はじまりの朝 四 〜予感とお告げ〜
「尊空は腐っている! サン家は腐ってやがる! 世界は腐敗に満ちている!」
「そうとも!」
「その通りだ!」
神水教の船内でオオゲンが、熱狂する手下たちを前にして演説の真っ最中。
発言の度に川竜王角という杖を振り回し、己が力を大げさに誇示する。
レヴァンは、一番後ろに立って聞き流していた。
オオゲンのあの川竜王角こそ、川竜の大群を思うがままに操ることができる秘宝だ。今まで三本しか確認されていなかったという幻の秘宝を、あの魔導師がどこからか持ち出してオオゲンに送り届けたのである。
あの杖を一部を切り取ったのが、川竜幼角。
数は数頭に限られるが、同じように川竜を操れる。
以前の神水教は、川竜幼角をほんの数本だけ所持していたという。
だが魔導師が王角の方をもたらしたことで、幼角を持った何人もの川竜使いが生まれることになった。
オオゲンが自分の杖を切り取って、優秀な仲間に与えるのである。
レヴァンは、一回の手柄でオオゲンのご機嫌を取って、一本もらっていた。
「王家を誰が堕落させた? 王国を誰が腐らせた? こんなに世界に誰がした?」
「「サンドク! サンドク! サンドク!」」
「そうとも、それはサンドクだ!」
神水教の逆賊たちは、尊空とその地を治めるサン王家を憎んでいる。
特に英雄サンドクを、全ての元凶だと憎悪する。
だから明日、サンドクを暗殺するため尊空まで来た。
「その通りであります、オオゲン様、神水教の皆様、全ての元凶サンドクだけは絶対に滅ぼさなければなりません!」
その根拠なき憎しみを吹き込んだのが、魔導師モオレエだ。
「革世からお告げが来ました。奴が尊空に帰ってくる。奴を許すな、奴を滅ぼせと! そうです、ワタクシはずっと見てきました。奴が、人々と世界を腐らせていく様を! ああ、皆様、だからどうか願いします! 全ての腐敗の根源であるサンドクを滅ぼしてください! 革世のために!」
あの魔導師が、世の中で起きた悪いことは全てサンドクのせいだと吹き込む。
それには、何の根拠もない。しかし魔導師がくれた力の余りの凄さに、力を与えられた者たちは魅了され、信じてしまう。魔導師の革世という言葉を。
「おうとも、やってやるさ、モオレエ! サンドクはオレたちが滅ぼす! そうだろ、お前ら!」
「「そうとも! 革世! 革世! 革世!」
「ああ、すばらしい! 実にすばらしい! まさに革世は来たれり!!」
こうして彼らは力に溺れ、気が狂い、そして、成り果てる。
尊空の人たちが恐れ、悲しみ、憎むことになる、革世者に。
現にこいつらが、これからやろうとしていることは、暗殺、破壊、殺戮だ。
「「サンドクの玉無養子もぶっ殺せー!!」」
その養子ですけど、さっきまでオレたちのこと見てましたよ、とは言っていなかった――。
「それで、母ちゃんが、いつもうるさくてさ」
「わかる、わかるぞ。わしも君ぐらいの年頃はいつも母ちゃんや兄ちゃんに……」
「……まだ話してたんですね」
サンソンが戻ると、父サンドクと少年タンはすぐ近くの茶店に座って、お茶を飲みながらすっかり打ち解けていた。
「おお、戻ったか、ソン。ご苦労だった」
サンドクたちが仲良く振り返る。
「はい。すいません。父がご迷惑を」
サンソンは茶店の人たちに御礼を言った。
「いえいえ。私たちも楽しかったですから。ドクさん、面白くって」
売り子の少女や店主とも仲良くなったようだ。
「タンもありがとう。父の話し相手になってくれて」
「ソンさん いろいろ聞いたぜ、子煩悩なんだって?」
「あ、ああ、そうなんだ。私は子供が大好きでね……」
子供のタンに言われ、サンソンは変なことを聞いていないかと緊張した。
