【コミカライズ】記憶にないと婚約者に言われた元聖女〜幸せはすぐそばにありました〜
無性にテンプレが書きたくなりました。
「ミリアーナ、どうか僕と結婚してくれないか」
煌びやかな夜会会場の中央で、亜麻色の髪に翡翠の様な瞳を持つ美しい青年――バートン侯爵家の跡継ぎジャンは片膝をつき、一輪の赤いバラをある令嬢ミリアーナに差し出した。
ピンクブロンドにさらに桃色を濃くした瞳をもつミリアーナは可愛らしい顔を綻ばせ、彼の手から嬉しそうに薔薇を受け取る。
「まぁ、嬉しい。喜んで、お受けいたします」
「ミリアーナ! 愛しい人よ!」
ジャンは渾身のプロポーズが成功した喜びのまま、ミリアーナを抱き締める。
なんて素晴らしい求婚劇なのでしょう。
他人のことだったらそう思えたのだろうが……子爵令嬢ユディットが久々に出た夜会で、彼女のひとつ上の婚約者ジャンが求婚したのは自分以外の令嬢だった。
(ジャン様ったら、私と婚約解消も婚約破棄もせずプロポーズなんて……どういうつもりなのかしら?)
ユディットは滑らかな輪郭を持つ片頬に手を添えて、軽く頭を傾けた。
レガード子爵家の娘ユディットは、金色の髪に青い瞳を持つ美しい令嬢だ。それは国一の美貌に育つだろうと言われ、神への供え物と呼ばれる『聖女』に選ばれたほど。
この国は神への信仰心が強く、神は男神とされている。神からの加護を得るために、美しい女性を神殿に送るのが国の慣習となっていた。
聖女は十歳前後の貴族令嬢から選ばれ、俗世との関りを一切断ち、十年間神殿で祈りを捧げなければいけない。神殿の決まったエリアで生活し、両親や友人とも会えず、限られた神殿の関係者とともに生活を送る。
そんな青春時代を神の祈りに捧げた令嬢が引退するのは二十歳前後。その年齢から好条件の婚約者を探すのは難しい。
だから引退後の生活に困らないよう、聖女に選ばれた令嬢が神殿に入る前に国王が良縁を用意するのが決まり。そうしてユディットに紹介されたのは、バートン侯爵家の長男ジャンだった。血筋も、資産もある名家。不自由のない暮らしが約束されていたのだったが……。
引退のタイミングでバートン家から届いた招待状の夜会に参加した結果、他人への求婚劇である。
婚約直後の交流以来、十年ぶりの再会。サプライズで引退のお祝いをしてくれるかと期待したからこそ、残念な気持ちが大きい。ジャンに恋情はなかったが、あまりにも酷い。
ユディットの美しい唇から、「ほぅ」と悩ましいため息がこぼれる。
周囲は美貌の令嬢の儚げな様子にうっとりしそうになって一転、ひゅっと息を吸った。
彼女をエスコートしている弟は鬼の形相で、背後にいる両親も似たような顔をしていたのだった。
一応バートン家の方が格上であり、侯爵夫妻も同じ鬼の形相で息子ジャンを睨んでいるからこそ、ユディットの家族はギリギリ踏みとどまっている状況だ。
「ジャン! 貴様とミリアーナ嬢は今すぐ別室に来るように!」
バートン侯爵はミリアーナを抱き締める息子ジャンの耳を引っ張って、夜会会場から引きずり出した。
別室に移動するなり、バートン侯爵は爵位を気にせず床に額をつけてユディットに謝罪した。
「国の至宝である聖女・ユディット嬢と婚約しているのにも関わらず、愚息が大変申し訳ないことを!」
「父上……僕がユディット嬢と婚約!? 夢ではなく?」
「馬鹿者! 十年前、しっかりと顔合わせをしたじゃないか。そして十年後、ユディット嬢が聖女を引退したタイミングで結婚の準備を始めるという説明も……!」
そうバートン侯爵が息子に訴えるが、ジャンは未だに理解できていない顔を浮かべていた。
「記憶にないのですが。だって、今まで婚約者について話題に出さなかったではありませんか! 十年も話に出なければ、忘れてしまいます! てっきり僕は、父上がずっと婚約者の候補についても触れなかったので自由に選んで良いものかと」
「わ、忘れ……王命だぞ……ほとんどの貴族が知っていることだぞ?」
「ですが、父上――」
バートン親子のやり取りをまとめると次の通りだ。
ジャンは寂しがり屋体質。両親や周囲は、ジャンが会いたくなって寂しがらないようユディットの話題を控えた。そのお陰で、最初はユディットに会いたいと塞ぎこんでいたジャンの精神も安定。特にこれまでも女遊びをしなかったことから、ユディット一筋で彼女の聖女引退を待っていると侯爵夫妻は信じていたらしい。
