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一人目、夏の日に訪れた男性の場合

「むすぶーっ! 飼い主を噛むのはやめなさい!」

「……」

「めっちゃ不服そうな顔すんじゃん……」


 結は表情や感情表現が豊かな子だった。腎臓が弱く、病院に通っていたくらいだったけれど、とても元気で毎日飼い主を噛むのをかかさない。甘噛みのつもりなんだろうが、毎回流血沙汰になって佐倉の手からばんそうこうが剥がれることは二年間一度も無かった。


「……なに? 結は飼い主のこと嫌いなの?」

「……」

「いやだから噛むのはやめなさい」


 言いたいことは大体わかる。基本的に結は頭がいいから、外に出たいときはケージを叩くし、何か知ってほしいことがあれば噛みつく。この反応は「別に嫌いではないですけど」と言いたいのだろう。違っても都合がいいのでそういうことにしておく。


「結はかわいいなあ」


 よしよしと撫でるといやいやと逃げられた。


 迎えてすぐに、佐倉は結のことが大好きになっていた。


 本来の目的を忘れるくらい。




 ドアベルが鳴り、目が覚める。


 どうやら寝落ちていたらしい。いくら人がいないとは言えなんてことを、と焦った佐倉がガバっと起き上がる。出入り口にはきちんとした格好をした初老の男性が立って室内をゆっくり見渡している。


 佐倉が男に気づいて慌てて立ち上がり綺麗にお辞儀をして対応する。危ない、もしかして居眠りがバレたか?


「本日はどのようなご用件でしょうか?」


 男はじっと佐倉を見る。寝落ちていたのは見られただろうか。座りながら舟をこいでいたんだから流石にバレたか。内心はらはらしていると、彼から一言。


「見学を。ああ、複数回来ても大丈夫ですか?」


 なんだ、そんなことか。寝ていたことを咎められなくて良かった。


「勿論です。大切なペット様が眠る場所ですから、納得いくまで悩んでいただければと思います」


 男はどこか施設には興味が無いように佐倉をじっと見つめる。なんだろう。よだれの跡でもついていただろうか。今は接客中で鏡なんて見に行けないしどうしようもできない。


「ど、どうかしました……?」

 

 男はハッとして言う。


「いえ、なんでも。わがままが許されてよかったです」


 わがままというほどでもないけれど。大金と大切な遺骨が動くのだ。慎重に動いた方が良いと思うのはおかしくはないだろう。誰もそんなもんさっさと決めろなんていう奴はいないし、誰にもそう言う権利はない。葬儀も火葬も納骨も残された者の為にある。


「小さな場所ですが、ごゆっくり。ペット様の種類を伺っても?」

「世間一般的にはハムスターと言うらしいです」


 佐倉は表情と声を明るくして嬉しそうに反応する。


「奇遇ですね。私も飼ってたんです、ハムスタ―。ジャンガリアンで……。亡くなってからはここに」


 ロッカーのひとつを佐倉は指さす。


「毎日会ってます」

「死んでからは? 次の子を迎えたんですか?」


 佐倉は言いづらそうに答える。


「……亡くなったのはつい最近で。まだ気持ちの整理がつかないです」


 別の子を迎えると言う選択肢は無くはなかった。ペットロスに一番効くのは新しい子を迎えることらしいが、結は結以外にはいない。誰も結の代わりにはならない。


「……そうなんですね」

「ああ、ご気分を害したら申し訳ありません。私の話はいいんです。お客様のペット様はご存命で?」

「死んでます」


 男はきっぱりと無感情にそう言った。こんなところに来ているのだから当たり前のことなのだが、どうしても気まずい。この仕事は向いていないかもしれない。


「それは……ご愁傷様です……」

「でも、ここに預けることは考え中で。来たのは単なる冷やかしと興味です。どんな感じなんだろうって。失礼でしたか?」

「ああいえ、全然! うちって基本暇なんで遊びに来てくれるだけでも私としてはうれしいです」


 今のは失言だったと気づいてももう遅い。社会人経験が無いのでどうしても本音が出てしまうのは本当にダメなところだ。結が見たらまた噛まれてしまうだろう。だが、彼は特に気を悪くした様子もなく返した。


「そうですか。お言葉に甘えて……色々みせてもらいます」

「契約はご気分が変わったときでいいんですよ。あ、パンフレット、ご覧になりますか?」


佐倉は受付デスクから冊子を手に取って彼に差し出すが、男は首を振る。


「目が、あまり見えないので。見ての通り歳もあるし、元々よくない」

「し、失礼いたしました! それでは、もし疑問点や興味があればいつでも私におっしゃってください!」

「ありがとう、貴方は勤務態度が真面目なんですね」


佐倉、営業用の笑顔を表面に張り付ける。これくらいで照れてしまうなんて本当に自分はチョロい。もっとしっかりしなければ。


「死んだペットが見てますから」

「そのペットについて、話を聞いてみたいな。僕の周りにはペットを飼っている人がいなかったので」

「そうですか。では……長くなりますので、是非、おかけになってください」


佐倉は結をソファに通す。それから冷蔵庫から水を出し、佐倉自身もソファに座る。


「お客様のご要望であればお話しします」

「ハムスターの名前は?」

「結です。縁を結ぶと言う想いを込めてつけました」

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