「父上、そろそろ……」
「そうだな……。すまない、タン。今日はそろそろお別れだ」
「そっか……わかった。オレも楽しかったぜ、ドクさん」
サンドクがそう言うと、タンや茶店の人たちが別れを惜しむ。
「さっき約束した通り、明日、御城に来てくれよ。城の中を案内してあげよう!」
「うん、絶対に行くよ! けどドクさんって、本当にそんなことできんの?」
「ふふふ。本当にわしにはできるのだよ。家族や友達をたくさん連れて来ていいからな。この秘密は、明日のお楽しみだ」
少年の目を輝かせる父親のとんでもない約束に、サンソンは呆れ返る。
この少年は、御城の中に入ることを夢見ていたらしい。
「それと、さっき頼んだとおり、わしの息子と友達になってくれるかい?」
「な、なにを勝手に……」
「いいよ。ソンさん、やっぱりいい人そうだし」
さらにそう言われて、サンソンは衝撃の余り立ち尽くす。
「おおー、ありがとう。もうお城に来てくれたら大歓迎しちゃうからな。良かったな、ソン。尊空で初めての友達だぞ!」
「ああ、もう全く……」
「ははは、照れてるな、こいつめ!」
からかう父に言い当てられ、タンもおかしそうに微笑まれた。
「わかった……。それじゃあ、タン。早速、友達として君に頼みたい。今日は潤河港に近づかないで欲しい」
「えっ……?」
「危険が迫っているんだ」
サンソンの警告に、タンが驚く。
二人の側で、サンドクは真剣な目つきになっていた。
「なんだよ、危険って?」
「仔細は言えない。けど約束する。私たちが何とかする。港も、都も、君のことも私たちが必ず守る」
サンソンは、できたばかりの友達に約束した。
「だから君は安全な所にいて欲しい」
「……わかったよ。今日は港には近づかない」
「ありがとう。タン、感謝する」
「うむ……。タン、君はいい子だな」
サンソンとサンドクは、少年に感謝した。
また同じ警告を茶店の人たちにもして、密かにお客たちに伝えるように頼んだ。
それから茶店の支払いを済ませて、外に出る。
「それじゃあな、タン。明日、お城でな!」
「城の中は私が案内してあげよう。隅から隅までな!」
「じゃあね、ドクさん、ソンさ~ん」
親子は、タンと別れた。
その後、道を歩きがらサンソンは父に話しかける。
「これは、今日中に城の中を隅から隅まで覚えなくてはいけなくなりましたね!」
「お、おい、ソン。城に行くのはお前も今日が初めてだろう?」
「何を言うのです、父上。今日中に全て覚えてしまえばいいだけのことではないですか!」
「そ、そうか……友達ができて大喜びしおって、こいつめ!」
新たな出会いに、親子は仲良く笑い合った。
「それで……いたんだな?」
そして一転して、サンドクが真剣になる。
「はい。潤河港で停泊中の船の中から神水教の船を発見しました」
父と同じ顔つきで、サンソンは答えた。
「船は、琉水県で建造された木造の大型帆船。商船に偽装していますが、船体に刃で受けた傷や黒い焦げ跡といった戦闘の痕跡がいくつもありました」
「敵の数は?」
「おそらく百人ほど。外にいた見張りは船乗りに扮していましたが、刀や剣を所持し、今にも暴れ出しそうな雰囲気でしたよ。川竜は港の広さから考えて、十二頭が河の底にいるでしょう」
「いざという時には川竜の背に乗って逃げる気だな……」
川竜には《加護》という力がある。
水中で近くにいる人間たちに、空気を送って呼吸を助けるのだ。
そのため神水教の者たちは、川竜の背に乗って水中を潜りながら移動することができる。
「それで……モオレエは?」
最後に、サンドクが重々しい口調で、宿敵についてたずねた。
「この目でしかと」
サンソンは冷静に答える。
