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第二話:殻の敵

 ずっと思っていた事がある。

 寿命を全うした人間はいったい何処に行くのだろうと考えていた。

 死んでみないと判らないのは知っているけれど、意識は何処に消え、意志はどこにいってしまうのだろうとその事ばかり考えていた。

 死にかけた祖母や祖父に聞いてみた事はあったが、彼らはニコニコと笑っていただけだった。

 一応、悟りというものを得れば結果が出るという噂を聞き、宗教にも手を出してみたが何も得られる物は無かった。

 ただ色々な物は知れたような気はした。それと同じくして死後の話や語り継がれている事は生きている人間が考えた後付けでしか無いのだと結論も出た。

 そんな事ばかりしていると自分は死んでから何処に行くのかという事よりも、自分が自分の意志であるのかどうかを疑い始めた。

 自分という確証は何処に行ったって何も無いというのに何の根拠があって自分という物に確証を持てるのかと考えてた。

 役所に行って聞いてみたりもしたが、渡されたのは戸籍だけだった。

 ただそれが正確であるかどうか定かでは無いものを渡されても確信や証明を得る事が出来なかった。

 一度寝た女が『アンタの子だ』というような不規則で信じがたい物だとこのとき思った。

 DNA鑑定するわけじゃないのだから、女に貴方の子だと言われたら信じるしかない。

 こんなものなのだろう世界というガラス玉は。曖昧であやふやなこの世界で信じる物はというとやはり自分の自我や意識でしかないのだと悟った。

 ならば自分が死ぬと意志が何処に行くの判るかも知れないと、手首を切り裂いてみた。

 気がついたら病院のベットの上にいて父親であろう男に殴られ、母親なのだろう女は一晩泣いた。

 どうやら生き延びてしまったらしいのだ。困った。

 入院中に精神病棟にまで入れられて、白衣の男の質問に答えているとあげくにベットに拘束までされた。

 仕方ないので舌をかみ切ろうとしたら次の日には猿ぐつわをかまされて何も出来なくなった。

 そこから四季が2回程変わったある日に思い立った。

 人を殺せば判るかもしれないと思い立った。それは完璧な作戦だと思われた。

 自分が死ねないのだから他人を殺せば判るかも知れないと思った。

 手始めにボールペンで白衣の男を殺してみた。

 意外に呆気なく死んだ。

 ただ、骨は硬く、肉はピンク色をして、脂肪は白くて、血は赤ではなく赤黒いのだなと知識だけは得れたような感じがした。

 しかし、同時に死ぬ間際に意識はどこに行きそう? という質問を投げかける事は出来なかった。その前にあっけなく死んでしまった。

 仕方ないので病院にいる人間という人間を殺してみた。

 呆気なく死んでしまって意識が何処に行くのかやはり教えてもらえなかった。

 仕方ないので病院をでて教えてくれそうな人間を捜し回った。

 雨が降っていた。少しだけ肌寒いと思った。

 ………………感想はそれぐらい。






第二話

『殻ノ敵』








 起きてすぐに薫は自分が何処に居るのかを確認する。

 それはどうあっても自分がどこで目覚めたのかを確認する事と、この世界に居るのかどうかという認識の為。

 平行世界の可能性すら疑う。

 疑わなければ足元がハッキリしない。

 そうしなければ自分が立っているのか、座っているのかすらも判らなくなる。

 拳を見ると昨日あれだけ血を流したというのにもかかわらず、両手は綺麗に回復していて、毎度の事ではあるが自分の醜さにゾッとした。

 怪物みたいだと心にも無い事を思う。いや実際は自分ではない誰かに言われてるような気がして、酷く陰鬱になる。

 『ヒーローなんてものはろくなもんじゃない』

 そういえば、誰だったかそういう事を言っていた気がする。

 それはヒーローなのか、ヒーローにあこがれる人間だったのか、それとも仇なす者だったのかは定かでは無いがそう言っていたような気がする。

 誰だったか? …………頭が悪いというのは時にいやになるな。と結論付けた。

 自分が何処に居るのかを確認して、薫は半身を起こす。

 肩寸まで揃えられた黒髪が肌にくっついて、タンクトップも肌に張付く。寝汗が体中からかいている事に今気づいた。



「起き……ます」



 誰とも無く呟く。

 起きるというのはつまり、そういう事。

 脳をいち早く覚醒させて、いち早く自分を世界に認識させる。

 灯台のような物。自分は此処に居る。だから早く私を狙えという合図。

 頭の隅に今もあるifという夢の世界を追いやるタメでもある。そこには悲しいくらいの夢と希望が詰まっていてアンパンマンすらその世界の住人であるぐらいのメルヘンで楽しくて平和で幸せだ。

 だけどかえって来ると途方もなく大きなカナシミが薫をおそうのだ。

 だから、深く眠るのは好きじゃない。誰だってあの世界じゃ無防備だ。躱す術もないし、そこに救いもない。

 タンクトップと下着姿で立ち上がり、学生服に着替える。

 壁にかけてあるスツール製のハンガー掛けから学生服をひったくり、ノロノロと薫は着替え始める。

 タンクトップを脱いで、下着を替え、ワイシャツを着て、スカートのジッパーを上げ、スカーフを締めた。

 手順通り、間違いは何も無い。というか間違えようがない。

 なのに着替えが終わった瞬間に薫はゆっくりと、溜め息を吐いた。

 部屋が寒いのかどうかは知らないが、吐き出した息がキラキラと白く光る。

 何時もの淡々とした作業。

 嫌いでは無いけれど、好きにはなれない作業。

 フト外を見ると、遮光カーテンの隙間から透明な線が見えた。

「…………今日はやっぱり雨、か」

 呟いた。が雨音にかき消されて音は静かに暗闇の中へ吸い込まれていった。

 雨と飴は両方嫌いだった。





 部屋から出ると、鮭の香ばしい匂いが台所から漂ってきた。

 部屋の前で薫は大きく伸びをした後に、ゆっくりと台所へと足を運ぶ。

「あ、姉さん起きた?」

 バラバラが似合わない向日葵柄のエプロンをして、笑って薫を出迎える。

 菜箸であれこれしている姿は何とも主夫というか、主弟? そのものである。

「相変わらず。何か家庭的だね。バラバラ」

 椅子に座り、決められた事をするロボットのようにテレビを付ける。色白で唇がぷっくりとしたお天気お姉さんが愛想笑いで微笑んでいて、その度にいつも、ひがみとかいじめとか沢山あるんだろうなぁとか薫は思う。そもそも僻みとか妬みとか出来が良く生まれた人間にはどうしようも無いのになぜ、そこからいじめが起きるんだろう? やっぱりもてるからかな?

