01
セミリタイア――最近良く聞く言葉だ。
本格的に仕事を辞めて余生を楽しむのが年々遅くなってきたこのご時世。まだまだ働ける現役の内に金を貯め、好きな事をとことん楽しむ! それが『セミリタイア』ってやつだ。
俺もそんな人生に憧れていた一人の男。そしてその憧れが、第一の人生の終演と共に叶う事になる。
「ルンルンルー♪ 今日の晩酌は焼き鳥♪」
金曜日の晩。仕事を終えた俺は、週末のテンションと共に、帰り道にあるスーパーでビールと惣菜を買い込みルンルンで帰宅していた。
「帰ったらシャワーを浴びてキンキンに冷えたビールを流し込む! かーっ、たまんねぇ――なっっ!?」
突然訪れた悲劇。ランランスキップで渡っていた所に、信号無視の車が突っ込んできた。
ああ、人生ってこうも呆気なく終わるのか。吹っ飛ばされながら、走馬灯として浮かんできた人生のハイライトを見つつ俺は意識を手放した。
★★★★★★★
「ガ、ガルゥ……」
目を覚ますと、見知らぬ森の中。
あの事故でよく死ななかったと安堵しつつも、周囲の光景に戸惑いを覚えた。
why? 何故森にいるんだ?
事故を起こしてヤバいと思い、森に遺棄された?
いや、そんな馬鹿な事あるか。
そんな事がバレたら、逮捕され何十年も檻の中だ。
しかし、それ以外に森にいる事の説明がつかない。
とりあえず考えるのは後にして、先ずは体を起こそうと立ち上がってみると、木々の大きさに圧倒される。
木ってこんなに大きかったっけ?
地面の感触も何かおかしい。
まあ良いか……とりあえず道に出よう。
そう決断し前足を踏み出した。
ん? 前足?
身に起こっている不可思議な現象。
自分の視界には、プニプニとした触感で有名な肉球を持つ前足が見えるのだ。
「ガル?(なんだこれ?)」
いや、ちょっと待て……。
「ガルガルガル!? (なんで人の言葉が出ないんだ!?)」
聞こえるのは犬? のような声だけ。
突然人の言葉が喋れなくなり戸惑う。
もしかて事故の後遺症か?
しかしだ、変なのはそれだけじゃない。
この肉球よろしくな前足はなんだってんだ。
頭がパニックで変になりそう。
とりあえず自分の姿を確認しなきゃ……。
キョロキョロと周囲を見回すと、近くに水溜まりがあるのを発見した。
トテトテと四本の足を使って水溜まりまで歩き、水面を恐る恐る覗きこむ。なんというか、そこには危惧していた事実が映っていた。
「ガル! ガルガル! (やっぱり! 完全にワンコだ!)」
どうやら俺は、犬になってしまったようだ……。
耳は少し垂れ気味。目の上は麻呂っぽい感じで、口周りから腹まで模様が違う。水溜まりに映る情報だと色までは分からんが、多分"豆柴"だと思う。
もしかして『転生したら犬だった件』みたいな。
そんなラノベ的な展開あるのか?
だがこの状況を説明するには、それが一番納得のいく答えのような気がした。
そうか、やっぱり前の俺は死んだのか。しかしな……どうせ転生するならせめて人にして欲しかった。
まあ、こんな所で文句を言った所でどうにかなるもんでもない。とりあえず人恋しいので人里まで行くか。
出発するため周囲を見渡すが、景色はどこも同じ。
いや、注意深く見てみると、一ヶ所の木に赤い矢印がしてあるのに気が付いた。
まるであっちに行けと言わんばかり。
上から指図されてるみたいで気に障る。
ちょっとした反抗心のつもりで、矢印が示す方向とは真逆の方向に行く事にした。
四足歩行に最初はぎこちなくカクカクしていたが、暫く歩いていると慣れてきた。
ゆっくり歩きつつ少し駆け足。
疲れも感じず体は絹のように軽い。
気分が高揚してきたのでもっと早く駆けてみる。
おおっ、凄く早い。
自分では軽く走っているつもりなんだが、森を駆ける景色は高速道路から見る景色のようだ。
恐らく時速100kmは超えている気がする。
いや……犬ってこんな早く走れないよな?
