川竜襲来 三 〜川竜、潤河港に現る〜
一本の矢がオオゲンの眼前を掠め、彼の刀を抜く動きを止める。
そしてオオゲンの後ろにいた、モオレエの眉間に突き刺さった。
サンソンは立ち上がりながら、心と策を切り替える。
ここでモオレエを討ち、オオゲンを捕らえる――。
「まだだ!」
「人が悪い」
矢を射ったクアルダの「こうなるとわかっていましたね」という皮肉が背中に刺さる。
彼はさらに二本の矢を同時に放って、モオレエの首と左胸を射抜いた。
「てめえ!」
オオゲンが怒り、今度こそサンソンの首めがけて刀を抜き放つ。
それを、サンソンの前に出てきた誰かの円盾が防いだ。
「ソン殿、下がって!」
前に出てきたのは、術士のホホンだった。
右腕に持つ盾は、術士の《奇城》の術で、右腕の衣から作り出したもの。
サンソンより一回り低い彼の背中が、とても頼もしく見える。
彼が守ってくれた時、その動きには躍動感があって、サンソンは察した。
ホホンは誰かを生かすために戦う時に、最も力を発揮する。
「ホホン、オオゲンを捕らえろ!」
「――はい!」
サンソンの命令に、ホホンはすぐ動き、右腕の盾を消して飛びかかる。
敵を生かして捕らえることは、彼が最も望む対処法なのだ。
「お前が、星鳩……!?」
モモミから話を聞いていたのか、オオゲンが誰なのか気づいて、抵抗しようと刀を振るう。
二人の動きの違いから、サンソンの眼にはホホンの勝ちが見えた。
「――おっと」
しかし二人の間に、魔導師モオレエがオオゲンをかばうように割り込んだ。
ホホンとサンソンの前に現れた魔導師は、眉間、首、左胸に矢が刺さっていた。
不死不滅の怪物。
この魔導師の異名の一つ。人々は恐れながらそう呼ぶ。
「革世の邪魔は――させません!」
そんな怪物が、猛獣のように両腕を伸ばして、ホホンの後ろにいるサンソンに襲いかかる。
ホホンが守るため、払い除けようとするが、魔導師の動きはそれよりも速い。
本当に化物じみている。
サンソンの眼には、ホホンですらこの怪物は止められないと写った。
だからこそ、サンソンの後ろにいたクアルダが、弓で三本の矢を同時に放つ。
モオレエの右腕、左腕、眉間を射抜き、その動きを一瞬でも阻んだ。
この隙を、ホホンは見逃さない。
「待って!」
「はああああ!」
サンミルが止めるのも聞かず、ホホンが右腕を振りかざす。
彼の一瞬のためらいから、逆にホホンは誰かを傷つけることが大嫌いなのだと、サンソンは悟った。
それでも使命のため容赦なく、ホホンは右の拳を、術士の《波動》の術で威力をさらに強化して、モオレエの胸部に叩き込む。
余りの威力に、彼の巨体が後ろにいたオオゲンのところまで吹き飛ばした。
「ぬん!」
しかしオオゲンの目前で、モオレエは軽々と着地する。
「素晴らしい打ち込み。さすがは星鳩を受け継ぎし、ホホン様」
モオレエがまるで平気そうに、身体に刺さっていた矢を抜きながら褒めた。
「待てえ、お前たち!」
そこへ後方から待機させていた警備部隊が駆けつけてきた。
「……邪魔ですよ」
それに向かって、モオレエが左手を伸ばす。
サンソンは直感する。攻撃のための妖術だ。
「術士、前方、防壁展開!」
咄嗟にサンソンが叫び、聞こえた警備部隊の二人の術士が杖を取り出した。
その杖の名は、『卯杖』。術士の秘宝の一つだ。
二人の術士が、杖を一振りする。
すると《奇城》の術で、サンソンの前に灰色の防壁が左右に並び立つ。
そしてほぼ同時に、防壁の外側から凄まじい爆音が轟いた。
モオレエが妖術で、爆発を引き起こしたのだ。
間一髪、防壁がなければ、部隊は壊滅的な被害を受けていた。
