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第四話:正義の敵

 ソレが猫の死骸だと気付いたのは二分二十四秒経ってからの事だ。

 肉塊というには少しひしゃげているその肉、或いは“物”と呼称すればいいのか分からないそのシロモノは腹這いに倒れながら足はひしゃげて頭蓋骨から目玉が飛び出し、肉片という見るも無残な姿で倒れている。

 ――気持ち悪い。

 感想は……まぁそれだけ。

 まじまじと眺めてみた所でそれはやはり肉であり、猫であると言われた所で“元”という文字が付く。だからもう猫ではない。


 猫であった物。

 猫であろう物。

 猫だった物だ。


 歩道の脇にあるソレは腐敗と血を流しながら『今は』此処に存在するが、明日――或いは夕方には綺麗さっぱりなくなっているのだろうと思いを馳せる。

 私ではない誰かがその気持ちの悪い死体を拾い上げ供養して、どこかに埋めてしまうのだろう。

 それはとても素敵な事だ。

 誰とも知らない人間が、善意で或いは仕方なくでそういう事をするのは素敵な事だと思う。

 口の悪い人間が見ればそれは偽善と取られる行為かも知れないが、それはそれでまた人間とは素晴らしい生き物だと私は思う。

 何時間そうしていたかは知らないが、道行く人々が不遜な目で私を見てくる。

 おや、私は別にそれ程おかしな事をしているつもりは無かったのだけれど、どうやらこの私の大好きゴスロリのドレスはこの国ではどうも受け付けられないシロモノらしい。

 凄く残念だと思う。

 この国の人間はファッションというものは量産型みたいに個性が無い、やはりザクよりグフだろう。

 どこを見たって同じような人間が溢れかえっていて、誰もが同じような価値観で誰もが馬鹿みたいに自分は変じゃないかと怯えている。

 そのような人間が溢れかえったこの街で、何をどう間違ってかヒーローなどという者になった奴が居る。

 馬鹿な女だと思う。

 そんな女が今ヤバいらしい。

 だからまぁ通達が来たのだけれど。

「よっ……と」

 ガードレールに腰掛けていたお尻を上げて、黒い日傘を差して歩く。

 道は一応分かっているつもりだけれど、まぁ私は根っからの方向音痴で正直な話、この道であっているかどうかすら分からないのだけれど、まぁいいか……

 私が歩き出すと同時に猫の死体を片付けようと、店先から年老いたお婆さんがチリトリを持って出てくる。あれで掬ってゴミ箱行きか或いは供養して埋めてあげるのだろう。

 あぁなんとも人間とは素晴らしい生き物か。



 ――――反吐が出そうだ。



―1―

 今回で恐らくヒーローの権利は剥奪されるであろう、と協会の使者はそう語る。

 つまりは今現在のヒーローの称号また力とその権限を失うという事だ。

 薫は今しがた落ち着いた所だった。

 正確には三日三晩暴れまくった挙げ句に気が狂い世界を拒絶し、人間を拒絶し、自分を拒絶して自分という存在を保てなくなって発狂して脳が勝手にシャットアウトしたのだ。

 すぐさま鎖に繋がれた薫は破壊衝動を全面に押し出して、他者を殺せないならば自殺を計り、神様を呪い、他人を憎んだ。

 しかしそれでも。彼女の強靱な生命力と正義の味方という存在の為に死ぬ事すらさせてはもらえなかった。

 それはもう薫という個体を飛び抜けて、獣というよりも人でない者に近い何かだった。

 髪を振り乱し、瞳は血走り、神様に呪詛を呟く人間はもう人ですらなく……人間という尊厳を失ってしまった何か。

 その何かは今、猿ぐつわを噛まされて、黒いアイマスクを付け、固定された鉄の椅子に鎖で巻かれながら、囚人服を二枚着せられてキリストよりも酷い姿で眠っている。

 それでも薫は足掻くことを辞める事は無いだろうと、そう思った。

 薫という少女は『いち抜けた』が苦手なのだ。それこそ隠れんぼの鬼のような少女。

 因果から抜け出せない矛盾のような螺旋。メビウスの輪の囚人。

 彼女がもし今、正義の味方という鎖を外す事に成功したとしても、彼女の体には何重にも糸が絡まっていて身動き一つとれない状態なのに彼女はそれをひっくるめて首に掛かる糸をものともしないで彼女は歩くのだろう。薫はそういう女だ。

