36 怒り
真夏の陽射しが照りつける正午。
闘技場の観客席は、学院に残っている生徒で半分ほどが埋まっている。
中心で向かい合うロッタとラハド。
二人の間には立会人として、エルダの姿。
そして観客席の最前列、星斗会の三人が座り、戦いの始まりを待っている。
「ありちゃん、体調は大丈夫?」
「ええ、睡眠も食事も十分にとったから。右腕はまだあまり動かないし、激しい運動も控えなければ、だけれど」
大量の出血と、腕を切断された精神的な負担。
そして、星斗会第三席にまで地位を落としたショック。
タリスが見る限り、その影響はないように見える。
(でもありちゃんは強がりさん。ホントのところはどうだろう)
心配そうな表情のタリス。
その隣に座るウィンは、闘場に立つラハドの姿をじっと見つめている。
アリサとロッタの決闘の時、彼から感じた殺気。
あの敵意はアリサだけではなく、ロッタにも向いていた。
「……気をつけろよ、ロッタ。あのカタナも、得体が知れねえ」
「そのとーっりですな!! ですがロッタさんなら必ず勝ってくれますぞ!!!」
「……なるほど、あのカタナが。となると、秘宝とはやはり……」
「うぉっ! あ、相変わらずだな、先生たち……」
隣で聞こえた甲高い声と、そのさらに向こうでボソボソと呟く低い声。
ピエールとジュリアス、非常に個性的な二人の男性教諭に、ウィンの緊迫した気分はどこかへすっ飛んでいった。
「まさかこんなに早く、星斗会長戦が来るとは。マドリアード、中々大変だな」
「あたしは全然大変じゃないですよ、エルダ先生。……アリサに比べれば」
ラハドに対する怒りを、ロッタは隠そうともせず真正面からぶつける。
「まだ怒っているのか。あれは事故、そして彼女の右腕は元通り。キミが怒る理由が分からない」
「分からないなら分からないでいいよ」
「……先生、早く始めましょう」
二人の間に漂う険悪な空気。
エルダは苦言を飲み込み、立会人としての役目に徹することにした。
「では二人とも、己の誇りと——」
「前置きは無用です、全部分かっていますから」
「マドリアード、お前なぁ……。いちおう、形式ってものがあるんだから。まあいい」
一歩下がり、右手を高く掲げる。
ロッタとラハドは、すでに臨戦態勢。
「始めっ!!」
合図の右腕が振り下ろされた。
しかし、二人はお互いに一歩も動かない。
「……先輩、来ないの?」
「僕の必勝の型は後の先。先に仕掛けてくるといい」
「そっか。それじゃあお言葉に甘えて……」
動かないつもりなら、最初から最強の魔法を当ててやる。
即死さえしなければ、回復魔法で治療できるのだから。
アリサの腕を思えば、全身大やけどくらい大した怪我じゃない。
「大気に満ち満ちる炎の精霊たちよ、我が声に耳を傾けたまえ——」
最も得意とする大火送葬の詠唱を開始。
極度の集中力の中、魔力を練り上げていく。
「我が欲せしは業火の鉄槌、燃やし、焦がし、焼きつ——っ!?」
ぞくりと、全身を貫く殺気。
すぐに詠唱を中断し、側面に飛び退く。
刹那、彼女のいた場所を、全身を発光させたラハドのイアイが薙ぎ払った。
「驚いた。隙をついたのに、まさか避けるなんて」
「あんた、さっきのは嘘……!」
「バカ正直に信じるキミが悪い」
「この……っ!」
着地と同時に銃を引き抜き、ファイアボールを発射。
カタナを振り抜いたラハドへと、火球がまっすぐに飛んでいく。
「この程度で、僕の防御を破れるとでも?」
彼の前面に水の壁が展開。
ファイアボールは、ジュッ、という音を残して一瞬で消火された。
「……ファウント・ガードナー。エクサの金貨65枚との交換。水の魔力を宿した、防御能力に優れるカタナ」
「おや? 交換枚数まで知っているとは、少々驚いたよ」
「昨日の夜、呼び出して確認したから」
「なるほどね。つまりキミの手元には、メダルがまだ残っているのか。一体何枚手に入れたのやら。……本当に鬱陶しいよ、運だけで強者を気取るキミたちが……!」
ラハドは頭をボリボリと掻きむしりながら、憎悪を露わにしてロッタを睨みつけた。
「キミたちって、それ、あたしとアリサのこと?」
「あぁ、その通りさ。僕がどれだけ努力しても手に入れられない力、越えられない壁。それをキミたちは運だけで、運よく手に入れたモノの力だけであっさりと越えていく。メダルの装備がなければ何もできないくせに、借り物の力のくせに、僕の上を行って偉そうにしている! それが我慢ならないっ!! そんなヤツが二人も同じ空間にいると思うだけで気が狂いそうになるっ!!!」
「……それが、あたしたちを嫌う理由なの?」
「そうさ! キミたちの決闘、メダル装備同士の激突、じつに虫酸が走ったよ!! いっそのこと、殺してやりたくなるほどにね!!」
唾を吐き散らしながら、感情のままに叫ぶ。
ラハドの言葉は、闘技場の歓声に掻き消されてロッタの耳にしか届いていない。
「だから僕は、なんとしても力が欲しかった! あの島でエクサのメダルを百二十枚も見つけた時は、本当に心が躍ったよ。これで目障りな二人を叩き潰せると。強力な装備を持っただけで強くなったつもりでいる奴らに、思い知らせてやれるとね!!」
「……で? それで終わり?」
「何……?」
ロッタの冷たい視線が、ラハドを射抜いた。
これ以上ない軽蔑、侮蔑、失望、そして怒り。
様々な感情を込めた視線が、彼に突き刺さる。
「確かにさ、あたしはその通りだよ。運だけで星斗会長になったって言われても、仕方ないと思う。実際、メダル装備が無ければダルトンにすら勝てるか怪しいし」
自分への侮辱なら、なんとか耐えられる。
だが、彼女への、アリサへの侮辱は絶対に許せない。
こらえようのない怒りが、ロッタの中から湧き上がる。
「けど、アリサへの侮辱は取り消して。あの娘は装備の性能なんかに頼ってない!!」
「何を言うかと思えば。去年星斗会長だった僕は、まだ一年生の彼女に追い落とされたんだぞ! あの剣のせいじゃなければ、なんだっていうんだ!!」
「アリサは! 子供の頃からずっと、剣を振るってきた、すごく頑張ってた! それはあたしが一番よく知ってる! ……それに、アリサの剣はただ形を変えるだけ。戦闘能力を大幅に上げるタイプの武器じゃない」
「黙れ……」
「自分の実力不足を棚に上げて、人のせいにして。あんた、本当にかっこ悪いよ!」
「黙れぇぇぇッ!!」
怒りの叫びを上げ、全身に光をまとって繰り出す、最速のイアイ。
誰も目で追えないはずの一撃を、ロッタは完全に見切っていた。
しかし、避けようとしない。
右の二の腕を狙った斬撃に対し、防御に移ろうとすらせず、ただ立ち尽くしている。
(もらった……!)
ガギィィィィ……っ!!
「……なに……っ!?」
右腕を切断するはずの刃が、彼女に届かない。
見えない何かに、攻撃を遮られている。
「ねえ先輩。さっき、島で百二十枚のメダルを見つけたって言ったよね。その程度であたしと同じ土俵に上がったつもり? 笑っちゃうよ」
「その……、程度、だと……? キミは一体、何枚のメダルを……!」
「さあ? 正確な数は知らないけど、ざっと五千万枚かな」