サンソンは、サンミルとホホンは標的から外されていたと読む。
「もういい、防壁消失」
術士たちが杖を一振りすると、前方の防壁が消失した。
壁が消えた裏から不死不滅の魔導師が、再び神水教の者たちと共に現れる。
「これはこれは。なかなか、おやりになりますね、サンソン様」
「貴様は……とんだ化物だな、モオレエ」
笑顔で褒めるモオレエに対し、サンソンは初めて明確な敵意を示す。
不死身、怪物の如き武勇、妖術。この化物の力はまだまだ得体が知れない。
こいつがいる限り、川竜王角を持ったオオゲンは捕らえられないと判断した。
「ハハハハハーー!」
そんなサンソンに、オオゲンが高笑いを上げる。
「お前もな、サンソン。とんだ、食わせモンだぜ!」
続いて彼は、サンソンの隣にいたホホンの方を振り向いた。
「それと……話は聞いてるぜ、お前が星鳩術士か!」
話しかけられて、ホホンは聞き返す。
「オオゲンさん……モモミは、どうしていますか?」
ホホンの問いは、サンソンとサンミルにとっても聞きたいことだった。
「……黙れよ!」
しかしオオゲンは凄まじい怒りで顔を歪ませる。
「もうやめてください、モモミがこんなこと……」
「うるせえ! 俺たちと同じ革世者のくせしやがって、尊空に従う裏切者のお前が妹を語るんじゃねえー!!」
オオゲンの叫びには、尊空に対する凄まじい憎悪が籠められていた。
その憎しみから、尊空の公女サンミルは悟る。
本当に神水教の人たちには、何かがあったのだ。
「ああ、全くどいつもこいつもよ! そんなに見たいなら見せてやるよ、俺たちの革世を!」
オオゲンが右手に上着の懐から短い棒のようなものを取り出した。
その棒がみるみるうちに大きくなって、竜の角のようなものに変わる。
あれこそが、モオレエに贈られたオオゲンの秘宝、川竜王角だ。
術士や兵士が止めに入ろうとするが、モオレエが妖術を放った左手を伸ばしただけで抑え込む。
「やめて、オオゲン! それだけは……!」
サンミルが悲痛な声を上げて、最後の説得を試みる。
その想いをぶつけられて、オオゲンが悲しそうな表情を浮かべた。
「姫様……そんなに俺たちを助けたいんですか?」
「そうよ。わたしは今でも友達だと思ってる。だから……」
「もう無理です。無理なんですよ。姫様! なんせ、俺たちはもう尊空に仇なす革世者! 王国の逆賊になっちまってるんですからー!」
その時のオオゲンのつらそうな笑顔が、今までの何よりもサンミルとホホン、そしてサンソンを傷つける。もう彼の心には、魔導師の声しか届かない。
「さあ、出番だ! 来やがれ、川竜ー!」
オオゲンが力の限り叫び、川竜王角を頭上高く振り上げる。
次の瞬間、オオゲンの背後を流れる河から激しい水飛沫が昇った。
その中から、三つの巨大な姿が現れる。
河の中から出てきたのは、サンソンより何倍も長く大きな竜の首と頭。
晴天の光に照らされ、水に濡れるその頭部は、竜の頭そのもの。
頭の両側から角が生え、両眼は鷲のように鋭く、口先は狼のように伸びて周りを何十本の牙が鋭く煌めいていた。
そんな三頭の竜の頭が、サンソンたちを見下ろしてから青空を見上げる。
『『『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアー!!!』』』
開けた大口から轟いた凄まじい咆哮が、尊空の人々に伝える。
川竜が襲いに来たと。
サンミルとホホンは愕然となり、サンソンは堂々と受けて立つ。
「さあ、オオゲン様、ご存分に! サンミル様、サンソン様、たっぷりと御覧ください。これが『革世』です!!」