「なんかは今日は調子悪そうだね」

 バラバラに話しかけられて思考を止める。どうせ考えても仕方の無い事だ。そんな事考えるならばどうやってバラバラがなぜ巨乳好きなのか? という事を考えた方がましだ。

 やはり脂肪かッ! あの脂肪の塊がいいのかッ!

「ん? んーなんか調子出ない。つか御飯の匂いが何か気持ち悪い」

 テーブルの上のミカンを取って皮を向く。毎度この白い糸みたいなの外す人いるよね。あれってやっぱり几帳面とかなのかな? つか私は誰に向かって話してんだろう?

「そりゃ二か月前まで姉さんは朝御飯食べる習慣が無かったもんね」

 バラバラは笑いながら鮭の脂身をひっくり返して、薫を揶揄する。その手さばきに少し感動を覚える。

「だって……何かダルいんだもん。朝食べるとか」

 机に両手を伸ばしてナマケモノのように机に倒れる。

 多分ナマケモノというより生ものだよね。女の子って。

 早めにお召し上がり下さいみたいな? でも食べてくれなきゃ腐る訳でも無いのに何でそんなに……ねぇ?

「だってじゃないよー。そんなんだから姉さんは低血圧なんだよ。もうちょっと栄養の付く物食べなきゃ。あ、姉さん暇ならテーブルの塩取ってくれないかな?」

 薫はムッと顔を上げると、テーブルから右手を水平に移動させてガスコンロの前に立つバラバラに手渡す。

「ん」

「ありがとう。……本当に調子悪そうだね」

 バラバラが苦笑とも失笑ともつかない笑みを浮かべて、鮭をひっくり返す。

 意外にも耳を澄ますと換気扇の音も聞こえるだなと薫はなんともなしに思っていた。

「昨日は少し血を出し過ぎた」

 顔を伏せながらバラバラに伝える。

「それ平気なの?」

「…………平気じゃない」

 嘘だけど。


 薫がそう言えばバラバラは確実に心配してくれると判っているからだ。

「今日は休む?」

 鮭が焼けたのか、昨日の夕食の残りである玉子焼きを小さな皿に乗せて、テーブルに置いていく。

 どう見てもこの身のこなしは主婦だよなぁとか思いながら薫はくたびれたまま考える。

「いいよ。そこまで心配しなくても。バラバラが一日中添い寝してくれるっていうなら考えるけどさ」

 バラバラが茶碗に白米を盛りながら、テーブルに並べていく。

「そ、それはちょっと」

「ふんだ。言うと思ったよーだ。バラバラなんか嫌いだッ。嘘だけど」

 逆だけど。

 じゃあ本当の気持ちはどっちなんだろう? 反対の反対? 反対だから反対? それとも『嘘だけど』も反対?

 じゃあ本当の気持ちは本人にしか分からないんだよね。

 それを相手に伝えようとか思うのは愚かでしかないよね。まぁ気持ちは分かるけどさ。

 バラバラは薫の対面の椅子に座って微笑む。

「まぁ食べようよ。あと嘘だけどって言葉はあまり使わない方がいいよ? 何でもアリになってしまうよ」

「逆だけど……」

「意味合いは一緒だよ。そんな言葉全てがギミックになってしまう。そうなれば言葉は言葉じゃなくなってしまうよ」

「難しい事言うわね」

「僕がそう思うだけだけどね」

 ある意味ジャンルを否定したなぁとか思うのだけれど、それはバラバラの持論だから仕方無いか。

 戯言だけど。

 そう言えばこの言葉を使うと全ての小説が戯言ジャンルみたいになるけど、そこに拘ったら先にいけないよね。

 あとそろそろ『スタンド』って言葉は国語辞典に載ってもいいと思う。

「URYYYYYY!!!」

「ちょ。姉さんどうしたのいきなりっ!」

「いきなり高貴なるお方が私の中に入ってきたのよ」

「姉さん。それは多分妄想だよっ!」

「妄想だろうが空想だろうが神様だって殺してみせる」

「間違えてる姉さんっ! そもそもナイフ一本で神様殺せる人間と張り合っちゃ駄目だよ!」

「悪いな。こっから先は一方通行だ」

「完全記憶能力とかないからっ! 何か趣旨変わっちゃうからっ! そもそも姉弟コンセプトじゃないから!」

「まぁそんな話は置いといて」

「好き放題し過ぎだよ姉さん」

「色々と女だって堪ったり溜まったりするのよ」

「姉さん朝から卑猥過ぎるよっ!」

 朝から無駄にバラバラをからかう。

 無駄という行為は本当に無駄だけれど、無駄な思い出ほど記憶にはこびりついていて、それが数年経つと懐かしいと感じるのだ。

 そんな当たり前を当たり前だと感じる事が大切なのだ。

 それは薫が一番良く判っていた。

 それこそ痛いくらいに。

 朝ご飯を食べ終わり、ふぅと一息吐く。

 外を見ると相変わらずの曇り空で、透明な雨が降り続いている。

 タタンタタンとリズミを刻むように雨音がコンクリートを叩いていて、今流行のJポップなどよりかは遙かにリズムがいい。変則的で単調だ。

 テレビに映る可愛い天気予報士が小学生のような黄色い傘を差しながら明日までこの天気は続くであろうと予報している。予想なのかもしれないけれど。でも所詮は確率の問題でしかないのに何を予報するんだろうか?

