その五
フィオナをバスローブで包んで寝室に戻ったケイトは、レイラに呼ばれて居間に向かった。
「従者の方にはお礼を言って帰ってもらったのだけれど」
レイラの視線の先には四本の白いバラの花束とメッセージカード。そのカードを読んで、ケイトはこれならフィオナに見せても大丈夫だと確信する。
「フィオナ様にお持ちしましょう」
「大丈夫かしら」
不安そうなレイラにケイトは笑顔で頷いた。
「フィオナ様、アレクシス様からまたお花が届きましたよ」
ケイトの持ってきた花束を見て、フィオナは一瞬顔を強張らせたが、手渡されたカードを開くのに躊躇はしなかった。
『四本のバラは死ぬまで気持ちは変わりませんという意味です。でも私の気持ちは死んでも変わることがないでしょう。先に贈ったバラと合わせて七本のバラになりました。七本のバラは秘めた恋という意味です。私はずっとこの恋心を秘めてまいりました。それを伝えることができるだけでも幸せなのです。アレクシス』
「アレクシス様は本気なのかしら」
フィオナの反応にケイトとジョーゼットは苦笑をもらす。一国の王女を戯れで口説く男はそうそういない。
「これほど真摯に告白なさっているのに、その気持ちを疑われては、アレクシス様がおかわいそうです」
アレクシスを擁護したのはレイラだ。レイラはアレクシスが軟派な男でないことをよく知っている。
「でもアレクシス様とはほとんど話したこともないのに」
二人の兄と親しいアレクシスをフィオナはもちろん前から知っていた。何度か挨拶を交わしたこともある。しかしそれだけの関係だったのだ。先週の舞踏会での求婚は寝耳に水で、ずっと好きだったと言われても簡単に信じることなどできない。
「言葉など交わさなくても恋はできます」
レイラの言葉には実感がこもっている。
「そういうことではなくって」
フィオナは自信がないのだ。三年間婚約者としてすごしたルドヴィックにつまらない女と評されたフィオナは、女性として求められることに猜疑的になっている。アレクシスが恋心だけで、自分を望んでいるとは考えられない。しかし自分と結婚して得られる恩寵などたかが知れている。アレクシスの求婚の裏に何が隠されているのか、ありもしない裏の意図をフィオナは見つけようとしている。
「アレクシス様のことを異性として見たことがなかったから」
フィオナにとって、恋の対象はルドヴィックだけだった。社交界で人気のアレクシスでさえ、その他大勢のひとりにすぎなかったのだ。
「フィオナ様の目にはルドヴィック様しか映っていなかったのですよ」
レイラは言いすぎてしまったと思ったが、フィオナはそれを微笑みながら肯定する。
「そうかもしれないわね。私はこの三年間、ルディしか見てこなかった」
フィオナがため息をついたところで、扉が叩かれる。
「またアレクシス様からでしょうか」
そう言って応対に出たケイトが花束を抱えて戻ってくる。
「フィオナ様、アレクシス様の愛はどんどん増えていくようですね」
フィオナは新たに届いた花束から、カードを取り出す。
『五本のバラです。あなたに出会えた心からの喜びという意味です。殿下に出会えたことが私の人生で一番の喜びです。これからそれ以上の喜びに出会うとしたら、その喜びを分かち合う相手が殿下であってほしい。そしてバラは十二本になりました。十二本のバラには一本、一本に特別な意味を纏わせて贈るのだと聞きました。愛情、情熱、感謝、希望、幸福、永遠、尊敬、努力、栄光、誠実、信頼、真実。そのすべての思い、そして日ごとに増していくこの愛をどうか受けとめてください。アレクシス』
アレクシスの真っすぐな思いがフィオナの心に真っすぐ届き、フィオナの頬を赤く色づかせた。アレクシスの情熱がフィオナにやっと伝わったことが見て取れて、侍女たちはうれしそうに微笑み合う。恋を忘れるには新しい恋だということは、誰もが知っている。
「お礼状を書かなくてよいのかしら」
「従者の方に丁寧にお礼は伝えておきましたので、あとは夕方、アレクシス様にお会いになった時に、直接お礼を述べられたらよいかと」
フィオナの言葉にケイトが応える。
「それにしても、この花束はいつまで続くのでしょうね」
ジョーゼットの疑問に、ケイトは去り際のディーンの言葉を思い出す。
「従者の方がまた来ますとおっしゃっていました」
「アレクシス様の愛は止まらないのですね」
レイラのうらやましそうなつぶやきに、フィオナは恥ずかしそうに目を伏せた。
一時間かけた全身マッサージ、同じく一時間にも及んだコルセットとの格闘、それから入念なヘアメイク。侍女三人の奮闘でフィオナのデビュタントの準備が完了した。
白一色のフィオナは現実感が薄れるほどに麗しい。
髪型はささやかなツイストを重ねてすっきりと纏めただけだが、それによってフィオナの顔の小ささがよくわかる。メイクは透明感のある肌を生かすため、薄くはたいた白粉に淡いバラ色の頬紅だけ、血色のいい唇は口紅を乗せるのがもったいないと三人の意見が一致して、透明のリップクリームを塗っただけである。その結果、フィオナの瑞々しい清らかさがまったく損なわれることなく、魅力的に仕上がっている。
フィオナのほっそりとした体形の美しさが際立つスレンダーラインのドレスは、その飾り気のなさが清楚さをより引き立てる。アクセサリーはパールのネックレスとイヤリングだけだが、フィオナが動くたびに揺れる小ぶりのパールが愛らしい。
ケイトとレイラはフィオナの姿を四方八方から眺め尽くし、満足してから足早に私室へ向かった。今夜の舞踏会に参加する二人にはあまり時間がないのだ。
常より高いヒール靴のフィオナはジョーゼットの手を借りて慎重に応接室へ移動した。そこでフィオナはその香りに、それからその異様に驚いた。自分の部屋がバラ園のごとく香り、そして部屋中に白バラがあふれているのである。
「すごいわね……」
フィオナは自分のつぶやきが白バラに吸いこまれていくように感じた。
「あちらにカードが並べてありますので」
準備に忙しかったフィオナは、アレクシスからの花束が届き続けていることは聞いていたが、カードを読む暇もなかったのだ。
テーブルの上には届いた順にカードが並べられている。ソファに座ったフィオナはそれを一枚ずつ読んでいく。
『九本のバラはいつもあなたを思っていますという意味です。いつも殿下を思っています。この気持ちに偽りはありません。今、殿下の元にバラは二十一本あります。二十一本のバラにはあなただけに尽くしますという意味があります。私は一生殿下だけにこの愛を捧げ、そして尽くすと誓います。アレクシス』
『十一本のバラの意味は最愛。殿下はまさしく私の最愛です。最愛であり、唯一の存在が殿下なのです。バラは合計三十二本になりました。三十二本には決まった意味がありません。だから私が勝手に意味を作ることにしました。私はあなたの最愛になりたい。アレクシス』
『二十四本のバラには一日中あなたのことを思っていますという意味があります。私が殿下のことを思わない日はないし、殿下を思わない時もないのです。合計五十六本のバラの意味は、夢でもあなたに会いたいに決めました。アレクシス』
『九十九本のバラは永遠の愛の証です。百五十五本になったバラは幸せな未来の予感です。アレクシス』
白バラに囲まれて読むアレクシスからの愛の言葉をフィオナはもう無視することができなくなっている。
いつの間にかルドヴィックではなく、アレクシスのことばかり考え始めていることに、フィオナはまだ気がついていない。
バラの本数には複数の意味があるらしいです。
本文のバラの本数の意味には作者の創作も多分に含まれています。