ゴールデンウィーク二日目終了
映画を見終わった俺とアリアさんは、そこらに設置してある休憩用の椅子に座った。
「怖かった?」
俺は口角を吊り上げ、まっすぐアリアさんを見つめた。
「い、いえ。そうでもなかったですよ」
アリアさんは、面白いくらいに目を泳がせて動揺している。
「ほうほう。では、俺にしがみついてたあれは何だったのか、説明してくれるよね?」
「あれは震えてた紫音君を思ってのことです」
開き直ったアリアさんは、苦し紛れなことを言ってきた。
「なるほど。でも、俺の目にはアリアさんがぶるぶる震えて怖がってるようにしか見えなかったよ」
「明らかな勘違いですね。駄目ですよ? 全部紫音君のことなのに人の所為にするのは。私は笑いませんので、正直になりましょう」
あくまでもしらを切り通すようだ。
往生際が悪いね。
「どうやら意見の食い違いがあるようだ。そんなことを引き起こしたアリアさんに一言。大見栄切ったからって意地張らなくても良いんだよ?」
「そ、そんなこと……」
俺が優しく諭すような口調で言葉を掛けると、アリアさんはうろたえた。
「俺は分かってるから」
「紫音君……」
安堵した表情になるアリアさん。
俺はそんなアリアさんを裏切る言葉を放つ。
「アリアさんが初めてのホラー映画にビビったってこと」
「少しはオブラートに包んでください!」
おー。アリアさんが声を張り上げる貴重な姿だ。
「大丈夫、大丈夫。人間には向き不向きがあるんだからさ」
「あぅ……。紫音君は意地悪です。そんなに私を苛めたいんですか?」
俺が映画前にからかわれた時の言葉をそっくりそのまま返せば、アリアさんは上目遣いで可愛らしく睨みつけてくる。
「違うよ。変な意地張らない方が可愛いのに、もったいないなって思ったからだよ」
「本当……ですか?」
期待と疑いの入り混じったような目をアリアさんに向けられてしまう。
「嘘」
「え?」
「本当」
「どっち何ですか?」
「どっちでしょう」
「紫音君が苛めっ子です。怖いです」
「映画前にからかわれたお返しだよ。気に入ってもらえたかな?」
俺は可能な限りイタズラっぽく笑って見せた。
「なっ!? 乙女心を弄んだんですね。紫音君がその気なら私も容赦しませんから」
今のアリアさんなど恐れるに足りず。
優勢なこの状況がそう簡単に覆るとは思えない。
「からかわれる要素はもうないよ。どうする気? 残念だろうけど、今日は俺の勝ちで終わりだよ」
「脇が甘いです。まだまだ、紫音君では私に勝てません」
アリアさんにカチッとスイッチが入ったような気がした。
俺は一瞬で悟ったね。
これは前言撤回する必要があると。
「降参しまーす」
「駄目でーす」
即答かーい。生き生きとした良い笑顔だね。
「こりゃまた手厳しい。ちなみに……謝ったら許してもらえるのかな?」
「本日、受け付けておりません」
「何て日だ!」
慈悲もないとは何事か!
いつからそんな子になってしまったの。お母さんは悲しい……。
アリアさん。お母さんが悲しみ嘆いてますよ。
今すぐ許すべきだと言ってます。だから、許しましょうよ、ね? ね?
「それで、その、どうでしたか?」
「な、何が?」
どうして、そこでそわそわしながら頬を赤らめさせたの?
何を訊こうとしてるんですかい。
「私の胸です。気持ちよかったですか?」
「ぶふぅっ」
予想を遥かに飛び越えた問いかけに、俺は思いっきり吹き出してしまった。
飲み物を口に含んでたら虹が出現するくらい、それはそれは盛大にね。
「あんなに密着したんですから、覚えてないなんてことは……ありませんよね?」
「映画に集中してたからね。何を言ってるかさっぱりだよ」
俺は動揺を隠し、声を震わせないように必死で抑制した。
見よ! コレが、ポーカーフェイスの真髄だ。
「苦しい嘘ですね。さっき、私がしがみついてたことを指摘したではありませんか」
「お、覚えてないなー。そんな昔のこと忘れちゃったよ」
俺は後頭部をかく。
ポーカーフェイス意味なし。
既に言葉で墓穴を掘ってしまってたという……。
それでも、俺は認めたくない。諦めることを諦めたくないんだ!
