その七
普段は人通りが少なく静かな西棟が、今日は少しだけ騒がしい。アレクシスの二度目の求婚の噂に踊らされた野次馬たちが集まっているのだ。西棟の出入り口に立つ護衛騎士は、その野次馬たちを注意するどころか、数人の若い女官たちと談笑していた。
王妃と側妃の対立が長く続いていることで、王宮の腐敗は進み、使用人たちは秩序よりも目先の享楽に重きをおくようになっている。ここにいるのはその胸に好奇心だけを抱く野次馬ばかりではない。貴人の情報は高く売れる。そのために新しい情報を得ようと奔走しているものもいるのだ。それを心得ている護衛騎士は口を噤むどころか、率先して噂の活性化に尽力している。王の求心力の低下をそのまま表すような使用人たちの堕落ぶりに、ランスロットは深いため息を吐かずにはいられない。
「勤務時間に何をしているのかな?」
話に夢中だった護衛騎士は、ランスロットたちに気づくのが遅れた。
「いえ……何も……」
護衛騎士が何とか声をひねり出しているうちに、逃げ足の早い女官たちは会釈して去っていく。その後ろ姿を力なく見送った護衛騎士は、見る見るうちに青ざめた。
「この騒がしさはもしかして、アレクシスがフィーに二度目の求婚をするって噂のせいかな?」
さぼっていた自覚がある護衛騎士はランスロットの微笑みが自分を非難しているように感じて目を伏せる。野次馬たちはランスロットの声が聞こえたのか、気まずそうにうつむいたり、足早に立ち去ったりと、それぞれに反応した。
「この棟の静寂を守るのも君の役目だよね?」
「……はい」
「アレクシスのせいで仕事を増やしちゃってごめんね」
「い、いえ、そう……ではなく、そんな、ことは……」
しどろもどろになった護衛騎士を見て、ランスロットは笑みを深めて続ける。
「それで悪いんだけどね、実は私たちも困った子たちについてこられちゃって」
そう言って振り向いたランスロットの視線の先には、少なくない数の女官やメイドの姿が見える。
「フィーの大事な日に、騒がしいのはよくない。だから、用のない女性たちには帰ってもらわないとね」
「……はい」
「君に棟の周辺の見回りを命じる」
「…………」
護衛騎士がすぐに返事をすることができなかったのは、たとえ王子の命であっても持ち場を離れることは許されないのではないかと考えたからだ。
「大丈夫だよ。ここの警備には私の近衛をおいていくし、フィーの部屋の前にいる護衛騎士も応援に寄こすから」
「…………」
ランスロットにそこまで言われても護衛騎士は返事を躊躇っていた。護衛騎士にとっては王子よりも直属の上司が怖いのだ。
「私たちでは力不足だとでも?」
しかし近衛騎士のこの言葉に、護衛騎士は勢いよく左右に首を振って、早口で答えた。
「とんでもありません」
近衛騎士と護衛騎士。貴人を守るという点では同じだが、近衛騎士は一部のエリートしかなることができない上級騎士職であるのに対し、護衛騎士は一般騎士でしかない。その差は歴然で、近衛騎士に盾つくようなことが護衛騎士にできるはずがないのだ。
「じゃあ頼んだよ」
出入り口に残した二人の近衛騎士に声をかけたランスロットはわかりやすく上機嫌だった。
フィオナの部屋の前でも先ほどと同じようなやり取りの末、護衛騎士を自分の近衛騎士におき換えることに成功したランスロットはにやりと笑って、フィオナの部屋の扉を自らノックした。
「ほら見て、護衛騎士たちは追い払ったからね」
ランスロットは笑顔でそう宣言したが、応対に出てきたジョーゼットに真意は伝わらなかった。
「じゃあ、護衛騎士が戻ってきたら知らせるように」
近衛騎士にそう声をかけたランスロットは、戸惑うジョーゼットの横をすり抜けて、室内へ入るなりフィオナの元へ駆け寄った。
「フィーはなんて白が似合うんだ!」
ランスロットはソファに座っていたフィオナを立ち上がらせ、その腕の中にふんわりと抱きしめた。
「かわいくて、きれいで、美しくて、可憐で、愛らしくて、まぶしくて、もう神々しい。今夜のフィーはまるで妖精じゃないか。背中の羽はどこに隠したんだい?」
「もう。ランス兄様ったら、大げさだわ」
はにかむフィオナの瞳をじっと見つめて、ランスロットは熱っぽく力説する。
「大げさだなんて。ああ、フィーは自分のことがちっともわかっていないんだね。私は今、自分の語彙のなさを悔やんでいるところだよ。もっと、もっと、もっと、フィーを褒めたいのに言葉が見つからないんだから」
扉の閉まる音がして、そちらに目を向けたフィオナは大きな白い花束に目を見開いた。そのフィオナの視線に気がついたランスロットはわざとらしく声を張る。
「ああ、そうだった。アレクシス、お前も何か言ったらどうだ」
ランスロットの腕の中から出たフィオナは大きな花束を持ったまま突っ立っているアレクシスを見つめる。アレクシスの視線はフィオナと一瞬重なったあと、手の中の白バラに落ちた。フィオナを直視できないアレクシスをランスロットがからかう。
「もしかして私に先を越されて言う言葉が見つからないのかな? どうせお前のことだから、花束だけでなく、褒め言葉も用意してきたんだろう?」
図星をつかれたアレクシスはランスロットに向ける目つきを鋭くする。
「いいかい、アレクシス。あらかじめ用意した美辞麗句よりも、今感じた新鮮な思いをそのまま言葉にしたほうが、フィーの心に届くよ。私たちはとなりの部屋に移動するから、時間までゆっくりフィーを口説くといい」
ランスロットの侍従が扉を開け、ランスロットは戸惑うジョーゼットの背中を押して隣室へ移動した。空気を読んだディーンもあとに続いて、扉はぴたりと閉められた。
「ランスロット殿下、いくら殿下の仰せでも、フィオナ様を殿方と二人きりにすることはできません」
ジョーゼットが上げた抗議の声に、ランスロットはゆったりと頷く。
未婚の男女が密室で二人きりになるのは、たとえ婚約者同士であっても大きな醜聞になる。しかしそれは露見した場合だけだ。何ごとにも抜け道はある。
「君たちがフィーを慕ってくれていることも、フィー付きのメイドや護衛騎士を信頼していないこともよく知っている。護衛騎士の耳を心配しているなら、安心していい」
フィオナ付きの侍女たちの護衛騎士への不信感は根強い。護衛騎士たちを部屋の前から完全に排除しない限り、フィオナとアレクシスを二人きりにすることに侍女たちが納得しないとランスロットは思っていた。フィオナ思いの侍女たちを説得するためだけに、ランスロットはバルコニーで一芝居打ったのだ。ルドヴィックのことを口にしたのはただのついでにすぎない。
「わざと野次馬を連れてきて、その野次馬を口実に、おしゃべりな護衛騎士たちを棟の外の見回りに行かせたんだよ。棟の出入り口にも、部屋の前にも私の腹心の近衛しかいない」
窓の外の見慣れない女官たちの姿に気がついていたジョーゼットは、ランスロットを信じられないという目で見上げる。
「アレクシスは紳士だよ。それにフィーへの思いは真剣だ。だから、アレクシスにチャンスをくれないかな? お願いだよ」
アレクシスの本気をジョーゼットは感じていたし、品行を疑う気持ちもない。そして何よりも王子の懇願を断れる侍女など王宮にはいない。
「フィオナ様が傷つくことがないのなら、私は何も申しません」
ジョーゼットは扉の奥の見えない主を見つめて言った。
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