10日目 釣魚
「あっ! ミルカさん、釣り針がっ!」
「ええ……かかりましたわ! ですが……もうしばし」
ミルカは、すぐには糸を引かない。小刻みに浮きが動くのをじっと見つめ、その数秒後に大きく沈み込んだ瞬間、釣竿を力強く引き、糸を巻き上げた。
糸の先には見事に――――体長40センチを超える銀色の魚が引っ掛かっていた。
「わあっ! すごい、あっという間っ! ミルカさんかっこいいっ!」
「勇者様に褒められるなんて、光栄ですわ。ですがこの程度の雑魚では満足しませんわ」
「これが雑魚とは……ミルカさんは相変わらずすさまじい」
ミルカが釣り上げたのはレインボートラウト。このあたりではそう珍しくない魚である。
すると直後に、今度はリーズの浮きが小刻みに揺れ始めた。
「おっと、リーズも引いてるっ!」
「慌てないでリーズさん。魚はまだ警戒してエサをつついているだけですわ。もっと引き付けて……」
「これはなかなか大きんじゃないか? なんとしても釣り上げたいね」
「うん、シェラもいっしょに釣竿持って」
「よしきた」
手ごたえが大きく緊張するリーズの手の下あたりを、アーシェラが横から抱えるように握る。
ミルカも、リーズの脇にかがんで、確実に釣り上げるようゆっくりとアドバイスをした。
「今ですわ!」
「そ、それっ!」
「これはっ……」
リーズがタイミングを計って釣り糸を引き上げると、体長1メートル近い大きな黒色の魚がかかっていた。魚は釣り上げられまいと力強く暴れ、釣竿が容赦なく引っ張られる。
初めてにして大物を釣ってしまったリーズは若干苦戦したが、ミルカの的確な指示とアーシェラの助力により、何とか釣り上げた。リーズの初の獲物はアオウオ。ミルカが咄嗟に用意した頑丈な網で掬い上げ、すぐにぐるぐる巻きに縛られる。
「お見事、ですわ! さすがは勇者様は幸運も桁違いですわね」
「あはは……久しぶりにすごく緊張したっ! 魔獣と戦うのよりよっぽどハラハラしたよ!」
立て続けに立派な魚を釣った3人は大いに盛り上がった。
その一方で少し離れた場所で竿を垂らすブロス夫妻は――――
「ヤァヤァ、向こうは景気がいいねぇ!」
「静かに。魚が逃げる」
「ごめんよゆりしー……僕は銛漁か弓漁のほうが得意なんだけどねぇ」
「ブロス、君は本当に元レンジャーなの?」
じっくり待つよりもアグレッシブな漁がしたいと言い出すブロスに、アーシェラは呆れてしまう。
一応彼はこう見えても、敵の警戒線を三日三晩音も立てない匍匐前進で突破した経験があるのだが…………
「弓漁は論外としましても、やはり一人ではなく、皆さんと一緒に釣りができるのはいいものです」
「ミルカさんは…………今までずっと一人で釣りを?」
「仕方ありませんわ。私は、あまり妥協はしたくないんですもの」
「だったら、リーズも一緒に行くよ! さすがに毎日は無理だけど、リーズと一緒なら、シェラもおまけでついて来るよっ」
「僕はおまけかい」
こうして彼らは、まるで親友同士のように語り合いながら魚釣りを楽しんだ。
釣りのコツをつかんだリーズにミルカは大いに満足し、対等の釣り仲間となるのにそう時間はかからなかった。
いつか村の近くの川にも大きな魚がすむようになり、ミーナのような戦えない者でも釣りが楽しめるようになれば、もっと大勢で釣りを楽しむことができるようになるだろう。そんな少し遠い光景に、リーズの姿は果たしてあるのだろうか。
「さてさて、村長。あなたの独壇場がやってまいりましたわ」
「僕を連れてきたのは殆どこれが目的のようなものだしね」
「そ、そんなことないよっ! リーズはシェラと釣りをするのも楽しみだったしっ!」
