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勇者様が帰らない  作者: 南木
第1.5部:過去という名の重し
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黒騎士と聖女

 あり得ないはずの客が来たはずなのに、エノーはまるで待ち焦がれていたように、ロザリンデをリビングに招いた。


「失礼します」

「やあ、どうぞお入り」

「ふふふ、どうもありがとうございます♪」


 本来この時間、ロザリンデは神殿の一番奥の部屋で、一人で瞑想しているはずである。だが、エノーの目の前にいるのは紛れもない本物の聖女だ。

 その表情は仕事をしているときとは打って変わってとても柔和で、とてもリラックスしているように見える。


「いまお茶を淹れてきますね」

「ああ、いつも悪いな」

「いいのですよ、私が好きでやっていることですから。それに、台所のことはエノーさんより私の方がよく知っていますから」


 そう言ってロザリンデは、一旦リビングを通り過ぎて、調理場に向かう。

 お湯はまだ夕食の使いかけが残っているが、ロザリンデは水瓶からケトルに水を足し、それを術で一気に沸騰させた。


 仕事中の時とは打って変わって、まるで同棲中の彼女のようにふるまうロザリンデ。そして、彼女の来訪をあらかじめ知っていたかのようなエノー。二人が夜に密会していると知ったら、王国の歴史に残るようなスキャンダルに発展してしまうだろう。

 しかも、雰囲気を見ればわかるように、二人が密会したのは今夜が初めてのことではない。

 エノーが「この後の仕事は」と問いかけて「長めのお祈りをする」と答えれば、それはロザリンデが夜中エノーの家を訪問するという合図。これに加えて、エノーから来てほしい時のサインも決めてある徹底ぶりである。

 昼間の間は徹底して事務的な対応に接しているのも、怪しまれないための布石だ。


「さ、お茶が入りましたよ」


 ロザリンデが出したのは、それほど高級ではないが香りが深く、ホッとする味わいが特徴のお茶だった。貴族社会では、茶を淹れるのは専ら使用人の仕事であり、聖女自らが雑事をするのは本来であれば言語道断である。だが彼女は、エノーに頼まれるでもなく、自分から嬉々としてやっているのである。


「ありがとう。……うん、うまいっ! やっぱり君のお茶が一番だな!」

「それは「聖女様」が淹れたお茶だからですか?」

「分かってるくせに。肩書で茶を淹れるのが上手くなるなら、俺だって上手くなるはずだろ?

 たとえ「勇者様」だって、この味は越えられないだろうな」

「ふふっ、このお茶の味を出せるのも、エノー相手だからこそなのかもしれませんね」


 自分の淹れたお茶を飲んでもらえ、しかも「一番おいしい」と言ってもらえる――――それだけでロザリンデの心が温かくなった。


(あの人も、こんな気持ちでいたのでしょうか)


 かつてロザリンデは、他人のために雑事をすることが「幸せ」などという気持ちが全く理解できなかった。

 雑事をする使用人を見下すことはないにせよ、彼らの仕事をわざわざ自分でやる必要が、どこにあるのだろうか。雑事をすることが幸せだというのは、単純に「仕事ができて幸せ」程度にしか思っていなかった。

 だが、今なら…………雑事をすることが「幸せ」だと言っていたある人物の気持ちがよくわかるし、その人物が何に価値を見出していたかを勘違いしていたこともわかる。


「なんだかうれしそうだな。仕事中のロザリンデとは、表情が大違いだ」

「ここはある意味自室より落ち着きますから……自分の時間がないのが当たり前だった私には、この家が居心地がいいのです」

「そうかそうか。じゃあ俺が新しい家を買ったら、この家を君にあげよう」

「まあ、意地悪ですね。それでは意味がないではありませんか」


 二人は軽口を言い合いながら、ロザリンデが淹れた茶を啜る。

こんな光景を他の人々が見たら何を思うだろうか。彼らの仲を温かく見守るだろうか。いや、それはないだろう。成り上がり貴族のエノーと神に身を捧げた聖女が仲良くすることは、内心面白くないはずだ。

 彼らが仕事の上だけでも共にできるのですら、様々な妥協の産物でしかないのだから。


「…………リーズさんは行方が分からないようですね」

「グラントさんが秘密裏に各地へ送っているようだが、何も手掛かりがつかめないそうだ。俺も心配だが、あいつほどの強さがあれば、事件に巻き込まれたとかは考えにくい」


 さて――――今二人の関心ごとは、専ら数日前から行方が分からなくなっている勇者リーズについてだった。

 半年とちょっと前に、王国外のかつての仲間を訪ねて回る旅に出たリーズだったが、

予定よりも早くすべての仲間のところを回り終わり、後は帰ってくるだけという時に突然定時連絡が途切れてしまった。おまけに、所持していた位置特定の術が掛かったアイテムはことごとく破棄されていたので、どこでいなくなったかも全く分からない状態である。

 王国は、責任者であるグラントが部下を派遣しているものの、勇者がいなくなったことを他国に知られるわけにはいかないので、秘密裏に活動せねばならず、捜索は全く進展していない。


「そろそろ私たちが捜索に出るべきでしょうか」

「そうしたいのはやまやまだが、俺たちが動くとなるといろいろ面倒そうだからなぁ。貴族どもは騒ぐだろうし、国民も不安になるだろうし、なによりほかの国々がどう動くかがわからん」

「こういう時に、自分の無力さが嫌になりますね」

「全くだ」


 二人は同時にため息をついた。

 エノーもロザリンデも……勇者リーズと同じく、もはや自分たちの行動すらも自分たちのものではなくなりつつある。ましてやリーズは…………おそらく彼ら以上に、プライベートが全くないはずだ。

 リーズはそんな生活に耐えられずに出奔してしまったのだろうが、なんだかんだ言って彼女は責任感が強いので、よっぽど何かない限りは、いずれ覚悟を決めて王国に戻ってくるだろう。

 そう……何事もなければ。


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