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序章 二 〜三年後〜

 まだ兄貴を探している旅の最中だった。昼の晴れた日、次の船が出るまでの間、川岸に座って釣りをしていた時のことだ。


 川の水面が、奥の方から激しく揺れ動く。


 サンソンの眼には、野生の川竜せんりゅうが現れる兆しに見えた。

 義父サンドクの眼にも、同じものが写ったはずだ。


「父上?」

「ああ、川竜だ」


 隣にいる父に確かめると、思った通りの答えが返ってくる。


 本当に川竜だとすると、見るのは後宮の時以来、三年ぶり。

 野生となると、初めてのことだった。

 王国から離れたこの地に出現するのは、極めて稀な事だろう。


 問題なのは、ここの川岸は憩いの場で、今は大勢の人たちで賑わっていたこと。

 何より川竜が這い上がりそうなところに、六人の幼い子供たちが仲良く遊んでいたことだ。


 このままだと巨大な川竜の姿を見て、川岸にいる人たちは大混乱に陥る。

 あそこにいる子供たちには危険が及ぶかもしれない。


「父上、川岸にいる人たちは任せます!」


 サンソンは釣り竿を置いて立ち上がり、子供たちのいる方へ駆け出した。

 

「わかった。子供たちは頼んだぞ!」


 後ろから義父からの頼もしい声が耳に届く。

 ここの人たちの安全を守るため、父とする会話は、それだけで十分だった。


 直後、予感通りのことが起こる。

 川の中から水飛沫が上がり、巨大な竜が飛び出してきた。


『オオオオオー!!』


 竜が晴天に向かって、凄まじい鳴き声を響かせる。


 間違いない。川竜だ。

 相変わらず、とてつもない大きさだ。もし怒らせたりなどしてしまえば、貧弱なサンソンなどたちまち食べられてしまう。


 巨大な竜が現れた目の前の光景に、幼い子供たちが驚愕し、泣き叫ぶ。

 背後からは、人々が大騒ぎする声や音が聞こえてきた。


「坊や!」

「みなさーん、落ち着いてください!」


 子供の母親が悲鳴を上げ、父サンドクが叫ぶ。

 万の軍を率いたことがある人だ。彼らに冷静な対応をさせることぐらい容易にできる。


「うわああああ!?」

「すげー、ドラゴンだ!」

「みんな、落ち着いて」


 父や兄のような人望は、自分にはない。

 そう思いつつ、サンソンは幼子たちを安心させてあげるため力強く呼びかける。

 自分にしてくれた兄貴のように。


 すると幼子たちが落ち着き、サンソンの方を振り向いてきてくれた。

 水の中から現れた川竜まで、首を大きく伸ばし、興味深そうに見下ろしてくる。


「みんな、落ち着いて。このドラゴンはおとなしいから。口の下にある逆鱗に触って怒らせたりなどしなければ、懐いてきてくれる生き物なんだよ」


 子供たちと川竜、サンソンはどちらに対しても嬉しく思いながら、これまで川竜について学んできたことを語り聞かせる。


『――アアアアアアア』


 その通り、川竜が穏やかに鳴いてきた。

 続いて、川岸にいる人たちの方を振り向く。

