川竜襲来 一 〜港に行けば会える〜
潤河港でサンソンは、後からやってきた警備部隊に所属する百人の中隊と合流し、船荷の影に隠れながら神水教の船の監視を続けていた。
警備部隊は全体で千人。
敵に気付かれないよう、港の中に警備態勢を敷いて敵の船を包囲。
親衛隊本隊と合流後、神水教の船に突入。オオゲンたちを捕らえる作戦である。
事が上手く行かなかった時の作戦も、中隊の兵たちには伝えてある。
尊空に来るまでに、父サンドクと立てておいた策だ。
そんなことにはなって欲しくないが、あらゆる事態に備えなければならない。
「あのー、サンソン殿……。あれが本当に奴らの船なんですかね?」
監視を続けるサンソンに、部隊の中隊長が恐る恐る聞いてきた。
二十代半ばの将来有望な青年だ。
噂に聞く王家の養子と、どう接すればいいのか戸惑っている。
「信じられないのはわかります。ですが間違いありません」
「……そうですか」
そう答えても、中隊長は信じられないようだ。
無理もないだろう。サンソンは自分が信頼されていないことを自覚していた。
「見間違いなんじゃねえのか……」
「錨殿、王家の方に口が過ぎますぞ。我らはただ従うのみ」
そばにいた二人の術士が言葉を交わす。
先に言った方が錨の術士、もう一人が魚の術士と呼ばれていた。
二人とも仮面を被っていて、表側の片隅に呼び名と同じ絵柄が描かれている。
術士独自の文化に、サンソンは顔に出さなかったが微笑ましく思った。
後でいろいろと、聞いてみよう。
船の外には、レヴァンがいた。
埠頭の中をあちこち歩き回っているが、間違いなくこちらに気づいている。
しばらく泳がせることにした。
このまま何事もなければいいが、と思った時、西側から十人ぐらいの集団がやってきた。
その中の一人が誰かに気づいて、サンソンは驚愕させられる。
――なぜ、姉上がここに?
サンミルは、川竜を見たという少年から話を聞くために、ホホンの案内で潤河港の中を歩いていた。
身の安全のための対策は整えた。
正体を隠すため、サンミルたち皆が頭巾で顔を覆い、平民の服装を着ている。
十人の護衛たちは、武器を腰に帯び、外套の中に隠していた。
半刻ごとに、城の親衛隊と港の警備部隊に報告を送る手筈だ。
何かあれば、すぐに応援の部隊が送られてくることだろう。
ホホンは、術士の白い衣を着て、右の人差し指には指輪をはめている。
白い衣は『羽衣』と呼ばれ、指輪は『卯杖』と呼ばれていた。
二つとも、術士の秘宝であることをサンミルは知っている。
義父たちへの連絡はパヤンに任せて、黙って出発した。
帰還を命じる使いが来れば、すぐに帰るつもりだった。
「その噂、本当なんですかね?」
護衛のクアルダが隣から聞いてくる。
「それを確かめるために私が行くの」
サンミルは、強気に答えた。
親衛隊兵士であるクアルダは、二ヶ月前から護衛を務めていた。
長い髪を後ろに束ね、逞しい肉体をした青年だ。腰には複合弓が入った革袋に、何十本の矢が入った矢筒、鞘に収まった短剣を下げている。
「あなたのような世間知らずなお嬢さんを誘い出すための罠ですよ、きっと」
「そういう時のために、あなたがいるんでしょうが……」
ただ口と態度がひどかった。しかも無表情で無愛想である。無礼な言葉遣いに、ホホンは困惑し、後ろの護衛たちは不満そうだが、当のクアルダは知らぬ顔だ。
「例の調査がうまくいかず、時間もないからといって、焦っていませんか。姫?」
彼の指摘に、サンミルは足を止める。
「その通りよ。クアルダ。わたしは焦ってる……」
そして彼の方を振り返らず、言い返す。
「だけどそんな状況だからこそ、わたしは頑張らないといけないの!」
サンミルはまた歩き出し、護衛たちがついて行く。
