キャットファイト
「何で桜の頬を叩いたりなんてしたのよ!」
俺が最初に見た光景は、姫川の親友である成瀬乙女が、永井和志の幼なじみに怒った様子で詰め寄ってる場面だった。
何であの二人が……? 接点はないはず。
となれば、昨日の件を俺と同じくどんな形かで知ったってことだろう。
これはちょっとこの先の展開が不安だ。雰囲気も既に悪いみたいだし。
「どうして、あなたがそのことを知ってるの? あの場所には姫川さんと私以外、誰も居なかったはずよ」
確かに俺以外は誰も見当たらなかった。
俺の場合は途中から目撃したのと彼女にとっては死角だったから、気づかなかったのだろう。
「やっぱりあんただったのね。昨日、桜とは校門で待ち合わせしてたのよ。桜に訊いたら何でもないって答えたけど、左頬だけ赤いのは明らかに変よ。あんたが桜を呼び出してたのは知ってた。永井と幼なじみだってこともね」
ビンタは悪手だったな。特に成瀬に知られてしまったのは運が悪かった。
姫川に少しでも危害を加えるとかなりうるさい。それは俺が経験済みだ。
意外だったこともある。成瀬が永井と彼女が幼なじみであることを知ってたということだ。俺が無知なだけでそれなりに知名度はあるのかもしれない。
「そう……」
「何が原因かは知らないけど、あたしの親友に手を上げるなんて許せない。ちゃんと謝りなさいよ!」
成瀬は敵意をバンバン浴びせ、高圧的な態度で迫る。
相当ビンタしたことに対して怒ってるらしい。
「部外者が関与してこないで。あなたには関係ないことよ」
対する彼女は、相手が姫川じゃないからか分からないが、昨日見た時よりも落ち着いた様子で冷たく言い返す。
「だから何? あたしは桜を傷つけたあなたに謝ってほしいだけ。それ以外は求めてないんだから」
「……嫌よ」
「小さくて聞き取りずらかったけど、まさか嫌って言ったんじゃないわよね?」
「そう言ったのよ」
嫌って言ってたのか。昨日姫川に対しても謝らないって言ってたもんな。成瀬の強気な態度で来られたら尚更意固地になるに違いない。可能性があるとすれば、永井にこの件をチクることくらいだろう。
にしても、相性が悪い二人だ。犬猿の仲ってきっとこの二人のことを言う為にあるんだろうな。
「あんた!」
「あなたが私を嫌悪してるように、私は姫川さんを嫌悪してるのよ。絶対に謝らないわ」
「な、何なのよあんた! あんたが謝れば丸く収まることを……ふざけんじゃないわよ!」
いやいやそれは違うだろ。誠意のこもってない謝罪なら余計に拗れるのが落ちだ。
だいたい彼女はハッキリ『嫌悪』という言葉を口にしている。成瀬の言葉通りになることはあり得ない。
「知らないわよ。話はそれだけ? ならこれで終わりよ」
おっと、まずい。こっちに歩いてきてる。そう思い、俺もここから立ち去ろうとした時、成瀬が肩を掴んで歩みを止めさせた。
「ま、待ちなさいよ!」
「まだ何か? 話は決裂したのよ。それともまだ他にもあるっていうの?」
彼女は嫌々振り向き、面倒さを少しも隠そうとせず、投げやり感を醸し出している。
「何よその態度! 少しは反省したらどうなの?」
成瀬は彼女の態度に不満を募らせ、こっちまで分かりやすくイライラ感が伝わってくる。
態度で言えば良い勝負だと思うけどな。どっちも譲歩する気もなく、物腰柔らかに接する気もまったく見えないのだから。
「はぁ……。あなたが絡んでくるのは姫川さんに頼まれたから?」
「あたしの独断よ。それが何?」
俺の時と一緒か。成瀬の暴走機関車具合は。
今回はビンタという実害がある分、分からなくはない。
ただ、本人への意思確認は最低限必要なことだ。自己犠牲型で考えを曲げない系主人公や勘違い酷い系主人公の場合は、普通の方法では救いようがないケースもあり、本人確認はある程度無視しても良いけど、姫川は別にそういう系統ではない……はず。
「姫川さんに直接言われるならまだしも、勝手な行動で自己満足してるあなたにはこれ以上付き合ってられない」
うわぁ……。きつい言葉だな。
何で女子同士の喧嘩的な会話ってこんなにも刺々しいんだか。
「じ、自己満足。ち、違うわよ。あたしは桜のことを思って……」
と言いつつ、言葉尻が小さくなったのは気の所為か?
