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〈分散〉の雷  作者: 焼魚圭
日常の影の陰
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更なる噂

 怜には秘密の関係。菜穂の憎悪など勇人の中に仕舞ったまま取り出すこともなくただそこに在るだけ。怜の耳に入ってしまえばきっと彼女の好意も怜との今の絶妙な関係も壊れてしまうだろう。将来永遠の愛を誓い合うことになるかも知れないふたりの関係に邪魔を入れる気などどうにも起きない。

 怜の待つ教室へと戻ると共に言葉は交わされる。

「生きて帰って来たな」

「怜の方こそ、先に着いてやられなかったね」

 何がだよ、互いに言いたいその言葉は出て来ることもなく。分かっていてその上で行われる半ばふざけた心情を胸に行なわれるやり取りが勇人にとっての心の支えとなっていた。

 菜穂と怜が付き合ってしまえばこうした日常も色を変えてしまうかも知れない。彼女は勇人に対して大した憎しみを住みつかせ心の端に染み付かせて生きていた。怜に向けられる物はきっとこの上なく明るい感情で、この態度の違いは永遠に変わることがない。

 菜穂は、関係の妥協の味を、人との関わりの中に潜むえぐみというものを知らずにいた。

 菜穂は知らなくていい感情、怜には教えたくない関係。譲り合いの精神は片方しか持ち込んでいないが為に永遠に相手に譲ることしか出来なかった。ならば勇人もまた、敢えて譲ってやる必要などない。そう心に擦りつけていた。

「勇人、ちょい顔色悪いな」

 何かに感づいてしまったのだろう。勇人の顔に出てしまっていた感情の表層に触れ始めた怜の手をそこで止めていた。

「いや、大丈夫だから」

 それからやって来た静寂の中、気まずい想いを抱えながらクラスメイトの声に密かに耳を澄ましていた。

「知ってるか学校の裏庭の近くに校舎のひび割れがあるよな」

「ああ、不自然なとこな、誰が壊したんだろうな」

「そのひび割れから手が飛び出すらしいぜ」

「なんだそれ」

 話によればそこから飛び出す手は誰かが近付いて来るのを待っているらしい。まるで誰かを引き摺り込むのを待つように。

――また、手なのか

 勇人の心の中ではそうした言葉が渦巻き続けていた。

「どうした勇人、具合いでもわりいのか」

 怜が心配そうな顔をして勇人の顔を覗き込んで来た。近くにはっきりとした男の顔、その仕草も表情もあまりにも似合わなくて、ついついおかしな笑いがこみあげてきていた。

「んだよ、俺がなにかしたか」

「いやいや、ありがと、少しだけ元気が出て来た」

 わけわかんねえ。そうこぼしてつなげられた会話はそこで切れ、怜は自身と得意げな表情を混ぜ合わせて顔に塗り付け、堂々とした感情を浮かべながらうわさ話をこぼすクラスメイト達を見つめていた。

「あれ、俺がやったんだよな」

 なにがどうしてそうなった。訊ねたい気持ちを抑え込んで勇人は乾いた笑いを掲げてみせていた。きっといつもの厨二病、勝手にそうだと断定していた。

「そっか、怜って強いんだな」

「めっちゃ強いぜ俺はよお」

 校舎に刻み込まれた傷、そうとも呼ぶことのできる亀裂に勇人は今の人間関係を想っていた。怜と菜穂と勇人。三人の関りなどずっと亀裂の模様に沿って展開されていていつ終わってしまってもおかしくはなかった。その時勇人と菜穂は互いの大切な人の他人という考えで落ち着くことが出来るだろうか。そこが百点満点の関係なのだと勇人は思っていた。怜の菜穂に対する言葉も姿勢も全ては素直になれないだけだと思い続けていた。

 やがて来た授業の時、続いて終わる教師の教え。そこから導き出された愛無き愛校の掃除、学校生活はいつも通りに流れて今日も一旦幕を降ろして生徒たちはなんとか解放されたのだった。勇人は怜に用事があるのでと告げてひとりで中庭へと向かって行く。校舎に入ったわずかな亀裂、それは勇人の目にはあまりにも大きく映っていた。これはまさに三人の関係のカタチのよう。あまり甘みのない青春は後に嫌な余韻を残してしまうだろうか。秋の風のざわめきに耳を澄ます。木々が着込んだ葉のざわめきが心地よくて心を癒してくれる。巻き上げられた砂が微かに浮き立ち漂い地表に淡くて荒い層を創り上げていた。

「この亀裂の隙間から、出て来るんだよ……な」

 自信はない。自身の見たものでもない。うわさ話に踊らされる心地はあまりいいものとは思えなかった。

「言ってもうわさだしなあ。ホンモノかどうかわかんないしそういうこともあるか」

 そう残して立ち去ろうとした時、コンクリートを叩く高くて優しくも鋭い無機質な音が届けられた。

 勇人の口からは声のひとつも出ては来ない。それは間違いなく聞こえて来た。身体は強張り震えて恐怖に支配されてそれでも振り返らずにはいられない。

 回り切り替えられた視界の中、それはいた。

 亀裂の隙間から飛び出る薄青色の手。微かな隙間の中、手によって亀裂は破片を散らしながら微かに広がっていた。そうして落ちる破片がコンクリートの地面を叩いて無機質な調べを奏でていた。

――ホンモノだった

 しかしうわさ話は告げていた。誰かを待っている。

 その根拠はどこから、首を傾げる仕草を待ってましたとでも言わんばかりにその手は幾度となく折り動かされ、手招きをしていた。

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