噂が広まってたらしい
登校して教室に入ると、何故かは知らないが、各方面から視線が飛んできた。
取り敢えず、適当に全体を見渡す。
ん? アリアの周りには女子が三人集まってるようだな。その子たちも俺を見てきた。ふむ、まったく意味が分からんし、身に覚えもない。
時間差でアリアまでもが見てきた。顔が少し赤いような気が。
俺が原因か? 何が起こってる? 事態が呑み込めない。
こんな時の光一だったな。
「紫音!」
席に着いて光一に話し掛けようとした時、俺を上回る速さで不意に大声で名前を呼ばれた。
「な、何だ。ビックリさせるなよ……」
驚いた俺は、反射的に椅子ごと後ろに引いた。
「そんなこたぁどうだっていい! ついに、ついになんだな!」
俺が下がれば、光一は椅子ごと迫ってくる。
何をそんなに盛り上がってんだよ。知らない内にパラレルワールドに迷い込んだのかと勘違いするレベルだ。
「その奇妙なテンションは何だよ。俺には光一が何を言いたいのかさっぱりだ」
「あくまでもしらを切る気か。こちとらとっくに、ネタが上がってるんやで」
私はすべてを知っているってか。不敵な笑みを浮かべやがってからに。
お前は、人をゆする子悪党なフリーの記者か何かか? と言いたくなる。
「キャラを統一しろ。乱れてるぞ。で、何が?」
「ふっふっふっふっふっ」
「はよ言わんかい!」
不気味な笑い声を上げながら、本題の話をぼかし続ける光一の頭を、俺は素早く鋭く精密に叩いた。
「ナイスツッコミ。それを待ってたんだ。というのは冗談で、ここからも冗談なんだが……」
「アイアンクローがご所望か?」
俺は左手で光一の肩を掴み、右手を光一の顔の前まで持ってくると、完璧な作り笑顔を向ける。
決してイラついたから威圧してるというわけではないさ。嘘じゃない。ええ、嘘じゃないとも。
……ただすこーし、カルシウム不足なだけだ。だからこそ、キレかけてる。
でも、しょうがないよね。カルシウム不足なんだから。
「ほ、ほんの出来心じゃないか! お、落ち着くんだ紫音」
光一は俺の手首を掴み、アイアンクローの魔の手から逃れようと、懸命に宥めてくる。
野球部だけあって力が強いな。中々押し込むのが難しい。
……良いだろう。今回は特別に見逃してやろうじゃないか。親友サービスだ。
「次からは問答無用だからな」
俺はそう言って手を引っ込めた。
朝から死闘(光一にとって)を繰り広げたな。無駄に疲労感がある。
「オーケーオーケー。じゃあ、言うぞ。……香山さんと付き合ったんだってな。おめでとう!」
「…………は?」
俺はフリーズしながらも、ナーニヲイッテンダコイツと思ったが、話を聞けば簡単なことだった。ゴールデンウィークのデートを誰かに目撃されてたらしい。
だよな~。あんなに人が多かったんだ。見られてても不思議はない。
しかし、否定しなくてはならない。俺とアリアさんは本当に付き合っていないのだから。
それにしても恐ろしい――噂の広まるスピードというのは。たぶん、学校内では昨日から既に広まり始めてて、今日で一気にってところだろう。これはもう、風邪とかの空気感染スピードすらも追い越してるな……きっと。
「それ、ただの噂だから。光一の勘違いな」
「え、勘違い? ははーん、照れ隠しだな。そうだろ、そうなんだろ? な? な?」
光一は俺に寄ってくると、肘でつついてきた。
絶対面白がってるだろ。俺の噂で喜ぶなんて許すまじ。
もしや、光一が積極的に広めてるんじゃあるまいな。
流石にそれはないとしても。そもそも、本当に俺が付き合い始めたと信じてるのか?
