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回想録  作者: 本堂可奈子
2/5

〜緋色の探求~

大騒ぎの引越しからしばらく経ったある日。

明け方近くに帰宅したジェームズは昼近くになっても起きて来ず、ハドスン

夫人は昼食の支度を整えた後に彼の部屋のドアを叩いた。

「ジェームズさん、もうお昼よ」

幾度か呼びかけられ、ようやく目を覚ましたジェームズだが、寝崩れた姿を

女性の前に晒すのは紳士にあるまじき行為。

彼は急いでガウンをまとい、とりあえず鏡を覗いてからドアを開けた。

「おはようジェームズさん。ごゆっくりのお目覚めね」

「スンマセン。昨夜、往診に時間かかっちまって。食事、いただきます」

「お待ちしてるわ」

ハドスン夫人は小気味よく笑いながら階下へ下りてゆく。

少々睡眠不足のジェームズは、一つ欠伸をして背を伸ばし、改めて身繕いを

始めた。



一階のダイニングルームに下りると、ハドスン夫人の手料理が湯気をたてて

並んでいる。

思わず舌なめずりしそうになるのを抑えながらテーブルについたジェームズは

隣の椅子が空いている事に気付いた。

「ハドスン夫人、シャーロットは?」

「警視庁から使いの方がいらして、出かけて行ったわ。何か事件が起きたの

じゃないかしら?」

ハドスン夫人は淹れたてのお茶を差し出しながら説明する。

「事件の捜査、ですか」

本来なら、そんな世俗に関わるような身分ではなかろうに。

そう思いながら、ジェームズは朝食を戴いた。



その日からシャーロットは、日に一度、着替えと入浴に戻るだけで一時間と

休まずに飛び出して行くようになる。

探偵という職はこんなに激務なのかとジェームズは驚いたが、あの歳の少女

には度過ぎており、医者として放っておけるものではなかった。



3日後、事件は一段落したらしく、シャーロットは重い足取りで帰宅し、

半日ほど休息を取る。

ジェームズは彼女が目覚めた頃を見計らって忠告に出向いた。


「いくら何でも、あんな無茶は医者として見過ごせないぞ。その上、若い娘

が夜遅くまでウロウロ出歩くなんて」

「また女性蔑視か?私は無茶などした覚えは無い」

シャーロットは愛用の肘掛け椅子に腰掛け、相変わらずツンとした態度で

応える。

ジェームズも負けずに言い返した。

「男装してても危険だって言ってるんだよ。それに3日も寝食削ってどこが

無茶じゃないって? 第一、そうまでするほどの大事件か?噂じゃあ宝石泥棒

だって話じゃないか、珍しくもない。しかも、店の商品がそもそも盗品で、

店主と共犯者が逮捕されたって聞いたぞ」

「だが窃盗犯は、盗んだ宝石と共にまだ逃走中だ」

「犯人捕まえる前にお前が倒れてしまうぞ」

「君には関係の無い事だ」

「関係あるぞ!オレは医者で、お前の同居人だからな!」

頑強に主張するジェームズに、シャーロットは無視を決め込む。

ジェームズはそんな彼女をしばし睨みつけていたが、やがて息をつき再び口を

開いた。

「――― オレの親友も、お前みたいに寝食を削って働いてた。まだガキだった

けど朝から晩まで身を粉にして、家にもほとんど帰らずにな」

「?」

低く重い口調に変わった彼に、シャーロットは訝しむような視線を向けた。

ジェームズは更に続ける。

「ずっと貧乏で苦労してたから、金かせぐ為に必死だったんだ。でもそう

やって無理に無理を重ねた結果、ある日突然倒れて死んだよ。―――オレが

医者になるずっと前にな」

「…!」

辛そうに唇を噛むジェームズに、シャーロットは言葉を失った。

冷たい空気が机を挟んで向かい合う二人の間を流れる。

「オレは同居人を病気になんか二度と――― 絶対にさせない。医者として断言

するが、あんな無茶な真似を続けてたらお前は確実に体を壊す。そうなって

からじゃ遅いんだ!」

なかば断言するジェームズは真剣で、本気だった。

この時代、些細な怪我や病気でも死亡率は高く、正当な意見であろう。

頑固に拒絶していたシャーロットにも、ジェームズの心底からの思いが

伝わった。

だが―――

「……それでも、私はやめるわけにはゆかない」

シャーロットは言い切り、詰め寄ろうとするジェームズに、懐から年代物の

懐中時計を取り出し、蓋を開けて見せる。

蓋の裏側には一枚の写真が納められていた。

一人は、知的で温厚そうな優し気な面立ちの紳士。

隣にいるのは『優雅』を絵に描いたかのような美しい淑女。