「……鬱陶しいね。雨」

 呟くとバラバラが渋めの緑茶を呑みながら外を見る。

「姉さん。相変わらず雨嫌いだね」

「バラバラは好き? 雨」

「僕は結構好きだけどね。洗濯物が干せないのが厄介だけど」

「変わってるわねー」

 テーブルに頬をくっつけてそういう。

 集点すら合わない目で外を見てもボヤケて何も見えないのだけれど、とりあえずはそこに視線をやる。

 いや、何処を見たって今の心境じゃ何も見えてはいないのだけれど。

 二人して外を見ていると、テレビが星占いを映し始めた。

「さ。姉さん行かなきゃ。もう時間だ」

 バラバラが薫の鞄の中に弁当と折り畳み傘を入れてくれる。

 占いのカンドダウンはちゃくちゃくと進み。最下位を映す。

「ごめんなさい。今日の最下位は獅子座の貴方。ついてない一日。何をしたってマイナスで誰も貴方のがんばりを認めてくれないかも」

 今日はのっけから憂鬱だなぁと薫は思う、鞄と傘を持って家を出た。

 長い一日の始まりだった。







―2―

 敵だろうなと薫は思った。同時に敵じゃなければいいなとも思った。

 矛盾した思考だなぁと薫は考えて、視界を覆っている傘を斜め上にあげた。

 そうすると茶色一色だった眼前が開けて、猫の死骸を片手に持った少女と目が合った。

 バラバラと同じような歳の少女で、綺麗に肩幅に揃えられた黒い髪が印象的な女だった。

 長袖のワンピースが良く似合っていた。

 ただ、目に宿した光の無い瞳は焦点を捉えず、何処も見ては居なかった。

 嫌な目だと薫は思う。

 光を宿さないという事は何も見えちゃいないし、見ようともしない目だ。

 そこに光があるのに見ようともせず、内側から鍵を掛けた人間の目だ。

 そんな瞳をもつ人間を一人だけみたことがある。丁度二年前に。鏡の前で。

「今から学校かな?」

 長袖のワンピースを着た少女は色白の肌と共にニッコリと笑み、薫に問いかける。

 初対面の人間にしては凄く根性が座ってると思うが、目の前の人間は間違なく敵であり、敵意外の何者でも無かった。

 何故判るのかと言われたらそうとしか思えないからだ。

 そもそも、初対面の人間に今から学校かな? などと質問しないのが世の中の道理だ。

 そんなもの今から貴方と関わりますという前置きみたいな物だ、

「うん。ただ何というかこのまま見逃してくれる気はないかな? 朝からこういう濃いのは私としては何かヤダ」

 逆手に持ったナイフが先ほどまで居た位置に振り切られた。

「ちょ。ちょい待った! あんたが敵なのは理解してるけど、あんたと闘う理由なんて無いんだって! そもそも私は自分が守れる人間さえ守れたらそれでいいの。あんたと敵対するつもりなんてないって」

 女はキョトンとした目をしたと思うとナイフをしまう。

「敵? 敵とは何でしょう? あらたな疑問です。RPGとかのあの敵ですか?」

 意識が剥離されてない……?

 大体敵と言えば何処かしら意識を深層意識に身を委ねる物なのだが、なんでこんなにハッキリしているのだろうと薫は思う。

「あんた……何とも無い訳?」

「何とも無いとは? 私はただ意識が何処に行くのかという積年の疑問を解消しようと人を殺してるだけですが?」

「いや。それはおかしいだろう。どう考えても。道徳的に」

「知識欲の乾きを潤すことがそんなにおかしい事だと思います? 私はそうは思いませんが」

「あんたってさ。あれ? 天然って奴?」

 いや天然で人殺してた天然というより天才だわ。

「天然って何ですか?」

「それすらも判らないんだッ!」

「ああ。判りました! 天然水とかってやつですね!」

 大きな瞳をまたも大きく開いて彼女は両手を合わせて答える。

「いやーそこまでいったらあんたは間違い無く天然だわ」

 しかも少し可愛いというのが悔しい。なんだこのフランス人形みたいな小さな顔は! 皮肉かッ! しかも天然ってど真ん中ストライクかッ!

「いやーいるもんだね。神様の芸術作品ってやつ。なんか私人間辞めたくなってきたわ」

「じゃあ死にます?」

「いやいや怖いから! ものすっごい怖いから!」

「怖くしませんから」

「笑顔ですり足すんなッ! そっちのほが怖いわ! つか狙うんなら別の頭悪そうな学生とか狙えばいいじゃん。なんで私なわけ?」

「頭悪そうな女子高生でしたから……」

 そうか……軽くショックだ。私って今時の頭悪い子に見えるのか……

「まぁ落ち着いて私の話を聞いて人殺すの辞めようとか思ったりしない? いやむしろ私をこのまま逃がす気ない?」

「ありません」

 笑顔でいう彼女は何も言わずにナイフを振り上げて薫を襲う。

 どうしようもないかぁ……

 だからハッキリと薫は言う。

「OK。了解。わかった。じゃあ今から私は貴方の敵で貴方は私の敵だと認識する。いっとくけど手加減できないからね」

 貴方の敵は私だと言う。

 彼女はゆっくりと笑うと、少しだけ小さな首を傾げて妖艶に笑う。

「敵……ですか? わかりました。そういう決まりならば私は魔物役になりましょう。ただ私としては敵の概念をしりたいのですが? 何故私がてきなのでしょうか? そもそも敵っていう概念は正義がいるはずなのに今この状況はどちらも正義じゃないですか? じゃあ私はどちらの敵なのでしょうか? そもそも貴方は自分が敵だとは考えた事は無いんですか?」

 そんな事を言われても薫は眉一つ動かさない。

 薫にとって自分が敵だろうが味方だろうがどちらでもいいのだ。弟であるバラバラさえ助かればそれで良い。たとえそれが世界を壊す選択だったとしても後悔しなければそれでいい。薫にとって世界とはただの器にしか過ぎず、それ以上の価値もそれ以下の価値も平等にない。

 助けるという概念が違う。助けたいって思いが違う。助けようって思える持論が違う。

 世界を助けるなど言えるやつは、それなりの力が持ってる奴が言えばいい。この世界に助けるだけの価値があるの“なら”の話だけど。

「私はアンタの敵。アンタは私の敵でいいじゃん。シンプルイズベスト。それ以外になにを考えるというの?」

 敵である少女は『確か』にと頷く。

「では早速で悪いのですがお願いがあるのです。私の代わりに見てきてもらえませんか? 意識が何処にいくのか……」

 ガリッと薫の耳元で音がした。

「え?」

 振り向く瞬間すら無い。

 右耳から左耳に何かが突き抜ける。

 同時にその音は脳をかき回し、視覚と聴覚をいきなり失った。

 そのまま腰から空気が抜けるように力が入らなくなり、立てなくなった。

 足に力が入らないどころか焦点が合わない。自分はなぜにこうも間抜けに腰を抜かしているのだろうと考える。

 先ほどまで筋肉でなりたっていた足がビクッビクッと痙攣していて、頭も攪拌されてなにが起こってるのかすら把握できない。脳をぐらぐらと揺らされただけでこうも人間脆いものだと初めて感じだ。

「フフ。ほら聞こえます? 私が崩れていく音が聞こえます? 私は脆く崩れていく音が聞こえます? 私は崩れていく。私は崩れるんです。脆く淡い人魚姫のように崩れていく」

