表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

二人目、春に出会った青年の場合

 最初はただの愛玩動物に過ぎないと思っていた。


 犬猫みたいに風呂にも入れられないから綺麗かもわからない。聞いたところによると雑食で何でも食べるらしい。ドブネズミより知能は劣り、繁殖能力だけが取り柄の早死にする生き物。


 そう思っていたのに。


 その認識が変わったのは結を飼って数ヶ月経った時だった。佐倉はベッドではなく布団で寝る習慣があり、その日も布団の中で寝ていた。


「……っ」


 指の違和感で目が覚める。痛みを感じた。小さい痛みだ。暗い部屋でその指を見ても、血が出ている様子はない。なんだったんだろう、もう一度布団にくるまろうとし、掛け布団をずらした時、それはいた。


「結!?」


 ケージに入れていたはずの結が外に出てきてしまっていた。結は「早くお家帰して」とでも言う様に佐倉の布団をちょいちょいと噛んでいる。


 ケージの扉は開いていた。どうやら鍵をかけ忘れていたようだ。


「わー! ごめんな! 今家に帰してやるから!」


 ハムスターに噛まれた場合アナフィラキシーショックを起こして死亡する可能性があると聞いていたので、それまでは軍手をつけて世話をしていたが、流石にこちらもいきなり脱走されて混乱していたこともあり、その時は素手で結を抱っこした。それで気がついた。心臓が動いていると。


 ——そっか。


 変わらないのか。小さいながらも、自分で考え、意思表示をし、心臓を動かして一生懸命生きている。自分と同じだ。


 それから、結をペットとして見れなくなった。


 大事な大事な家族。結と過ごす日々は楽しかったし、今までの人生で一番充実していた。単価の低い仕事も、大きく責任のある仕事も、結がいるから頑張れたし、おいしいものを食べさせたくて沢山のものを買った。おもちゃだって店にあるものは全て買った。まるで子どもを持った親の様に溺愛していた。周りの友人が心配するほど。


 だから、最期に拒否された時のショックは大きかった。


 たかが二年だと言うだろう、それでも佐倉にとって結と一緒にいた二年は生涯でたった一つの大きなものだった。

 自分で立ち上がることを諦めるくらい。


 火葬まではなんとかできたが、それ以降は何もできなかった。


「自分なりに大事にしてたんですけどね。二歳を目前にしたある日、脱走して、見つけた時には倒れてました。冷たくなってて、嫌いだったんでしょうね。飼い主である私の事が。よく噛む子でしたし」


「そんなことないよ」と男は優しく言う。


「人間と違って自己主張の方法がそれしか無い」


 複雑な気持ちになってしまう。たとえこの男にどんな言葉で慰められても、結がそう思っていたかはわからない。結の気持ちは本人以外誰にもわからない。だから、どんな慰めも佐倉には響かない。


「死んだ後は?」

「燃やして骨にして。一緒にいたいからここで働いています。色々な費用を上司に立て替えてもらったので、給料で返しています……って」


 佐倉は頭を掻いてしゃべりすぎてしまいました、と謝罪する。


「……失礼しました。お客様にするお話じゃありませんでしたね」


 雰囲気を変えようと佐倉は男にペットボトルの水を勧める。クーラーがきいているとはいえ、今日はとても暑い。冬にはちゃんとしたお茶を淹れるらしいが、夏はむしろ冷えたペットボトルの方が良いだろ、とは藤原の言葉だ。佐倉は常温の方が助かるから一応常温も用意するようにしている。しかし、長い話になってしまったせいか、ペットボトルは汗をかいていた。


