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9/12

その九

 自分の心音がアレクシスに聞こえてしまいそうで、フィオナは後ずさった。慣れない靴がフィオナの足をもつれさせる。


「殿下!!」


 体勢を崩して後ろに倒れそうになったフィオナの腰をアレクシスの腕が間一髪で支えた。


「大丈夫ですか?」


 勢い余ったアレクシスに抱きかかえられてしまったフィオナは、恥ずかしさに顔も声も上げられない。


「失礼します」


 何も言わないフィオナを横抱きにして、そっとソファに下ろし、アレクシスはその足元に膝をついた。


「殿下に許可なくふれたこと、お許しください」


 フィオナは自分の失態のせいで、アレクシスに謝罪させてしまっていることに焦る。尋常でない胸の鼓動もフィオナに焦燥を運んでくる。


「お怪我はありませんか?」


 焦れば焦るほど言葉が出なくなるフィオナは頷くことで何とか自分の意志を伝えた。アレクシスは安堵の息を吐き、それから悲痛な面持ちでフィオナを見上げた。


「気分を害されたのでしたら、今すぐに私は退室いたします」


 苦しげなアレクシスの声に、フィオナの胸は痛む。

 フィオナの心にふれられる距離にまで、いつの間にかアレクシスは近づいている。


「あ、の……」


 フィオナの言葉の続きをアレクシスはじっと待った。




 白バラの香りだけが姦しい。




「あ……危ない、と、ところを……」


 フィオナの声を震わせているのはアレクシスの視線かもしれない。


「助けて、いた、だいて……感謝します。どうか、お立ちに……」


 フィオナのか細い声がアレクシスを立ち上がらせる。


「いえ、その……ソファに、おかけください」

「ありがとうございます、殿下」


 フィオナの言葉にアレクシスの声がわずかに弾んだ。


「では、失礼します」


 アレクシスが自分のとなりに腰を下ろしたのでフィオナは驚いたが、もう一脚のソファを白バラの花束が占領しているのを見て、座るところがなかったのだと納得した。だが実際はアレクシスが勘違いしただけである。アレクシスを見つめることができないフィオナは、顔を背けて「おかけください」と言った。その時のフィオナの視線が、ソファの上のクッションに向いていた。ただそれだけでとなりをすすめられていると、アレクシスは思いこんだのだ。願望が引き寄せた勘違いだった。

 アレクシスはとなりのフィオナを見つめ、その先の白バラの多さに、今さらながらに驚いた。アレクシスはカードを書くことに専念し、花の手配は従者任せにしていたので、これほどの量になっているとは思っていなかったのだ。


「自分で贈っておいてなんですが、こんなにも大量の花をすみません」

「……いえ」


 アレクシスは話題を探し、フィオナは自分の気持ちを探していた。


「殿下」

「……はい」

「私を見てはいただけませんか」


 フィオナは助けを求めるように視線を彷徨わせるが、いつもそばに控えている侍女たちはいない。


「お願いです、殿下」


 甘く切ないアレクシスの声をフィオナは無視し続けることができなかった。


「……恥ずかしい、の、です。きっと、私、赤面していますわ」


 フィオナは観念したように口を開いたが、その視線はまだアレクシスには向かない。


「私も同じです。殿下と二人きりになれて、うれしくて、恥ずかしくて、どうしていいのかわかりません。私の顔も赤くなっているかもしれない。殿下の目で確かめてくださいませんか?」


 アレクシスの言葉がフィオナの顔を上向かせた。


 フィオナの赤い顔が瞳の中に飛びこんできた瞬間、アレクシスは破顔した。初めて見るアレクシスの笑顔に、フィオナの胸は高鳴る。


「どうですか?」

「少し、赤いです」


 フィオナとアレクシスの視線は結ばれたままで、その幸福にアレクシスは酔いしれる。


「殿下のそばにこうしているだけで、私の胸は痛いくらいに騒ぎます」


 アレクシスの晴れやかな笑顔に、切なさが滲んでいく。そのアレクシスの表情の変化に、フィオナの心もまた変化していく。


「殿下とこうして見つめ合い、言葉を交わせるだけで、私はどうしようもなく幸せです。でもできることなら、この幸せを殿下と共有したい」


 アレクシスはフィオナに向ける言葉も気持ちも惜しまない。その思いがフィオナの心を揺らし始めた。

 アレクシス様ならルディのことを忘れさせてくれるかもしれない、フィオナはそう思ってしまった自分を恥じた。ルドヴィックを忘れる前に、アレクシスに惹かれ始めている自分をフィオナは浅ましいとさえ感じた。若さ特有の潔癖をフィオナはまだ手放していない。


「アレクシス様」


 フィオナに初めて名前を呼ばれ、アレクシスはそれだけで歓喜に溺れそうになる。


「殿下」


 アレクシスの声にこめられた思いからも、その熱いまなざしからも逃げるように、フィオナはアレクシスの持ってきた花束を見た。これ以上ないほど愛しているという意味だという百一本のバラは、フィオナにはまだ重すぎた。


「聞いてほしい、ことがあるのです」


 自分をまっすぐに見つめるアレクシスに、フィオナは再び視線を戻して言った。アレクシスに心を開き始めたフィオナは、声の震えもつかえることも少なくなってきている。


「私は、アレクシス様には、相応しくありません」

「ははっ、急に何をおっしゃるのですか」

「笑わないでください!!」


 必死の告白を一笑に付されたフィオナが声を荒げた。そのことにアレクシスよりもフィオナ自身が驚いて、見開いた目をぱちくりさせている。王女として感情制御の訓練を幼い頃から受けてきたフィオナは、こんなふうに感情を引き出されたことなど、これまで一度もなかったのだ。


「「すみません」」


 二人の謝罪が重なり、どちらからともなく、微笑み合った。すでに共有し始めているものがあることにまだ二人は気づかない。


「もう笑いませんから、話してください。殿下の話すことなら、どんなことでも聞きたい」


 アレクシスの言葉がフィオナに罪悪感を抱かせる。


「アレクシス様が、聞いて、楽しい話ではないのです」

「殿下。私はこうして殿下の声を聞けるだけで幸せなのです。さあ、話してください」


 アレクシスの求める瞳にフィオナは応える。


「私、ルディのことを、まだ忘れられないのです」

「殿下は本当にひどい人です」


 アレクシスが眉根を寄せたのを見て、フィオナは泣きたくなってしまう。知ってしまったアレクシスの微笑みがフィオナはすでに恋しい。


「私のことはアレクシスと呼ぶくせに、元婚約者のことは愛称で呼ぶのですね」


 アレクシスの言葉に、フィオナの思考はついていけない。


「もう元婚約者のことは愛称で呼ばないでください」


 ルドヴィックをルディと無意識で呼んでいたことに、やっと気づいたフィオナが小さく頷くと、アレクシスは表情を和らげて言った。


「そして私のことは、どうかアレクと」


 ルドヴィックを愛称で呼ばないことは簡単に了承できたが、アレクシスを愛称で呼ぶことにフィオナは躊躇する。


「殿下」


 フィオナはアレクシスの視線から逃れるように、再び目の前の花束を見た。その視線を追ったアレクシスはフィオナを逃さない。


「あの百一本のバラを合わせて、殿下に贈ったバラは全部で二百五十六本になりました。二百五十六のバラは、私を愛称で呼んでくださいという意味です」


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