「なるほど。そうですか。では、思い出させてあげますね」
「え? どういうこ――」
俺が言葉で確認してる途中で、横に距離を詰めて体を寄せてきたアリアさんは、映画の時を再現するかのように――いや、それ以上の破壊力を誇ることをしてきた。
映画館のような椅子の隔たりが消えたことで、密着度はレベルアップし、甘い爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。それとほぼ同時に、二の腕辺りを中心として柔らかさの極限が発現。
「ど、どうですか? 思い出せましたか?」
極めつきには、世の男を声でも虜にするであろう美声で、顔全体を薄く朱色に染め、恥ずかしがりつつも、耳元で囁いてきた。
海田紫音は、混乱付与された絶技を受けたが、何とかレジストに成功。
しかし、理性は秒毎にガリガリ削られていくみたいだ。ガリガリ君もビックリだぜ。
「ノーコメントでお願いします……」
俺は上目遣い気味のアリアさんを視界に捉えず、明後日の方を向いて答えた。
「私気になって夜も眠れません。そんなことになったら責任取ってくれますか?」
そういうこと言わないでくれぇい。
アリアさんは背景と化した客の存在を忘れたのかもしれないけど、俺には今ハッキリと見えてるんだから。
「リア充弾けろ。俺なんて今日一人なのに……」
「あらあらお若いのね。この後はホテルかしら?」
「ふっ、可哀想に。お前は魔法使いには一生涯なれない。俺は残り三ヶ月だ……グスッ」
聞き取れる言葉の中にまともなのが一切ねえ!
大学生っぽい男の人。脱ボッチ目指して頑張ってください。
三十代主婦らしきあなた。勝手に行く先をそっち方向に想像しないでください。
三十路を控えた人。何かごめんなさい。もし魔法使いになってたならもう一度会いたいです。
と、兎に角! この状況を打破する方法を考えねば。
「あ、え、そその…………あ! そうだ! 甘いもの食べに行こうよ! そうしよう!」
凡庸な考えしか閃かない役立たずな俺の頭を、今すぐにでも殴ってやりたい。
こんな方法、通用するわけがな――
「そ……良い……ね」
表情が硬直した様子のアリアさんが、耳を澄ましてギリギリ聞こえるかどうかの小さな声でボソボソと呟く。
「今なんて?」
「それ良いですね!」
「うお!?」
腕を離したかと思えば、今度は俺の手を両手で包み込み、突然大きな声を出すと、詰め寄ってきた。
声に驚いた俺は、やや後ろにのけ反る。
というか、顔が近い近い。
「今すぐに行きましょう」
「え、ちょ、待って」
「ほら、何してるんですか。ノロノロしないでください。早く行きますよ!」
人が変わったように、俺の話を聞かないアリアさんは、先に立ち上がったが、俺が事態を飲み込めずに座った状態でいると、俺の腕を強引に引き寄せて立ち上がらせた。
「だから、ちょっと、って力強い!?」
何とか落ち着かせようとしたが、無駄な努力に終わり、俺の腕をホールドしたままゆっくりと歩き出す。
今のアリアさんは力がみなぎっていた。まるで、謎の栄養ドリンクDXを飲んだ後なのではないかと疑問視するほどに。
「きびきび歩かないのでしたら、このまま連れて行きますね」
「急展開が過ぎるぅ……」
俺は力ない声を出しながら、みるみるうちに歩く速度をアップさせていくアリアさんに連れて行かれるのだった。
甘いものハンターになったらしいアリアさんは、店案内の一覧表をチェックするのではなく、このモール内のお店屋さんを片っ端から見て回った。
そして、ようやくアリアさんのお眼鏡にかなったらしい店『ケーキ天国』の前へと辿り着く。
三階から一階まで歩き回って疲れたなー。冗談抜きで。
「ここで決まり?」
「はい、決まりです。お疲れ様でした」
店内に入って向かい合う形で席に着いた後、メニューを数分間眺めて、呼び鈴で召喚された営業スマイル完璧な女性店員に、早速注文することにした。
「しっとりチーズケーキとブラックコーヒーで」
「私はベリーのワンホールケーキと紅茶でお願いします」
「あれ? 俺の耳がおかしいのか?」
正面からワンホールって聞こえたような……。
俺なら確実に胸焼けする自信がある。
そもそもアリアさんみたいな細身の女の子が、普通に考えてワンホールなんて代物は頼まない……よな?