「そうですか……」
クアルダは、もう何も言わなかった。
彼は、現在敵対している北の異民族出身のため、皆から厄介者とされている。
だが熟練の戦士であり、何でも正直に言ってくれるため、サンミルは彼のことを信頼していた。
「あっ。いました、姫様。あの人です」
ホホンが言って、サンミルは振り向いた。
少年が埠頭の縁に腰を下ろし、のんびりと河の流れを見ている。
名前は確かレヴァンと言ったか。
少年が気づいて、手を振ってくる。サンミルとホホンは歩み寄ろうとした。
「お待ちを……誰か来ます」
しかしクアルダの強い呼びかけに、サンミルは足を止められる。
クアルダが咄嗟に前に出たため、彼の背後に身を隠された。
ホホンと護衛たちは、武器の柄を握って身構える。
クアルダの背後から、サンミルはそっと前方を覗き見た。
レヴァンが、何やら荒っぽい一団と話をしている。
よく見れば、誰もが剣や刀を持ち込んでいた。
一団の先頭の若者は、刀が収まった立派な鞘を腰から帯びている。
その若者が誰なのか気づいて、サンミルは愕然となった。
「レヴァン、なにここでサボってんだ。見張りはどうした?」
「いやだなあ、オオゲン隊長! ちゃんと見張ってますよ~」
いきなりオオゲンがモオレエや手下たちを引き連れて現れて、レヴァンはビックリなしたが、全く動揺せずにとぼけて見せる。
オオゲンの名前を言ったが、星鳩くんと姫様たちは気づいてくれただろうか。
「あのう、オオゲン隊長こそ、どうしてここに……?」
「フッ、なあに。革世からのお告げがあってな……」
オオゲンが不気味に笑うと、手下たちを連れて姫様の方へと近づいていく。
――やばい。ぜったいにやばい……あっ、あれは……?
間違いない。あの若者はオオゲンだ。
サンミルは、慌てながらクアルダの背後に隠れた。
モモミの義理のお兄さん。ジン兄様とわたしの昔からの友達。
今や、神水教の反乱の先導者だ。
なぜ彼がここにいるの。クアルダの言う通り、罠だったのか。
もしかして、おじさまを狙って!?
冷静なクアルダの背中越しに、オオゲンたちの足音が近づいてくる。
彼の背に寄りかかり、目の上の頭巾を顔が隠れるよう手で引っ張った。
ホホンや護衛たちの緊張する様子が伝わってくる。
オオゲンの足音が、クアルダのすぐ前で止まった。
「何かご用ですか?」
クアルダが口を開く。
「姫様――」
オオゲンの声を、
「皆さん、初めまして! お久しぶりです、姉上!」
誰かの大声が遮った。
サンミルは驚きながら、皆と共に聞こえてきた右側を振り向く。
そこには、中性的な少年がいた。
余りにも見違えていて一瞬わからなかったが、サンミルはすぐに気づく。
「ソ、ソン……!?」
また姉上と呼べただけで、喜びがこみ上がる。
三年ぶりの再会だというのに、期待通りサンミルがすぐに気づいてくれて、サンソンは嬉しかった。
サンミルとオオゲンの思わぬ出現に、策を立て直し、危険なこの場に迷わず介入することにした。
意図した通り、サンミル一行、神水教の者たち、双方が驚愕する顔をサンソンに向けてくる。
「はい、サン王家のサンドクが養子、サンソンです。三年ぶりです、姉上!」
サンソンは満面の笑顔を浮かべ、大声で堂々と名乗り、皆に頭を下げた。
英雄と呼ばれる父の名を使い、公女であるサンミルに認知させることで、我こそが元宦官の王家の養子であることを認知させ、この場の主導権を握っていく。
「ソン……どうしてあなたがここに? おじさまは!?」
サンミルは護衛の背後から出てきて、頭巾を取って顔を晒した。
サンソンは、堂々と彼女と向かい合う。
「今朝、父サンドクと共に尊空に来たからですよ。予定を一日早めた理由は、ご覧のとおり……」