「やれ、川竜! 姫様以外をブッ殺せ!」
モオレエが狂喜し、手下たちがうかれ、オオゲンが王角を振り下ろす。
彼らの背後で、三頭の川竜が大きな足音を立てて港の埠頭に這い上がった。
「残念です、オオゲン殿……。本当に……」
すまない、モモミ。申し訳ありません、兄貴。
「潤河港の術士たち! 《魔弾》発射! 川竜を足止めしろ!」
覚悟を決して、サンソンは命じる。
「承知!」
「言われるまでもねえ!!」
返答した警備部隊の術士二人が、頭上の川竜の頭部に杖の先を振り向ける。
その先が光って、杖の先から弾丸が発射された。
《魔弾》の術。川竜たちの頭部に爆炎が叩き込む。
「うおおおー!?」
爆炎の凄まじさに、オオゲンたちが慌ててモオレエに庇われながら奥に逃れる。
二人の術士が《魔弾》を撃ち続け、三頭の川竜に爆炎を浴びせ続けた。
「ホホン、今の内に姫様を!」
サンソンは、次の指示を飛ばす。
「待って!」
「失礼します!」
サンミルが抵抗するも、ホホンは構わず彼女を抱き寄せて《飛翔》の術で舞い上がった。そのまま後方の城壁を目指して、空高く飛んで行く。
「全兵、川竜を迎え撃つぞ! すぐに陣形を整えろ!!」
警備部隊の中隊長が絶叫し、兵士たちが陣形を整えていく。
それに、サンミルの護衛たちが加わった。
サンソンは左右を見渡すと、埠頭の奥の方まで川竜たちが続々と這い上がって来る。オオゲンと仲間の川竜使いが、さらに川竜を呼び出したのだ。
全部で十二頭。それを反対側から出てきた警備部隊が迎え撃つ。
十人の術士と千人の兵士。サンドクが事前に備えさせておいた戦力だ。
「で、あなたはどうするおつもりですか?」
唯一人残ったクアルダに尋ねられ、サンソンは答えた。
「ここに残って戦う」
無表情なクアルダに呆れられる。
「クアルダは姉上を追って護衛を頼む。姉上は戦いを最後まで見届けるため城壁の上に残り、ホホンは責任を感じてここに戻ってくるだろうから。さっきは助けてくれてありがとう」
「あなた、本当に人が悪いですね……。わかりました。姫はお任せください。みなさん、ご武運を!」
クアルダは、城壁の方へと去って行った。
『『『ガアアアアー!!!』』』
爆炎は効かず、巨大な三頭の川竜が迫り来る。
三頭の眼が揃って、サンソンを見下ろしてきた。
オオゲンが殺意を籠めて、川竜たちを操っているのだ。
他の川竜たちは、警備部隊に任せる。父と練った策を授けてあった。
だが、この三頭は違う。神水教の先導者オオゲン自慢の最強の三頭だ。
その事をこの場にいる誰もが感じていて、兵の一部は震えていた。
彼らに任せては、全滅する。
「中隊長、術士たち! この場は、私が指揮する!」
「はあっ!?」
「なんと!」
「正気ですか!?」
サンソンの言葉に、中隊長がびっくりし、術士や兵士たちが反対の顔を向ける。
「大丈夫だ。我が父、天下の大軍師サンドクが授けてくれた策だ。あの三頭だろうと、必ず勝てる!」
父の名を叫んで最大限に利用する。
策を授けてくれたというのは虚飾だが、何としても彼らに従って欲しかった。
「ならば!」
「……頼みます!」
「誰か死んだら許さねえぞ、玉無小僧!」
父の名で、皆の気が一片に変わって従ってくれる。
彼らは、尊空の士。英雄である父の名はとても心強かった。
父の養子に不満は抱きつつも、皆が父を信じて団結する。
「さあ、来るぞ。絶対に皆で生きて帰ろう! 行くぞ!」
この場にいる者は、誰も死なせない。
王家としての務めを果たすために。サンソンは私情を押し殺す。
――できればこんな形で再会したくなかった。
最初に戦う川竜が――よりにもよって君か、ドラグー。