 キセルを口から離すと火種はいつの間にか消えていて、何のために自分は煙草を吸っていたのかすら判らなくなった。ついでに正義の在り方という意味も判らなくなっていた。

 今まで以上にいや、今までの事を含めても薫という少女に正義という看板は重すぎるのだ。

 絶対悪など居ないこの世界に絶対正義などは必要ないのにも関わらず、彼女は正義を守ろうとする。正義であろうとする。

 だけど、守る存在が悪じゃないと誰が決めたのだろう。

 その守ってる人間こそが悪なのかもしれないのに、それでは正義のあり方が変わってしまう。正義ではない。

 正義がもし間違っているとするならば……それは酷く無粋な質問だが間違いではない。

 正義という根本的な物がないこの世界で。正義という概念は正義であろうとする行為はどこか矛盾していて悪と正義の分け目がない世界ではいったい何を置いて正義とさすのか分からないのだ。

 今回の事に関しても薫が人を殺そうとしたのに守るべき者を殺せない矛盾で行き着いた先は世界を恨む事に辿り着くのが関の山だった。守るべき筈のものの裏切り。苛立ち。でもそれを全て解消した所で後に残るのは後悔と虚無感ばかりだ。


 ――――――――矛盾が人を殺す。


 それはどこにでもある現実と自分の認識できる世界との齟齬。それが擦り切る事は無いだろうし、擦り切れる事も無いだろう。

 納得するか、負けを認めるかしかないのだ。だけど薫はどちらも認めない。

 その矛盾を認めてしまえば正義ですら悪になってしまうから。白だと思いこんでいた場所は裏を返せば黒だと気付いてしまうから。

 悪意と正義。

 どちらも分け隔てなく自分の何かを守る人間の呼称だ。

 少しだけ世界に被害が及ぶか及ばないかの話。それを守られる側が悪か正義だと決めつけるだけで正義と悪は対立する二つの関係でどちらにも転び、どちらにも信念がある。それを決めるのは守られている人間でそれを倒すのが正義か悪かも分からない人間。

 それを道化といわずしてなんと言うのだろう。正義の味方とは道化である。笑う者の居ない世界で必死で自分の居場所を守ろうとする道化師といっしょだ。

 ガリッと音がした。それは自分の口から出た音だと気づいた時には遅かった。いつの間にか煙管を強くかんだ為に歯が欠けてしまったらしい。

「おやおや。なり損ないがどうしてまた学校の教師など?」

 センスの悪い服を着た女がそういう。

 それはセンスの悪い服だったが、それでも彼女が着るとそれはお人形みたいな格好にも見える。

 黒と赤のセンスの悪いゴシックドレスを着た女は、白と黒のストライプ柄のニーソックスを振り上げて私の腹を蹴り倒す。

 いきなりの事で受け身も何もとれなかった。不意に蹴られたお腹は綺麗に鳩尾に入っていて、息が出来なくなる。

「ごぼっ!ごほッ!!」

「此処わかりずらいのよ。あんたもあんたなら道案内ぐらいしたらどう? 外で待ってるとか。どうして地下なのよ。間違って上の駄菓子屋で30円のお菓子かっちゃったじゃない!」

 ローファーの靴が腹にめり込む。どうやら逃がす気もないらしい。そもそもコイツがこんな所まで来るなんて聞いてない。

「貴様が、方、向音痴や、からや、ろうが……」

「こんな建物の地下にこんな物作るから悪いんでしょ? なんで駄菓子屋なのよ! 本部も馬鹿じゃないの? なんの副収入よ! そもそも株式会社HEROってバレバレじゃないのよ! 何が悲しくてこんな場所で地下牢とかつくってんのよ!」

 ツインテールの黒服ゴシックは私に八つ当たりしながら。顔を真っ赤にして怒っている。

 だけどコイツが来るとは聞いていなかった。なぜコイツなのだろう。そもそも来るんならば治療が先ではないのだろうか? 何故にコイツが?

