ゴールデンウィーク二日目
昨日は理性が圧勝した――というより、疲労に勝てなかった。
柄にもなくはしゃいだからだろう。
ただ朝は少し気まずかった。俺が一方的に。
片や未来はけろっとしていた。どうして俺だけこんなにも、と思っていたが、逆にその温度差で徐々に落ち着くことに成功。
未来にドキドキさせられて、未来に冷静にさせられるとはな。
意図してなくても、振り回され過ぎだろ。
兄の威厳なんて皆無じゃないか。
そんな完敗した俺だが、昼の元気な日差しが照りつける中、駅前で人を待っていた。
その相手はアリアさんだ。一週間と少し前にデートの約束をして、ゴールデンウィーク前日に予定を決め、ここに集合することになったのだ。
集合時刻が午後一時で、今が五十分だから、そろそろ来ると思われる。
「君」
「……」
「ねぇ、君」
「……」
早く返事してやりなよ。
さっきから呼び掛けられてる、きみって人。
「君よ君」
あれ、何で俺が肩を叩かれたの? きみって君のことか。
にしたって誰? 声はアリアさんじゃないし。
取り敢えず、俺は振り向いてみた。
「え、俺ですか?」
そこには、二十代前半であろう露出の高い服を着た女性の姿があった。サングラスをしてるから、顔の全体像は不明だ。
背中を大きく開いたミニスカワンピ、ヒールの高い靴を履いている。
それでも、俺より背は低いが。
「そうよ。イケメン君」
「えーっと何のご用件ですか?」
まったく見に覚えのない人だが、警戒心は内側だけにして、外面だけは普通に対応する。
「君、何歳?」
どうしてそんなことを訊く必要がある? 減るもんじゃないから一応答えるけどさ。
「十六ですけど……」
「高校生ね。食べ頃かしら……」
今なんか聞き逃してはならない、不穏なことを言われた気がする。小声で聞こえなかったが、背筋がゾクッとなった。
この女性からは何故だか危険な感じがする。
「お姉さんと今から遊びましょう。お金だって私持ちで良いし。後悔させないわよ」
……ここに来てようやくわかった。
初めてされたから気づかなかったけど、逆ナンだよね、これ。
「すみません。人を待ってるので」
「あら、残念。じゃあ、連絡先の交換でもしましょう」
じゃあって何だ。じゃあって。
何の脈略も関連性もないのだが。
そもそも、俺は断った筈なんだけど。
「それは、その……」
俺は何と言って良いか分からず、言葉に少し詰まる。
知らない人に教えたら駄目だと親に言われてますので――とでも言えば良いのか?
「彼女さんが怒る? 一度の出会いで燃えるのも中々良いものよ? 火遊びは男の甲斐性のようなものだし」
「は、はぁ……」
俺はちょっと引いていた。
この女性の経験人数を予想するのが怖いです。
恋多き女なのかな?
