34 二振りの刃
まだ空が青い午後四時、ラハドが待つ闘技場に、ロッタとアリサはやってきた。
彼女たち三人以外には誰もいない、静まり返った闘技場の中心に、彼は腕を組んで佇んでいる。
「やあ、待っていたよ、副会長。もっとも、キミが副会長でいられるのも、あと少しの間だけか」
「ずいぶんと大きな口を叩くのね。先輩らしくもない」
彼の前に進み出たアリサ。
その腰には、自由自在に形と大きさを変える愛剣、フラガラック。
対するラハドは、左右の腰に一振りずつカタナを下げている。
「あまり調子に乗ると、負けた時に恥をかくわよ」
「その心配、僕よりも自分自身にしてあげるといい」
睨みあい、火花を散らす、今にも斬り合いが始まりそうな二人の間に、ロッタは駆け込んだ。
「待って待って、ケンカするわけじゃないんだからさ。正々堂々、誇りと信念を持って戦おうよ、ね!」
「そうね。ロッタ、そのまま決闘の合図をお願い」
「……もう、血の気が多いんだから」
アリサとラハドは、五メートルの距離を開けて向かい合う。
一歩下がったロッタが右手を高く上げ、決闘のルールを確認。
「え、と。この戦いに勝った方が副会長、負けた場合は一段階降格となります。急所への攻撃、故意に命を奪う行為は禁止。あたしが危ないと思ったら、すぐに決闘は中止です。それでは二人とも、死力を尽くして戦うように」
これは公正な決闘であり、殺し合いではない。
戦いによって勝者と敗者を分ける儀式であり、必要以上の相手への攻撃は禁じられている。
「それでは——始め!」
ロッタが右手を振り下した瞬間、アリサは姿勢を低く沈め、腰の剣を抜き放ちながらラハドの目前へ。
以前の決闘では追えなかった彼女の動きが、今のロッタにははっきりと見える。
(まずは先制——)
剣を細身の形に変え、速度を限界まで高めて振り下ろす。
「遅いね」
ラハドはニヤリと笑い、左の腰に下げたカタナを抜刀。
抜き放つ勢いのまま相手を斬り伏せる、後の先を取る東方の剣技、イアイ。
その速度は、ロッタですら残像を捉えるのがやっとだった。
ガギィッ……!
ギリギリのタイミングで反応したアリサ。
何とか攻撃を受け止め、頬をひとすじの汗が流れ落ちる。
「……驚いたわ。ここまで速くなってるとは思わなかった」
「甘くみられたものだね。勝算も無しに勝負を挑むとでもおもったのかな?」
ラハドは鍔迫り合いを嫌い、素早く間合いを離す。
カタナの刃はどの刃物よりも切断力に長けるが、非常にデリケート。
激しい打ち合いには不向きだ。
「力量を見誤ったことは謝るわ。でもその程度の速さなら——」
神速のイアイを出すためには、一度カタナを鞘に納める必要がある。
そんな予備動作をとる時間は与えない。
フラガラックを細身の片手用曲刀に変化させ、果敢に攻め込んでいく。
薙ぎ、斬りつけ、払い、休む間もなく連続攻撃を浴びせかけ、納刀を許さない。
「そんなに僕の剣が怖いのか?」
「ええ怖いわね」
「正直なことだ、さすが元星斗会長。そしてもうすぐ、元副会長になる」
「……あなたをうっかり殺してしまわないか、それも怖くなってきたわ」
「おっと、怖い怖い」
顔面を狙った突きを繰り出すアリサ。
体をそらして回避したラハドの体勢が、わずかに崩れた。
その一瞬の隙をついて、右側面に回り込む。
(今度こそ——)
分厚い棒状に変化させた剣を、両手で握って胴体目がけて振りかぶる。
この一撃でラハドの体を場外までふっ飛ばし、それで終わりだ。
「……甘いよ」
パシャァッ!
水が弾ける音と共に、アリサの攻撃が止められた。
その反動で、彼女は大きくあとずさる。
「これは、水の盾……?」
「正解だ」
余裕の笑みを崩さず、右の腰にさしたカタナを抜き、左手に握る。
その刀身は水色。
水の魔力が宿った武器だとロッタは見抜き、アリサも同じ予想を立てる。
「このカタナの銘は『ファウント・ガードナー』。守りに特化した水のカタナ。僕があの島で手に入れたお宝と交換したものさ」
「……交換、ね。やっぱり、あの島で手に入れていたのね、エクサの金貨を」
「またも正解。さすが武術科首席、全部お見通し——と言いたいところだけど」
左手に水のカタナを握り、これまで両手で持っていたカタナを右手に。
右のカタナはここまで特殊な力を見せていないため、アリサはただのカタナだと判断していた。
しかし、その判断は誤りだと、すぐに気付かされる。
「じつは、こっちもなんだ」
右手に握ったカタナが、まばゆい光を放った。
その光はカタナから右腕を伝い、ラハドの全身を包み込む。
「こちらの銘は『イノセント・レイ』。効果は、身をもって実感してくれ」
そう言い放った瞬間、ラハドの姿が消えた。
消えた、ように見えた。
あまりの速度に、アリサはラハドの姿を完全に見失ってしまった。
一方、少し離れた場所で決闘を見守るロッタは、彼の動きを目で追えている。
彼はアリサの右側面に回り込み、光のカタナを振り抜いた。
初撃のイアイを軽く越えた速度で。
さらに、その攻撃は峰打ちではなく、刃を立てた斬撃。
「そ——」
そこまで、と言う時間すら、残されていなかった。
止めに入るには、距離があり過ぎた。
そして、刃がアリサの腕に触れた瞬間、ロッタは確かに見た。
彼が、口元を歪めて笑ったのを。
スパァッ。
アリサの腕が宙を舞う。
フラガラックを握ったままの右腕が。
「そこまでッ!!」
悲鳴に近い声色で、ロッタが叫んだ。
とさり、土の上に落ちた右腕の、軽い音。
そこからワンテンポ遅れて、アリサは何が起きたのかを理解する。
同時に、切断された腕から激痛が走り、大量の血が噴き出した。
「っあ、あ゛あ゛あ゛ぁああぁぁあぁああァッ!!」
切断面を左手で抑え、絶叫と共に膝をつく。
「アリサ! アリサぁぁっ!!!」
「あ゛ぅぅぅ……ッ、ぐぅ……、うぅ……ッ!!」
駆け寄り、倒れ込んだ体を抱き起こすロッタ。
彼女の腕の中で、アリサは激痛に脂汗をにじませ、吐き気すら込み上げる。
「アリサ、しっかりして! ラハド先輩、なんてことを……、あんた、わざと……っ!」
「……おや? 僕がわざと、彼女の腕を斬ったとでも?」
腰の鞘に二振りのカタナを納めたラハドは、心外だと言わんばかりの態度をとった。
「ついうっかり、刃を立ててしまったんだ。峰打ちで武器を弾き落とそうとしたのだけれど、ね。そう、これは不運な事故さ」