は意識をぶつ切りにしていた。
三秒、まだまだ来ることなく時は流れる。
四秒、実は自身の中で刻まれている時は意識が生み出したまやかしだと知る。
五秒、実は怜の中で過ぎ去ったこの五秒間は一秒にも満たないものだった。
やがて荒々しい足音が地を踏み荒らして大きな音を立てる。規則正しくはなくともある程度の揺れだけで刻まれ踏み鳴らされる足音。
それが一度、あからさまに大きく遅れていた。
――今だ!
怜の目の前に同じ姿を持った敵が現れた。曲がり角を意識して遅れた歩調が居場所をあからさまに示し、怜に行動の移行の瞬間を告げていた。
意識を研ぎ澄ます段階から反撃の段階へ。以降、怜の意向はくっきりはっきりとしていた。
「行こう、勝利の運命に」
怜は風を飛ばした。握りしめていた手を開いて、風に乗せて。風と共に舞ったもの、それは幾つもの草だった。敵の視界を防ぐ自然の欠片、緑のカーテン。相手が草に気を取られたその時、怜の気取りを着飾った声が相手に戦いの結果を遠回しに告げる。
『世界を駆け巡りし形無き旅人よ 黄昏には何処に居ただろう 今宵は何処に居るだろう 彼は誰時にはどこへと向かうだろう 辿る道にて色付く姿 持ち帰る香り 私は貴女を愛している 乙女ナル風よ ――』
唱えられたそれは本気の魔法の証、詠唱だった。速さこそがとあまり使われることの無い全力だったが、隙を生んで見せればひねり出し、戦いの結末をも決めてしまいかねない大技、大業。
風は渦巻いて、周囲を砕き始める。コンクリートの地面からはヒビが生み落とされて空気は風に支配されて。やがて例が呼び出した技は怜の隣に立っていた。
幼い無邪気な少女の姿をした風。どこまでも気まぐれで自由を謳歌し世界を駆け巡る風の姿として最も相応しいものだと怜は思っていた。
「目の前の敵を想いのままに打ちのめして」
風の少女は静かに頷いて怜の細くありながらも暖かで子どもにとっては頼りになりそうな手を強く抱きしめて、魔力を受け取る。
少女が口を開くと共に風は此の世の自然から人によって作られた景色まで、ありとあらゆるモノを渡って得たメロディーを奏でる。
それと共に風が絡み合った環が天上より舞い降りて敵を収めた。敵は藻掻き魔法を放ち続けるものの、そのどれもが無力なものだと弱々しく語っていた。
風の環が絡みを強めて互いの結びつきを濃く塗って、森羅万象の旅を幾度となく続けて来た歴史をその威力で示したのだった。
やがて風が止むと共に地に残され地に張り付くように倒れ込んだ敵の姿はぼろきれのようでみすぼらしいことこの上なかった。
「ありがとうな、戦いの時ばっかですまないな」
声を掛けながら風に目を移したその時、風の少女は微笑みながら口を開き、怜に音を聞かせてみせた。それは学校の音、怜にとっては聞き慣れたものだった。
「いつも見てるよ、ずっと一緒、か」
この業こそが怜の子ども好きによって生み出された彼の象徴とも呼べる代物だった。