「あなたはそう思ってても、姫川さんがそうしてほしいと思ってるかは分からないのに? 随分と自信があるのね。友達思いの成瀬さんは」
皮肉り過ぎだろ。昨日の姫川とでは別人みたいに強気だな。相性の問題か? それとも図星を突かれてたからなのか?
そこら辺はどうでも良いにしても、今ので成瀬の雰囲気が少し変わった気がする。
「早見瞳子……。あんたさ、あたしを馬鹿にしてるわけ?」
早見瞳子って名前なのか。初めて聞いたな。
というか――成瀬の声低くっ。マジ怖なんだが。
「してないわ。ただ、そう思ったのなら、その自覚があったってことで――」
パチン!
「……え? な、何をするの!?」
早見さんは頬を押さえて狼狽える。
あちゃー。俺は眉間をつまんだまま首を振った。
またか、またなのか。しかもビンタされた方は昨日ビンタをした方だ。成瀬ぇ……敵討ちのつもりかよ。
「これは桜の分のお返しよ。あんたと話してたっていつまでもどこまでも果てしなく平行線だってことは十分に分かった。だから今のでチャラに――」
パチン!
「ど、どういうつもりよ……?」
今度は成瀬が頬を押さえる番らしい。
君ら、血の気が多過ぎない?
やられたらやり返すってか。目には目を、歯に歯を、ビンタにはビンタかよ。
これは笑えん。一ミリ足りとも笑えんよ。
「一発は一発よ。姫川さん本人に仕返しされるならまだしも、何であなたにやられっぱなしにされなきゃいけないの。調子に乗るのもいい加減にしてくれる?」
「痛い! 離しなさいよ!」
早見さんのビンタと言葉で、完全に火のついた様子の成瀬は、早見さんのポニーテールを引っ張るという行動に出た。
あーあ。もう完全な喧嘩じゃん、泥沼じゃん。
「そんな長い尻尾を垂らしてるからでしょ!」
「……あなたが暴力で来るなら、私も容赦しないから」
はい、入りました。何かカチッてスイッチ音が聞こえたよ。
本格的な女の戦いになるんですね。ちっとも分かりたいと思いません。
「ちょ、痛いのよ!」
早見さんは成瀬のツインテールを両手で握ると、横に広げるようにして引っ張り始めた。
もうお互いに取っ組み合いである。
君ら、毛根を痛めそうな戦いは止めなさい。世の中の頭が寂しい方々にガチギレされても知らんぞ。
「あなた風に言うなら、尻尾が二つあるのが悪いのよ!」
「この性悪女!」
「うるさい。バイオレンスツインテール!」
「頑固ポニーテール!」
「無関係チビ!」
「き、気にしてることを! ピンク頭の桃色恋愛脳のくせに!」
「あなたが私の何を知ってるのよ! この知ったか親友狂い!」
こんなリアルキャットファイトは嫌だ! ってタイトルの小説を書けそうだと思えてくるよ――君ら二人を見ているとね。
だけど、これ以上はちょっと、リアルでは見てられない。俺のか弱いか弱い貧弱精神ではな。
どうにかして止めなければ。……止めた方が良いよな?
――いや待てよ。
漫画みたいに満足するまで放っておくって手段もあるよな。敢えてそうすることで勝手に仲直りして終わるのでは? もしくは悪くても相互不干渉になるとか。
俺が仲裁することで不完全燃焼に終わって、より不仲に拍車をかける展開にはならないよな? そんな責任が発生するとすれば断固拒否したいところなのだが。
さて、どうするべきか……。