しかし当のジャンは、話題に出ないことでユディットとの婚約は夢か何かということで忘却処理。お忍び愛を育んでいた男爵令嬢ミリアーナに求婚してしまった……と。
ミリアーナもジャンが積極的なので、婚約は密かに解消されていると思っていたと告白した。
ユディットとしては「そんなことある!?」と信じられない話だが、起きてしまったことはどうにもならない。婚約者を忘れるような鳥頭な男と結婚せずに済んで良かったと思うことにする。
「侯爵様? バートン侯爵家の有責で婚約解消する旨を、陛下と神殿に報告する形でよろしいでしょうか?」
「それはもちろん、王命を反故にしたのは我が家。ユディット嬢に責任はない」
抵抗されずに良かった。そうユディットが安堵した瞬間、部屋に明るい声が響いた。
「では、私はジャン様と結婚できるんですね!? ユディット様は、ジャン様を諦めてくれるんですね?」
諦めたのとは違うけれど、ジャンとは結婚する気はさらさらないユディットは頷いた。
ジャンとミリアーナは感極まったように互いの手を取り合う。
「ユディット嬢、感謝する。さすが聖女の慈悲は深いのだな。ミリアーナ、これからも僕の隣にいてくれ」
「えぇ、もちろんですわ。未熟者ですが、これから頑張って未来の侯爵夫人として励みますわ」
あっという間に、ふたりだけの世界ができあがる。バートン侯爵のこめかみに青筋が立っているのも知らずに……。
だが侯爵の堪忍袋の緒が切れる前に、新たな入室者がジャンとミリアーナに待ったをかけた。
「王家との約束を忘れ、能天気に恋人と戯れるような兄上には侯爵家は任せられません。父上、聖騎士の職を辞した私が侯爵家を継ぎます」
そう告げたのは、黒髪に翡翠の瞳を持つバートン侯爵家の次男レオン、二十歳。長身で、鍛え上げられた体は聖騎士の制服に包まれている。彼は恭しくユディットの前で跪いた。
「聖女様、この度は私の兄が大変失礼をいたしました」
「レオン様、私はもう聖女ではありません。どうかこれからは名前で」
「ユディット様と呼んでも?」
「えぇ、良いですわ。そして悪いのはあなたではありません。さぁ、顔をお上げになって」
促したことでレオンは顔を上げたが、膝まで浮かそうとはしない。
レオンは、五年前から聖女ユディットの専属護衛に当たっていた聖騎士だ。「兄の婚約者である聖女様は、バートン家の宝。命に替えてでも守り抜きます」そう言って、常にユディットを過保護なくらい大切にしてくれた。最も信頼できる相手と言える。
そんなレオンは真剣な眼差しをユディットに送ったまま、彼女の手を取った。
「ユディット様、私と結婚してくださいませんか?」
「レオン様!?」
「懺悔します。兄の婚約者だからと諦めていましたが……実は、ずっと昔からお慕いしておりました。私が聖騎士を目指したのはバートン家のためではなく、私がユディット様の側にいたかったからです。叶わない恋なら、せめて誰よりも近くにいたいと……! 私レオン・バートンは、ユディット・レガード様を心より愛しております」
熱い言葉と眼差しに、ユディットの心臓はキュッと締まった。
神殿でのレオンは寡黙で、けれども常に穏やかな表情を浮かべていた、柔らかい印象の青年だった。そんな彼は今、まるで野獣の様な目でユディットを求めている。
ユディットはレオンが好きだ。しかし、それは未来の義弟や信頼している聖騎士として。急な告白に、ユディットの心は動揺に満ちていた。
レオンの眼差しが緩み、眉が下がる。
「困らせてしまいましたね。急に次の婚約を決めるのは難しいでしょう。だから私にチャンスをくださいませんか?」
「チャンス、ですか?」
「新しい婚約者候補の一番手として、お見合い期間を設けていただきたいのです。聖女と聖騎士ではなく、ユディット様とレオンとしてお話しできる時間をください」
ユディットは差し出されたレオンの手をじっと見つめ逡巡する。
ジャンとの婚約解消後、王家はおそらく新たな婚約者を紹介してくれるだろう。十年社交界とは無縁だったユディットには、まったく知らない男性が相手になる可能性も高い。
分かっているのは、王命を反故にしたジャンのいるバートン侯爵家は選ばれないということ。
