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回想録  作者: 本堂可奈子
3/5

~炎色の指輪~




名探偵シャーロット・ホームズと助手ジェームズ・ワトソンの評判も

世間に定着して久しいある日、ジェームズはいつものティータイムに

少し遅れて帰宅した。


「遅いぞ、ジェームズ。ハドソン夫人が淹れてくれたお茶が冷めて

しまったではないか」

特に時間を約束していたわけではないが、シャーロットは小言を

投げかける。

「あぁ、悪かったよ。お詫びにこれ、お土産だ」

ジェームズはすまなそうに言いながら、懐から何かを取り出した。

「! それは―――」

シャーロットの目前に差し出されたのは、先日ある事件で犯人の

弾丸から彼女の命を守り、代わりに壊れた懐中時計。

「歯車とか針とかの部品は総入れ替えしたけど、見た目だけは

元に戻ったぜ」

「……どうやって… …てっきり、もうダメだと思っていたのに…」

時計を受け取りながらシャーロットは感嘆する。弾丸がめり込んだ

無残な姿を見ているだけに、信じられない。

時計店に持ち込んでも買い換えを勧められるだけで、もはや諦め

ていた。

ジェームズが持ち出した時も、代わりに廃棄してくれたのだろうと

思っていたのに。

「知り合いに腕の良い細工師がいるんだ。直るかどうかは微妙

だったけど、なんとか直してくれたよ」

ジェームズは椅子に腰掛けると、ティーカップを口に運びながら

笑って答えた。

シャーロットにとっては時計の価値以前に、家族写真を入れた裏

蓋が砕けた事が悲しかったが、その写真もほぼ復元されている。

――― 最後の思い出の家族写真が、戻って来た。

シャーロットの胸に、あふれんばかりの嬉しさが満ちる。

「……感謝する。ジェームズ、とても嬉しい……」

予想外に素直に謝意を示され、ジェームズは照れながらお茶を

飲む。

その雰囲気に、ハドソン夫人は気を利かせて階下へお茶菓子の

追加を取りに行ってしまった。

やわらかな空気が室内に流れる。

シャーロットは、大切に掌で包んでいた時計を懐に戻した。

「直してくれた細工師にも、会って礼を述べたいのだが」

「ああ、オレから言っておくよ」

しかしジェームズは言葉を濁す。その態度にシャーロットはひっか

かりを覚えた。

「所有者である私が直接礼を言うのが筋だろう?それに修理費も

払わなくてはならないだろう?」

「大丈夫。『蛇の道はヘビ』だから、そんな必要は無いんだよ」

「…………」

シャーロットはそれ以上追求できない。

気にはなるが問い詰めるべき必然性を見出せないし、ジェームズ

が言いたくなさそうだと気付いているから。

二人の間に信頼関係が確立してかなりの時間が過ぎたが、シャー

ロットはジェームズに関するすべてを知っているわけでは決して

無い。


『公爵令嬢サマに話せるような立派な出自じゃないよ』


一度たずねたら、そんなふうに ふざけた口調でかわされた事が

あるが、それは真実なのだろう。

医師として身を立てる以前は貧民階級だったらしい事は察しがつく。

ジェームズはたびたび貧民街へ往診に行くし、民衆の実態にも

詳しい。

今回、時計を修理してくれた細工師も、そちら側の知人と思われる。

いかに腕が良くても、表立っては開業できない、わけありの職人が

裏通りには多数いるのだ。

彼等は本来『公爵令嬢』とは顔を会わせる機会も無い存在である。

ジェームズも含めて。

だがそんな事はどうでも良くなっていた。現在のシャーロットにとって

ジェームズは最大の興味対象なのだから。

時折、胸の奥をつつくように自覚の風が吹く。

シャーロットはその都度、無意識に思考を振り捨てていたが、最近

ではそれも困難になってきている。

今日のように、彼の優しさを思い知る時は特に。

目の前の穏やかな光景の継続を願わずにはいられない。


 ……ずっと、このまま………


コンコンコン。


不意に響いたノックの音で、シャーロットは我に返った。

「シャーロット、お客様よ」

ハドソン夫人の声に、くつろいでいたジェームズが居住まいを

正す。

続いてシャーロットも、反射的に姿勢を正した。

しかし先刻までの思考を振り返ると、急激に顔が熱くなる。

「どうかしたか?シャーロット」

「な、何でもないっ」

