ありふれた平和な町
4人は退屈していた。学校もつまらない。酒やクスリも飽きてきた。だいいちカネがない。カツ上げをやってもここんところ120ドルが最高だ。やらせてくれる女もローラ以外にはいない。襲うにもいい女はダウンタウンを歩いちゃいない。……いいニュースはないか? それが合い言葉のようになっている。ケニーがおやじから古いトーラスをもらった。おやじがぴかぴかのホンダを買ったのだ。おんぼろでもいい。車は車だ。このくそったれの蒸し暑い街から逃げよう。どこがいい? 州はおろかこの街の外にはハイキングくらいしか出たことがない。
「NYがいいな」
「おまえはバカか? 何日かかると思ってるんだ」
ルロイが何か言うと、ケニーは、
「おまえはバカか?」と言う。言ってから何を言うか考える。
「きれいな田舎町がいいんじゃない?」
「目立つだろう」
コンパクトで鋭いナイフを弄んでいたイアンがつぶやくように言う。そう、コトを起こすのに田舎は目立つ。
「いや、そうでもないかもしれんぞ。田舎の警察なんてアホばっかりだ。あまり大きく稼ごうと思わずに、さっさとおさらばすりゃあ」
「町から町へ行くの? ロード・ムーヴィみたいでカッコいいわね」
「それもいいかもしれん。だが、とりあえずどこに行くんだ?」
しばらく沈黙が降りる。まるで哲学的な命題のようだ。おれたちはどこに行くんだ?
PCをいじっていたルロイが声を挙げた。
「ね。ここどうかな?」
「おまえはバカか? "take'fuck' me free"なんてポップアップが出てきたのか?」
ローラが笑いながらPCを覗き込む。
「ん……『カンザス州でいちばん平和な町』か」
「カンザス州ってどこだよ」
「ずっと北だ。ミズーリ川の上流だな」
PCから音声が流れて来た。赤ら顔のでっぷり太った町長の写真の下の『歓迎メッセージ』をクリックしたら、動画と一緒に出てきたのだ。
『……エニヴィルはカンザス州でいちばん平和な町です。とてものんびりしたフレンドリーな町です。ごらんのとおり花も美人もいっぱいです』
「ババアばっかりじゃねえか!」
「しっ」
イアンの目が光った。
『……とても治安がよくて、町の人は出かける時も夜寝る前も家のカギなんか掛けません。……最近の重大ニュースは、ブラウナー君が車に轢かれて、天に召されたことです。……ネコのブラウナー君は町のみんなに愛されていました。エニヴィル・クロニクルも追悼記事を掲載したんです』
「こりゃあ、いいな。おれたちのためにあるようなもんだ。ルロイ、たまには冴えてるじゃないか」
ケニーにほめられてルロイは顔をくしゃくしゃにした。
「ホスト・ファミリーがいっぱいあるみたいだよ。ネットで申し込めるって」
「決まりね」
「ああ、1日ちょっとで行けるだろう」
トーラスのエアコンが壊れていたり、ローラのナヴィがいい加減だったりしたが、次の日の夜にはどうやら着いた。
ヘッドライトに"WELCOME! ANIEVILLE, The Most Friendly Town"と書かれた古ぼけたアーチが浮かび上がる。そっちの方に目をやっていたケニーは道の真ん中にいたネコに気づかなかった。重い音がして黒いネコが飛んでいくのが一瞬見えた。
「あー、やっちまった」
車から降りたケニーはへこんだり血でもついてないか、バンパーをチェックした。イアンは道端の草むらにひっくり返ったネコの頭を触って、薄笑いを浮かべた。
「いいじゃない。早く行きましょうよ」
ローラは車の中から言った。
「これも新聞に載るのかな?」
「ネタを提供したんだ。新聞記者に感謝してもらわないとな」
ルロイの質問にイグニッションを回しながらケニーは答えた。
ステイ先の家は簡単に見つけることができた。町を貫いている通りから1本右折してすぐのところにあった。イヴェットとかいうばあさんが一人で住むには大きすぎるような家だった。夜だというのに呼び鈴を押すとカギを開ける音もなく、ドアがすぐに開いた。
「ようこそ、いらっしゃい。待ってたわ。疲れたでしょう?」
「申し訳ありません。こんなに遅くなって」