まあ、そこの判断基準は人それぞれだから、光一が信じても何ら不思議はない。
ただそのノリは単純にムカつく。
「黙れ小僧。確かにデートはした。それは紛れもない事実。それでもな、付き合ってはない。以上」
「紫音に春が訪れたと思ったんだけどなぁ」
自分の机まで戻った光一は黒板の方を向き、後頭部で手を組んで残念そうに言った。
「残念ながらまだだ。俺の春を喜ぶ前に光一は自分の春を到来させなきゃな」
「バカヤロー。おれは年中無休で春だよ」
「どういう意味だよ」
光一はニカッと笑顔になる。
「野球が恋人ってことさ!」
「相思相愛……なのか? まあ、お似合いではあるけども」
確かにしっくりくる。
随分と上手い返しをするものだな。
「だろ?」
光一は某サッカー漫画の主人公よりも一段階ほど格上らしい。
サッカー少年➡ボールは友達。
光一➡野球は恋人。
俺は信じてる。その情熱が実を結び、甲子園出場の目標が達成されることを。
だから、光一は振られないように練習を頑張るんだぞ。
応援しかできないけど、光一と野球が末永いの恋人同士で過ごせるように、心の中で祈っておくからな。
一時間目の授業が始まる少し前。
黒髪のマッシュルームヘアーで、眼鏡をかけた、いかにもしっかりものに見えるクラス一背の高いのっぽな男子生徒が、教卓の前に立った。
「皆、ちょっと聞いてくれ。今日の放課後は少し時間を空けてもらえると助かる」
眼鏡をクイッと上げ、ハキハキ堂々と慣れた感じで言った。
彼――飯山孝之助は、去年も学級委員長だったらしいが、今年も自ら進んで学級委員長に立候補し、すんなりと決まっている。
例年通り、副委員長は立候補者多数だったが。
そもそも意欲を持って委員長をやりたがる人は少数で、このクラスにはそれが飯山君だけだった。
飯山君曰く、今年は生徒会長も狙ってるそうだ。
俺は必ず飯山君に投票することだろう。責任感もありそうだし、似合ってるからね。
「急にどしたの委員長。何かあるん?」
茶髪ロン毛で眉が細く、肌が焼けてるチャラい雰囲気の男子――寺西冬馬が委員長に尋ねた。
「体育祭の選手決めをしてくれって、先生に頼まれてね。だから皆よろしく」
「体育祭は六月一日だったか。一昨年までは秋だったから、すっかり忘れてたぞ。光一は覚えてたか?」
体育祭、体育祭かぁ……。
嫌いじゃないけど、好きにもなれない行事だ。普段よりかなり疲れるし、眠気に襲われる時間帯も断然早い。
毎朝運動してるとはいえ、筋肉痛になってしまう可能性もなくはないしな。
「おれを誰だと思ってんだ? その程度の情報はバッチリ把握済みだぜ。運動部でも話になるしな。紫音は団の希望なんだから今年も頑張ってくれよな! 期待してるぜ!」
光一は良い笑顔でサムズアップしてくる。
体育祭は運動部の土俵だろうに。それこそ、野球部で培った足が活躍する場だろ。
俺は団の運動部に期待したいんだけどなぁ。
「帰宅部に多くを望むな、運動部……」
昼休み。弁当を食べ終えた俺は、次の授業までリラックスしようとマイフェイバリットプレイスである、愛すべき屋上の扉前まで来ていた。
扉が少し開いてる。先客でもいるのか?
そう思い、一応確認だけしようと、扉のノブに手をかけた。
ちょっと待てよ。声が扉の向こう側から聞こえるんだが。しかも結構言い争ってる風に。
少しだけ状況を確認してみるか。
……だが、昨日のように盛り下がるような展開だったらどうするんだ。
冷静に考えれば、黙ってここから離れるのがベストのはずなんだけど…………好奇心には勝てなかったよ。
俺は扉の隙間を少し広げ、見ることに決めた。