「あれぇ? 良いわね。いいわねぇその顔。助かる見込みがあったとか希望的観測を打ち崩された顔だわ。いいわねぇゾクゾクする。そんなに私が来るのが不思議? 私は薫の為だったら何処だって飛んでくるわよ。あんな危うい子が正義の味方とかやってるのよ? たのしみじゃない。どんな人間になるのかとかどんな敵になるのかとか。まぁそもそも私あの子嫌いだけどね。反吐が出る」

「本部もえらい奴よこしたもんやの。アホちゃうか。なんでカタストロフィ(最強)とかよこすんや……」

「いいわね。最強って名称。最も強い者って書くのよ。てことは私は最も強くて最も正義に近い何かって事よね。いいわねぇそれ。反吐が出そう」

 にっこりと笑う最強は紛うことなく、疑う余地もなく、最強という地位を持って正義が何であるかを知っている。それが最強が最強たる所以。最強であるこの糞ゴシックは名前も戸籍も持っていないが協会本部が初めて、彼女を戦場に送り出した時に彼女は敵味方問わず惨殺にしたことから彼女にこの名称を与えた。

 ――カタストロフィ(最強)。初陣で上位の敵味方共々殺し尽くした人間。 

「世界に絶望したんだってね彼女。馬鹿だよねぇ。手の届く範囲だけ守ろうなんて、守るのは世界じゃなくて自分だけでいいのに、何を思ったか世界を救おうだなんて……反吐が出る。ああ気持ち悪い。気味が悪い。善人ぶるだけじゃ飽きたらず。世界を守ろうとするその気概もその精神も誰一人おかしいと思わないその精神も気持ち悪い。あれは欺瞞? それとも自己満足? 自己陶酔?」

 ガツッガツッと私の腹を蹴りながら彼女は自分の言葉に笑みを漏らして笑う。

「ほんと……反吐が出る」

 飽きたのか最強は蹴るのをやめて。黒い壁に持たれた。

「それで? 私がなんの為に呼ばれたのかしってる? なんとまー本部から直々に朝比奈薫の抹消依頼よ。わーすごいわぁ私ってばすごーいパチパチ」

 棒読みでそういうカタストロフィは心底おもしろくなさそうに。世界に文句の一つでも言い足そうにしながらも。扉の奥にいるであろう薫を見ている。

「なんでこんな事私がしなきゃなんないのかしら? こんなへんぴな場所まで来て同族殺しとは……反吐が出そう。たかが世界で下から二番目の馬鹿を相手にしなくちゃならないなんて」

 つぶやくカタストロフィは心底めんどくさそうに愚痴を零す。

「じゃあ帰ればええやないか。あんたなんか誰もよんでへんがな」

 呼吸が調った所で嫌み混じりに返答を返すが、カタストロフィは何も言わずに目の前の黒い扉を見ている。

「なり損ないあのね一つだけ良いことを教えてあげるわ」

「なんや?」

「ヒーローはなぜヒーローって言うか知ってる?」

「正義『の』味方やからやろうに」

「違うわよ。正義『の』味方だからヒーローではなくて、モチロン悪の味方だからヒーローなんかじゃなくて……」

 息を呑む。ゆったりとした動作でカタストロフィは壁から背中を離して胸を反らす。

「自分を救わないからヒーローなのよ」


 バンッ! と扉が重力を無視して吹き飛んだ。

 それは多分、元人である。

 いや正確に言うならばそれは朝比奈薫という人間であった筈だ。

 だが、アレはなんだろう? アレは……………

「初めましてというべきかしら? それともこんにちわ? いやおはようかもしれないわね。私はカタストロフィ。最強の名を持つ女です。さて始めましょう。貴方のお名前は?」