 薫を見ようともしない彼女は灰色に満ちた空を見上げて両手を広げる。

 ――――気持ちが悪い。

 薫はその風景を一言で片付ける。見ていて気味が悪い。

 いや、胸糞が悪い。

 そんじょそこらの悲劇のヒロインとはまた違う感覚。

 奴はカラッポなのだ。

 カラッポである筈なのに、その表面に張付く感情とも呼べない代物は何なのだろうかと思考する。ころころと変わる表情はまるでお面のようなものだなって思った。

 ただ奴はカラッポだと自覚して尚、その生き様を『しょうがない』の一言で片付けれる奴なのだろう。

 薫の全身に鳥肌が立つ。

 こりゃヤバい。こいつはもしかしたら敵っていう概念じゃ最強だ。

 無自覚なのかそれとも無干渉なのか。

 奴には世界の概念が無いのだ。いや常識が通用しないのだ。それに準ずる何かも彼女は持ち合わせてはいない。

 主体性が無い訳でもなく、人間という意志があるのにも関わらず彼女はそういうものに対して無関心なのだ。

 こりゃ負けるかもしれないなぁ。

 フラフラとまだハッキリと動かない頭を再起動させて立ち上がる。正確には立ち上がってると思う。

 足に力が入ってるのか入って無いのかすら判らないのだから視覚で見るしか無いのだが、その視覚すらぼやけて高低差が見えない。

 立っていると思うしか無い。

 一歩目を大きく地面を蹴り上げて。二歩目で大きく体を反らした。

「糞ガキ。歯ぁ食いしばれぇ」

 着地と同時に大きく振りかぶった右手を相手の左頬に打ち下ろす。

 骨が砕ける音と共に小さな体躯の彼女が軒並み家を連ねている高級住宅の壁まで吹き飛ぶ。

 確実に致命傷だがそれでも、薫は追い打ちをかける。

 残心という言葉がある。

 折りえても 心ゆるすな 山桜 さそう嵐の 吹きもこそすれという道歌が有名だが、武道、芸道に関わった人間ならば誰もが聞く言葉である。闘っても勝ったと理解してもそれども尚、その気概を失わず再攻撃があった場合に備えて体を構える姿勢である。

 ただその行動は武道や芸道という世界の話だけ。

 いくらその気概があろうとも、もう一度攻撃された場合、負けるかもしれないのだ。そうなってしまえば間抜け以外の何物でも無い。

 どどめを刺す事にためらいを持つ奴はヒーローでも何でもない。ただの負け犬だ。

「ああああああああああああああああああああ」

 その事を一番よく知っているのが薫だ。

 死ぬ事を恐れれば死ぬ。とどめを刺さなければ刺される。意識が無くならなければいつか倒れるのはこちらだ。

 ヒーローの世界など甘い物ではない。皆平等などで世界が平和なら戦争など起きないのだ。正義が居るから悪が居るのだ。

 ザビエルが愛を語ったところで現在は米軍が日本人をレイプするのだ。

 その存在が居るから真逆の存在も居るのだ。世界はそうして出来ている。

 今時の小説にある誰も死なない世界など、そんな世界は幻想でしかない。幻想などとうに捨ててしまった。

 敵である彼女の髪を掴んでコンクリートの壁にぶち当てる。鎌首もたげたように返ってくる顔面に膝をかまして、乱打。乱打、乱打。

 カクンと敵である彼女の首が折れて、そのまま水浸しのコンクリートの上に倒れた。

 時間で20分やそこらで薫は敵である彼女を殺した。いや実際に死んでいるのかすら生きているのかすらは判断できない。

 生きているかもしれないと薫は思う事にする。人を殺すのにためらいは無いが人を殺すのはやはり後味が悪い。

「しんど。何で私がこんな目に遭わなきゃならないんだろ。あーバラバラァ。お姉ちゃんはもう無理だよ。挫折しそうだよぉ」

 ポケットから携帯を取り出して、119を押す。119であってたかどうかは判らない。そもそも119って何番だっけ?

 怒った顔のぬいぐるみが姿を現すが知ったこっちゃない。なにがウガーだ。似てないっつうの。

 いまはとりあえず119だ 119って何番だったかぁ。あ、119番じゃん。

「えーっと1、1」

 ガリッと音がした。

 振り向くと敵である彼女が音も無く立ち上がった。

「痛い。痛いよ。でも……割れてないなぁ」

 割れる? 何が? 何が割れて…………ガリッ

 脳を揺さぶられてまた攪拌される。足は痙攣ともおびえともつかずに震え上がっていて、視覚もぼやけた。ただ何故か聴覚だけはいつもよりハッキリ聞こえていた。

「何で、アンタは確か意識を失っていたはずなのにどうして? どうして立ち上がれるの? 死ぬか生きるかの瀬戸際だった筈なのにッ!」

 だけど彼女は答えない。

「痛い。痛いわ。でも割れてない。私はまだ生きている。ああ。何故生きているのだろう? 意識は無いはずなのにどうしてだろう。そもそも私にははじめから……意識なんてあったかぁ? 殻なのに」

 ガリッとまた音がした。

 ガリッとまた。

 ガリッ・ガリッ・ガリッ・ガリッ・ガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッガリッ。

 音だけがする。いや音だけ……?

 こらえきれないほどの衝撃が突き抜けた。連続して上下左右斜めから不可解な衝撃。

 収まったと思えば、次に大量の血が鼻と耳からあふれ出す。

 何が起こったのかすら判らない。ただ――漠然と静かに薫は思う

 ああ。――――――――負けるな。

 バラバラお姉ちゃん死んじゃうかもしれないや。

 ごめんね。お姉ちゃん約束守れなかった。

 ごめんねバラバラ。大好き。

 薫の頭が上下に飛ばされて、呆気なくコンクリートの地面に伏した。

 それからまもなくして敵である彼女はおぼついた足取りで消えていった。




―3―



 目を醒ますと真っ白な蛍光灯と、真っ白な天井が目に入った。

 ここ何処だろう? と薫は考えるが、考えても結果など出ない事は判りきっていたので寝た。

 考えても判らない事は思考しても無駄である。

 そこに例えば居場所特定検索エンジンだとか、マニュアルみたいなのがあれば話は別だけれど、考えて判らない事を何時間も考えるよりは聞いた方が早い。

 今この状態がそうだ。

 考えてみた所で自分が何処に居るのか? 等をうだうだ考えてみた処でそんな事意味の無い事だ。

 ならば体力を回復して、状況が判る奴に状況説明させればいい。

 聞かれなかったら問うだけの事。

 ふてねしようとした時にヤケに身体がスースーするなぁとか思って瞼をもう一度開けると意外なことに全裸だった。

 びっくりするしない以前に脱がした張本人は間違なく血祭りに挙げてやろうと心に決めた。

 バラバラにすら見せた事無いのに……っ!

 その身体を見ながら思う。

 相変わらず胸囲という胸囲は無く、泣きそうになった。

 世の中にはつるぺた属性なるものや、貧乳属性などといういかがわしい属性があるのは知ってるが、バラバラは悲しい事に巨乳好きなのだ。

 何が悲しいって、下着タンスの裏にエロ本があった事だ。しかも巨乳ッ!

