心の根
菜穂の刀は勢い任せに振り下ろされる。星の光をまばらに受けて薄っすらと輝く銀閃は何を分断しようというものか。空間を切り裂くように振り下ろされた途端、怜がしゃがみ込み、手を地に着く。傅くようなその姿は人としての誇りを失ったように映る。まるで菜穂の程度の低さを代わりに紹介しているようで虚しさに充ちていた。
「怜、大丈夫かな」
勇人が持ち込んだ疑問を挟み込んで無理やり立ち上がる。
「何しやがるんだ、アホ菜穂」
怜は動きながら確認していた。重くのしかかって来る気怠さは何を斬られた結果だろうか。菜穂の行動からして確実に何かを斬られてしまったことだけは間違いなかった。反撃の風を吹かせようと魔力を練り上げて、そこで不足を感じ、遅れて気が付いた。
「まさか、くっ、魔力を持ってかれた」
魔力、つまるところ魔法使いにとってのエネルギー源のひとつ。戦いにおいてはもちろんのこと、日常生活の支えとして軽く扱うモノでさえ魔力を使って扱う。例えるならば便利な脚となる車からガソリンを半分抜き取られた気分、それを感じ取っていた。
菜穂は表情ひとつ変えずに刀を構えた。
「闇を〈分散〉したのに……どうして」
湧いてきた疑問は意識せずとも口から零れ落ちた。その問いに答えを持ち込んで来たのは名前すら持っていない存在。
「闇を〈分散〉した時、共に病みをも外へと追いやってしまったようだ。ただただ自分勝手以外のモノを知らないあの女は何をしたわけでもなくただ不満から病んで辛うじて人を見る心を持っていたようだな、それでも自己中心的でなけなしのモノ、所詮はそういう人物だということだが」
周囲は静まり返っていた。空気でさえ木々でさえ、挟み込む音を持っていなかった。菜穂に目を向け、勇人に目を移し、その姿を映し、男は更なる言葉で纏め上げた。
「残念ながら、あれが彼女の心の根、本当の姿だ」
心の闇どころか彼女の病みまで取り払ってしまった結果が今。人のことを見る心は傷によって塞ぐことによって現れたもの。本性は痛みによって抑え込まれていた。
心の全てが回復してしまった今、あの女には人を想うチカラなど残ってはいなかった。
「愛がない、哀もない、他愛もない」
男は口を閉じて下がり、闘いは全て彼らに任せるといった姿勢を見せていた。
怜は残された魔力を、浅い力を無理やり練り上げて不完全な魔法を完成させていた。
勇人は手の構えを解いていた。彼の力は菜穂相手ではもう役にも立たないことを分かっていた。
一真はビニール傘を構えて菜穂を睨みつけていた。
「おい待てよ。あの時折れてたよな」
怜の問いに対して笑顔を返す。更に言葉を加え、罪を声にしてさらけ出していた。
「俺の武器は下駄箱の向こうにありふれてるんだ」
つまるところ、生徒が置いて行ったものを勝手に使っているという状態だった。
「正義のためだ」
怜のため息は呆れと共に一真を止めることなど出来ないと語っていた。ここで嗜めてしまえばきっと孤独の闘い、勝ち目など万に一ほども残されないだろう。
菜穂は刀を振ろうとした。
「そこ」
怜の手が伸ばされ、風は足元から昇って腕を振り払う。
菜穂は飛ばされかけた腕に目を向けて、そこにできた一瞬の隙。そこに一真は突っ込んでいた。
走り進みやがてビニール傘は大きく振り下ろされる。そこに菜穂の刀が向かって受け止める。力を加えて傘を握りしめる、力同士のぶつかり合いは一真の表情から余裕を奪い、菜穂は相変わらずの無表情。そうして釣り合っていた双方の攻撃は物質の変形によって両方共に崩れ去る。一真が握りしめているビニール傘が曲がって均衡は崩れ去った。一真は空気の手によって地に投げ飛ばされて菜穂は勢い余ってバランスを崩す。
「ここを逃すな」
駆け寄る怜の叫びを耳にして物理法則を超えた意識の向きが一真を突き動かす。地を跳ねるように脚を勢いよく振り回し、体勢を立て直そうとした菜穂の脚を打つ。勢い任せの攻撃は無事撃たれ、体勢は討たれ、気が付けば菜穂の目は地を見ていた。
菜穂は立ち上がろうとするものの、上手く行かない。脚の感触が、位置が、角度が何もかもこれまでとは異なっている。今までと変わり果ててしまって動くことすらままならない。そう感じられた。
「人の姿から遠ざかりやがって、それともそれが真の姿ってか」
怜の言葉を受け、その手から離れた日本刀に目を移した。星の瞬きを絶え間なく跳ね返して輝く鉄に映されたその姿を見て情は恐れおののき自身を激しく嫌悪した。美しき姿という自信は完全に失われていた。
そこに映されていた姿、それは全身がドブよりも濃くて深い苔を思わせる緑に染まっていて右目と口が重なり合って左腕が背中から生え、鼻はあるにもかかわらずどこにもない。身体は捻じれていながらにして真っ直ぐで、全ての部位が間違えた位置に置かれていながらそれが全て正しいのだと語っている。
菜穂の今の姿は生物学どころか常識を見る目からしてもあり得ないもので、しかしながら心の醜さの体現としては完璧な作品と化していた。そんな彼女の奇妙でおかしな姿を口で語ろうものならば、この言葉で纏め顕す他ないであろう。
その姿は、身体の機能単位、存在という根本的な単位で支離滅裂だった。




