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さんじゅう

 その人の家は意外に直ぐ近くにあって、しかも結構な大きさにビックリした。玄関扉には、あの有名な警備会社のステッカーが貼ってある。


「どうぞ、そこ座って。」


 言いながら通されたリビングには、品の良いソファーセットが置かれている。ここまでついてきておいてとは思うものの、流石に躊躇っていると、その人が―――玄関の表札によると清水さんが、アイスコーヒーを淹れたグラスを片手に入ってきた。

 ローテーブルにグラスを置くその顔は苦笑している。


「気にせず座って。母に話してくるから。」


 この場合、私もご挨拶するべきだよね?

 一応、助けてもらったし…そう思って、ついて行こうとした私を、清水さんが手で制した。


「部屋に居るんだ。ちょっと、その、鬱気味でね。」

「えっ!!」

「大したことないから大丈夫だよ。それより、お母さんに電話した方がいいんじゃない?」


 う、そうだった…


 部屋を出て行く清水さんを見送って、スカートのポケットから再びスマートフォンを取り出してスリープを解除する。

 メッセージだけじゃ無くて、電話もあったみたいだ。


 うう、これはかなりのお怒りモードに違いない。

 正直、電話かけるのはかなり勇気がいるかも。

 でも、清水さんのご好意をムダにしてもいけないし…


 しばらく画面とにらめっこしてから、諦めて通話をタップした。お母さんの大好きなJ-POPの曲がワンフレーズも流れないうちに通話が繋がる。


『……』


 あれ?間違えた…訳ないよね?


「も、もしもし…?」

『…何か言うこと無いの?』

「ゴッ、ゴメンナサイ…」


 地を這うような低音ボイスに心の中で土下座した。

 次いで、はーっと長いため息が電話の向こうで響く。


「で、今、何処?」

「え、えーと、“外苑”…の近く?」

「は?外苑?!アンタがよく寄り道してたっていう?」

「あ、今はもうそこから離れて、近くのお宅にお邪魔させてもらって…「はぁ?!」」


 盛大な呆れ声に、見えてないのは分かってるけど肩が竦む。だよね、うん。私も何やってんだかとは思ってる。


「ちょっとその、色々あってね、ヘンなのに絡まれちゃったって言うか…」

「ええ?!また?!」


 さっきまでのお怒りモードから少し声のトーンが変わった。

 そう言えば、一昨日線路に落ちた件で、駅で会ったあの茶髪男の話もしたんだっけ。実際自分でも、何でこんな次から次へと?と思わなくもない。

 ただ、お母さんは大地の事を知っているから、名前を出すのはマズいかもしれない。少なくとも、あの茶髪男とは違うし?


「ちょっと、大丈夫なの?」

「あ、うん。今はね。ここに避難させてもらってるから。それでね、ゴメンなんだけど、お母さん、ここまで迎えに来てもらえないかな?」

「そりゃいいけど、何処にいるの?」


 そこまで話した所で、清水さんがリビングに戻ってきた。

 さっき置いたのとは別に、もう一つ、コーヒーのグラスを持っている。


「あの、スミマセン。ここの住所は…」

「ん?ああ、えっと…外苑七丁目、だよ。25-8」

「ありがとうございます。」


 お辞儀して清水さんから視線を逸らし、電話に戻る。住所を伝えると、「絶対そこから離れないのよ?!」と言い残して、お母さんが電話を切った。

 ふう…と息をつく。

 駅から外苑までなら歩いて10分位だ。住所さえ分かればナビで来れるよね。ホント、今は便利だわ。


「お母さん、来れるって?」

「あ、はい。ありがとうございます。」


 そう言うと、向かいに座った清水さんが、良かったねと言いながら頷いて、手にしたグラスのコーヒーを飲んだ。

 自分の前に置かれたままのコーヒーを見て、ちょっと躊躇っていると、清水さんが気付いて立ち上がる。


「あ、ゴメンね、ちょっと待って。」


 リビングを出た清水さんが、恐らくキッチンが有るだろう暖簾の向こうに消えると、そこから牛乳パックを持って出てきた。


「ゴメン、砂糖は無くって…」

「あ、いえ、あの…」


 大丈夫です…と言う間もなく、牛乳がドバドバと注がれる。

 初めてのおうちで、コーヒーまでご馳走になるのもどうだろうかと思ってたんだけど、ここまでされたら断るのも悪いよね…?

 仕方なく手に取って、頂きますと言ってから飲んだ。

 ウチで常備しているコーヒーより苦い?かな。

 まあ、ここはウチより全然お金持ちっぽいし、良いところのコーヒーなのかも…と思いながら半分まで飲む。

 正直、さっき走ったせいでちょっと喉が渇いてたのだ。

 清水さんて、男の人なのに気が利くってスゴイ。

 私だったら、多分、何も出してない。

 心の中で苦笑していると、清水さんが自分のコーヒーを置いて、ふう、と息をついた。


「それにしても、大変だったね。さっきのヤツも、掲示板見たヤツ?」

「えっ?あ、いえ、あの人は、小学校の同級生、なんです。」

「えっ、そうなの?」

「はぁ…、まあでも、そうですね、掲示板見たって言ってたから、アレのせいっちゃあ、せいなのかな…」


 あの掲示板には学校名とか、あと、私が外苑を歩いていた事も書いてあった。だから、“彼”の事が無くても、いずれは来ていたかもしれない…


 ボンヤリとそう考えながら、無意識にもう一口、コーヒーを飲んだ。

 ゴクン、と飲んだ、その後。

 ザリ…としたモノが舌の上に残って、その感触と苦みにギョッとした。

 なんだろう、これ。


「そっか…同級生か…」


 清水さんの声に、ハッとして顔を上げると、清水さんがコーヒーをテーブルに置いて、こっちをじーっと見ていた。

 その視線に、少し異様なモノを感じて、肌がざわつく。

 次の瞬間、お腹の辺りから、何だか熱のような熱いモノが広がって、頰が火照った。

 あれ、これ、何?

 思わず瞬くと、清水さんが微笑んだ。


「ゴメンね、俺のせいで。でも、お陰でこうして手に入れる事が出来たけど。」

「え…?」


 意味が分からず呆然となる私の前で、清水さんが再び立ち上がって暖簾を潜る。


「ずっと、君のために取って置いたんだよ。」


 戻ってきた清水さんが、そう言ってローテーブルの上に置いたもの。





 それは、5月末で販売終了したはずの。


 期間限定、『黒蜜きなこのわらび餅』―――だった。

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