レオンにとっては、このチャンスを逃せば、一生チャンスはない。聖女と聖騎士でなくなったユディットとレオンの関係も、ほぼ完全に切れる。
(なんだか、そんなの嫌だわ)
チクリと痛む胸が、ユディットの背を押した。彼女はそっと、遠慮がちにレオンと手を重ねる。
「では、まずは友人としてで良ければ」
「――はい! 光栄です!」
レオンは顔をくしゃっとさせ、喜びを前面に出した。
こんな無邪気な彼の笑みを見たことがないユディットの胸からは、大きな鐘の音が聞こえたのだった。
***
夜会の騒動は瞬く間に広がり、ジャンとの婚約解消もすんなり国王に認められた。その上国王はユディットにいたく同情し、新たな婚姻に関しては全面的に彼女に協力してくれると約束してくれた。
自分で探すのも良し、国王が新たに紹介するのも良し、国外に行くのも良し、とユディットの自由だ。
その話を聞いた国内外の貴族令息は、元聖女の美しいユディットを求めて縁談の申込書を送った。レガード子爵の執務室には、釣書が高く積み上げられている。
もちろん、まだそれには手をつけていない。約束通り、最初に見合いの切符を手に入れたのはレオンなのだから。
「どうして、私がユディット様を好きか……ですか?」
「え、えぇ。だって、聖女になる前は、レオン様と私にはほとんど接点はなかったでしょう?」
レガード家の温室でお茶をしていたユディットは、レオンに問うた。
「兄と婚約して間もなく、ユディット様が数回バートン家に来てくださったときです。まだ私は病弱で部屋からあまり出られない時期でした。覚えていらっしゃいますか?」
「そう言えば、そうでしたわね」
今でこそ身長が伸び、鍛えたことでしっかりとした体躯のレオンだが、幼い頃は、女児ユディットよりも線が細かった。大きなクッションで背を支えて、ようやく身を起こせるくらいか弱い少年。それがレオンだった。
「私は外の世界を羨んで、ただじっとすることしかできませんでした。両親も、医者も、私も一生付き合っていかなければならない体質だろうと思っていたんです。ですがユディット様が見舞いに来てくれたことで救われたのです」
「……?」
「ユディット様は私の手を握って、毎回元気になるよう祈ってくれましたよね。まるで天使のようだと思いました。すると不思議なことに、日に日に体調が良くなっていたんです。あなたの祈りが私を助けてくれました。それから私は、身も心もユディット様のものになると決めたのです」
レオンの長い指が、ユディットの華奢な指に絡められる。異性にこんな触れ方をされたことがない彼女の心臓は、簡単に鼓動を速められてしまった。顔に熱が集まってしまう。
「そ、そんな偶然で私を」
「他人には偶然でも、私には運命の祈りでした。それから兄の婚約者に抱いてはいけない感情だと分かっていても、毎日ユディット様のことを考えていました。ついに我慢できず、私は神殿に入った次第です。ユディット様のお顔を五年ぶりに拝見したとき、強い肉体を与えてくれた神に感謝しました」
聖騎士の試験は厳しく、聖女の専属となると競争率はさらに厳しくなる。元気になったとはいえ、普通の子より出遅れて始めた剣の特訓は大変だっただろう。そのことを想うと、ユディットは自分のために努力してくれたレオンの健気さに胸が疼いてしまう。
「あぁ、私の言葉で赤くなるあなた様はなんて可愛らしいのでしょうか」
「レ、レオン様ったら!」
「もっと愛を伝えたくなります。ドレスを贈りましょうか。それを着ていただき、お好きな緑が楽しめる植物園を貸し切るのも良いですね。安心してください。足が疲れたら、ユディット様は私が抱えますから、今度行きましょう」
「~~~~っ!」
レオンが蕩けるような笑みをユディットに向ける。
聖騎士時代から過保護なのは察していたが、そこに甘さも加わったレオンはまさに無敵の紳士だった。
聖女として俗世と隔絶した生活を送っていたユディットは、恋愛小説を読んだことがなく、恋愛を題材にした演劇も見たことがない。彼女には決められた貴族の婚約者ジャンがいたため、男性神官や聖騎士らはユディットを聖女として扱っても、女性としては扱わなかった。
つまり、ユディットは身も心も純粋無垢な乙女。
(こんなに甘やかされたら、コロッといっちゃうじゃないの!)