 あんな脂肪の塊など何がいいのか判らない。やはり挟むのがいいのか。

 それともあの掌に収まらない感じがいいのかッ!

 埋もれたいのかッッ!

 段々と腹が立っていく事に気がついたけれど……悲しい事にいくら怒った所でこの胸は大きくならないのだ。

 ………………ツラい。

 薫はゆっくりと溜め息を吐いた。

「巨乳とか死ねばいい」

「それはあれか? ウチへの嫌がらせか?」

 いきなり声をかけられて薫はベットから飛び退く。

「そない。いきり立ってもしょうないよ? 薫」

 長くストレートな黒髪。

 櫛を梳けばそのまま落ちるぐらいの綺麗な髪だ。

 作られたような線の細い顔に、色彩の淡い藍色の着物。 パッとみた限りでは間違なく大和撫子を彷彿させる。

 肩にかけてある白衣と手に持った銀色のキセルさえ無ければの話だが。

「識髪……?」

 さらしを巻いて尚、そのたおやかな胸を揺らして、識髪は近くの壁にもたれたまま薫の方を向き綺麗な笑みを浮かべた。

「後遺症とかは無さそうやね。まぁそれでもあんなけ頭ガンガンと揺さぶられてたら脳がシェイクしてもうて結構時間掛かるんやけど、流石は凡人ヒーローって所かな」

 銀色のキセルを咥えて識髪は笑う。

「助けてくれた……のか?」

「まさか。起きたばっかりで寝ぼけとんちゃうか? アンタとウチは味方でも無ければ敵でも無いんよ? あまりに唐突なボケやさかい返せんかったやん」

 上品な顔して相変わらず毒舌だなぁと思う。

 識髪は火種を窓から捨てて、二三度キセルを振ってから袖口に直した。

「アンタとは目的が一緒なだけや。あんたはバラバラを。ウチはアイツの中に飼うてる敵さんに興味があるだけや」識髪は言う。

「それを忘れてたらあかん。ただアンタがおらなバラバラの中の野郎が出てこんからね。手当てしただけの事や」

 面白くなさそうに識髪はそう言って近くの椅子に腰掛ける。

 丁度今から一ヶ月前。

 目の前に居るこの人間と死に掛けの殴り合いをした事があった。それからというもの識髪はこの学校に赴任してきて、保健室の主と化した。

 本名は不明。

 判る事と言えば京美人で毒舌でバラバラの中の敵を追っているという事ぐらいだ。

「あんたさぁ。いい加減諦めたら? 二ヶ月前に封印してからめっきり出てこないのに、どうしてそこまで『故に』に固執すんの?」

「故に?」

「ああ私が付けた名前『故に』ってシックリこない? 何か」

「言い得て妙やな。でも何時出て来るかが判らんからんさかい。次は躊躇い無く殺すで。でも今はそんな事どうでもええねん。アイツ誰や? あのあぶない奴」

 あぶないね。

 私にしてみればアンタの方があぶないが……それってどうなんだろう?

 そんな事を思いながらも、あのバラバラと同じ歳の少女を思い出す。危ないというよりも脆い感じがしていたのは確かだが、それにしたってあんな化物みたいな奴を腹の中で飼ってたら普通精神が壊れると思うのだけれど、彼女は正常だった……気持ち悪いぐらいに。

「さぁ……なんなんでしょうね? 私が聞きたい」

 ベットに半身を起こして答える。

 まだフラフラと頭が揺れるがこれぐらいならば大丈夫だろうと結論。極論かも知れないけれど。

「まぁ私としてはどっちゃでもええんやけど。どう考えても上位クラス。下手すりゃ死ぬで? あんた」

「いや正直、面倒ですけど、私ヒーローなんで。倒さなきゃ誰が倒すのかと」

「世界に何百と居るヒーローに何を期待しろって言うんよ。確かに希少価値と言えば希少価値やけどヒーローの中やったら下から数えて二番目やんか」

 ヒーローというのは決して『なりたくて』なれる物では無いが、『なる』と決めたらなれる物である。

 その境界線が曖昧だ。

 ヒーローというのは肩書きでは無く、凡人に与えられた凡庸にして平凡なる称号である。

 ――誰かを救う。

 ただそれだけに特化した人間。

 救う物の対象としては何でもいい。世界だろうが街だろうが人間だろうが猫だろうが何でもいい。

 そうやって薫はバラバラに合う少し前にヒーローになった。

 助けたのは……他でも無い小さなカエルだった。

 醜くて井の中しかしらぬカエルを助けるために薫はヒーローになった。

 一度目の死闘で死にかけて彼女はヒーローになった。

 ただ、最初に殺した敵もカエルだっただけの話。

「あれや。確かに気にかけるんはしゃあないけども、バラバラの事があるさかい。でも深追いしたら死ぬで?」

「ヒーローが人を守れなくてなにがヒーローですか…………」

「人を守るだけがヒーローちゃうやろ? 何を勘違いしとるんかしらんけど。アンタはバラバラ守るだけでよかったんちゃうの?」

 確かに薫はバラバラを守るだけでよかった。世界など滅べばいいと今でも思ってるし、世界など守る価値もないと今でも思っているのは確かだ。ならばなぜ私はこんなにもあの子にこだわっているのだろう? と薫は考える。

 ああ。そっかと理解する。どこかで見た事のある目をしていたんだ。誰だったか? もう出会う事は出来ないけれど。そいつは確かに私の中にいたのだ。

 大切なものが壊された時に私は私で無くなったのだ。

「守りたいと思う気持ちに理由は無いでしょ?」

「それで自分が死んだら身も蓋も無いと思うがな。誰かを助けたいなんてのは誰かを助けたいと思う奴が助けたらええんとちゃうか? ヒーローやからって守る守られへんなんかの基準で話してもうたらまたあんたが敵になってまうで?」

