勇人の今
菜穂の手に、菜穂の足によって転がされて異形の群衆の中へと放り込まれてしまった。襲い掛かって来る異形たちは動きがのろのろとしているように感じられ、勇人はその手を素早く後ろへと引こうとするもののそれもまた遅くてあまりにももどかしかった。
――遅れるな、早く、一刻でも早く〈分散〉するんだ
遅すぎる、動きのひとつひとつが遅すぎて思考の加速によって置いてけぼりにされた身体はようやく手を後ろへと引いたところ、ゆっくりと稲妻が集まり始めたところだった。
――遅い、間に合え、せめて片面だけでも
想いは上手く通じたのだろうか、腕は突き出され稲妻は独特な音を立てながら空気を引き裂き始めた。
安全圏から舌打ちが聞こえたような気がしたものの今はそれに構っている暇はなかった。
稲妻がどう動いたのか確認する間もなく後ろへと振り返って再び腕を肩の後ろへと引いた。集う稲妻を想いのままに押し出すように撃ち出して。
空気を噛み締めながら進み続けるそれは異形を塵へと変え始めた。
「あれは、闇なのか」
異形、それは人の手によって創り上げられた人の失敗作。日を浴びることも叶わず人の力にも敵わず日の下にも適わない。創り上げた人物が閉じ込めいなかったことにしてしまった、そうした行為によって付随された闇など勇人には知る由もなかった。
人々の心の影響で闇にもなり得るのだということを、その恐ろしい事実を勇人の今の状況では知る由もなかった。
周囲の異形は消え去って、勇人は辺りを見回しながら進み続ける。どこに人のなりそこないが、心すら持つことを許されないまま本能で動く人物がいるのか分かり得ない。予知も魔法もなくても分かる未来が存在する一方で予知を行なう余地も魔法を通す隙間も与えてくれない未来、そのような物も大いに存在した。許されざる存在は猿の仲間とも思えない姿をしていた。どこか歪でまさに人の器として産み落とされたが為に足りないものがある、そう語っているよう。
「怜たちと再会すれば完璧かな」
そう言ってみせたものの、どの方向へと進めばたどり着くのかそれさえ分からない。時たま埃だまりのように待ち構えている異形を塵へと変えて辺りを汚しながら勇人は進み続けていた。
歩き続け足を踏み出して、やがてたどり着いたそこを目にして勇人は目を見開いた。階段へと続く道、階段の陰から伸びるその影は紛れもない菜穂の姿だった。
「なんで……戻って来たんだ」
待っていた環境から与えられた疑問、重ねられる疑問符。頭がはてなでいっぱいになり始めていた。
「いったいどういうことなんだろ」
菜穂は口を鋭く開きながら尖らせた声を、言の葉の刃を勇人に向けてみせた。
「あなたが無能だからたどり着けない、この程度の術に嵌るの」
「菜穂は何を知ってるんだ、もしよかったら」
その続きを言葉にすることなど叶わなかった。しかし知ることは叶っていた。菜穂の態度により叶えられていた。
刀を向けて、彼方をも見透かす瞳で、殺意の色で勇人を射貫いていた。
「外へいらっしゃい、私を倒すことが出来たら進むことできるから」
一体何をしたのだろう、勇人には分からなかった。今できることなどただひとつ。従うことただそれだけ。
ふたりがたどり着いた場所、それは学校のグラウンド、砂とサッカーのゴールネットによって構成された運動に最適な場所、そう、闘いという運動にも最適な広場だった。
「貴方には話してなかった能力があるわ。私が斬ることの出来る範囲」
「話してなかったも何も何ひとつ聞かされてないんだけどな」
その程度の言葉は視線ひとつで斬り裂かれてしまった。勇人の命は、菜穂の手のひらの上に収まってしまう程に貧弱、この言葉で収まる程度の存在という役割を与えられてしまっていた。
「私が斬ることの出来るものは何も実体や幽霊、縁を切るといったような古来より語られた迷信じみた行動だけじゃないの」
そこから更に言葉を加え、殺意を咥えていた。言葉の中から染み出る感情の苦みに勇人は思わず顔をしかめていた。
「私、『貴方が怜のとこにたどり着く』っていう結果を斬ってやったの」
仲間のふりをして組んだふりをして結局は敵として立ちはだかる。この展開は予想できていたものの、力業による悪しき業はあまりにも豪快で尊敬の念が湧いてきてしまうほどのものだった。
「正直貴方のことが嫌い。怜と一番仲良くするのは私がいいの、他の誰でもなくて私だけで。私だけが怜を愛して私だけが怜のことを知っていて私だけが怜の大切で」
「自分勝手だな、怜に嫌われるよ」
勇人の声には微かな怒気が織り交ぜられていて、本気の正気を正面から叩き付ける様を目にすることが出来た。
「いいえ、大丈夫、殺せば『勇人がこの世に存在してた事実』を斬るから、死人には口はないもの」
勇人は手を構える。死すれば鈴香を守ることが出来なくなってしまう、怜とともに歩む人生がなくなってしまう。ここで覚悟を決めて相手を消し去る。そう、心に誓っていた。重ねて誓いを捧げ続けた。幸い、菜穂の心の奥深くにまで闇が根付いていた。
――あれを〈分散〉すれば
想いを巡らせる中、校門から新たなる刺客が現れるのを端目に捉えた。それは勇人がよく関わる人物。名など無くても実感は持つことが出来なくとも、確かにそこに在籍する者。
男は一瞬だけ勇人にわざとらしく微笑みかけて校舎へと、迷うことなく怜が開け放っていた窓へとたどり着き、そのまま飲み込まれるように忍び込んで行った。