これは彼女いないとか言葉に出したら、即拉致られそうな気がする。
「う~ん。ガードが堅牢ね。そんなに彼女さんっていう火傷が怖いのかしら? 一回だけでも良いの。君が体験したことのないテクニックで、新しい世界を見せてあ・げ・る。それとも……経験少なくて自信ないとか?」
「……」
唐突な直球の下世話な言葉に唖然とし、さらには経験について問われたので、思わず黙り込んでしまった。
新しい世界。そう聞いただけで、未知に足がすくんだ。
だって俺、童貞ですもん。
「う、嘘!? 図星なの? そこまで優れたルックスなのに? キャー! 可愛い。お持ち帰りしたいくらいよ」
女性のテンションがただただ恐怖。
俺が経験なしと知れたら……うっ、考えただけで寒気が。
「きっとあなたには、俺よりも良い人が見つかりますから。それに、俺は遊びで付き合う気はありませんので。丁重にお断りします」
「お姉さん。君になら本気になっても――」
「紫音君?」
ナイスタイミーグ! 君が神だったんだね。
俺は大袈裟に大喜びし、テンションを今日一番高くする。
「あ、アリア! あの子が俺の彼女です。不誠実な真似したくないので、ごめんなさい」
「悔しいけど、お姉さんもあのレベルじゃ太刀打ちできないわね。次に出会った時は、また声を掛けさせてもらうわ」
「きっと、あなたは結婚してますよ」
俺はもう会いたくないので、本心からそうなってほしいと願いを込めた。
ああいう人は誰かが手綱を握らなければ、一生フリーダムな人種だと思う。
誰かあの人を嫁にしてやってくれ。
俺の為に。
「じゃあね、イケメン君。もし売れ残ったら、無責任な発言の責任として、お姉さんと結婚してもらうわよ~」
ニコッと微笑みながら手を振った女性は、ミニスカワンピをひるがえしてこの場から去ってく。
最後の言葉は聞かなかったことにしますので。記憶の奥底にでも封印しちゃいます。
ですから、ですからどうか、次に出会う良い人と必ず幸せを掴んでください。
「え、彼女、え?」
あ、ヤバい。おろおろしてるアリアさんに現在の状況説明をしなくては。
ことの顛末を話終えると、アリアさんがうつむき加減になる。
「ごめんなさい。私がもう少し早く来てれば……」
そんな深刻そうな暗い顔をする必要は、まったくないのに。
「集合時間前の出来事だから、思い詰める必要はないよ。結果的にアリアさんのお蔭で助かった部分が大きいんだし」
「そう言ってもらえると助かります……けど」
まだ、納得してない様子だ。
せっかくのデートだ。いつまでも陰気な顔、させてられないよな。
「遅く来てアリアさんがナンパされる可能性があるなら、俺は早めに来て待つ方が良い。今回、それが学べたよ。だから、責任を感じないでほしい」
俺はアリアさんに微笑みかける。
「わかりました。そこまで言われたのなら、うじうじしてられません。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
アリアさんに自然な笑顔が戻ったところで、今日が本格的にスタートするのを感じた。
俺たち二人は、駅の南口でバスを待っている。
電車でも良かったのだが、バスと違って乗り換えが一回あり、面倒なので諦めた。
待つこと約五分。
今、ちょうど目の前にバスが到着した。
この時間帯にしては、珍しく空いてる車内に乗り込んで、真ん中より後ろの二人席に窓際からアリアさん、俺、の順に座る。
座ると、すぐに困惑気味のアリアさんから声を掛けられた。
「あの、バスの料金はいつお支払いするのでしょうか?」
「もしかして、バス初めて?」
「私一人では……お恥ずかしながら。遠出の際は車か飛行機でしたので」
衝撃的事実だった。
リアルお嬢様や。ホンマもんや。
学校での遠足とかでは乗ったことあるんだろうけど、あれって事前にお金払ってるからなぁ~。
「あれ? でもさ、中学の修学旅行は自由時間にバス移動とかあったでしょ?」
修学旅行は自由行動や班別行動がある学校も多いから、経験してる筈なんだけど。
「体調を崩してしまい、行けませんでした……」
「そ、そっかぁ……何か、ごめん」
地雷踏んじまったよ。気まずい。
「いえいえ。構いません」
「……今年の修学旅行はその分楽しもうよ。まだまだ先だけど、忘れられないくらい楽しい思い出にしよう」