「………………」

「そう。生まれたばかりだものね。殻から生まれたばかりだものね。なら僭越ながら私が名付けましょう。貴方はそうね。こんなのはどうかしら?」








『正義の敵』









―2―

 無限という空間はどんな場所だったけと私は思い出していた。

 あいにくだがそんな場所には行ったことは無いがそれでも誰もが無限という真理から生まれてきたのは間違いではないのだ。

 どうやら私は、敵になってしまったらしい。

 どこから記憶が途切れているのかは分からないが、世界が私を裏切った感覚は思い出した。

 どうにも私は神様とか仏様という万能な人間に嫌われる傾向があるみたいだ。

 何処を何処を思い出しても私には悪い事とかした覚えなんかないのにも関わらず、神様は不平等に私に不幸を与える。

 なんという皮肉屋だろう。多分前世とかで私は神様殺しとかしてたに違いない。うん。いいぞ前世の私。もっと神様を木端微塵にするのだ。

 うわ! 神様強ッ!! 負けたわ。妄想だけども。

「てか此処どこよ……」

 見渡す限りどうも真っ暗であるが、不思議と落ち着くのは何故だろう?

 あれか昔から根暗だったとかそんなネタかッ! いや確かに根暗だったような気がしないでもないがそれでも暗闇が落ち着くとかそんなことはなかったんだけども。

「ねぇお姉ちゃん」

 後ろから声を掛けられた。それは何か鳥肌が立つようなそんな声だった。

 振り替えるとどうやら憎たらしい目をした餓鬼がボールペンもって立っていた。

「なに?」

 露骨に嫌な顔をして返事してやる。ていうかこいつむかつく目してるなぁ。

「人は死ぬと何処に行くの?」

 何とも物騒な事を聞いてきた。

「知らないわよ。馬鹿じゃないのあなた。死んだらそこで終了よ。何が悲しくてボールペンで人殺してんのよ。馬鹿じゃないの貴方。そんなに知りたかったら自分で確かめてみればいいのに」

 嫌みたらしくそういうと餓鬼はふふっち笑う。

「仕方ないじゃない。死ぬことはさせてくれなかったんだから……貴方も知ってるでしょ?」

「知ってるわよ。だったらサッサと消えたらどうよ」

「ふふ。お姉ちゃん嫌い」

「私もあんたが嫌いだよ。思春期特有の生死観を行動で示しやがって、子供はセブンスターでも吸って悠君が昨日捕まってさー俺は昨日コーナンで万引きしたZEとか言っとけばいいのよ」

「そんなにバラバラって男の子がすき? 自分が初めて助けた男の子が好き? 敵になったときはあんなにぼろぼろにされたのに?」

「うっさいなぁお前も後、数年したらその気持ちを味わうんだよ。そうなったときにお前はバラバラに甘えるなよ? 絶対だぞ? 絶対だからな!」

 そう言うと憎らしい目をした餓鬼は、少しだけ成長してセーラー服を着た女が現れその肩に翠色の蛙を従えて今にも飛びかかってきそうな殺気と目をして現れた。

「何よ?」

「……何も」

「そう」

 右手が少しだけ反応した。

 少しだけ手を伸ばせば…センセに手が届くのだ。

 それは凄く凄く暖かい事だ。

 それは凄く幸せな事だ。

 私を変えてくれたのがセンセだった。人間が嫌いで嫌いで仕方なかった時にセンセに出会ったのだ。

 ヒーローではないけれど、私の中ではヒーローだったセンセ。

「…センセ」

 イヤになる。口に出てしまった。出してしまった。

 蛙であるセンセは小さく鳴いた後で昔通り、どこから出したのか分からない煙草に火をつけて吸った。

「何をやってんだお前は」

煙を顔に吹きかけられながらそう言われた。

「いや……何って……正義の味方ですけど……」

「お前さぁ。正義正義っておまえ。特撮見たことある? 何とかレンジャーとかってやつ見たことない? あれ正義の味方な訳じゃん? あれが敵に操られるとかはあるかもしらんけど、悪に墜ちるってお前それ駄目だろう」

 小さな手を額に当てて、あぁ馬鹿弟子だ。とつぶやいた。

「そもそも何でワシがこんな所までこなきゃならんの? ワシ死んでるんよ? お前に殺されてさ。でも何でワシこんな事までこなきゃならんのか誰か説明キボンヌ。何? ザオラルとかした? もしかして成功しちゃった?」