そう言って、オオゲンたちの方を振り向き、
「オオゲン殿とモオレエ殿、神水教の者たちがここで、父上の暗殺や姉上の拉致を狙っているからです!」
彼らに正体と目的がバレていることを知らしめ、さらに動揺させる。
サンミルの護衛たちには相手が誰なのかを伝えることで、自分たちがやるべきことをわからせ、冷静さを取り戻させた。
少しでも状況を好転させるため、情報を収集しようと一同の観察を続ける。
そもそもなぜサンミルはここにいるのか。
サンソンは、その答えを探る。
サンミルの側にいる、弓兵の青年と術士の少年。
この二人が、親衛隊のクアルダに、星鳩少年のホホンだろう。
ホホンが、サンミルをここまで連れてきた案内人だった。
彼は今朝、港で聞き取りをしていたこと、奴に嘘を突かれたことを思い出す。
――なるほどな。姉上がここにいるのは、お前の仕業か、レヴァン。
困惑しながらこちらを見ているレヴァンに、サンソンは激しい怒りを抱く。
「あなたが……サンソン様?」
次に、オオゲンの背後にいた魔導師が言ってきた。
「そうですよ、モオレエ殿」
さらに湧き上がる激情を抑えながら、サンソンは礼儀正しく言い返す。
サンミルは、彼が誰なのか知って愕然となった。
姉にとっては、実母と伯母の仇。
「今、おっしゃったことは、どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味です。我が父サンドクは、既に尊空に帰って来ています。あなたたちを止めるため、討伐軍の総大将になるために。また父の暗殺を狙ったあなたを捕らえるためにね」
「そうですか……。おのれ、サンドク」
モオレエが穏やかに笑いながら忌々しげに呟く。
総大将と聞いて、サンミルはとてもつらそうな顔を浮かべた。
父と姉が再会する時、サンソンは二人の仲を取り持つ気でいる。
「お前が……、サンソンだと!?」
今度はオオゲンが聞いてきた。
「そうです、オオゲン殿。元宦官という汚らわしき身分、全ての元凶サンドクの息子になった玉無小僧、それがこの私、サンソンです」
彼らが使っているであろう言葉で、サンソンは返した。
「あなたのことは、兄サンジンから聞いています。あなたの妹であるモモミからも……」
オオゲンが複雑な表情を見せた。やはりまだサンジンやサンミルに対する情が残っている。
「お前が言ったこと……出任せじゃねえよな?」
「はい。私がここにいることが何よりの証。父は今でも動いています。オオゲン殿、逃げるならば今の内ですよ」
そう言って、オオゲンを舌打ちさせ、神水教の者たちを怯ませる。
親衛隊が来るなど具体的なことはまだ言わない。脅しすぎて、恐れさせてもいけない。下手をしては、河の底に眠る者たちを目覚めさせてしまう。
「そうかい……。で、サンソン。お前はどうして俺たちの前にノコノコと現れたんだ? 俺たちをぶちのめして、姫様を守る気か?」
「まさか。私に姉上をお守りすることなどとてもできませんよ。私は貧弱ですから……。私がこうして出てきたのは、あなたにお願いしたいことがあるからです」
「お願い?」
「はい。父上は、あなたたち神水教との争いを望んでいません。できればあなた方との話し合いを望んでいます」
「なんだと!?」
「オオゲン殿、あなたの身の安全は保証します。あなたのお言葉は全て尊重します。ですから、どうか、ほんの少しの間だけでも……ここは刃は収めて、父サンドクと話してはいただけませんか? 私の兄とあなたの妹さんのために」
サンソンは、丁重に頭を下げた。
彼らに生き残る道へと導いて、この場を何としても穏便に終わらせるために。
これは、反乱を平和に終わらせるための千載一遇の好機でもあった。
成功する可能性が、万に一つしか無いとしても。