彩り
飼っているハムスターが死んだ。
もう飼いだして2年経つ。ハムスターの平均寿命がそのぐらいだから、天寿を全うしたのだろう。
仕事から帰ると、大好きなひまわりの種を両手で握りしめたままケージの中で冷たくなっていた。
つがいのメスのハムスターは、別のケージにおり、素知らぬ顔で忙しなく回し車を走らせている
ハムスターにしては珍しく、赤い目をしていたため、単純に「アカメ」と名付けていた。身体は大きく、長毛だったため、寝癖がひどいと見かけが山賊みたいな姿になっていた。
ケージを開け、物言わぬアカメの亡骸を掌に乗せる。仄かにまだ温もりがあった。もう少し早く帰ってきていれば、看とることができたかもしれない。
一瞬、そんな後悔の念が頭を過ったが、看取っても看取らずとも、結果は同じだろう。と、すぐさま切り替え、アカメをケージに戻した。時刻は0時過ぎ。亡骸を埋めに行くには丁度良い時間だ。近所の人に怪しまれずに済む。
本棚に目をやると、丁度ハムスター一匹収まりそうな木箱が置いてあった。紙でできた床材を木箱を敷き詰め、アカメをそこに寝かせる。その上から、ひまわりの種を布団がわりにかけてあげる。よくよく見ると、本当にアカメは眠っているようだった。今にも飛び起きて、餌をくれとせがみに来そうだった。
何もできないまま、その亡骸を正座で見つめている。部屋にはもう一匹が回す回し車のカラカラと言う音がただひたすら響いていた。
ハッとする。悲しいのだろうか。そんなことはない、こいつを飼ったのもただの気まぐれだっただろう?別にお互い話すことなんかなかったし、懐いていたのかも疑問だ。
感傷に浸るわけもなし、アカメの入った小さな棺桶を持ち、外に出ようとして、スコップが無いことに気づく。
幸い明日は休みだ。100均でスコップを買って、人気の無いところにアカメを埋めよう。布団に入ってから、眠りにつくのにそう時間はかからなかった。
ーー夢の中ではまだ、アカメは元気に走り回っていた。
起きると、ケージには当たり前のように何もなく、傍らにはアカメがいる小さな棺桶があった。
身支度を整え、100均で小さなスコップを購入した。
部屋に戻り、さて、アカメをどこに埋葬しようかと思案を巡らせる。昨今、ペットの火葬などを執り行ってくれる葬儀屋などがあるが、生憎こんな小さな田舎にそんなものは無く、悲しいかな俺にそんな金もない。怨むなよアカメ。生前、貴重な小松菜をたくさん食わせてやったんだ。それで勘弁してくれ。
ふと、ボロボロのカーテンが目に入る。そう言えばあいつは、よくカーテンに登り、上の世界から周りを見渡すのが好きだった。何回か転落しそうになって、ヒヤヒヤしたのを覚えている。
窓の外から、こちらを見下ろすような、一際大きな山が見えた。
考えるより早く、小さな棺桶を持つと、その山へ車を走らせていた。
『神待山、登山口、頂上まで500メートル』
と、看板には書いてある。突発的に来たものの、ちゃんとした登山ができる山のようだ。ただ、高いのか低いのかは置いといて、こちとら登山経験等皆無だ。しんどいことは確かだろう。ただ恐らくこの山の頂上からなら、町全体を見渡せる。高いところに登るのが好きだったあいつが眠るにはうってつけだと思った。そう思ったからこそ、足は自然と山の中へ向かっていた。
しかしこの山、登山できるとは言ったが、マイナーすぎてろくに舗装もされていない。頂上までの目印があるのはありがたいが、看板が擦りきれていたり、テープが切れていたりと、不安要素しかない。
加えてこの真夏日、汗はだらだら出てくるし、なんせ今年で34になる。運動不足にいきなりの登山はきつかったか。まだ半分も登っていないのに足はガクガクだ。それに加えて、アブや蚊など、容赦の無い山の洗礼が襲いかかる。精神的に参っていた。
だが、引き返すという選択肢は現れることは無かった。
俺のマウンテンパーカーのポケットに入っている小さな棺桶の中のそいつには、もう魂は宿っていないだろう。だけど見せてやりたかった。お前がいつもカーテンによじ登って見渡していた、とっちらかった、何も無い世界より、もっとキレイな世界があるってことを。
俺の世界には何も無い。全てが灰色で、無味だ。
ただただつまらない空虚な毎日を過ごしている。いつからだろう。そんな風に思ってしまうようになったのは。
だけども、それが分かったところで、どうしようもない。こいつを埋めたら、家に戻って飯を食って寝て仕事に行く。それだけだ。