「そんなに救う価値がありませんか? あの子は?」

 識髪は袖から銀色のキセルを出して、中に葉っぱを入れる。

「無いな。私から見たらアイツは終わっとる。どうしようもなく末期や。あそこまで正常なんが信じられん」

「じゃあそうなんじゃないですか? でも助けますよ。たとえ殺したとしても助けます」

「動機も理由も使命も無いのにか? お前意味わからんわ。動くまでになにかしらあるやろ? そんなもんが無い人間に何を期待せえ言うねん。たかがヒーローの餓鬼に」

「復讐者風情に言われたくは無いわね」

「もういっぺんいうてみ。かみ砕くぞ。餓鬼」

「どうぞ? ご自由に? アンタじゃ私は殺せないけどね。それでも助けにいきます」

 識髪はキセルにマッチで火を付けると、一服して紫煙を吐き出した。

 一瞬にして薫は髪を掴まれてベットに押し倒された。

「ええか? 一回しか言わんからようきけ。アイツは上位クラスや。下手したら世界クラスかもしらん。ほんで末期や。ほっといても自滅するんや。あんた死んだら誰がバラバラの中からあの化けもんだすんや? だれがバラバラ元にもどすんや? お前やるいうたんちゃうんか? 世間知ってるかのような口ぶりで喋ってんちゃうぞ餓鬼。いてこますぞ」

 背中にナイフの背が当てられている。さすがは復讐者。ヒーローのなり損ないだ。

「いいじゃん別に。バラバラは助けるんだから。それでもあの子も助けるんだ」

「アンタが死のうが死なまいがどちらでもかまわへんけど、アンタに懐いてるバラバラはどうするんよ? バラバラはアンタの弟やろ?」

「アンタの弟でもあるけどね」

「せや。だからや。アンタはバラバラを守る権利があるやろ」

「誰かを選んで守るなんて行為をしなきゃならないタメにヒーローなんて称号貰ったわけじゃないわよ」

「はっ偉そうに。貧乳娘が」

「あっ……あっ…………」

「まぁバラバラは小さい時からお姉ちゃんの胸しゅきーって言うてきたからなぁ。今頃は巨乳好きで私みたいなこういう……大きな胸がやね」

「ふん。年増が……胸が大きければいいてもんじゃないわよ! ようは形な訳! 判る? こう形とか色とか右手に収まる大きさとか……」

「まぁ無いもんの言い訳やでな」

「うぎゃーー!! お前殺す。今殺す。人がせっかくせっかく!!」

「巨乳体操とか夜な夜なやってんのにな。鏡見て両手を」

「それ以上いうなぁああああああああああああ」




―4ー






 大きく息を吸う。退屈な学校はすぐさまエスケープした。

 実際には授業が終わるまで胸を……といえばいいか。あの後に識髪に羽交い締めにされた私は、胸という胸を揉まれて……思い出したくないから省略。

 もみくちゃにされて疲れ果てた私は保健室から出て行こうとする識髪から『丘上の豪邸』というキーワードを聞いて来てみたが、案の定、彼女が此処にいるという事が一目で分かった。

 なにせ、惨殺だ。左右対称形シンメトリー形式に作られた庭園には色々な死体が転がっていた。

 虫から人間までなんでもござれだ。何を思ったかあの子はどうしようもなく手遅れなのだと理解してその思考を飲み込んだ。

 言われるより見て納得する方が結構ツラい事だなんてがらにもなく思ってしまった。

 ゴックンと飲み干せたらカッコいいのかも知れないけれど、喉ごしは最低でいつも喉元で詰まる。

 ――馬鹿みたいだ。私。

 薫は死体の脇をすり抜けながら門前の大きな館を目指す。

 あそこにまだ住んでるというのだから、壊れてるよね……やっぱり。

 何が彼女をそうさせたのかは判らないが、薫は思う。

 人生は至って平凡な道など無いのだ。誰かしら何かしらの事情があって、警官だったり官僚だったり殺人鬼だったりするのだ。

 だから敵になる理由など誰しも持っていて、ヒーローになる理由だって誰しも持っている。

 ただ。彼女はその二つに一つの選択を薫とは真逆に行ってしまっただけの事。

 溜め息はもう出なかった。

 覚悟はとうに出来ている。

 薫だってヒーローのランクじゃ下から二番目だが、守るという一点に絞れば薫は誰にも負けない。

 このポンコツで気味の悪い身体はその一点のみに特出し形成し強化し鍛えた肉体なのだから。

 あるサウンドノベルを引用するならば薫の身体は――


 ただそれだけに特化した魔術回路。


 ま、魔術とか関係ないんだけどねぇー。おかわりアーサー王は出てこないし、エルフ耳の人妻出てこないし、黒い幼馴染みもいないからねぇ。

 至って面白みのない世界ですよ。

 人の何倍はあろうかという玄関を開けると大理石の大きな階段があった。

 やはり周りは死体が大量に転がされていて、死体処理所とかってオチは無いよなぁとか思ってみるが、いかんせん日頃から妄想主義な癖して、こういう時だけ現実思考だ。

 夢オチとかならベストなんだけどなぁと薫は思う。

 正直、夢オチならば何でもアリじゃん? つうか夢オチならばこんな現実見なくて済むじゃん?

 あぁマトリックスの世界に憧れるね私は。

 この世界が空想ならばどれほど良いか。 そんな事絶対に有り得ないと判っていても少しぐらい救いは欲しいじゃない。

 死体を目の前にしてキャーと叫ばない私も私か。蘭を見習わなきゃならないなぁ。事件毎にきゃーだもんなぁ。いい加減慣れろよ……。

 精神的にどこかおかしいのだろう。私と彼女である敵は。

 結果などとうの昔にでている簡単だ。



 ――――――――――人間だった者だ。



 だからだろうなぁと薫は思う。

 だった。だったなんだよな私もあの子もだったなんだよね。

 それを悲しいとは思わない。ツラいとも思わない。

 そうなる事を選んだのは他でもない自分だ。

 ただただ少しだけ弱音を吐かしてもらえるんならば、寒いだけ。

 孤独だと感じる事が何より寒くて寂しくて恐いのだ。

 敵対する恐怖では無く。何も得られない恐怖。

 欲しい物を壊してしまうこの身体では自分の幸せなど望んじゃいけないからだ。

 それが寂しいのだ。

 だから……彼女は救えないならば自分の手で殺すしか無いのだ。

 刺し違えたとしても一人で行くよりはマシだと思う。

 いや、嘘だ。

 私自身が怖いのだ。

 一人で居る恐怖が怖いのだ 壊れた人間がもっとも自分に近い存在であるなどとヒーローとしては言語道断な意見なのだろうがそういう人間とそんな人間なのだからそれを恨むのならば神様にしてくれ。

 誰しも一人で居る事の恐怖は知らないかも知れないけれど、一人という孤独は並大抵の物じゃない。例えば寂しさのあまり人を監禁したとしてもおかしくないくらいには。

 何を考えているんだろうな。全く。

 敵に同情してどうするんだって話だよ。殺したらそれで終わり。その先は無し。さようなら。

 冷徹になりきれないからこんな間抜けな思考をするハメになるのだろうと薫は切り捨てて、大きな大理石の階段を上る。

 いや、上ろうとしたけれど辞めた。いつから居たのか相手さんがこちらに気づいたらしくてなんともまぁ見下ろしていらっしゃる。

「ごきげんよう?」

「ごきげんよう」

 うわ返した。やはり貴族様だ。すげぇごきげんようとかいいともの後番組ぐらいしか使わない言葉だと思っていた。

「もうそろそろ来る頃だと思ってました」

 にっこりと彼女は笑む。

 表情がない顔など久しぶりに見た感じがする。

 バラバラと初めてあった時くらいかな? いやその前の私か。

「意識あるんなら聞くけど。アンタの中に飼ってる物を私に浄化させる気無い?」

 無理と判ってても聞いてしまうのはやはり似ているからなのだろう。

 敵は自分のボロボロの体をなめ回しながら言う。

 気味が悪い光景だ。痛くないのだろうか?

