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〈分散〉の雷  作者: 焼魚圭
日常の影の陰
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言葉の理由

 勇人の立つ地は本当に床なのだろうか、学校の安定した木目の床の上に立っているとは思えないふらつきは、足を取って嘲笑う空気感は、果たして見た目通りの場所なのだろうか。勇人は今、何処にもいない、如何なる処にもいられない、そんな感覚に立ち眩みにも似た形なき深淵へと落ちていた。

 怜と同じ段階にいることも許さないあの女が心に隠し持つ剣によって、空間までをも切り裂かれているように、セカイそのものが刻まれて踏み出すことも叶わない状態のようにも思えていた。

――ああ、菜穂といったな……見えたよ

 あの剣、それこそがあの女の能力のカタチ。

 勇人の視界は闇に落とされて飲み込まれて行く。菜穂の心の刃の色は菜穂の色そのもので、勇人は気が付いてしまった。

 今のままでは菜穂の思うがまま。あの女はきっと勇人と怜の関係を斬ることなど容易いものだと思っているのだろう。実際のところ、そうなのかも知れない。だからこそ、縁を切るために必要な関りという過程を踏み飛ばしてあの刀で切り裂いて。

――だめだ、怜だって……俺だって

 一緒に話すあの麗しい追憶をその目に焼き付ける。怜が勇人の肩に置いた手の感触、いつも髪形を変えている半分程度の事実を印象として残してくる切れ長の目が特徴的な友人、今日の髪形は確か。

――今日は右半分だけ下ろしてた

 今日の髪形を言えた、今日も明日も笑って過ごす。勇人は心に叩き込む。言いなりはいけない。あの女の、あの面だけが整った己を世界だと思い込む嬢王気分の肉の仮面を剥がして内の醜い実体を世の中にまき散らしてみせたい衝動が風となって闇をも吹き払う。闇は霧だったのだろうか、まやかしは見る見るうちに遠ざかり、この世界のただ一点、菜穂の心の刀に集約されていた。

「友情を、ひとつひとつ違った形のパズルのピースを、たかだかひとりの想いのままに噛み合わない形に捻じ曲げられると思うなよ」

 途端に集約された闇は更なる密度の高さへと練り上げられて行った。


 菜穂の能力が通用してしまう元凶はきっと己の弱さ、気を強く持って、意志を示して仲良く笑っているのだと貫き通すことでひとりのワガママは打ち砕かれるものだったのだろう。


 勇人は闇を瞳で捉え、右手を肩の後ろへと引いた。弓を思わせる精神、周囲より集う雷は絶望の闇に塗り潰されていて希望が無い。それ故に絶望一色こそが美しい希望なのだと錯覚させられる。

 勇人は気が付いてしまった。この能力は、確実に勇人の魂を蝕んでいた。

――ダメだ、打ち勝って。弱みに住まうのはそれこそ今回の魔法と同じことだ

 瞳の中に、このセカイの中に存在しない光を宿し、唯一の輝きとなる。創り上げられた希望は強い意志を引き出して、自然とあの言葉を引き出して闇のセカイの出口へと導いていた。

「ひとりの哀れなる乙女の心の本質にこびりつきし闇よ、この世界に蔓延りし広大なる闇の中に〈分散〉されよ」

 突き出された手はそのまま闇ですらないただただ暗い黒の景色の中から大切な温もりをつかみ取った。稲妻がその闇で黒を破りながらどこまでも遠く見る目の前に、すぐ近くにて凝り固まる闇に噛み付いて入り込み、内側から砕いて行く。勇人の赤みがかった茶色の瞳はその様子など最早捉えてはいなかった。つかみ取った希望はふたつ。重ねられた手はふたり分。これから危機に巻き込まないために力をつけているふたりの理由。いつでも隣にいる同級生と毎日家で顔を合わせる妹。いつまでも一緒にいられるように、ずっと笑っていられるように、巻き込まないように負けないようにと想いを握りしめて。その手を握りしめて温もりをもらって心に温もりを送り込む。

 一度目を閉じて開いて映り込んだ景色に目を見開いた。菜穂が苦しそうに胸を押さえて床に倒れ込んでいるという有り様。あの戦いは現実にまで染み込み世界を非日常の色に染め上げて行った。

「保健室に」

「黙れ加害者」

 黒い髪の女が向けた言葉は殺意に輝いたおぞましい刃。人の闇は何処までも際限なく生み出されてこの世の何よりも濃くて分厚い存在となる。

 人々のうわさ話やちょっとした冗談が産み落として来た異形の存在を思い出し、菜穂に伸ばしていたその手を引っ込めた。きっとこの少女は再び闇と共に生きるようになるだろう。どこまでも深みに嵌ってやがては恨みの原因を忘れて憎しみは癖となって誰とも分からぬが浅く関わった他人を捌け口なのだと勘違いしてまき散らして。

 そんな人物とそもそも関わるつもりのない怜の縁の繋がりを保つ必要などあるのだろうか。

 悪影響の残響だけが想像のみなもに波紋を作る。決して幸せになることなど叶わず誰かを幸せにしようなどとも思うこともないその少女、この歳にしてこれからの人生の幸福度が自らの手によって下げられている彼女の俯く姿を見下ろして、そっとため息をついていた。

――ああ、なんてかわいそうな人だろう

 そうした想いの淵に引っ掛かった別の色の想いを傍目にしてそれを手首に優しく掛けていた。その想いを見つめて安心を得て目前の少女を置いて立ち去り、想いを何度でも触れて味わって見つめ続ける。

 友だちや家族と共に生きる自分という決して色あせない水底の宝石たちを。

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