しおらしいフリをしやがってとケニーは思いながら、握手もそこそこに部屋を見回す。地味だがなかなか値段のはりそうな花瓶やエッチングが飾られている。お上品な趣味ってわけだ。
「2階は自由に使ってもらっていいのよ。案内するわね。……あ、そうそう食事はまだなんでしょう? ロースト・ビーフを用意してあるから」
ケイジャン料理に飽き飽きしていたルロイが目を輝かせた。
次の朝、と言っても10時近くになって起きたのだが、4人が小さなトーストにスクランブルド・エッグ、カリカリに焼いたベーコンといったイギリスふうの朝食を摂っていた頃、町の社交場とも言うべき「エニヴィル・デリ」で、新聞を読み終えた老人が傍らの友人に話しかけた。
「イヴェットのところに若者が来たそうだな」
「4人らしい。いい子だってもっぱらの噂だ」
折り畳まれた新聞の黒ネコシュワルツの追悼記事にちらっと視線を投げながら返事した。
「それはよかった。長くいてくれればいいな」
二人の老人は遠くを見るような目をした。
4人は朝食を終えると町を歩き回ってみた。人通りは少なく、たまに会うのは老人ばかりだ。ニコニコと微笑みかけてくる。なんて退屈な町だ。あっという間に商店街を通り抜け、町の外に出てしまう。沼があった。まるでガキのようだと思いながら、ケニーは淀んだ緑色の水面に石を投げる。
「ありふれた、くだらない町だ」
「獲物は眠っていてくれた方がいいさ」
指の腹でナイフの切れ味を確かめるようにして、イアンが答えた。
夜になった。イヴェットばあさんが眠った後、外に出る。なまぬるい空気の中に涼しい風の筋が混じる。昼間に見当をつけておいた白い家に向かう。杖をついていた老婆が入って行くのを見かけたのだ。ぶらぶらと歩く。誰も歩いていないし、車も通らない。まだ9時過ぎだというのに家々の灯りも少ない。その家もポーチ以外は暗い。
玄関から入る。カギが開いているのに裏から入ることもない。もし誰かに見られても言い訳がしやすい。この町で最初の『仕事』だけにいつになく慎重になっている。ルロイを見張りに立てる。……
「持ちきれないくらいだな。今度は車で来ようぜ」
「ホントよ。いい感じのレトロなドレスがもっとあったのに」
両手に大きなバッグを持って帰路につく4人はご機嫌だった。
「しかし、ベッドルームに入られても眠ったままなんてな」
「あのババア、棺桶に入るのも近いぜ」
「何言ってんの。ばあさんが寝てるの見て、固まってたじゃない」
「うるせえ。死体に見えたんだ」
「食べ物は盗まなかったの?」
「おまえはホントに食い意地が張ってるな。……でかいミートローフがこのバッグに入ってる。フランスのヴィンテージ・ワインと一緒にな」
それらを飲み食いしながら、いちばん広いベッドルームで獲物を確かめる。
「723ドルあるな。その銀食器はどうだ?」
「かなりいいものだな。オークションに出せば500ドルくらいになるかもしれない」
「手始めとしてはいい方だな。まったくいい町だぜ。……おい、ローラ。着てみないのか? ファッション・ショーをするんだって言ってたじゃないか」
「なんか疲れちゃって、だるいんだ。明日にするよ」
「ババアの服なんか盗むからだ。それとも最近やってないからか?」
拍子抜けするくらい簡単に『仕事』ができてはしゃいでいた男たちは陽気に笑った。
いつもと同じような田舎町の朝だった。二人の老人はいつもの「エニヴィル・デリ」で、コーヒーを飲みながら、途切れ途切れの会話をしていた。店の名前をユーゲント・シュティールの文字で書いた、茶色がかった大きな窓から、通りの向こうを老婆がすたすた歩いているのが見える。新聞から顔を上げた老人は、友人が鳶色の目で自分を見つめているのに気づいた。
「始まったな」
「ああ、白い家は目立つからな」
「我々も今夜は早く眠らないと」
「クリスマス・イヴのような気分だ」
含み笑いをしながら言った。
その夜もその次の夜も4人は『仕事』に精を出した。家に侵入し、金目のものを手当たり次第に車に運んでいく。まるで子どもの頃に池で蛙の群れを捕まえたときのようだ。なんの造作もない。3つのベッドルームは物であふれかえった。ローラが言う前にイヴェットは、