 彼女の全身は骨が数本折れているのにも関わらず、まっすぐ立っていて、血は足下に滴になって垂れてきているというのに彼女は何ともないように笑う。

「飼っている? これは飼っているというのでしょうか? 私は飼っているというよりもまとっていると言ったほうが早いと思いますが」

 纏っているねぇ。殻の敵ってところかこれは。

 ガリッと瞬間音がして右肩を後方に吹き飛ばされた。

 薫は何が起こったのか判らないまま右腕を折られた事に今気づいた。

「私ね。ずっと思っていたんですよ。人間は殻のまま生まれて殻のまま死ぬんではないかとずっと思っていたんですよ。だって本体はほら何処にもいないじゃないですか。自分というものがないのなら本体はいないと思うんです。だから殻のまま人間を殺してしまったら割れるんじゃないかと思ったんですが、やはり人間は堅いというのは本当なんですね。なかなか割れてくれません。悲しい事に殻のまま死んでしまうのでよ」

 階段を一段一段下りてくる毎にガリッガリッと音がしてそのたびに薫の体に車に跳ねられるような衝撃が走る。

「悲しいことでしょう? 本体はどこにいったのでしょうね? 殻の私たちは何処にいくんでしょうね」

 殻の敵が薫と視線を合わせる。

「紹介が遅れました北条美咲と申します。以後――――お見知りおきを」

 黒いワンピースの裾を両手で掴んでお辞儀する。

 ガリッ。そのまま屋敷の外まで吹き飛ばされた。

 ああ。空が灰色だ。無駄に食らったけどやっぱり仕組みとかわかんないなぁ。倒し方がいまいち掴めない敵はどうしろっていうんだろうね。全く。

 そもそも自己紹介の時に攻撃してくるとかタブーだろ。王道漫画的にさ。なんだ名乗りあってこその武士道じゃないの? あれ私って考え方古いのかな?

「どうしました? 攻撃なさらないんですか? 貴方はヒーローでしょ? 私の敵なのでしょう? まさか馬鹿ですか?」

「そう褒められても返しようがないんだけど」

 立ち上がると鼻血が出た。それを袖口でぬぐって薫は笑う。

「褒めた覚えは無いですが?」

「皮肉だよ。気付よ馬鹿女」

 さ。どうやって倒そうかと思考する。

 倒し方が判らない以上説得しか方法がないのだけれど、ごり押ししたって負けるだけだし、その前に私が貧血で倒れてしまう。ならばどうすればいいのかって話なんだけれど、秘密の力がある訳じゃないし、第三の目とか無いから意味ないし。どうしろって言うのよ。

 助けてッ! 花丸先生! 花丸ばかり付けないでたまには子供を『こんな問題もできないの? 坊や? お仕置きね』とか罵ってあげて!

 喜んだら確実にMだからッ!

 いかんいかん。あまりの強さに現実逃避した。

 さて……解決作がないんならあれだね。玉砕覚悟というやつだね。神風みたいなものだね。

 二度吹いてくれたらもっけもんだけど。

 地面を漕ぐように蹴って最短距離で北条美咲とやらの胸元まで接近してのど元を掴んで叩き伏せる。

 砂埃が舞う中でまたガリッと音がする。嫌な音だ。これ聞くとすぐさま衝撃がくるんだもんなぁ。

 そんな感想と共に左足が強い邀撃とともに真後ろに上がる。

「あああああああああああああああああああああああああああ」

 あり得ない角度で上がり、骨盤から付け根をまるで鈍器か何かで殴られたような感覚。

「まだ足りないですね。まだまだ。割れませんね」

 砂埃が消え去ると同時に美咲の蹴りが飛んでくる。

 回避する暇すら与えない。水月に当たってもだえる。

 そんなナリして肉弾戦も出来るのか。

 薫が膝を付いた瞬間に美咲は先ほどとは違う足で薫の右頬を蹴り飛ばした。

 数メートル吹き飛ばされてやっと停止する。

「おやおや。朝方の威勢はどうしました? 私を倒すのでは無かったのでしょうか? 私を倒すために此処に来たのではなかったのでしょうか?」

 いったい全体どうなってるんだ。

 あの音の正体が判らない以上どうしようも無いじゃないか。そもそもアイツは何なんだ。

 みてくれは悲劇のヒロインみたいな格好してるくせになんで肉弾戦まで出来るんだ。

 そもそもなぜ吹き飛ばない。なぜ攻撃してもひるまない。

 右足は持ってかれた。

 立ち上がると右足の骨盤がギリッと悲鳴を上げる。知らず知らずのうちに奥歯からぎりぎりと音が漏れた。

 美咲はユックリとこちらに近づいてくる

 でも手の出しようが無い。

 どうしたってあの音が邪魔で近づけない。

 そもそもあの音って何なんだろう? 割れないって事は割れそうになっているのだろうか? どこが?

 全身をなめ回すように見てみても全然わかんない。

 じゃあどうしろっていうのよ。

 なんだそもそも勝てる試合じゃないって判ってるけども、なんていうかこう欲しいじゃんヒントとか!