 うぁ~相変わらずうぜぇ。ほんとうぜぇ。何この蛙? 私に会いたいとか無かったわけ? そもそも何でこいつをセンセとかって呼んでるんだろう私。

「いやでもセンセね」

「誰がセンセじゃ。貴様にセンセとか言われたくないわボケッ!」

「ドラえもん?」

「誰がタヌキか! こうほらあっただろう。ワシの名前。こうほら確かにドラえもんに似てるけども。あっただろう」

「土左衛門?」

「何でも言えば許されるとおもってんじゃねぇぞ餓鬼ぃぃ!!! 菊衛門! ワシ菊衛門! 牛蛙統括十五代目菊衛門!」

 ああ。確かそんな名前だったっけか。

「腐れ和尚に会えたわけ?」

「会えるか馬鹿が。こちとら悪じゃ。あいつが行くのは上。わしゃ下」

「最後にいいことしたのにねぇ」

「いいことな訳あるかい。ただの餓鬼に殺し頼んで、そりゃ神様もキレるわい」

「可愛そう……むしろいい気味」

「可愛そうどこいったんじゃ!! 建前か貴様建前か!! あぁこの馬鹿が何相変が悲しくて悪なんて来てんだ。相変わらず成長せんやつじゃの」

「うっさいなぁいいじゃん別に! もう正義の味方やめるの。私向いてないって正義とか悪とかの世界」

 ホッペた膨らませてぷぅーと睨んだ。

「……不細工」

「やかましいわ!」

「まぁどちらでもええわ。とりあえずワシが此処に呼ばれたからには何かしら理由があるんじゃろう」

 セーラー服の肩からぴょんと飛び降りたセンセはゆったりと寝そべり、タバコをふかす。

「いちょやってみ? 昔の自分と今の自分と……」



ー3ー

 カタストロフィーという名の女は朝比奈薫という女が嫌いである。

 それはかつて戦ったからという理由でも、負けたからという理由でもない。

 朝比奈薫という女が持つあの正義を貫こうとする行動が嫌いなのだ。

 それも朝比奈薫という女はどうにもこうにも世間を舐めているふしがある、

 その感情はもちろんのこと、その精神も、その行動も、その理由も朝比奈薫という女は『世間知らず』で始まり『世間知らず』で終わる。

 そのものの感情はどうにもカタストロフィーは分からないのだ。

 いや『分かりたくない』もないのだ。

 堅く鍛えられた肉体は何の為にと聞くと朝比奈薫は確実に弟の為と言うだろう。

 強く握った拳を振り上げるのは誰の為だと聞くと朝比奈薫は弟の為と答えるだろう。

 あのしなやかな体は全て他人の為にあるのだ。

 他人を守るなんて行為を地でやってそれを正義と思い込むのが好きな勘違い女である。

 だからカタストロフィーは嫌いなのだ。そんなやつが正義の味方をやっているのだ。

 ――――反吐が出る。

 カタストロフィーはハッと息を吐いて壁を蹴り上げて、天井を駆け回り、愛用の黒い傘を真っ逆さまに朝比奈薫に突き刺す。

 地鳴り共。のち空間が響く。空間が裂ける。

 だけど…………

「フシュー。フシュー」

 猿ぐつわをかまされた女は手が防がれた状態で紙一重に避ける。

 永遠と繰り返す反復練習と経験則で目が防がれた状態で朝比奈薫という女は避ける。

 最強の攻撃を避ける最弱など聞いたことがない。

 否、朝比奈薫という女はそれができて当たり前なのだ。

 それがどういう事か、だから前回も負けたのだ。

 それを考えないばっかりに負けたのだ。それを頭に浮かばなかったからカタストロフィーは負けたのだ。

 朝比奈薫は凡人である。凡人で凡人でただ平凡な絵に描いたような人間であるが彼女には一つ、努力という才能があった。

 その努力をきわめて人間という殻のまま凡人の行ける場所まで到達した女だ。

 そんな女が唯一突出した能力というものがある。

 それが無ければ朝比奈薫というのは凡人でしかないのにそこだけその一点だけ彼女は特に鍛え上げた。

 それが回避である。

 回避というものを一点に鍛え上げた。もちろんそんなもの鍛えたところで勝つ事などできやしない。

 だが負けもしないのだ。