「川竜王角を取り出した青年と仲良く談笑していました。その青年が……モモミの義兄、オオゲンです」
「そうか……。またお前の読み通りだな……」
さっきまで楽しそうに話していた父の表情が嘘のように暗くなり、十七年ぶりに帰ってきた故郷を必ず守るという固い決意を示す。英雄と呼ばれる軍師の眼だ。
「予定通り、まずは港の警備部隊に報告して警戒に当たってもらいましょう」
「ああ。それからすぐ紅玉宮に行って、兄ちゃんたちに親衛隊の出陣を頼むぞ!」
今日の紅玉宮では、討伐軍の軍議が開かれる。
そこに出席する親衛隊総隊長に来てもらえれば、大きな助けとなるだろう。
「それと、話しておきたいことがあります」
「どうした?」
「見られました。神水教の見張りの一人に」
「なに!?」
サンドクが驚く。
「まさか……わしたちのことがバレたのか?」
「いえ。見られた時に距離は離れていましたし、大丈夫だとは思うのですが……」
「ですが、なんだ?」
「万が一を考え、既に私たちのことが知られたと想定して動くべきかと」
父が信じられないような表情を浮かべた。
「父上はすぐに警備部隊へ。私は港に戻って彼らへの監視を続けます」
「……わかった。お前がそこまで言うのであればそうするとしよう」
サンソンの意見を、父はすぐに汲み取ってくれた。
「気をつけろよ。警備部隊と合流して連携するんだ。わしもすぐにサイシイたちを呼んでくるからな」
「はい。父上こそお気をつけて」
こうしてサンソンはまた港に向かい、サンドクは市街の中にある親衛隊の警備部隊の駐屯所へ向かう。
サンソンは、見られた時のことが頭から離れなかった。
一目見ただけで確信できた。あの見張りは、只者ではないと。
奴は、一体何者なのか。
心が、器が、才が、磨いてきた自分の眼を持ってしても計り知れない。
ただオオゲンの唇を読んで、名前だけはわかった。
奴の名は、レヴァンだ――。
懐にある川竜幼角を手に取って試しながら、レヴァンは考える。
あの養子を直に見て、大いに納得できた。
なぜあいつが、王家の養子になれたのか。
器がない者を養子になど、噂に聞くサンドクという人は絶対にしないだろう。
王家になる者は、とてつもない責任を背負うことになるのだから。
そうなると、これから、こうなって、ああなって、それから――と期待して笑みがこぼれた。
もしかしたら、あいつとは――友達になれるかもしれないね――。
「……姫様! 姫様!」
その声に、サンミルは現実に引き戻される。
「姫様! 聞こえていますか?」
「えっ、ホホン?」
サンミルの目の前に、自分より背の低いホホンとパヤンが立っていた。
「ホホン……。戻ったの?」
「はい、姫様。先ほど戻って、ここでお待ちしていました」
「姫姉様、顔色がすぐれませんよ。大丈夫ですか?」
ホホンは微笑んで、パヤンは心配そうな目で見つめている。
謁見の間に入るまではあんなにやる気だったはずが、サンドクが総大将になることを聞かされてから、立ったまま呆然としてしまっていたのだ。
それを、パヤンに心配させてしまった。
彼女の方が、ずっとひどい目に遭ったというのに。
サンミルは情けない自身を恥じて、心を入れ替える。
「二人ともごめんね。わたしなら大丈夫よ。ところで、ホホン。あなた、いつもより戻るのが早くない?」
「はい。潤河港で川竜を見たという船乗りと会えまして……」
「それ、本当!?」
サンミルは、ホホンの肩に飛びついた。
「はっ、はい。ですので、すぐにお知らせ……」
「今すぐ私を連れてって! その人のところに!」
「――オオゲン様!」
手下たちが去った船内で、いきなり叫び声が上がった。
「うん、どうしたモオレエ?」
「来ました! 革世からのお告げです!」