 やはり、ここにいる人たちに興味を持って、水の中から出てきたようだ。


「姉ちゃん、このドラゴンのこと知ってるの!?」

「ああ、よく知ってるよ。あと、私は男だからね」


 女性に間違わられることは、いつものことだ。幼い頃に宦官になると、細身で、丸みのある身体に成長してしまうのである。


「すげえや。もっと教えてくれよ、兄ちゃん!」

「いいよ。けどその前に、向こうに戻って、お母さんたちを安心させてあげないとね」


 サンソンは幼子たちを連れてゆっくりと戻り、待っていたお母さんやお父さんたちを喜ばせた。


「よくやった、ソン!」


 サンドクまで、大喜びしてくれる。


「見事な勇気と判断力だったぞ!」

「ありがとうございます。川竜について、モモミと父上が、たくさん教えてくれたおかげですよ」


 褒めてくれた父親に、サンソンは御礼を言った。


 父親となったこの人との旅を続けて、既に三年。

 ジンの兄貴をずっと探していたが、未だに見つけられていなかった。


 それから、人々が大混乱に陥る寸前だった川岸は、水の中に現れた川竜を和やかに見物する場へと変わっていく。

 サンソンは喜んで、川竜について子供たちに教えてあげる。


 そんな中、サンドクは、寂しそうな目をして川竜を見つめ続けていた。


 父の故郷である尊空そんくうの地には、川竜がたくさん生息している。

 きっと久しぶりに川竜を見て、故郷のことを思い出してしまったのだろう。


 そして、故郷にいる家族や友人たちのことが心配でたまらなくなったはずだ。


 十七年前、とてもつらいことが遭って、父親は尊空にずっと帰っていなかった。


「父上、言わせてください」


 サンソンは、川竜を見つめ続ける父親に話しかける。


「……なんだ?」

「一度、尊空に帰りませんか?」 

 

 父と兄の故郷である尊空では今、川竜にまつわる大事件が勃発していた。


「家族と友達が心配なのは、私も同じです。兄貴もきっと父上に……」

「……大丈夫だ」


 そして説得しようとするが、遮られてしまう。


「尊空には兄ちゃんがいる、サイシイがいる、みんないる! ミルやモモミのことは、みんなで力を合わせて、必ず守ってくれるさ!」

「……そうですか」

「ああ……。わしやみんなのことを心配してくれて、ありがとな、ソン……」


 サンドクが口を閉ざし、サンソンは何も言えなくなる。


 三年前に会った人たちは、今頃どうしているだろう。

 モモミは、姉上は、無事だろうか――。



 ――空が、暗かった。

 尊空の都から離れた場所に、激しい雨が降り注ぐ。


「……どうして?」


 サン王家の姫君サンミルは、川沿いの道端に膝を屈したまま呟いた。


 きれいなはずの顔は真っ青で、華麗な服まで泥だらけだ。

 馬車は転倒し、残骸が散乱して、人や馬たちが無残に倒れている。


『お久しぶりです、ミル姉さん。私、尊空の術士になりました』


 サンミルが思い出すのは、モモミの満面の笑顔。

 子供の頃からの友達が、術士就任の挨拶に来た時に見せてくれた。

 