まあ、今の状況でいくら考えても疑問の答えなど見つからない。それよりも、さっさとこの森から脱出するために全力で駆ける方が先決だろう。
俺は更にスピードを上げ森の中を高速で駆けていく。
そうやって暫く高速移動を続けていると、森の切れ目が見えてきた。
よし、これでようやく人里に出れる。
村か町にでも着いたら可愛い子にでも拾って貰おう。
そんな安易な事を考えながら森を脱出した。
森の外は開けた平原のようだ。
少し先には川も通ってる。
「ガル、ガルガル!(お、川の先に立派なお屋敷が見える!)」
ちょうど良い。大衆と接触する前に、この世界の住人がどんな感じか見てみよう。ついでに俺に会った時の反応も調べる必要がある。
魔物が現れた! なんて言われて、怖い顔で斬りかかれたら堪ったもんじゃない。
何事も情報収集が必要。
俺がこの世界でペットとしてぬくぬく生きていけるか。それとも野生でびくびくしながら生きるのか。
第一接触で全てが決まると思うと足が少し重い。
それでも行動しなければ、結局野生で生きる事になる。
そんなのは絶対嫌だ。俺はペットとして、可愛い子の膝の上でぬくぬく生きる!
固い決意を胸に大きな屋敷の近くまで到着した俺は、近くに生えた木の影に行儀良くお座りしてその外観を観察する事にした。
壁に囲まれている二階建ての大きな屋敷。
門の前には門番らしき兵士が二人立っている。
門番を置くぐらいだからそれなりに地位の高い人物が住んでいるのだろう。定番のお貴族様か、それとも大商会の家族かなと想定してみる。
どちらにしても、あの門番が居たんじゃ早々安易には近付けないな。壁に穴でも空いていれば良いのだが……。
そう考えた俺は、門とは反対側に向かうと壁伝いを探ってみる事にした。
「ガル!(おっ、あるじゃん穴!)」
ちょっと小さいがなんとか入れそうな穴が空いているのを発見した。下を良く良く見ないと分からないような小さな穴だ。
体を突っ込み、なんとか入れないか挑戦してみる。
うん、狭い……。
「ガルゥゥ~ッッ(ぐるじぃぃ~っっ)」
そこから四苦八苦する事数分――
「ガルッッ!?」
スポンッ、と体が解放された感覚と共に内部に侵入する事に成功。勢い余って転げ回ったのはご愛嬌だ。
なんとか入れた事に安堵して暫く地べたを這っていると、どこからか声が聞こえてきた。
「お嬢様、こちらが隣国から取り寄せた新作のお菓子でございます」
「あら、とても美味しそうですわね」
聞こえてきた女性二人の声。
一人は畏まった口調。
もう一人は、ちょっと偉そうだ。
聞いている会話からして、これはメイドと令嬢というやつだろうか。事実を確かめるため、声の方向へと恐る恐る近づく事にした。
ガサガサガサッッ。
「なんですの!?」
「くせ者かっっ!!」
茂みを潜っていると、警戒する二人の声。
ちっ、このままだと護衛を呼ばれてしまう。
仕方ないので、勇気を出し茂みから頭をひょっこり出した。
「……け、獣?」
「お嬢様お下がり下さい!」
「くぅ~ん」
必殺うるうる目を発射しながら、メイド服の女性とドレスで着飾った女性に訴えかける。
「どうやら犬のようね……」
「そのようですね。お嬢様、ここは私にお任せ下さい。犬とはいえ野良だとどんな病原菌を持っているか分かりませんので」
「いえ、ここは私が水責めの刑にて対処します。私の能力を知らない訳じゃないわよね」
「くっ、卑怯ですよお嬢様……」
え、なに? 俺、処分されちゃう系?