 それが彼女が唯一絶対にして鍛え鍛え鍛えた武器。

 力は凡人。速さも凡人。防御も凡人であるが故に当たらないというものを武器とした。

 あるときは視覚を無くし。ある時は聴覚を無くし、ある時は足を封じ、手を封じ、彼女は避けるという行動を徹底して。

 もちろん、だから防げない攻撃には効かない。だから殻という敵には負けたと聞いた。いや自爆したの間違いだが、それでも朝比奈薫は肉弾戦を最もとするカタストロフィーには最大の天敵。

「最弱が……最強の攻撃避けるなんてね」

 考えても見なかったことというと嘘になるがそれでもカタストロフィーは床を蹴り上げ、傘を逆手に持ち替えて切り上げる。手首を捻り、そのまま突きおろす。

 が、それでも……紙一重で朝比奈薫は避ける。

「――反吐が出る」

 ギリッと奥歯を噛みしめると歯が欠けた。

 三十という攻防を繰り返しながらも、当てたのはせいぜい二発という数。

 身体的能力ならば圧倒的に有利にもかかわらず。それでも勝てない。

「ああ。ムカツク。ああムカツク! あんたなんなの? 私に何か恨みでもあんの? ねぇ言ってみなさいよ! ほら! ほら! 何で私の傘が当たらない訳? チートとかやってんじゃないの?」

 強く床を蹴り上げて跳躍。天井を跳ね回りながら、同時に轟音。鉄で作られた鉄が凹み、朝比奈薫と肉薄する。

 取ったと思ってもそれでも傘の先は彼女には突き刺さらず、奥の鉄に突き刺さった。

 突き刺さったまま、柄を持ち鉄棒の要領で回転。蹴り上げてもその場所には誰もいない。

 やはり紙一重に避けたまま。カタストロフィーを見下ろしたまま、呼吸だけしている。

「…………あーあーあーもう辞め。もう辞め」

 カタストロフィーは壁から傘を引き抜いて。そのまま床に座る。

 敵が目の前にいながら攻撃しないという愚行を犯す。

「お。おい」

 先ほどまであっけに取られていた識髪が問いかける。

「なに?」

「いいか? そんな悠長で、敵やで? しかもさっきから攻撃当たってないし、どないして勝つんや?」

「そんなの知らないわよ。私だってそれを考えていまこうして考えてるんだから……」

「いやでも戦闘中やないか」

「どこが? 攻撃してこないのに戦闘中? それは違うわよ。こいつはさっきから避けてばっかで私なんか見て無いじゃない」

 先ほどから薫は直立不動のまま何もせず、追い打ちすらかけず彼女はずっと立ち止まったまま。

「彼女は正義の敵よ? 私が正義な訳じゃないじゃない」

「……いやそれでも」

「いいのよ。ほっといても。まだココにいるって事は正義は出てきてないって事だから……」

「正義?」

「そうよ。それを生まれるのを見るのが私の役目。つうかそれが役目」


―4―

 攻撃が当たらないという行為ほどむなしい事はない。

 どれだけココが広かろうが、小さかろうがそれでもココに居るのはたった二人と一匹である。

 しかし。朝比奈薫の攻撃はさきほどから一度も当たっていない。

 それも過去の自分に一度として当たっていない。

 それは何故か? 朝比奈薫は凡人で凡人で成長がもう中学で止まったからである。

 限界を既に行き着いてしまった状態の二人では決着なんて付くはずがない。

 しかも両方が両方、回避という能力を持った化け物である、そんなもの決着など付くはずが無いのだ。

 それでもその人間に二発当てたカタストロフィーという人間はやはり化け物というしかないのだが。

「なぁ……薫。お前はいったい何を学んで来たんだろうなぁ」

 遠くで戦闘を見守る蛙が言う。

「ワシは確かにお前をヒーローなんてものに仕上げた張本人だが、それでもココまで狂えなんていってないし。ここまで危うく居ろなんて言った覚えも無い。それでも貴様はワシは後悔はしとらんよ。お前は殺されるか殺すかの二択しかないからな。でもな。それでも少し考えてしまんだわ。ああコイツはやっぱり正義なんて看板は重かったんだろうなぁって思うんだわ」