「2階の掃除は任せるわ。勝手に入られるのって、若い人は嫌でしょ?」と言った。
故郷の街では幸運の神から邪険にされっぱなしだった4人に運が回ってきた。……ただみんな疲れやすくなっている。足取りが重い。目もしょぼしょぼする。
「なんか風土病にでも罹ったのか?」
「風土病って?」
「マラリアとか。……しかし、カンザスにそんな病気はないはずだし」
イアンが考え込む。
「暑さのせいだよ。きっと」
「おまえはバカか? こんな暑さくらいでバテるわけがないだろ。……あんまりラッキーだから体がびっくりしているのさ。まるで女が大股広げてるようなもんだからな」
ケニーが笑い飛ばした。
朝食の時間にイヴェットが言った。
「今夜、パーティをしたいんだけど、参加してくれる? 何人もの人からみなさんを歓迎したいって言われてて」
ローラがイアンの目を見てから答えた。
「あら、それはどうもありがとう。……でも、あたし、ドレスとか持って来てないんですけど」
ケニーがシリアルを危うく吹き出しそうになった。
「わたしが若いときに着たのでよかったら着てくれる? プレスリーに夢中だった頃のだから、けっこう……」
「クールね!」
うれしそうにローラは叫んだ。
夕方、何台もの車がイヴェットの家の前に停まった。杖をついて歩いてくる老人もいた。みんな夏だというのに盛装をしてきていた。ばあさんたちは指という指にダイヤモンドやサファイアの指輪をし、ネックレスを皺だらけの首にいくつもつけている者もいた。じいさんたちは金の鎖をヴェストのポケットからのぞかせ、フィドルやバンジョーを持って来た者もいた。
「まるで歩く骨董品屋だ」
その不自然なほど着飾っている老人たちを見て、イアンはケニーにささやいた。
「Sitting ducks.カモネギさ」
舌なめずりしそうな顔で応えた。
七面鳥のロースト、ミートパイ、ミネストローネ、サンドウィッチ、フライド・ポテト、ブラックベリーのプディング、ハチミツたっぷりのスコーン……大量の食べ物が持ち込まれた。にぎやかなC&Wをバックに年寄りたちが踊り出し、ケニーやルロイも引っ張り込まれた。ジャケットを脱ぎ捨てたじいさんが周りに冷やかされながら、ローラをうやうやしく誘う。
カクテルから始まって、ワインやらバーボンやらいろんな酒を勧められ、したたか酔った4人はベッドに倒れ込むようにして眠った。ダンスの邪魔だとばかりに先を争うようにジュエリーを洗面所に置きっぱなしにしたのをごっそり盗んだ満足感も手伝っていた。……
喉の渇きに目が覚めたルロイは、床に転がっているケニーの顔を見て驚いた。
「ケニー、起きてよ。大変だよ」
「おまえはバカか。頭が痛いんだ……ん? あはは、おまえその頭どうしたんだ?」
ルロイは頭を触ってみた。ふだんからちょっと薄いのを気にしていた毛の感触はなかった。
「あっ、あー!……で、でも、ケニーだって」
ルロイが壁の鏡を指差すのを体を起こして覗き込もうとする。体の中に鉛でも入れられたように重い。鏡の中にはいちばん嫌なやつがこっちを見ていた。おれとおふくろを殴るしか能のなかった飲んだくれおやじの顔だ。ベッドの端に横たわっていたローラも椅子に座ったまま眠っていたイアンも、顔には深い皺が刻まれ、白髪が混じっている。
「いやー! 助けて!」
「あの年寄りども! 一体おれたちに何をしたんだ!」
イヴェットのベッドルームを蹴るように開ける。フロアランプに照らし出されたイヴェットは皺が少なくなり、髪もつやがあるように見えた。何より毛布をかき寄せる仕草が老婆のものではない。
「おい! どういうことなんだ? これは」
ケニーがキッチンから持ち出した肉切り包丁を首に当てる。
「……ここで仲良く暮らしましょう。ね? それがいいわ」
「ふざけるな! おれたちを元に戻すんだ! 殺されたいのか?」
「殺人なんてしちゃいけないわ。……あなたたちのためよ」
「きいたふうなことを言うな!」
逆上したケニーがイヴェットの首を突き刺した。血が勢いよく吹き出し、ごぼごぼという音がする。……苦しみながらイヴェットが死んでいくのを見ながら、イアンが言った。
