シャーロット・ホームズの冒険譚
古き良き時代。
街角のガス灯が霧にけぶる都市の一角、ベイカー街221Bにシャーロット・C・
ホームズという名探偵が住んでいた。
この文書は、その同居人であり、パートナーでもあった医師、ジェームズ・P・
ワトスンが後に記した回想録の抜粋である。
~空き部屋事件~
ジェームズは怒っていた。
軍医だった彼は従事先のアフガンで負傷し、ようやく帰国したばかりで、金銭にも住居にも窮していたところ、とあるパブで偶然再会した知人フィリップ・スタンフォードにベイカー街221Bの下宿を紹介されたのである。
大家はミセス・ハドソン未亡人という優しく温厚な女性で、建物の状態も良好、三階建てで部屋も広く、周辺の環境も良いし、何より日々の食事付きという点が気に入り、ジェームズは即座に入居を決めた。
ところが荷物を運び込んだ時、ハドスン夫人は思わぬ一言を発したのである。
「先に入居されたルームメイトの方は、いつ頃お帰りかしら?」
「…ルームメイト!?」
ジェームズは初耳だった。しかしハドスン夫人が言うには、この下宿は広さと家賃との兼ね合いもあり、二人一組で入居するシステムになっているとの事。
フィリップは、ジェームズとは別にもう一人にも声をかけたのだろう。
しかし当事者たちには一言も無い。ジェームズは文句を言うべくフィリップの元へ向かったが、彼は急な仕事で既に旅立った後だった。
そこでやむなく、もう一人の入居者と話をつけるべく、その行き先へ向かったのである。
セント・アンドリュース大学。
目的の人物は化学実験室の中で何やら難しそうな本を読んでいた。
案内をしてくれた紳士に呼ばれ、振り向いた相手とジェームズの視線が合う。
『同居人』は見たところ16歳〜17歳。まだどこか幼げな、しかし人形のように端正な顔立ちをしている。
上質のシルクのシャツの上に格子柄のインパネスコートを羽織り、肩にかかる金色の髪は薄暗い室内でもよく映えた。
質素な服を着てはいるが、漂う高貴さは隠されない。独特の雰囲気や態度から、貴族階級出身である事は明白だった。
上流のマダムたちがいかにもチヤホヤしそうな、凛とした美少年。
――― それが第一印象。
「オレはジェームズ・P・ワトソンという者だ」
「アフガン帰りの軍人が私に何用かな?」
一応、礼儀として挨拶をしたとたん言い当てられた真実に、ジェームズは目を丸くする。
「なんでそんな事知ってるんだ!? フィリップに聞いたのか?」
瞬間、相手は眉をひそめた。ジェームズの紳士らしからぬ言葉使いに不快感を覚えたらしい。
「フィリップと言うのは、ミセス・ハドスンの下宿を紹介した男だな。彼とはその日が初対面で、以降、会っていない。まして君の話など聞いた事もない」
元々貴族とは相性の良くないジェームズだが、どことなく上から目線な物言いにムッとした。
「私の名はS・ホームズ。君がアフガンからの帰還兵である事など一目でわかる」
そう言って言葉を続ける。
「まず住居を探している男ありき。そして一つ、君はこの国の気候とは不似合いに日焼けしている。二つ、服装や持ち物から長旅疲れの痕跡が見える。三つ、現在この国内において以上のような状況にあるのは、目下戦争中のアフガンに従軍していた以外の理由は有り得ない」
実に論理的で鮮やかな推理に、ジェームズは唖然とした。
しかしすぐに立ち直り、余裕の笑みを作って言い返す。
「残念だが一つ間違いがあるぜ。オレは帰還『兵』じゃなくて軍医だ」
ツンと横を向いていたホームズは、彼の言葉に目を見開いた。
「軍医!?医者なのか?君が?」
あからさまに意外そうなシャーロットの声は、ジェームズのプライドをチクチクとつつく。
確かにジェームズは、医師よりも軍人に相応しい長身と体格だし、身につけているコートもスーツも長旅仕様に実用性を追求した物だから、洗練された都会の紳士には見え難い。
丸縁の眼鏡もステッキも、体裁を繕うだけの代物であろう。
しばし彼を凝視していたホームズは、再びそっぽを向く。
「世の中には時々、私の理解の範疇を越えた不可解な現象が起きるものなのだな」
「なんだって!?」
まさに一触即発。そのままケンカになってもおかしくない雰囲気だったが、ふいに聞こえた失笑に毒気を抜かれた。
彼らの背後で、ジェームズを実験室へ案内して来た正真正銘の英国紳士がクスクスと笑っていた。
「これは失礼。それにしても驚きました。かの名探偵も推理をはずす事があるのですね」
「ウィリアム教授、時には常識外のデータも存在するという証明ですよ」
「名探偵?」
ホームズの失礼な発言より、ジェームズは教授の一言が気にかかって問い返す。
「Drは帰国なされたばかりで御存知ないのですね。こちらの方は、警視庁のお歴々も頭を下げて頼るという当代きっての名探偵、レディ・シャーロット・C・ホームズ嬢ですよ」
「そういえば凄腕の探偵がいるって噂は…………え?」
瞬間、滑らかに流れた紳士の言葉の一部が、ジェームズの頭の中でひっかかった。
……今、なんて言った?
名探偵?こんな子供が?
いや、そうじゃなくて。
オレの聞き間違いでなきゃ、確か『嬢』……
「…レディだって!? 女なのか!? コレが!?」
仰天するジェームズに『コレ』呼ばわりされたシャーロット・ホームズ嬢は一瞬で不機嫌度MAXになる。
「……無礼な!医療免許は所持していても、品性は取得していないとみえる」
「そんな格好してたら誰だって間違うだろ!第一、女がなんで探偵なんかやってるんだ!!」
ジェームズの言葉は暴言に聞こえるが、当時としては当然の意見だ。
女性の社会進出がめざましい時代とはいえ、ファッションは未だ裾の長いドレスが主流だし、探偵という職業自体、男性ですら珍しい。
しかしシャーロットは即座に反論する。
「外見に惑わされて性別を見誤ったのは貴公の判断力不足だろう!第一、尊ぶべき女王陛下が統治するこの先進国で、女性を蔑視するなど不敬罪にも等しい!!」
「男装してるからだよ!女らしいカッコしてりゃオレにだって一目でわかるさ!!」
「やはり外見で判断しているではないか!!」
「それが普通だろ!!」
互いにプライドを刺激され、この後、大ゲンカをする事 小一時間。
そして、そもそもの発端である部屋の所有権は、意地もあってか二人は共に譲らず、ハドスン夫人の提案でジェームズは3階に、シャーロットは2階に、不本意ながら同居する羽目になってしまった。
「貴公のような野卑で下品な男が一つ屋根の下に住むなどゾッとするが、屋根裏のネズミと思って耐えるとしよう。忠告しておくが、あらぬ狼藉に及ぼうなどと妙な考えを起こすなよ。テムズ河に浮かびたくなければな!」
シャーロットは剣術の達人である事を前置きしてからそう述べた。
対して、ジェームズも黙ってはいない。
「オレの方こそ橋の下で寝る事思えば、口うるさいネコの一匹くらい見逃してやるぜ!」
二人は視線の間に火花を散らしつつ、二階と三階に別れた。
かくして、男装の美少女探偵シャーロット・ホームズと、医師ジェームズ・ワトソンは最悪の出会いをしたのである。
続く