 相手の攻撃がくる。それをやはり紙一重に避けてカウンターの要領で右を繰り出すが、やはり避ける。

「お前が言う正義というのが悪いという訳じゃないさ。多分お前なりに考えて手の届く範囲でその場所を守ろうとしたんだろう。でもなお前が守ってたものが果たしてお前と同じ方向を向いてるとは限らんのでは無いか? お前が守るものが弟一人というならばそれでいい。そういう考え方の人間を知ってるしな。ただな時々思うんだわ。ワシら正義と悪というものは守る物がどれかって理由で、敵対する状況であたかもそれが悪と正義というならばお前が守っている物は悪じゃないのか? とか思ったりするんじゃ」

 左が来た。左の蹴りが来た。それを薫はしゃがんで避ける。そのまま水平に右足を足払いするが、相手は高く跳躍した後に足をつぶそうと全力で降りてくる。

 足を急いで引っ込めて、着地した瞬間頭を掴んで頭部ごと地面にたたき付ける。だけど相手はそもまま大きく振り上げた右手をたたき込んだ。

 ――――――相打ち。

「そしてな思うんだ。この世界に正義や悪なんて居るのかと……」

「だまりなざいよ」

 鼻血を出しながら薫は起き上がる。

 同じ人間なのだ。そりゃ回避が上手いといっても掴むくらいはできる。しかしそれでも、回避ができない状態は同じなのだそりゃ攻撃だって食らう。

「……でもお前の大切な人は殺されたぞ? イジメっていうどこでもある社会の循環の中でお前の友達は殺されたぞ? その行動は悪だな、たぶん悪だ。でもなどこにでもあるんだ。それはどこにでもある事なんだ」

「だからって霧恵が殺される理由なんてないでしょ? だから彼女たちは悪じゃない!! なにいってんの?」

「だからだよ。お前が守っていたものは悪じゃないか。悪だから正義でもないじゃないか……」

「…………ギリッ!!」

 歯が鳴る。この真っ白い世界に音だけが響いた。

「薫。お前が悪いとは言わん。お前はよく頑張ったさ、でもな薫。それじゃ誰も救えないんだよ。事実、お前の友達は死んでお前は狂ってそしてココに居る」

「煩い!!」

「薫。お前は本当は分かってるんだろ? お前は本当に分かってる筈なんだよ」

「煩い!煩い!煩い!煩い!!!!!!」




「この世界は悪なんだよ」




 両手を両耳に持っていった動作の為に跳ね上げられた右腕には気づかなかった。

 あごに右拳は当たり、頭蓋骨を揺らし、脳を揺らしながら、高く高く跳ね上がる。

 揺らされた脳は何も考えられなくて、それでも私は霧恵を救えなくて、それでも私は世界を救いたくて、それでも私は正義の味方でいたくて、でもどうやら私は正義の味方ではなくて、それはどうしようもないぐらい愚かな行動であり、私が得られた物はせいぜい小さなストラップと無くした虚無感でしかなく、それがたまらなくたまらなく悲しくて……あぁこのままいっそ死んでしまってもいいんじゃないかと考えて、考えてからどうやって死ぬんだろうと納得して、この体は小さな体に似合わず、不死のような体だったのだと思い、私は私はどうしていいのかすらも分からなくなって、私は私という個体は、悪なのか正義なのかどうでも良くなってどうでも良くなってしまって。

 ぷつんと何かが切れた。

 体のずっと奥で、頭の中心で、この感覚をなんというのだろう?

 真っ白だ、この世界のように真っ白だ、真っ白すぎて泣きそうになる。

 これは何だろう? この感覚を浮遊というのだろうか?

 ああ、もうどうでもいい。いや、どうでもよくなった、ごちゃごちゃと何か考える事もめんどくさくなった。

 世界は悪だ、確かに悪だ、多分神様は悪だ、こんな世界を作った神様など悪に決まっている。

 でも世界は変えられない、ならどうする? ならどうしようか?