「だめじゃないか」
「なんだよ! この薄気味悪いババアを殺しちゃいけないって言うのか?」
「そうじゃない。この部屋でやってしまっては証拠が残りすぎる。殺すんならもっとひと気のないところに連れて行くか、自殺に見えるようにすべきだった。……まあ、やっちまったものは仕方ない。おい、ルロイ、ガレージから綿布を持って来い。これを包むんだ」
ローラは爪を噛んだまま震えていた。……
車は沼に向かった。イヴェットの家からショットガンと護身用の小さなピストルを持ち出し、イアンが運転した。ケニーは寒気がすると言って、後部座席にうずくまっている。イヴェットはトランクに入れる時には息を引き取っていたようだった。……
自分たちが老いてしまった原因が老人たちからものを盗んだことにあるんじゃないかとみんな考えていた。そんなバカなことが。しかし、もしそうだとしたら? 『とても治安がよくて、町の人は出かける時も夜寝る前も家のカギなんか掛けません』あれはおれたちを招き寄せるための罠だったのか? 最初から?……言葉にするのが恐ろしくて、誰もが口を閉ざしていた。
ヘッドライトが沼を照らす。平穏でありふれた沼だ。イアンとルロイが綿布を持って入って行く。膝までつかったところで2、3回振り子のように振って放り投げる。しばらく浮いていたが、やがてあぶくとともに沈んでいった。振り返ると車の前でひざまづいたままケニーが死んでいた。皺だらけになってまるでミイラのようになっていた。
「ケニー! そんな」
ローラの肩をイアンがつかんで言う。
「そんなどころじゃない。見ろ……」
フラッシュライトの明かりがいくつも見える。だんだん近づいて来る。老人たちがカネや宝石を持って彼らの方へやって来る。
「なんでもやるぞ。ほら」
「まだまだ欲しいだろ? こっちにおいで」
口々にそう言いながら、迫って来る。イアンはショットガンで手近の老人を吹っ飛ばしてから、ローラにピストルを渡して言った。
「分かれて逃げるんだ!」
見捨てられたルロイは何人もの年寄りに囲まれ、沼の方に追い詰められていく。
「来ないで。全部返すから許して」
「返す必要はないよ。もっともらっておくれ」
「仲良くしようじゃないか。エニヴィルにようこそ」
足をすべらせて急に深くなっているところに沈んでいく。泳げないんだ。何かつかまるものは。……ざらっとしたものが手に触れた。あわててつかむと綿布がほどけ、マグライトが中から現われるものを照らした。50年代の映画に出てくるような金髪の少女が微笑むのを見たルロイの肺には大量の水が入っていった。
イアンは森の中を逃げながら、年寄りの群れに向かって何回もショットガンを放った。仲間がくの字になって倒されても老人たちは振り向きもしなかった。撃つたびに体が地面に沈みこむような重さを感じる。まるでビーフジャーキーだ。自分の手のひらを見ながらそう思った。弾丸はもうない。あってもショットガンを持つ力は残っていないだろう。
「いい子だ。まだ立っていられるなんて」
「死ぬ前にわしも殺しておくれ」
その声もイアンには届いていなかった。愛用のナイフで胸を突こうとポケットに手を伸ばしたところで、彼の意識は途絶えていった。
車をようやく発進させたローラはめちゃくちゃに蛇行しながら、逃げようともしない老人たちをなぎ倒していた。タイヤハウスに何か絡まったのか、アクセルを踏んでもスピードが出ずにスピンする。嫌な音がする。サイドウィンドウに老人たちが顔をくっつけてくる。中には血まみれになった者もいる。しゃがれ声でローラは意味のないことを叫んでいた。……ボンネットにとんという音を立てて何かが降りた。
「ギャアアアア!」
あのネコ、シュワルツがローラの顔を正面から緑色の目で見つめていた。ピストルで撃とうとしたとたんにはさまっていたものがはずれたのか、ガクンと車は走り出し、何人もの年寄りをぶら下げたまま大きなぶなの木に激突した。
「タッチダウンできなかったな」
「ああ、ノーサイドだ」
トーラスが燃え上がり始めたのを見ながら、二人の老人は笑みを交わした。