「お客様、本当にワンホールで……よろしいのですね?」
「甘いものは得意です」
店員がファイナルアンサー? とばかりに訊いてもアリアさんは否定しなかった。
それどころか、少しどや顔だ。
「かしこまりました。ところで、今回ゴールデンウィーク限定の割引イベントを開催してるのですが、よろしければ参加してみませんか?」
俺は少し気になったので、興味本位で訊くことにする。
「どんなことをするんですか?」
「お客様には、箱の中に入ってる無数の紙の内、一枚を引いていただき、お題にチャレンジしてもらいます。お題をクリアされたなら、割引成立となります」
「紫音君やりましょう。面白そうです」
「アリアさんが良いなら。参加します」
せっかくのイベント事だし、アリアさんが妙に乗り気だったので、俺は参加を表明した。
「ご参加ありがとうございます。では、少々お待ちください」
そう言って一礼した店員は、この場を離れると、数十秒後には正方形の箱を持って戻ってくる。
「お待たせしました。では、お引きくださいませ」
「アリアさんが引きなよ」
机に箱が置かれたところで、俺は手で「どうぞ」という風に譲った。
「良いんですか? それでは、お言葉に甘えさせてもらいます」
アリアさんは「それ!」と言って箱の丸い部分に手を突っ込むと、迷うことなく紙を一枚取り出し、そのまま店員に手渡す。
受け取り次第、店員はすぐに四つ折りの紙を開いた。
「五割引が出ました! お題の方は……壁ドンから耳元で愛の囁きですね。対象の男性が少しでも顔を赤くしたらクリアです」
「……これって男が受ける側なの?」
しかも、だいぶカップルよりな気が……。
「遊び心で、男性が受ける側のお題も入ってるんです。確率的には一割ほどなのですが、お客様は幸運でしたね」
「紫音君挑戦しましょう。私たちに必要な試練だと思います」
「えぇ……。何でそんなに乗り気なの?」
アリアさんはお題を聞いても臆するどころか、瞳に炎をメラメラと宿してるんじゃないかと錯覚するほどに燃えていた。
「五割引ですよ。嬉しいじゃないですか。それに、ワクワクしますよね!」
「そこまで楽しみなら、俺も観念するよ。ただ、あんまりドギマギさせるようなセリフは勘弁してほしいかな」
「善処します!」
不安だ。
果てしなく不安だ。
その笑顔の裏に何か潜んでそうで……。
「さあ、こちらへどうぞ」
相変わらずの営業スマイルで、空いたスペースへと案内された。
「では、お始めください」
その合図で、俺は壁側に立ち、すぐ正面にアリアさんがスタンバった。
背が高いアリアさんとはちょっとしか目線が違わなく、日本人離れした綺麗な顔が至近距離で視界に映ってくる。
見つめ合うこと数秒。
ペチッ!