聖騎士だったレオンに対して元から信頼度が高いこともあり、彼女はあっという間に恋を自覚させられた。
晴れて両想い。問題は、返事をユディットからしなければならないということだ。つまり「私も好きです」と告白するのと同意義。初心で無垢で、恋愛ごとにまったく免疫のない彼女にはハードルが高い。
しばらく勇気が出ず、レオンに甘やかされる日々を送ることになる。
その間、謹慎中のジャンが「やっぱり僕と結婚しよう!」と突撃してきたり、侯爵夫人の座が諦められないミリアーナがレオンにハニートラップを仕掛けようとしたが、すべてレオンが華麗に撃退した。
ジャンはバートン領の端にある田舎の一軒家に生涯幽閉。ミリアーナは神殿の伝手で、国外の修道院に送られることになった。
「もう終わったから大丈夫ですよ。いつまでも私がユディット様を守りますから、安心してください」
レオンはそう言いながら、今日もユディットに跪いた。彼女の胸が小さく軋む。
(レオン様から、聖女と聖騎士ではなく、私とレオン様として過ごそうと仰ってくださったのに)
この一線引かれるような関係がもどかしい。もっと近づきたいと思う。
特に先日レオンに色仕掛けをしようとしたミリアーナが、思い切り彼に抱きつくのを見て悔しかった。レオンが瞬時に引きはがしていたけれど、時間の問題ではない。自分のレオンが、他の女に触れられるのが許せなかった。
ユディットはレオンが立ち上がったタイミングで、正面から抱きついた。
「ユ、ユディット様! こ、これは……!」
見上げれば、真っ赤な顔をしたレオンの顔があった。いつも恋愛マスターのように甘い台詞を並べている彼とは思えない初心な顔だ。この顔も初めて見る表情で、ユディットの胸はきゅんと高鳴った。勢いのまま、想いを言葉にする。
「お慕いしております」
「誰が……誰を?」
「私が、レオン様を……です」
「ユディット様!」
レオンがユディットを力いっぱい抱き締め返す。
逞しい腕にすっぽりと閉じ込められたユディットの耳には、強く鼓動する彼の心音が届いた。好きな人の音が聞こえる距離にいると実感でき、幸福感で心が満たされていく。
「愛しています。愛していますよ、レオン様」
「聞き間違いではなかった……神よ、私にユディット様を恵んでくださったこと感謝いたします」
「ふふ、聖騎士として聖女をずっと守ったご褒美かもしれませんね。それともレオン様が、十年聖女として勤めた私に対するご褒美なのかも」
「では、神にお礼を伝えにいくための白いドレスを贈りたいのですが、受け取ってくれますか?」
「えぇ、喜んで」
ユディットの顔に、大輪の笑みが咲く。
レオンは眩しそうに目を細めると、引き寄せられるように顔を寄せた。
婚約者に記憶にないと言われた元聖女ユディットは、いつもそばで支えてくれたレオンに愛され、幸せな一生を送ったのだった。
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