そして中央には、人形を抱いた愛らしい少女。

「……これって」

聞くまでもなく、数年前のシャーロットであろう。

長い金髪をリボンで飾り、人形と揃いの可憐なドレスをまとった幼い姿で、

現在とはかなり印象が違うが、面影は明確に存在している。

「…5年前の私と両親だ」

それも察しはついた。母親らしき婦人は、今のシャーロットとよく似ていた

から。

気品と優しさの中にも誇り高さを秘めた婦人は、一目で上質とわかる品の

良いドレスを着こなし、その胸元で華麗な首飾りがいっそう美しさを引き

立てている。

「母が付けている首飾りには中央に赤い大きな石が嵌め込まれているだろう?

それは炎のように鮮やかな色から『炎の雫』と呼ばれる貴重な宝石で、この世に

二つと無い。我がホームズ公爵家に代々伝わる家宝だ」

(……公爵令嬢サマだったのかよ)

予想はしていたが、シャーロットは正真正銘、本物の『レディ』だった。血筋に

よっては王室とも縁があるかも知れない。

ならば漂う高貴さや身についた貴族的な態度・仕草も、さもあらん。

「私はその首飾りを探しているのだ。…解体されているかも知れないから、正確

には『炎の雫』本体をな」

「家宝を手放したのかよ? …破産か?それとも盗まれたのか?」

問い返すジェームズに、シャーロットは一瞬口をつぐむ。そして言った。

「盗まれたのだ。5年前、両親を殺害した盗賊にな」


氷のような沈黙が部屋を包んだ。

止まった時間を動かすように、シャーロットは話を続ける。

「私が久しぶりに両親と休暇を過ごして、修道院の寄宿舎へ戻った直後だ。

屋敷に押し入った賊が首飾りを盗み、家族全員を…殺害した……」

唇を噛み締めるシャーロットの表情は、悲しみというより怒りを感じさせた。

「私が生まれる前から務めてくれていた執事も、乳母も、使用人も、…母の

胎内にいた私の弟か妹も……」

内蓋に秘められた写真は、おそらく最後に撮影された家族の集合写真。

握り締める手が震えているように見えるのは、気のせいではないだろう。

「だから私は探偵になった。この手で両親の仇を捕らえ、奪われた『炎の雫』

を取り戻す為に!」

常に毅然としたポーカーフェイスだったシャーロットが、初めて感情をあらわに

している。

「……それを果たす為なら、どのような苦労もいとわない……!!」

ジェームズは納得した。

深窓の公爵令嬢では、失ったものを取り返す事はできない。

しかし探偵として俗社会に身を置き、事件に携わっていれば、いつか目指す

ものに当たる事もあるだろう。

憎い仇、そして幸福と嘆きの象徴である炎のような色の宝石に――― 。


(……痛々しいな)

そう思ったが、ジェームズは口にはしなかった。

シャーロットは、ヤードで懇意にしている警視に頼んで宝石に関わる事件の

捜査には必ず加えてもらっているが、いまだ『炎の雫』は発見されない。

今回盗まれた宝石も年代の新しい物と判明し、彼女の目的とは違っていた。

今までも何度となく期待を掛けては空振りしているが、決して諦める気は

無いらしい。

そしてシャーロットは懐中時計を懐に戻す。

彼女の横顔を見つめ、ジェームズは決意した。

「――― じゃあ、オレが主治医になってやるよ」

「…え?」

不意の言葉に、シャーロットは目を丸くする。

「お前が無茶しても倒れないように健康管理してやる」

「どういうつもりだ?」

戸惑いながら問うシャーロットに、ジェームズはいとも自然な口調で笑い

かけた。

「お前が自分の意志を通すように、オレも医師の責任を果たす。どっちも

引く気は無いから折衷案ってわけだ」

「…………」

「さて、そろそろアフタヌーンティーの時間だな」

唖然としているシャーロットをよそに、ジェームズはさっさと話題を切り

上げてしまう。

「行こう、シャーロット」

ジェームズはドアを開けたが部屋を出ず、その場に立ってシャーロットを

待っている。

それは紳士の基本、レディファーストの動作。

しばし目をまたたいていたシャーロットだが、次第に微笑が浮かんだ。


甘い慰めも、安っぽい同情も見せなかったジェームズ。

その心遣いを一番嬉しく思う。




以来、シャーロットが事件で外出する際には、ジェームズも随行するように

なったのである。

共に『炎の雫』を探し出す為に―――




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