壁に可愛らしい音が鳴り響く。
アリアさんの細く綺麗な手では、この音もおかしくはない……けど。
「フフッ」
耐えきれずに俺の小さな笑い声が漏れると、アリアさんはむっとした表情をする。
「笑うなんてひどいです。でも……そんな紫音君も大好きですよ」
「おめでとうございます。見事、チャレンジ成功ですよ。それにしても、彼氏さんと熱々そうで羨ましいですね」
「か、彼氏だなんて……」
照れてるアリアさんをよそに、俺は何も言えなかった。
耳元で言われたからだろうか、妙に照れくさい気持ちにさせられたのだ。
この後、お互いに照れ合ってた俺とアリアさんだが、今は席に戻ってケーキを食べていた。
「凄いなぁ。まだ全然余裕なの?」
俺がしっとりチーズをゆっくりと味わって食べてる中で、アリアさんはベリーのホールケーキを半分も消し去っている。
「甘いものだけは別腹って感じなんです。食べ過ぎる女の子は嫌いですか……?」
「好きなものを美味しそうに食べてる姿は微笑ましいよ。食べ方も上品で絵になってるから、ずっと見てられるし。嫌う要素はないかな」
「そ、そうですか……」
アリアさんはケーキに視線を戻す。
スプーンを口に運ぶ速度が格段に上がった。
焦って食べた所為なのかもしれないが、アリアさんの唇の端にクリームがついてしまっている。
「ちょっとじっとしててくれる?」
「ふぇ」
俺はアリアさんの唇の端へと手を伸ばし、指で拭き取った。
流石にそのまま自分の口に入れるなんてことはせず、備え付けの紙で指は拭いたけどね。
「もう良いよ」
「ありがとうございます……」
しおらしくお礼を言ったアリアさんは、顔を小さく伏せた。
「どういたしまして」
俺は一言そう返すと、自分もケーキを再び食べ始める。
この行動を取った自分自身のことが、単純に恥ずかしく感じてしまった。しかも、信じられないほど柔らかな感触が、指にまだ残っている。
羞恥に苛まれつつも、俺は平然とした態度を貫き通し、表面上は取り繕うのだった。
会計を済ませる際の五割引効果は、中々に嬉しいものだったと言っておく。
ケーキも美味しかったし、この店を選んでくれたアリアさんには感謝しかない。
この店を出た後は、会話を交えながら色んな店を回り、気がつけばもう帰る時間となっていた。
帰りは若干昼間よりもバス内が混んでたけど、それ以外は普通で、俺はアリアさんを家まで送った。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
茜色の空がアリアさんを照らし、ニコッと笑った顔は、特別な魅力を発揮している。
「俺も楽しかったよ。充実した一日だった」
俺も同様に笑って見せた。
「私から誘ったデートですので、そう言ってもらえると嬉しいです」
「あのさ、アリアさん。これ、プレゼント。あんまり高くはないけどさ」
俺はジャケットのポケットから長方形の箱を取り出すと、アリアさんに手渡す。
「ネックレス……。これは、いつの間に買ったのですか?」
「ま、そこら辺はシークレットということで。それよりもさ、受け取ってくれるかな?」
「でも、私は何も用意してません……」
アリアさんが沈んだ顔を見せる。
「良いよ良いよ。気にすることなんて何もない。アリアさんに今俺が望むことは、嬉しいと思ってくれたかどうかだから」
「嬉しいですよ。嬉しいに決まってるじゃないですか。ありがとうございます。大切にしますから」
アリアさんは笑顔でそう言ってくれた。
それでこそプチサプライズプレゼントをした甲斐がある。
「あの、よろしければ、紫音君がつけてくれませんか?」
「喜んで、承ります」
俺はアリアさんの後ろに回る。今日の髪型がサイドテールだったこともあり、スムーズにつけることができた。
アリアさんは、ネックレスに触れると、嬉しそうに微笑んだ。
気に入ってもらえて一安心。
「その、紫音君。私のこと、呼び捨てにしてくれませんか? 紫音君にはさん付けよりも呼び捨てにしてほしいんです。今日一日で、強くそう感じました」
朝は理由があったとはいえ、呼び捨てにしちゃったしな。
もしかしたら、その出来事も理由の内なのかもしれない。
だとしたら、叶えるのもやぶさかではない。現にそれで助けられた。
多少の気恥ずかしさはあるけど、本人たっての希望でもある。
「分かったよ。これからもよろしく。アリア」
「はい! よろしくお願いします!」




