3.失恋したので仕事に励みます
―― 城塞都市ヴェルザン城。城内 ――
『第一王子 ミカエルの執務室』
そこに広がるのは絶望だった。あるものは元婚約者の赤裸々な恋愛事情に嫌悪し、あるものは自分の血縁のしでかした悪事に吐き気をもよおしている。
「どうしようもないな」
ミカエルの小さな声が、部屋に響く。
「これ、俺たちだけで、どうにかなる問題じゃないですよ。殿下」
長年受け継がれてきた悪事を根絶やしにするのは、非常に難しい。若い自分達が告発したところで、関係者を買収し揉み消されるのが目に見えている。
自分達の正当性を、疑いもせず主張するであろう多数の大人。その相手をできる自信など、さらさら無かった。仕方ないと流されるほうが楽なのは目に見えている。
「だが、それならラウルもティアラも戻ってこないぞ」
山積みの課題を残し、二人は忽然と姿を消した。ラウルの言っていたことが正しければ、今はエルフの里に居るはずだ。
世界の厄災を救った後で待ち構えていた現実は、若い心をへし折るのに、十分な威力を発揮してくれた。
各々が口を閉ざし結論を出しかねる。部屋に置かれた時計の秒針がコチコチと鳴り、時間だけが過ぎていった。
―― 殿下の意思に従います。
そう伝えてしまえば、どんな選択肢を選んでも責任からは逃れられる。
結末すら人のせいにできるその一言を、――けれど苦楽を共に歩んだ上司に丸投げすることはしなかった。
「全員で力を合わせれば、何とかなりますよ! 俺、こんな不祥事が当たり前な国で年取るの嫌だから、――」
「殿下の近衛としては、命令には従います。ですが我が家の悪事を見過ごすのは、――」
「騎士道に反する行いは正したい。身内の所業ならなおさら、――」
「私は研究の成果を生かせる世の中なら他は別に、さして気にはしない。けど一部の人間が搾取するのはよくない――」
誰の言葉も曖昧であり、最後の結論を濁して終わる。
けれど彼らの言葉は、ミカエルのほんの少しだけ躊躇っていた心を後押しするには十分だった。
「言いたいことはわかった。だがな――――」
その決断にその場の全員が頷いた。
第一王子の決断である。異を唱えることなど出来ないのだ。
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頭上に輝く太陽の光を反射し、キラキラと流れる清流に手を浸す。気持ちの良い冷たさを感じ、ティアラは持っていた布を浸した。反対の手に持っていた器に飲み水も汲み、木陰で休むラウルのところへと駆け戻る。
少しぐったりしたラウルの首元を冷やしてやり、水を飲ませると申し訳なさそうな顔で謝られた。
「いいんです。私、幸せいっぱいですし」
言いながら甲斐甲斐しく世話を焼くと、ラウルは目を瞑って、自責の念に耐えるように凹んだ。
普段しっかりしている人が弱っている姿は、なんと母性をくすぐるのだろうか。
恥ずかしそうに申し訳なさそうに手当てされるラウルを見ていると、ティアラの庇護欲は瞬く間に満たされていった。
「ラウル様。少し横になりましょう!」
そう言ってティアラは自分の膝を差し出し、ポンポンと叩いてラウルを急かす。
「さすがに、それは恥ずかしいので遠慮します」
「誰も見てませんよ!」
多少抵抗したものの、ティアラの勢いに負けてその膝の上に頭を預ける。
布を額に乗せてもらい、心地よい風に吹かれると幾分か気分もよくなった。
庭師として動き回る生活はしていたが、長らく引きこもっていたラウルである。
ミストルティンの森と山を突破するには体力が足りなかった。
エルフの里への道のりは、牛歩のごとく、ゆっくりと進んでいた。目の前で元気に歩くティアラに申し訳なくて、ラウルは消えてしまいたいと切に願った。