 ああ、分かった。そうだよ。そうなんだよ。

 私が正義になればいいんじゃないか。私の生き様を正義と名付けよう。いまから私は誰かを守る訳ではない。

 手の届く範囲なんかもう疲れた、私は正義だ。私こそが正義としよう。私が正義だ、私という人間が正義だ。

 私の行動が正義としよう。あの行動が悪だ正義などもう知らん。

 私こそがこの世界がたとえ悪だったとしても私が正義になってやる!!!!

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 白い世界が裂ける。

 真っ白い世界が裂ける。

 蛙が一匹正義を見上げながら言う。

「遅いつうの。馬鹿弟子が」





―5―

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 朝比奈薫は叫ぶ。猿ぐつわをかみ砕いて、天高く吠える。それは人間でありながら神々しく、いやに野生的だった。

「来たわよ!! 来たわよ!! 来たわよ!!!! さあさぁさあさぁ!! 正義が来たわよ! 本物の正義バカが来たわよ。さぁさぁ!!」

 嬉しそうにカタストロフィーは語り。それでいてワクワクと遠足を待つ子供のように叫んだ。

 高く飛んだカタストロフィーは一直線に薫に向かう。

「生まれて来ておめでとう。そしてさようなら」

 笑顔でカタストロフィーは語りそして、下ろした傘の先は拘束具のみ貫いて一歩先で避けられた。

「いきなり何するかなぁ……」

 すっと立った薫は頭をかきながらめんどくさそうにカタストロフィーを見る。

「おはよう正義。この普遍的で最悪な世界を壊す人間を正義と言うのかは微妙だけども、私は最強。世界をまたにかけて生まれた化け物」

「……どうしたの? トチ狂ったの?」

「あんたね! せっかく格好良く決めたのに! 私が馬鹿みたいじゃない!」

「馬鹿じゃん。あと最強とか行って私に負けたじゃん」

「うっさいわね! 私はね負けても最強なの! いやむしろ負けるから最強なのよ!」

「そういうもんなの? ねぇ識髪?」

「ん? あぁ多分」

 識髪が問われて後ずさった。

 いやむしろ逃げ出したかった。たぶんあれは朝比奈薫であろうと思う。

 だけれども、あれは違う。違うような気がする。いや変わったというよりは突き抜けた。

 人間という枠組みを超えた人間というのは気味が悪い。いやそもそも何だろうこの威圧感。

 正義というのは何だ? 正義というものは突き詰めるとあのような気持ち悪いものだったのか?

「そういえば何で最強が居るのよ……」

「ああ。忘れてた、私あなた殺しに来たのよ。それが命令なのよ」

「そんなこと言われてもなぁ。私には敵対する意志とかないしなぁ」

「そうね。私もあんたが生まれるのを見るのが目的だからね。あわよくば殺せたらとか思ったけども」

「んーそうねぇ。まだ敵対する気はないとおもうけども、気が変わったらごめんね」

「そう。正義とはそうなのね」

「そうなんだよ」

「――反吐がでそう」

「意外とそんなもんじゃない? 正義って」

「そうね。とりあえず今日は引いとくわ。今日はね」

 最強の女はそういいながら傘を開いたと思うとあっという間に消えた。

 ああ、ああやって登場やら退場するから迷子になるんだなと識髪は思う。

「さてじゃあ私も行ってくるわ」

「どこに?」

「ちょっと用事」


―6―

 ピッピッと機械音が鳴っている。

 仲良く三人で眠りながら生命維持装置の音だけが鳴っている。

 ああ良かったと正義は思う。

 綺麗に寝顔であるが、それでも彼女たちは悪である。

 これを復讐というのかは分からないがそれでも罪に問われる事のない未成年者には人を殺してもそれは簡単に出てくる。

 だから正義は思う。

 やはりこの世界は悪だなぁと思う頭を掻きながらさも呆気なく。

 生命維持装置のスイッチを切った。

 正義は思う。多分私はどこか壊れたのだろうと思う。

 でもそれでも……私はもう止まれないのだ。

い、一年ほったらかしでした。

すいません。まぁゆっくりやっていきます。

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