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その六

 自室に急ぐケイトとレイラは焦っていた。アレクシスの花束のことがすでに噂になっていて、詳細を知りたい侍女仲間や女官たちが二人を呼び止めるのである。二人は何度目かの「時間がないので」の断り文句を口にして追及から逃れ、目配せし合って駆け出した。侍女長に見つかった場合、厳重注意を受けることになるだろうが、今夜の舞踏会に間に合うかどうかの瀬戸際に立っている二人に迷いはなかった。二人ともフィオナの晴れ姿が見たいのだ。


 ケイトとレイラが王宮の廊下を走っている頃、アレクシスは予定よりも早くフィオナの部屋へ向かっていた。

 アレクシスはいつもの騎士の正装ではなく、デビュタントパートナーの決まりに従って燕尾服を纏っている。その珍しい姿はいつにもまして秀麗で、すれ違う女性たちの目を奪い、心を震わせる。その美麗なアレクシスの後ろを大きな大きな白いバラの花束を抱えた熊のような大男のディーンが歩いているものだから、見たものは注視せずにはいられない。

 美女と野獣ならぬ、美男と野獣は、王宮に話題を振りまきながら歩いていく。大きなバラの花束は憶測を呼ぶ。誰かがあのバラは百八本でアレクシスが再びフィオナへ求婚するのではないかと口にすると、ほかの誰かはその想像を事実として違う誰かに伝えていく。

 そのうちにアレクシスの二度目の求婚劇が見たいと、フィオナの部屋のある西棟の周辺に人が集まり始め、アレクシスたちの後ろをこっそりついていくものまで現れる。



 フィオナとアレクシスの恋の行方は、王宮中から熱視線を浴びている。






「アレクシス!!」


 突然呼ばれた自分の名前に足を止め、アレクシスが声の方向へ顔を上げると、二階のバルコニーからランスロットが手を振っている。 


「フィーにまたバラか?」


 ランスロットの大声に、たまたま通りかかったものたちは振り返り、アレクシスのあとを何食わぬ顔でついてきていた野次馬たちは歩みを止める。

 バルコニー越しに見つめ合う燕尾服姿の美々しい二人は、見たものの目を簡単に釘付けにした。


「アレクシスのところの熊が、朝から何度もフィーのところにバラの花束を運んでるって、王宮中の噂だぞ」

「はい?」


 アレクシスが訊き返すと、ランスロットはディーンを指差す。


「おしゃべりな熊らしいな」


 アレクシスはディーンを振り返り、それから再びランスロットへ視線を戻して真面目な口調で応えた。


「私は熊を従者にしたつもりはありませんが」

「面白みのない答えだな、アレクシス。そんな調子でフィーの心はつかめそうなのか?」

「わかりません。ただ、今は、王女殿下にこちらを向いてもらおうと必死なだけでございます」


 アレクシスの真摯な言葉に、聞き耳を立てていた女性たちはため息をこぼす。


「ルドヴィックの話を聞いたか?」

「……いえ」


 ルドヴィックの名に、野次馬たちは耳を大きくし、アレクシスは眉をひそめたが、ランスロットは微笑みを崩さずに続ける。


「ルドヴィックがアリシア皇女に、永遠に枯れない愛の証と言って、ルビーで作ったバラの髪飾りを贈ったのは知ってるだろ?」

「……はい」

「今度は精巧なダイヤモンドの髪飾りを、バラの朝露だと言って贈ったらしいぞ」

「…………」

「皇女は今晩、そのダイヤモンドの朝露を纏ったルビーのバラをつけてくるそうだ」


 ランスロットの発言にアレクシスは違和感を覚える。野次馬たちが舞踏会開始までにランスロットのこの話を喧伝して歩き、アリシアの髪飾りに注目が集まるのは容易に想像できる。自分以上にルドヴィックに対して憤っていたはずのランスロットが、なぜルドヴィックの溺愛ぶりを口にし、アリシアに耳目を集めようとしているのか、アレクシスはランスロットを怪訝に見上げる。


「ルドヴィックは立て続けに宝石を貢いでいるというのに、アレクシスは花だけで我が妹の心を得ようとしているのか?」


 ランスロットのからかうような言葉に、アレクシスは胸を張り、真剣な口調で答える。


「王女殿下が望むなら、私は宝石どころか、宝石鉱山をプレゼントいたしましょう。しかし残念なことに、王女殿下は私に何も望んではくれないのです」


 アレクシスが浮かべた切なげな表情に、周囲の女性たちは胸をしめつけられる。アレクシスの熱烈な告白を耳にした女性たちは、アレクシスの恋の成就を願わずにはいられなくなる。アレクシスがフィオナへの思いを口にするたびに、アレクシスを応援するものが増えていっているのだ。


