~第二の宝石~
シャーロットとジェームズは、シンプソンに伴われてストラスフォードの屋敷へ
向かった。
道中の馬車の中で、シャーロットは無言のままでいる。
かなり複雑であろう彼女の心境をジェームズは理解していた。
待ちに待った『炎の雫』の情報。
最初は首飾りだったそれは、おそらく盗まれた後に解体され、故物屋の手を経由
して大陸に渡り、指輪に姿を変えてストラスフォード男爵に買われたのだろう。
そして、それを狙う盗賊がいる。
何処の誰とも知れぬ輩にホームズ公爵家の家宝をくれてやるわけにゆかないのは
当然だが、守ったからといってシャーロットの元に戻って来るわけでもない。
やがて、馬車は大きな門の前に到着した。
3人はそこで降り立ち、広い前庭をぬけて玄関へ入る。
長い廊下を経て、華美な装飾に彩られた客間に通され、主を待たされた。
「……大丈夫か?シャーロット」
「…平気だ」
はねつけるような物言いだったが、内心の葛藤を悟り、ジェームズは黙る。
まもなく、シンプソンを従えてストラスフォード男爵が現れた。
「私がダグラス・ストラスフォード男爵である。警視庁のレストレード警部
からの紹介だそうだな」
見た目は穏やかそうなロマンスグレーの紳士は、愛想笑いの笑顔を向ける。
シャーロットは極力感情を映さぬ瞳で、儀礼的に挨拶をした。
「初めてお目にかかります、男爵様。私は探偵のシャーロット・ホームズ、
…こちらは私の友人で助手のドクター・ジェームズ・ワトソンという者です」
「……ミス・ホームズ?」
「はい」
「ダニエルから女性と聞いていたが、驚いたな。私の娘と大差の無い年頃では
ないか」
「…恐れ入ります」
「気にする事は無い。世間で有名なホームズ探偵なら、性別がどうあれ信頼
できると私は思っているからな。よろしく頼むぞ」
「……御意」
シャーロットはこの高慢な男に決して目を合わせず、屈せずにお辞儀をした。
その胸中がいかばかりのものだったか、気づいていたのはジェームズただ一人
だけだっただろう。
4人はお茶を運んで来たメイドが退室した後、本題に入った。
「早速ですが、ストラスフォード卿にお願いが――― 」
その呼称に男爵はふと眉を寄せる。だがシャーロットはすぐに気付き、訂正して
言い直した。
「――― 失敬。"閣下"にお願いがあります。賊に狙われているという宝石を拝見
させていただけませんか」
毅然とした態度で、それでも低姿勢かつ丁寧な口調で乞われると、男爵はコホンと
咳払いをして承諾した。
さすがに、たかが庶民の言葉尻にいちいち目くじらを立てては貴族として狭量
だと考えたのだろう。
もっとも「男爵」は貴族階級では最下位にあたり、その逆で最高位の「公爵」の
娘であるシャーロットが、格下に対する呼称"卿"で呼んでしまったのも、実は
当然の事だったのだが。
ほどなくしてシンプソンと共に一人のメイドが、美しい宝飾箱をうやうやしく
捧げ持って現れた。
「これが我がストラスフォード男爵家の家宝『真紅の指輪』です」
――― 違う。ホームズ公爵家の家宝だ。
そう主張したいのを押し殺し、シャーロットはポーカーフェイスのまま蓋が開く
箱を見つめる。
色とりどりの宝石が散りばめられ、装飾過多な宝飾箱の中には、漆黒のビロードが
敷き詰められており、真ん中には小さな小山の如くせり上がった突起の上に指輪が
乗っていた。
シャーロットは思わず息を呑む。
銀で象嵌され、周囲を小粒のダイヤに取り巻かれているけれど、中央に輝く真紅の
宝石だけは昔と同じ。
「……これは素晴らしい宝石ですね」
似つかわしくない丁寧な言葉使いでジェームズが賞賛する。
目利きでなくとも、それなりの審美眼は彼にもあるし、何よりシャーロットの母が
つけていた写真を目にしていたから、嘘でもお世辞でも無い。
それにシャーロットの反応が気になり、チラリと視線を向ける。
シャーロットは思っていたよりも冷静だった。いや、それ以上に冷たいまなざしで
口を開く。
「……つかぬ事を伺いますが、閣下。この指輪は本物ですか?」
「…え!?」
唐突なシャーロットの問いかけに、ジェームズは驚いた。
彼だけでなく、ストラスフォード男爵も、シンプソンも、一様に目を丸くする。
しばしの沈黙の後、男爵は苦笑した。
「……これは驚いた。なぜわかったのかね」
「え?」
「だ、旦那様?」
ジェームズとシンプソンはいまだ目を白黒させている。
対してシャーロットは、いとも簡単に言ってのけた。
「盗賊に狙われるような高級品を――― 実際に狙われている今、こんな目立つ
宝飾箱に保存している事を不審に思ったので、言ってみただけです」
説得力のある言葉だった。そしてもう一つ、本来の所有者だから真贋の見分けが
ついたのだとジェームズは推察する。
「さすが名探偵だな。その通り、これは以前作らせておいた偽物だ。……本物は
ここにある」
そう言って男爵は、自らの上着の内ポケットに手を入れ、小さな袋を取り出した。
それは偽物を入れた宝飾箱とは違って何の飾りも無い白い絹製の、どこにでも
ありふれている小さな巾着。
中には、偽物の指輪とまったく同じ形状の――― 少なくとも素人目には見分けの
つかない、そっくり同じ指輪が入っていた。
ジェームズは再びシャーロットに視線を送る。
シャーロットは指輪をじっと見つめた後、溜息をついて目を閉じた。
「……そちらが本物ですか」
「さよう。私はこのような事態が起きた場合に備えて贋作を用意している。普段は
金庫に保管しているが、このように肌身離さず所持しておけば、たとえ賊に奪われ
ても、それは偽物の方というわけだ」
「―――それは賢明ですね」
言葉ほどには感情の無い口調で、シャーロットは社交辞令を言う。
「ですが、ご令嬢が夜会で身につけると伺っていますが」
「娘には偽物の方を渡すつもりだ。なにしろ24億もした宝石だからな。万一、賊に
奪われては困る」
男爵はまるで悪びれずに返答する。娘の身に危害が及んだら、とは予想していない
らしい。
「お嬢様が納得なさるでしょうか?」
「あの娘のことだ、本物だと言えばそれで信じるだろう」
シンプソンの問いかけに、男爵は平然と答える。
その様子にシャーロットは、なかばあきれ、不快さを押し隠しながら無言でいた。
こんな男にホームズ公爵家の家宝をさわらせるのも腹立たしい。
だが現状では、この宝石の所有者はストラスフォードなのだ。
そして今、シャーロットにできる事はただ一つ。
「この依頼、受けさせていただきます」
ストラスフォード男爵は、パーティーの興を削ぐような物々しい警備は望まない
ので、警官隊は主に屋敷の周囲と広い庭に配置・巡回させる事になった。
本物の『真紅の指輪』は、ストラスフォード男爵が懐にしのばせ、主任のレスト
レード警部が彼の護衛につく。
シャーロットとジェームズも、招待客にまぎれて男爵と令嬢の護衛に参加する事に
なった。
続く