そんなラウルの気持ちなど全く気にしないティアラは、初めて見るラウルの一面に毎日毎時毎分ごとに歓喜するのに忙しい。
「はぁ。ラウル様とずっと一緒に寝食を共にするなんて、夢みたい」
長い長い道のりのあと、念願かなって手に入った恋人である。
その過程の過酷さから、幸福度を感じるセンサーは既に底辺を突破し、失態すら愛すべき個性として堪能する逞しさを発揮していた。
「ラウル様は、料理の味に頓着しないし。土の上でも平気で眠れるのも驚きました」
体力がなくティアラの足を引っ張り出してから、ラウルの余裕は完全に無くなった。
回復キノコを平気で口に運び、野営でもぐっすりと眠って体力の回復に勤しむ姿は、『秘密の庭』の管理人の繊細な雰囲気とは程遠かった。
「……幻滅しましたか?」
「全然! 大好きです」
本当だろうか。
日々自信をすり減らすラウルは、ティアラに愛想をつかされることを恐れていた。
その手でラウルの髪を撫で、小さな声で鼻歌を歌い出したティアラを見ても、心の端がちりちりと燻る。
それでも今のラウルには、選択肢がこれしか無い。
無様でも情けなくても、前に進むしかないと言い聞かせて耐えている。
ミカエルと側近の彼らに山ほどの問題を押し付けて、足早にヴェルザンを後にした。最後に会って話したミカエルは、ラウルの思惑を理解していたが結論は出しかねていた。
今後、ヴェルザンが現状維持を選択して、問題に手を打たず平和を享受するなら、あの国はラウルにとって危険なままだ。
けれど、彼らが国を一新してくれたなら――
ラウルを味方として受け入れてくれるなら――
ラウルとティアラが、ヴェルザンに戻り、平和に暮らせるようになるだろう。
どんなに考えても、手を尽くしても、その小さな可能性に賭ける以外の道が見出せなかった。
『秘密の庭』で引きこもっていたせいで人脈が足りない。味方の派閥が無いどころか、周りは全部敵ばかり。何もかも手遅れなのは、全てラウルのこれまでの行動の結果でしかなかった。
例えどんな理不尽な目にあったとしても、その次の選択肢を選ぶのは自分であり、その結果は、そのまま返ってくるのだと理解した。後悔しても遅い。どんなに言い訳しても過去は変えられない。
全てラウルのせいなのに、ティアラにまで負担が及んでいるのが、一番堪えた。
「あなたには苦労ばかり掛けてしまいますね」
その言葉に、ティアラはきょとんとして首を傾げる。苦労、苦労、と口でつぶやき、アレコレ想像し再び首を傾げる。
「よく、わかりません!」
気分が回復したので体を起こすと、彼女が下からのぞき込むようにラウルの様子を伺う。
そのまま甘えるように擦り寄ってくる体を、両手で受け止めた。
「えへへー。元気になりましたか?」
「ええ。ティアラのおかげですね」
こうして遠慮なく甘えてくるティアラの行動が、ラウルにとってはありがたかった。態度と言葉でバンバン愛情表現を繰り返すティアラは、ラウルの鬱屈しがちな思考の靄を綺麗に取り払ってくれるのだ。
「ティアラ。愛してます」
「っ! どどどどうしたんですか? いえ、とっても嬉しいんですけど」
愛を囁くのはもっぱらティアラの担当である。予想外の展開に動揺した。
「ちゃんと口にして態度で示すのは大切なことだと実感しましたから。これからは、ティアラに負けないくらい表現しますね」
と宣言する。
そうしないと、愛想を尽かされるかもしれないという不安に打ち勝てないのだ。不安を吹き飛ばすためにティアラの腰に手をまわし、ぎゅっと抱きしめる。
予想外の出来事に、ティアラの顔は真っ赤になった。
思わず両手で顔を覆い、天を仰ぐ。
幸せが絶頂へと駆け上がり、思いっきり弾け飛んだ。
(い、生きてて良かったぁぁぁぁーーー!!!!)
愚かにも3回も繰り返した転生が、報われた瞬間である。