「ほう。では私も宝石鉱山のおこぼれに与れるように協力しようか。私もフィーのところへ一緒に行くからちょっと待っていろ」


 そう言うと、ランスロットはアレクシスの返事も待たずに室内に消えた。アレクシスは肩をすくめ、ディーンは緊張にその体を強張らせ、野次馬たちは顔を見合わせてこのあとどうするかを相談している。



 五分も経たずにランスロットは下りてきた。侍従と四人の近衛騎士を連れている。


「待たせたか?」

「いえ」

「どれ、私もアレクシスの愛の重さを確かめてみよう」


 ランスロットはそう言うと、ディーンの腕から花束を奪い、右肩の上に乗せて歩き出す。


「もう少し丁寧に持て」


 アレクシスがランスロットに耳打ちすると、ランスロットも囁き返す。


「読唇術のできるものもいるのだ。用心に越したことはない」


 ランスロットは花束の先を顎で指す。好奇心を抑えきれなかったらしい野次馬たちを見て、アレクシスは頷き、口元に手をあてて小声で訊く。


「秘密の話でも?」

「そういうわけでもないけどね、実際のところ、フィーの感触はどうなんだ?」

「鋭意努力中だ」


 女性に求められるのには慣れているアレクシスだが、女性を求めることには不慣れだ。今回のバラの贈りものにしても、ディーンや友人たちを巻きこんで、相談に相談を重ねた結果、過剰になってしまっていることにアレクシス自身は気がついていない。

 ずっと秘めていた分、アレクシスの思いは制御できないほどにふくれ上がっているのだ。


「フィーは今、疑心暗鬼になっているからね」

「そうだ。その元凶のルドヴィック・パキナラのことなど、なぜ口にした?」


 親友相手に遠慮のないアレクシスの視線は鋭くなる。


「私はルドヴィックのことが大嫌いだ」


 ランスロットは笑顔で答える。


「それは同感だが」


 アレクシスもルドヴィックに対する悪感情はランスロットに負けてはいない。


「どうせ落とすなら、できるだけ高いところから落としたいと思わないか?」


 ランスロットの黒い微笑みに、アレクシスは苦笑をもらすしかない。

 具体的に何を企んでいるのかはわからないが、ランスロットがルドヴィックを徹底的に痛めつけようとしていることだけはアレクシスに伝わった。ランスロットを信頼しているアレクシスは、それについては深く訊かず、気になっていることを訊ねた。


「例の人物はどうした?」

「今夜に備えて準備しているよ」

「うまくいくと思うか?」

「うまくいかせるのが私の役目だ。アレクシスは気にせずにフィーを口説くのに精を出すといいよ」


 自分の言葉にアレクシスが少しばかり頬を赤らめたのを見て、ランスロットは楽しそうに目を細めた。


「やっぱり重いね、これ、熊に返すよ」


 ランスロットが振り返って、花束を振ると、ディーンが小走りで受け取りにやってくる。熊などと呼ばれているディーンだが、鈍重そうな見た目に反して、動きは素早く、察しもいい。


「ところであのバラは百八本なのか?」


 花束を手放したランスロットは、今度は野次馬たちに聞かせるように声を張る。


「いえ、違いますが」


 アレクシスの口調が周囲を意識したものに変わる。


「アレクシスが百八本のバラの花束を持って、フィオナに二度目の求婚をしに行くと聞いたんだけど」

「二度目の求婚は今夜舞踏会で行います」


 アレクシスの宣言に野次馬たちは驚きを呑みこみ、ランスロットは呆れたように長いため息を吐く。


「舞踏会の最中に二度目の求婚など、もしも断られたら一生笑いものになるよ。婚期も遅れるだろうね」

「かまいません。王女殿下と結婚できなければ、一生独身を貫くつもりですので」

「公爵家の跡取りにそれは許されないだろう」

「弟が二人いますので問題はないかと」

「まあ、一国の王女に求婚するには、それくらいの気概は必要かもね。ただ、たとえアレクシスであっても、私のかわいいフィーを泣かせたら、許しはしないよ」

「王女殿下を泣かせないとは約束できかねますね」

「は?」

「思いが成就した暁には、結婚式では王女殿下にうれし涙を流してほしいと思っていますので」

「ふっ。うれし涙ならいいけどね」


 アレクシスとランスロットはフィオナの部屋に着くまで、フィオナについて声高に語り合った。それを耳にしたものたちが二人のフィオナに対する愛情を認識させられたのは言うまでもない。


百八本のバラには結婚してくださいという意味があります。


一部変更しました。

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