その十
「……努力します」
アレクシスの勢いに押され、フィオナはそう答えたが、心は頑なだった。
「で、でも、と、とにかく、私は自分が、アレクシス様に相応しいとは思えないのです」
自分を見てくれなくなったフィオナの横顔をアレクシスはじっと見つめる。引き結ばれた口に、アレクシスはフィオナの意思を見る。
「殿下」
フィオナが膝の上で握りしめている拳の痛々しさに、アレクシスは眉を寄せる。
「私は殿下の心の整理がついていないことを知りながら求婚しました。殿下の心から元婚約者が完全に消えるまで、待つことができなかった私を許してください」
ルドヴィックを忘れられない自分を責めるフィオナの心を軽くしたい、ルドヴィックに心を残したままでもいいから自分を見てほしい、そんな思いがアレクシスを語らせる。
「私がどうしてあんなふうに求婚し、こんなふうに性急にことを進めてきたのか、今からお話しします」
アレクシスに惹かれ始めているフィオナはその告白を聞くのが怖い。
「殿下への思いに偽りはありません。しかし私はきれいな気持ちばかりで求婚したわけではないのです」
フィオナは心の中に生まれた不安を抱きしめながら、アレクシスを見上げた。アレクシスは再び交差した視線に愛しさと切なさをこめる。
「殿下の婚約破棄を聞いた日、私は殿下への恋心と求婚の意志をランスロット殿下に打ち明けました。そしてランスロット殿下と相談して、殿下の気持ちが落ちついた頃に、婚約を申しこもうと決めました」
アレクシスは当初、アイビーナ公爵家から書状で婚約の打診をするつもりだったのだ。
「しかし殿下を貶めるような内容の噂が流れ始めてしまった。そのせいで殿下の心と名誉が傷つくことが怖かった。社交界に心ない噂が広まってしまえば、王家は殿下を、早々に他国へ縁づかせてしまうかもしれないと私は焦ったのです」
自国で悪い評判の立った王女が、噂も届かないような遠い国の妃になった話をフィオナも聞いたことがあった。
「陛下が殿下を他国へと決めてしまえば、私に覆すことなど不可能です。顔も知らない他国の王族に、殿下を奪われてしまうかもしれない、そう思うと耐えられなかった」
アレクシスのまなざしにこめられた思いから、フィオナは目をそらすことができない。
「噂の足は速く、殿下の心が落ちつくのを待ち、通常の手続きを踏んで婚約の打診をしたのでは間に合わないかもしれないと思いました。私は殿下を誰にも奪われたくなくて、殿下が困惑するとわかっていながら、人前で求婚することにしたのです。私はそんな利己的で身勝手な人間なのです」
フィオナにはアレクシスが自分勝手な人間とは思えない。
「派手な求婚は私の目論見通りに、殿下の婚約解消よりも大きな注目を浴びました」
フィオナに向けられていた憐れみと蔑みの目が、今では憧れと羨望のまなざしに変わっている。
「あの場で求婚の返事をいただくつもりはありませんでした。しかし少なくとも、殿下が私のほうを向いてくださると、私は自惚れていたのです」
自分をじっと見つめるアレクシスを見て、どうして昨日までの自分がこのアレクシスの存在を無視できていたのか、フィオナは不思議でたまらない。
「殿下が私との婚約のことをまだ考えられないようだと、ランスロット殿下から聞いた時、私の言葉が足りていなかったのだと思いました。それでカードをつけた花束を贈ることにしたのです。私の気持ちが伝わるようにと祈りながら」
朝から何度も届けられた花束と丁寧に綴られたカードを思うと、フィオナはくすぐったい気持ちになる。
「それに、花が目に入れば、カードを読めば、その時だけは、殿下が私のことを考えてくださると思ったのです。たとえ一瞬であっても、殿下の心を私に向けてほしかった。私を見てほしかった」
今、フィオナはアレクシスだけを見つめている。
「私は今夜の舞踏会で、二度目の求婚をするつもりでした。衆人環視の中でなら、殿下が答えを出さざるをえないだろうと、卑怯な私は考えたのです。たとえ断られたとしても、殿下に無視され続けるよりはいいと思いました。しかも断られたところで、私は諦めるつもりなどなかったのです」
言い終えてアレクシスが吐いた息が、フィオナの顔にかかった。フィオナは自分が前のめりになっていたことに気がついて姿勢を正す。
自分から体を離したフィオナに気がついたアレクシスが眉を下げて言った。
「警戒しないでください。私はこうして今日、殿下の気持ちをうかがって、自分が急ぎすぎていることに気がつきました。二度目の求婚はしません。今夜はただ、舞踏会を楽しみましょう」
そう微笑んだアレクシスに、フィオナは首を横に振る。
「アレク様」
「今……」
アレクシスが喜色よりも驚きの色の濃い顔でフィオナを見つめる。
「アレク様、どうか今夜の舞踏会で、私に求婚の返事をさせてくれませんか?」
アレクシスの胸の内を聞き、アレクシスが自分以上に自分のことを考えてくれていることを知り、フィオナは心を決めた。舞踏会でルドヴィックに会っても自分の気持ちが揺らがなかったら、アレクシスの胸に飛びこもうと。もしもルドヴィックに心が動いてしまったら、その時はアレクシスとは距離をおこうと。
「殿下、それは……」
ノックの音が二人の会話を止めた。
「入るよ、フィー」
扉を開けたランスロットは並んで座る二人に目を細め、慌てて立ち上がったアレクシスの表情を見て、さらに笑顔を深めた。
「そろそろ時間らしい」
ランスロットがそう言った直後、廊下の近衛騎士が扉を叩いて、護衛騎士が戻ってきたことを知らせた。
フィオナたちが会場へ向かっている頃、十五歳から十七歳のデビュタントたちはそのパートナーと共に控え室に集まっていた。通常は緊張で会話どころではないはずのデビュタントたちが今年は騒がしい。
今年のデビュタントたちはほとんどがフィオナの学友だ。その令嬢たちはフィオナとルドヴィックの仲のよさを実際にずっと見てきたし、美男美女の二人に憧れを抱いていた。その二人の破局、そしてルドヴィックの新たな婚約、さらにはフィオナの新たな婚約者候補の出現と、話題が尽きないのだ。
まだ恋に恋する年齢の令嬢たちは、恋愛に一途さを求め、ほとんどの令嬢がルドヴィックの裏切りを汚いと非難し、アレクシスの求婚を支持している。そしてそれ以上に、王女でありながら控えめで誠実なフィオナの幸せを望んでいる。
だから、デビュタント控え室に突然現れたランスロットの提案に、全員が快く頷いたのだ。
波乱の舞踏会がもうすぐ幕を開ける。