そんなことを考えながらも、足は止まることをしない。黙々と頂上まで歩き続ける。すると、うっそうとした草木が段々と無くなり、開けた所に出た。目の前には今にも倒れそうな看板があり、煤けた字で『神待山、頂上五百メートル』と書いてあった。どうやらここが頂上のようだ。
と
今まで黙々と前を向いて歩いてきていたため、初めて後ろを振り返った。
絶景。たかだか500メートルと笑われるかもしれないが、それでも、町を見渡すには十分の世界であった。普段見慣れた町がまるでミニチュア模型のように見え、まるで小さな箱庭を見下ろしているような気分であった。この場所ならきっとアカメも喜ぶだろう。一番良い景色が見える、側にあったボロボロのベンチに腰を下ろし、さすがに亡骸を取り出すのはどうかと思ったため、膝に棺桶をそっと置いた。
そう言えば、こんな風にあいつもよく膝の上に乗ってきたな。まあ大抵は俺が食べていた、お菓子や、ご飯狙いだったのだろうが。
一度、俺が昆虫図鑑を見ていると、アカメがいつものように膝の上に乗ってきては、ある昆虫を食い入るように見ていたことがあった。俺もその昆虫は見たことが無くて、お互いその昆虫を見つめている不思議な時間があったことを思い出した。
だが、こうしている間にも太陽は容赦無く体力を奪っていく。余力が尽きる前に墓穴を掘らなければならない。
見渡すと、町を見下ろすようにそびえ立つ一際大きな桜の木があり、その下の地面がちょうど柔らかそうだったため、掘ることにした。
一掘り、一掘りとスコップで地面を抉っていく。
ホームセンターで出会ったそいつは、どうしようもなく凶暴で、誰も買い手がつかない奴だった。
俺の家に到着するや否や、箱から飛び出て、俺の右手かぶりつき、二つ穴を開けた。
それから数ヵ月は血塗れの戦いだった。
小松菜をあげることで休戦協定を結び、そこから俺の手に穴が開くことは無くなった。
上手く土が掘れない。スコップを持つ手が震える。
脱走の得意なやつだった。易々とケージをこじ開けて、寝ている俺の耳を甘噛みして、何度深夜に起こされたことか。ある時など、脱走して、俺の貴重な米を丸々盗んで自分の陣地に持っていっていた。
視界がぼやける。目に汗が入ったからだろう。
飼い初めて一年経ち、どこか寂しそうにしていた為、つがいのハムスターを飼うことにした。悪目立ちした荒々しさも消え、すぐ仲良くなっていた。ヤングコーンを丸丸一本、彼女にプレゼントしていたのは、笑ってしまった。
悲しくないなんて、嘘だ。俺の世界には色がないなんて、嘘だ。
真っ赤な瞳のアカメ。その赤い瞳から、俺の世界は彩りづいたんだ。
棺桶を、そっと地中に置く。その上に、コンビニで買ったエクレアを置いた。俺がいつも食べるこのエクレアをお前は、どうにかして食べようとしていたよな。さすがにあげれなかったが、今なら特別だ。天国ならこんなもの、どれだけ食べようが死にはしないだろうからな。
ゆっくり、ゆっくりと土をかける。
あいつは、幸せだっただろうか。
ふと、聞き慣れない羽音が聞こえた。それは俺を横切り、目の前の桜の木に停まった。
思い出がフラッシュバックする。あの日、俺とアカメが見とれた昆虫が、なんと目の前に現れたのだ。
名をタマムシ。玉のようにキレイな衣を纏う虫。虹色の光沢を放つその姿は、図鑑で見るよりも美しく、思わず、俺は食い入るように見つめてしまった。
そりゃアカメも見とれるわけだ。しばらくすると、なんとタマムシが数匹飛んできて、桜の木に停まった。どうやらこの木が巣になっているようだ。
きっと偶然だろう。でもこの山にこようとしなければ、アカメをここに埋めようとは思わなければ、きっと、俺はタマムシに会うこともなかったのだ。
アカメに別れを告げ、山を降りる。
あいつは、アカメは幸せだっただろうか。
ハムスターに幸福感があるかどうかなんて、分からない。ただそれでも、アカメは一生懸命、生を全うした。全力で走り、寝て、食べた。最期までひまわりの種を離さなかったのも、そうだろう。
家に帰る。聞き慣れない鳴き声が、つがいのハムスターのケージからした。びっくりして駆け寄り、笑ってしまった。
いつのまにあいつ‥‥。
全力で生きたアカメの命のバトンは、目の前であがった五つの産声に託されたようだ。
終わりが来るまで、アカメを見習って全力で生きてみるか。
そこで見ていてくれよ。
窓から見える、アカメが眠っている山を仰いだ。
灰色の世界が彩りを迎えた。