シャーロットは赤い頬を隠すように窓際を向き、射し込む太陽

光に顔を晒した。


「――― 失礼します」

ハドソン夫人に案内されて現れたのは、背の高い一人の男。

身なりは良いが厳しい表情をしており、紹介された名探偵が

年端もゆかぬ美少年――― 実は少女だが――― と知ると、

露骨に驚いた顔をした。

「私はストラスフォード男爵家で執事を務めております、ダニエル・

シンプソンという者です」

それでも彼は丁寧に挨拶をし、勧められた椅子に腰掛けて相談を

始めた。

「実は、今朝早く屋敷に妙な手紙が届いたのです。メッセンジャー・

ボーイではなく、門の扉に挟まれていて――― 」

そう言ってダニエルは一枚の封筒を取り出すが、当然ながら

差出人の名は無い。

「拝見しましょう」

シャーロットは承諾を得てから、開封済みの手紙を手に取った。



  「親愛なるストラスフォード男爵閣下。

  来月3日、貴殿所有の『炎の雫』を頂戴する。

  いかなる警備も無意味と心得よ」



手紙はポピュラーなタイプライターで打たれており、わずか3行で

終了していた。

宝石泥棒は珍しくないが、予告をする盗賊は多くない。

よほど自信があるのか、自己顕示欲の強い愚か者なのか。

予想としては後者だなと、シャーロットは息をつく。

「『赤い指輪』……ですか。男爵はそれを?」

「はい。数年前、大陸を旅行中に商人から購入なさいました。

赤い宝石のついた美しい指輪です」

『赤い宝石』と聞いた時点で、シャーロットの胸は騒ぎ始める。

しかし表面上では冷静を装っていた。

「警察には連絡しましたか?」

「勿論です。そうしたらハンソン・レストレード警部が、名探偵の

先生に御協力いただくようおっしゃったので、伺った次第です」

ハンソン警部は、数々の事件でシャーロット及びジェームズに

恩義がある。宝石絡みの事件と知って、紹介してくれたのだ

ろう。

「……実は、来月の3日は当家の令嬢アンジェラ様の誕生日で

して、毎年盛大なパーティーを開催しているのです。当然ながら

今年もその予定ですし、それに――― …」

困惑の表情で、ダニエルは一旦言葉を切る。

「それに?」

「…アンジェラ様は、パーティー当日に『赤い指輪』をつける事を

強く希望なさっていらっしゃいます」

ざっと話を聞いただけでも呆れる点は多い。だけどシャーロットは

初歩的な質問を始めた。

「この予告状の主に心当たりは?」

「まったくございません」

「屋敷の人間以外で、その指輪の存在を知っている者は?」

「以前に何度かパーティーで、主が、その……同伴のレディに

つけさせた経緯がございますし、新聞の社交欄に載った事も

ありますので、知っている者がいても不思議はありません」

「パーティーは中止できないのですか?」

「既に招待状もお配りしてしまいましたから、男爵家の名誉に

かけて中止はできません」

「令嬢に指輪の装着を諦めるよう説得されましたか?」

「…恐れながら、断固として御意志を曲げて下さいません。

ようやくサイズが合うようになられたので、絶対に披露すると

申されまして」

どうやら、かなりの我侭娘のようである。

「……警察は何と言いましたか」

「鉄壁の警備を約束して下さいましたが、男爵…いえ旦那様は

パーティーの妨げになるような警備手段は望まれておりません

ので…」

「…………」

娘が娘なら父も父である。

「ちなみに、その指輪はいかほどの価値の物ですか?」

閉口するシャーロットに代わってジェームズが問いかける。

ダニエルは我が事のように鼻を高くして言い放った。

「それはもう、あのような美しい石はこの世に二つとないで

しょう。20億は下らないと主も申しておりました」

彼は自慢気に懐から写真を取り出す。

「これは旦那様が手に入れられた当時の写真です」


写真には、品の良さそうな紳士が映っていた。

彼の指には小さくて入りそうにない細工の指輪と共に。

それを目にした瞬間、シャーロットの心臓が破裂しそうに

鳴った。

装飾こそ変わっているが、指輪の石には見覚えがあった

から。


――― まぎれもなく、彼女の探している父母の形見であり

家宝、『炎の雫』だった。

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