「喉が渇いていらっしゃったら、こちらどうぞ。コップもありますがお持ちしまし

ょうか?」

「ありがとう、喉は乾いていないから大丈夫だよ。……君の話はとても参考になるね」


 佐倉は笑いながら答える。


「しない方が良いですよ。上司にもよく言われます。早く気持ちの整理つけなさいって」


 男は、こくりと頷く。


「それには同感だ。まあ、僕も心配でこうして来てしまったわけだけれど」


「気持ちの整理とは難しいね」と男は言う。


「……はい、すぐに気持ちの整理をつけるには、長く一緒にいすぎました」

「長くって……、人間にとってはたった二年だろう?」

「ええ、たった二年です。でも、独り身の私にとっては大切な、家族でしたから……」

「家族」

「はい。お客様のペット様だってそうでしょう?」


 少し間があいて、男はふるふると首を振る。


「……わからない。飼い主と飼われている動物の間柄だったから」


 男は自分の腕時計を見て、ふと、何かに気がついたように焦りつつ突然立ち上がる。


「すまない」

「お手洗いでしょうか? それなら、外に出た所に」

「そうではないけれど、そろそろ。……ありがとう。次来るときは知り合いを連れてきてもいいかな」

「ええ、勿論です!」

「そうか、よかった。君の上司は次来る時には居るのかな?」

「あ、多忙なので、その……。私ではお話には値しなかったでしょうか」


 男はふるふると首を振る。


「ああ、勘違いしないでほしい。彼女がここの管理者に会いたがっているんだ」

「ウチの藤原のお知り合いで?」

「そんなところだ。実は僕もここには彼女の紹介で——……っと、いけない。急がなきゃ。では、また」


 そのまま男が出入り口へ歩いていき、ドアベルが退店の合図を鳴らす。佐倉は男が消えるまで頭を下げた。


——先生の知り合いって事は……お連れ様はここの利用者なのかな?


 それから顔もあげないうちにドアベルがまた鳴る。入ってきたのは藤原だった。


「あ、おかえりなさい」

「うーい。やっぱ新台はダメだな。全然当たらねえ。今日もスッたわ」


 佐倉は呆れた声で藤原の荷物を受け取る。負けて帰って来た時の藤原は客用のソファに荷物を置こうとするので先に回収することにしているのだ。ここは家じゃないんだぞと思うが、彼の持ち店舗だから何も言えない。


「あんたが勝って帰ってきたことありました? 先程、お客様いらっしゃいました。

すれ違いませんでしたか?」

「いや? 誰ともすれ違ってねえけど。……てか客なんか来ないはずなんだけどな……」

「見ての通り」


 佐倉はソファーの前のテーブルを指を差す。水が一本、未開封のままそこにあるだけだ。


「えー……じゃあ外のトイレいったのかな。また来るそうです」

「……口コミか? まあ夏だからなー。熱いと熱中症とかで増えるよなあ……。ちなみにどんな人?」

「ハムスターさんで火葬済みだと。お骨の管理場所探してるみたいでした」


 藤原がドカッと受付椅子に座り、新聞を広げる。


「俺はお馬さんで忙しいから対応よろしく」


 未開封のペットボトルを手に取り、軽く藤原の頭を叩く。


「いってえ」

「働けジジイ」


 藤原は「へいへい」と返事はするが、新聞から目は上げない。


「次は藤原さんの知ってる人? 連れてくるみたいでしたよ」


 そう言うとようやく、新聞から首を延ばし、佐倉の方を見る。


「え、何、オレの知り合い? お前見たことある客だった?」

「知らない方でしたけど。あ、でも次連れてくるのは女性らしいです」


 藤原は何かを察したように、ロッカーの方を向き、それからため息まじりの声で呟く。


「そうか、もうそんな時期か……。お盆だもんなあ……」

「はい、お盆真っ最中ですけど。それが何か?」


 藤原は、また新聞に目線を戻す。その表情は重い。


「今年も来たな、と思っただけだよ。今日来た客、オレは見たことねえけど、次連れてくるって奴は多分知ってる」

「ああ、利用者さんですか。そうですよね、こんなろくな看板も出してない、寂れた弱小霊園、誰かの紹介じゃないと普通来ませんよね」

「お前はここなんだと思ってんの? ……でも、そうだな。利用者なのはあってる。利用者のくくりに入れていいのかわかんねえけど」


 窓際に括り付けた風鈴がクーラーの風を受けてちりんとなった。


 風鈴を眺めながら藤原が溢す。


「……今年も来るのか、あの子は」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