ある野菜の一生
私は何のために生きているのか。
そう思ったのは、赤い野菜の彼が、高校生のとき。
青い空の下の、緑に囲まれた農園で、木にぶら下がった彼は、自分が生きていること自体に、なんらかの意味を見出そうとしたが、全てが無為のように思え、結局は日々を何となく過ごすことに落ち着いていた。
ある日、学校の先生と、高校卒業後の進路について二人で話し合った。彼は、彼の望む職業を話したのち、その日の面談を終えた。
高校卒業後、幸運にも、彼は希望の職業に就くことができた。彼の働きぶりは、実直そのものだった。彼は初めて、生きる意味というものを実感した。それは、「これこそが私の全てだ」とも思えるようなものだった。
それから長く働いた後、彼は仕事を辞めた。たくさんの苦労があったけれど、それは彼にとっての生きがいであり、熱中して仕事に取り組んだ数々の時間は、まるで宝石のような輝きを発していた。
仕事をしなくなった彼は、次第に、またも自分の生活に退屈した。その生活は続き、しばらくの時を経て、熟し、収穫された。野菜にとって収穫は、木からの栄養、いわば人間でいう食事を絶たれることと同じで、その後は、どんどん衰弱していくことになる。彼は車の荷台に積まれ、運ばれた。周りには、彼と同じ種類の野菜が、所狭しと箱に詰められていた。彼らは、だいたい同じ時間を経て、「終わり」をむかえるのだと、直観していた。これはもう、確定事項だった。
暗闇が消え、工場に着いた。
野菜たちには、まだはっきりとした意識があり、それは皆、同じだった。彼は、まだ退屈な生を感じていた。やがて彼らはいくつかの経路を通り、大きな円柱の金属の容れ物に放り込まれた。金属に入れられた彼らが持つのは、収穫されたあの日から全く栄養が供給されていないことによる空腹感と、自分が自分であることの意識だけであった。彼は、ふと、高校生のあの日に考えたことについて、思い出した。しかし、また考えてみても、結果は同じ。なんの回答も得られなかった。結局、わけの分からぬまま、一生を過ごしてきたことは、徹頭徹尾変わらないと感じてしまった。
そして次の工程に移られた。ミキサーが回り始めたのだ。
彼らは、個々の意識を失い、生命活動を停止。死んだのだ。
そして彼らは、今や、私の腹のなかに・・・・・・