 その時、ガチリと何かが当たった。それは万年筆だった。

 溜め息を吐く。なにが悲しくて万年筆とか出てくるんだろ。全く。

「……あんたさ。”ボールペンで人を殺した事あるかい?”」

 敵である彼女はクスクスと笑う。

「どうやってボールペンで人を殺すというのですか? 貴方馬鹿じゃないですか?」

「ボールペンをなめちゃだめなんだよ。ボールペンって言うのはある意味最強の武器でさ。私はこれで病院を壊滅させたよ」

「意味が分かりません」

「良い事を教えてあげよう。人が死んでも意識が行き着く先は何処でもない。天国もなければ地獄でもない。勿論あの世なんてない。人間が死ねば仮面舞踏会さまさまで私たちを見守っているのさ」

「それで油断を誘おうとしている気ですか?」

「いや経験談だ」

 ムクッと薫は起き上がると万年筆を指先でくるくる回すとそれを構えた」

「さーマジックをみせて上げよう。私を恨まないでね。ペンが此処にあるのが悪いんだから」

 薫はふっと表情を消す。そのまま最短のルートでつかつかと歩いていく。

 敵である彼女は余裕の表情で音を出す。ガキッと薫の肩が外されたが薫は何とも無い風に歩いていく。

 敵である彼女はもう一度音を発生させる。次は足を折る気持ちで打つ。が一度倒れただけで薫は立ち上がって歩いてくる。

「な……」

 初めて敵である彼女は驚きの表情を見せるがそれにも無反応。

 表情一つ変えない。いやそもそも今の薫に表情が無い。何も無い。何があった訳でも無い。文字通り何も無いのだ。空っぽではない。空っぽという言葉すら存在しない。そこにいないのだ。

「こ、こないで!」

 両足を折る。が薫はそれでも歩いてくる。痛みを感じていないのだろうか?

 右手左手と折るが歩みを止めない。それどころか後数センチで捕まる。

 敵である彼女は焦った。先ほどまで優勢だったにも関わらず今では劣勢である。たかが万年筆を見ただけでこのざまだ。

 なんだというのだ。そもそも彼女の今の姿こそ敵じゃないか。それに比べたらわたしなんて……

 グッと襟首を捕まれたと思うと、がくんと地面に羽交い締めにされた。両腕を両足で羽交い締めにされて彼女は万年筆をしっかりと両手で持つ。

 見上げるその瞳には何も映っていなかった。いや何も映そうとしていない。はじめっから敵味方など今の彼女には関係ない。

 じゃあ……彼女は本当にヒーローなのだろうか? いや先ほどの謎かけみたいな質問に彼女はなんと答えたっけ?『私はこれで病院を壊滅させたよ』そんな事を言ってなかったか? ずっとヒーローである彼女の事だから敵と戦う為だと思って居た。

 ガスッと薫は万年筆を振り下ろす。

 ああ。彼女は…………私より前に人を殺していたのか。彼女もまた殻をもってたんだ。じゃあ……私のこの今の気持ちは…………

「思春期特有の自己意識だろうさ」

 関西弁の女がいつの間にか片手で薫の顔を押さえている。

「まぁ仕方ないわな。ガリって音も実はあんたの能力じゃなくて此奴の脳が拒絶する音やねんから」

「へ?」

「あんたは至って普通の人間。ただまぁ人殺しには変わりないけど。こいつは勝手に自爆してあんたが勘違いしただけ。北条さんやっけ? あんたは人殺しなだけやよ。ただ昔の自分を思い出して薫の奴が自爆しただけ。殻の敵はこいつなんよ。ほんとうは。いや殻じゃないなぁ。こいつはな。敵に近い何かなんやろうなぁ」

「でも音は出せましたよ。私が強く念じれば……」

「そりゃそうや。薫がそう思い込んだんやから。あんたが何かしてくる。だから音が出る。吹き飛ぶ。みたいなね。こいつは昔の自分に負けたのさ」






ー5ー

 全治三日という大けがを負った。

 いや意外に長いんだよヒーローの怪我としては。何が起こったのかは全く判らないんだけども……とりあえずボールペンみて相変わらず記憶が飛んだという記憶しかない。

 いやーまぁ相手殺してなかったからいいんだけども。あの子は識髪がちゃんと事後処理と匿ってくれるらしい。とりあえずは一安心と言ったところだろうか?

 いやー私も危なかったと言ったところだと思う。ただ。そう。記憶を失ったのは悪いと思う。確かに悪い事だと思う。でも……でも……

「はい。バラバラ。あーん」

「……あ、あーん」

 なんで識髪とバラバラが果物食べさせあっているのだろう? なんだ。これが噂に聞く放置プレイってやつか。

「ちょっとバラバラァなんで私の部屋に識髪が居るのよー」

「そんなの…ね、ねえさんを連れてきてくれたのは識髪先生なんだから仕方ないじゃないか」

「そうやそうや。恩はかえさなあかんやろ。だから私はバラバラからリンゴをあーんして貰う券をもらったんやないか」

 券なんか発行してたんだ。それじゃ膝枕券とか腕枕券とかあるのかな? あ、それちょと欲しいかもしれない。

「あんたが気失ってたんやから仕方ないわな」

「そんな事言われたって全然覚えてないんだから仕方ないじゃない」

「そんなんウチに言われても仕方ないわ。あ、もうええよバラバラは持ち場にもどり」

 リンゴを剥いてきた皿を持ってバラバラはリビングへと戻るのだろう。ごゆっくりと残して私の部屋から出て行った。

 結局私はリンゴ食べれなかった。

「で? 何しに来たのよ」

「何しにもなにもあんたを笑いにきただけや」

「最低だね。死ねばいいのに」

「死ぬか阿呆ぉ。お前が死ね」

 沈黙が部屋を包んでいる。そもそも識髪と話す事はあんまりないんだから仕方がないと思う。

「北条さんやっけ? 本部がちゃんと世話してくれるって言うてたわ」

「そう。なら安心と言えば安心ね。本部じゃだれも手出し出来ないから」

「そうやな。ただ……まぁずっと彼女は疑問抱えたままやろうな」

「疑問ね。いつかあんな疑問はれるわよ。しょせんは自分が考えてる思考回路なんてたかがしれてるんだから」

「経験者は語るってやつやね?」

「わっかんない。ただそう思うだけよ」

 識髪はポケットからキセルを取り出して葉っぱを摘める。

「あんがい過去は過去って認める奴やってんな。自分」

「ほっといてよ。何も悪い事なんてしてないわよ。私は」

「そうかい。それならいいわ」

 キセルに火種を入れてふぅーと吐き出す。

「さすがに上位クラスの元敵さんやね」

「それを言わないで。今はバラバラが居るんだから大丈夫よ……」

「ほんまか? 私にはそうはみえんかったけどな。あんたはいつか壊れるで。いや実際あんたは二回壊れてるんよな確か」

「………………………」

「ふぅーまぁええわ。そんな事私には関係ないし。とりあえず今回はご苦労様やってよ本部からの通達。それだけ……」

 識髪は立ち上がり部屋を出て行こうとノブに手を伸ばす。

「ねぇ? 識髪?」

「ん?」

「バラバラに自分は姉だって伝えなくて良いの?」

 少ししてから彼女は答えた。

「柄じゃないわ」


 扉が閉まった。少し悲しそうに見えたのは気のせいだと思う事にした。



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