1.世界の終わりの足音
―― 高くそびえる城壁に囲まれた難攻不落の城塞都市ヴェルザン ――
『秘密の庭の隣の館』
その日も、いつもと同じようにフェアリー達に渡す焼き菓子を焼いていた。
国の第二王子であるラウル・シュル・オーベロンは、館のキッチンに立ち腕を振るう。
焼き上がった菓子を持って『秘密の庭』へと続く扉を開ける。
いつもなら匂いに釣られて飛んでくるフェアリー達が、どういう訳が一匹たりとも現れない。
「何か、新しい花でも咲いたのでしょうか?」
お菓子以上に興味をそそるものがあれば、そちらに夢中になるはずだ。けれど、どこを探しても一匹たりとも見つからない。終いには一日経っても姿を見せなかったのだ。
「フェアリーが、消えた?」
その結論を受け入れると、ことの重大さを理解した。ラウルは慌てて国王に謁見を申し込んだのだった。
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国王との謁見は、同席した宰相のタイタニア公爵がごねるのを説き伏せることに、かなりの時間を割くはめになった。
「二言目には、貴族達の同意を得るのが難しいなどと言って渋ってばかり。相変わらず役に立たない方ですね」
貴族だけでは様子見一択で動こうともしない。ならばと魔物討伐隊は第一王子のミカエルが指揮すると決めれば、討伐隊には貴族を入れるべきだと主張する。
国王は声の大きい貴族の意見を聞いて穏便に済ますほうを選び、ミカエルは盛大にしわ寄せを食らっていた。
ラウルはイラつきながら、けれど立場上一言も発さずにその場に同席していたのだ。
「困った貴族を束ねるのも次期王太子の役目ですからね。せいぜい頑張って下さいね。ミカエル殿下」
誰も居ない『秘密の庭』で花々を愛でながら、第一王子を哀れんだ。
「私は私の役割を全うしましょう。世界の厄災は平等に訪れる。他の種族と違って我々はここから逃げられないのですから」
会議で同席した貴族の多くはエルフやフェアリー達が逃げ去ったことに文句を言い己の不幸を嘆いていた。どうして助けてくれないのか、と。けれど、エルフやフェアリーは元々別の世界の生き物だ。都合が悪くなり逃げ帰ることは当然の流れだった。
「自分達の住む世界のことすら、他人事で他人任せとは情けないですね」
そう思っていてもラウルは立場上何もできないことを知っていた。
ここでもしラウルが討伐隊に入るなどと言って目立てば、王位継承権を狙っているとあらぬ噂を立てられかねない。
第二王子で『秘密の庭』の管理人。普段と同じ役割をこなすことが、ラウルの出来る最大の協力姿勢なのだ。それは何もせず安全な場所で口だけ出す貴族連中と同じであり、そのことが無性に腹立たしかった。
けれど、それが難攻不落の城塞都市ヴェルザンの今の情勢。
表面上は豊かで賑わってはいるが、蓋を開ければグズグズだ。
誰もが保身を優先する。志高く頭一つ出たならば即座に足を引っ張られて沈められる。
嫌な気分を逃がすために、息を吐き背筋を伸ばした。
「さて、フェアリー達のお菓子が無駄になってしまいましたね。誰か食べてくれる方が現れるとよいのですが」
困りましたねぇと、笑顔を浮かべながら『秘密の庭』の隣の屋敷へと帰って行く。
その数日後、ラウルのお菓子を愛する客人が現れるなど、この時は想像もしていなかった。