「ヤーッハッハッハッハ、僕も手伝うよ」
釣りをしているうちに魚が美味しそうに見えてきたのか、リーズのおなかが鳴き出した。
まだ正午前であったが、朝早くから歩いて釣りを楽しんだせいか、お腹が減るのも早かったのだろう。アーシェラが火を起こしている間、ブロスがその辺り倒木からあっという間に簡易調理場を組み立て、リーズたちが釣り上げた魚の調理に取り掛かる。
「ところで村長、例のアレ……持ってきてくれたかな?」
「言われなくてもばっちりだよ」
「?」
魚を串に刺す作業をしている最中、アーシェラは何かの調味料が入った瓶を懐から取り出して、ブロスに見せているのを、リーズは見逃さなかった。
「シェラ、それ何?」
「なんだと思う? これね、秘密の調味料」
「秘密の調味料!?」
リーズは思わず釣竿を放り投げて、謎の調味料の瓶に視線が釘付けになった。小振りな瓶の中には黄緑色のペースト状の何かが入っており、ふたを開けて嗅いでみると、塩と柑橘系が混ざったようなにおいがした。
「アヤヤ、リーズは知らなかったの? 毎日村長の料理食べてるなら、てっきり知ってるものかと」
「実はリーズに内緒で料理にちょくちょく使ってはいるけどね」
「そうだったの!? し、知らなかったっ!」
「本当はこれ鶏肉料理に最適なんだけど、焼き魚もまるで魔法のように美味しくなる、僕の秘密の調味料だ」
ちなみにこの調味料の正体は柚子胡椒。この世界ではなんとアーシェラが独自に発明したものだ。
開発にはいろいろと試行錯誤をしたようで、当分門外不出にしたいと彼は考えている。
「村長ったら、全然教えてくれないんですもの。ずるいですわ」
「私にもそろそろ教えてほしい」
ミルカとユリシーヌも、釣りを一段落終えて焚火のところに集まってきた。
岩塩を振りかけた川魚は徐々に焦げ目がつき、煙がいい匂いを出し始める。魚は下ごしらえとして内臓を抜かれて、代わりに香草が詰め込まれており、食中毒対策も万全だ。
「おまたせリーズ。この秘密の調味料を、ちょっとだけまぶして食べてみて」
「わあぁ……」
釣りたての魚。焼きたて。塩と香辛料の香り。リーズの口の中の涎が止まらない。
アーシェラからもらった秘密の調味料をちょっとだけ乗せて、脂ののったお腹の部分を齧った。どちらかというとあっさり気味の川魚の身が、絶妙な塩加減と秘密の調味料による一点のアクセントが、舌の神経を駆け巡り、脳をノックアウトさせる。
「んふぅ…………ひあわへぇ♪ ほっへはおひるぅ~」
「あらあら、リーズさんったら顔が蕩けちゃってますわ」
「ヤハハ、無理もないよね。これはもう絶品だ」
「悔しいけど私が作るより格段においしいわ」
「みんながたくさん釣ってくれたから、まだまだ焼けるよ」
魚と格闘した後に、大自然の真っただ中でみんなと囲む食事は「最高」の一言に尽きる。
そして…………リーズは改めて思った。
(リーズがいるべき場所はここしかない……!)
かつて5人で未知の世界を歩き回った日々。それはもう帰ってこないけれど、これから新たに作ることはいくらでもできる。自分の隣にアーシェラさえいれば…………
大自然の中でのご飯を終えて、またしばらくのんびりと釣りをして、日が暮れる前に村に戻る。
すっかり自分の居場所のようになったアーシェラの家で、自分でお風呂を沸かし、持って帰ってきた魚をアーシェラにムニエルにしてもらって食べる。
勇者リーズには、金銀財宝も、豪華な宮殿も必要ない。叶うならいつまでもここにいたい。
そんな思いは、彼女の中で日に日に大きくなっていくのを感じた。