 自分もとても嬉しかったから、モモミに思わず抱きついてしまった。

 ジン兄様にも、どんなにお知らせしたかったことか。


『ゴアアアアアアアアア!』


 轟いてくる咆哮が、サンミルの意識を嫌でも現実に引き戻す。


 すぐそこの川岸で、四頭の川竜が大暴れしていた。それを相手に、術士と兵士たちが必死に戦っている。王家の姫君であるサンミルを守るために。


 数分前、この川竜たちが、川の中から突然襲いかかってきたのである。


 こんなことをするのは、やはり神水教しんすいきょうなんだろうか。

 一ヶ月前に反乱を起こした、川竜を崇める農民たちの教団。

 彼女は、そこの巫女だった……。


「姫様! お早く!」

 前から、白い衣を着た少年が叫んだ。

「ホホンの言うとおりです! 早く逃げましょう、姫姉様!」

 後ろからは、赤い衣を着た少女が、サンミルの肩を激しく揺さぶってくる。


 サンミルの側近たち。

 サン家の若い者には、同世代の術士が側近につく仕来りだ。

 それ以上に、二人とも仲の良い友人たち。

 モモミにとっては、術士になるために一緒に修行した仲間たち。


 二人ともまだ若いのに、非常に優秀な術士だった。

 しかし二人が力を合わせたとしても、あの竜一頭すら止められないだろう。


 だから怖いはずなのに、自分のことを必死に守ろうとしてくれている。

 それが痛いほどわかっていても、サンミルは余りの衝撃で立つことができない。


「姫様、ご安心を! 川竜は僕が――!」


 少年が己を奮い立たせ、秘術を使って空高く飛んで行く。


 サンミルは、行ってほしくなかった。

 彼は、戦うことが大嫌いだというのに。


 そんな想いも儚く、空から少年が、一頭の川竜の頭上に近づく。

 それに反応した川竜が口を開けて、体内から大量の水を放った。


 川竜の神獣の力だ。

 彼が、撃ち落とされる。

 と思った瞬間、彼は空中で旋回し、飛来した川竜の水をよけた。


 少年は即座に反撃し、右手の『杖』を向ける。

 秘術を使って、川竜の頭に大きな爆発を引き起こした。


 続けて、右手の『杖』を、『剣』に変形させる。

 そして爆炎の中に飛び込んで、川竜の頭部に勢いよく斬撃を叩き込んだ。


『ガアアアアアアアー!』


 咆哮を轟かせ、爆炎を突き破り、川竜が物凄い勢いで噛みついてきた。


 サンミルは身の毛がよだつが、間一髪、少年は加速して逃れる。

 川竜の頭部は、爆発を受け、剣で斬られたというのに、全くの無傷だった。


 川竜がまた水を吐き、少年は空を駆けて再び攻めかかる。


 ――やめて、ホホン。その川竜を操っているのは……、


「立ってください、姫姉様! みんなの戦いを無駄にしないためにも!」

「……待って」


 サンミルは、ようやく声を絞り出せた。


「いい加減にしてください! 動けないなら力ずくにでも!」

「……ねえ、パヤン、あれを見て!」


 そして力の限り、少女の名を呼んで頼んだ。


「なんですか!?」

「川の向こう岸に、川竜使いがいる!」


 サンミルが指差すと、パヤンがそっちに目を向ける。


 暗くて、遠かったが、川の向こう岸に、誰かがいたから。

 術士の方が目が良い。だから、どうしてもパヤンに確認して欲しかった。


「……誰だかわかる?」


 向こう岸にいたのは、少女だった。


 敵の川竜使い。

 短い杖を荒々しく振るって、あそこから川竜たちを操っている。


「……もしかして、あの子じゃない?」


 どうか自分の見間違いであって欲しい。


 しかし、パヤンの表情が驚きと悲しい暗いものに染まっていく。


 サンミルは、絶望的な気分に陥った。

 

 やはり見間違いではなかった。


 あそこにいるのは、モモミだ。

 川竜を操って、自分たちを襲わせているのは、大事な友達だった。


 川竜が大好きな女の子。

 故郷にいる川竜たちを護るために術士になった少女。

 川竜を戦いで使うことなど、あれだけ嫌っていたはずなのに。


 挨拶に来た時のあの笑顔は、今でも忘れられない。

 それなのに今の彼女の表情は、あまりにもおぞましい怒りに満ちていた。


 サンミルは目を離せず、今すぐ向こう岸に行って、聞きたくてたまらない。

 モモミ、どうして……?


 その時、後ろから大きな足音が聞こえ、気づく。


 後ろに、もう一頭、川竜がいた。


「姫姉様!!」


 激震と共に、パヤンの悲鳴が聞こえ――、



「サンドク様!」

 

 父の名が呼ばれて、サンソンは後ろを振り返る。

 川岸で、まだ川竜を見物しているところだった。


 背後にいたのは、老人と三人の従者たちだ。


 老人は嬉しそうに微笑み、三人の従者たちは粛々と頭を下げている。

 彼らの顔や服の汚れ具合から、ここまで急ぎの旅だったことがわかった。


「ロオハクか……?」

 サンドクが老人に問いかける。

「はい。私です。お久しぶりです、ドク様!」

 ロオハクと呼ばれた老人が再会を喜ぶ。


 その名を聞いて、サンソンは思い出す。

 ロオハク。サンドクの兄の側近を務めている人だ。


 サンドクの兄は、サン王家の現当主。尊空の地を治めている領主である。


 その側近のロオハクが尊空の地ではなく、遠く離れたここにいるということは……数日前に、尊空で何かが起こったということだ。


「……ロオハク、一体何があった!?」

 

 サンソンと同じことに気づいて、サンドクが問い詰める。


「ロオハク!?」

「ドク様…………姫様が、姫様が!」

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