こんな十人並みなことしか言えないけど、学生にとっての修学旅行って結構重要だから。
これは光一から聞いた話だけど、一年前の修学旅行は渋滞続きでバス移動の時間が長かったり、雨も降ったりで散々だったようだ。
そんなのも数年後には、ただの笑い話になるのかもしれないが、今の三年生は不満を持つ者も少なくないだろう。
可哀想に。アーメン。
「そうですね。紫音君となら楽しめそうです」
見惚れるほど魅力的な笑顔に加えて名指しは、少し反則だよな……。
「……あ、そうそうバスの料金だったよね。このICカードを専用の場所にタッチするか、現金で払うかのどっちかだね。降りる前に払うからさ、その時見ててよ」
俺は見惚れてたのを冷静に取り繕い、本来の内容に戻し、ICカードを見せたりして説明した。
「わかりました。あと、もうひとつ気になることがあるのですが……」
「知ってることなら答えるよ」
何かこういう自分にとって、当たり前なことを教えるって新鮮だな。
それも相手が俺より頭の良いアリアさんだし。
「このボタンは降りる時に使うのですよね?」
アリアさんが近くの降車ボタンを指す。
「うん。そうだね」
「私、一度あれを押してみたかったんです」
うずうずとした様子のアリアさん。
意外と新しいことに対しては好奇心旺盛なのかもしれない。
「じゃあ、目的地のアナウンスが流れたら押しちゃおう。ただし……」
「ただし?」
「これは戦争だよ」
俺は真面目なトーンで言う。
「戦争……ですか?」
アリアさんが怪訝な表情になる。
「常に狙ってるんだ。車内の誰もがね。アナウンスに一番で反応した者こそが、降車ボタンを押せるんだ」
「早い者勝ち……ということですね?」
「理解が早くて何より。一瞬の遅れが勝敗を決する世界なんだ」
俺は降車ボタンを無駄に大きな世界観に変え、奇妙な方向へと話を拡げた。
「私。勝ちます。人生初の降車ボタンを押す為に」
アリアさんは真剣な顔で決意している。
俺はそんなアリアさんを見て、フッと笑う。
「健闘を祈るよ」
バスが移動を始めて約三十分。
雑談を交えていた俺とアリアさんだが、それもそろそろ終わりだ。
何故なら、ボタン戦争がとうとう間近に迫ったからである。
そして……バス内にアナウンスが響いてきた。
『次は、ショッピングモール前、ショッピングモール前。お降りになられる方は、降車ボタンをお押しください』
来たか!
誰もが届かぬ反応速度で他を蹴散らすんだ!
「てい!」
ピンポン
音が鳴り、降車ボタンが赤く灯る。
俺はアリアさんに向けて拍手を贈った。
「コングラッチュレイションズ。これで君も立派なバス利用者だ」
「謎の達成感があります!」
変なノリの小芝居が、ここで幕を閉じる。
アリアさんは、意外とノリについていける人で驚きだった。
支払いを済ませ、バスから降りる。
降りる前に支払い方法の説明だけを教え、結局は俺が『YUCUCA』カードで二人分払った。
「あの、お金」
アリアさんは財布を取り出している。
払わせた分を返そうとしてくれてるのだ。
「良いって良いって。このくらいはね。デートだしさ」
「その、お金を使う時は交互にお願いしたいです。元々は私から誘ったデートですから、一方的に奢られるのは気持ち的に心苦しいです」
未来と近い考え方してるんだな。
好感が持てる。
ここで奢る奢らないの討論しても、時間が無駄に過ぎるだけだし、そこは妥協しようかな。
お互いの意見があるなら、どこかで兼ね合いをつけるのも必要なことだし。
「分かったよ。デートなのに、心苦しくさせるなんて意味ないことだし。それと……言いそびれてたことがあるんだ」
「何ですか?」
「今日の服装とても似合ってる。素敵だよ」
つば広帽子を被っており、プラチナブロンドの髪は、俺が知ってる普段の下ろした感じとは違い、左のサイドテールで大人っぽさがある。
ロングワンピースはよく似合い、あまりヒールの高くないパンプスを履いているが、それでも俺に近い目線だ。トートバッグを肩にかけている。
「あ、ありがとうございます。その、あの、紫音君も格好いいですよ」
不意打ちに近い俺の言葉に照れた様子のアリアさんは、俺のことも褒めてきた。
俺はダメージジーンズ、半袖シャツの上からテイラージャケットを着てるという簡単な服装だ。
スマホや財布はポケットの中に入れてる。
外国ならスラれるだろうな。日本だからこそのスタイルだ。
「お褒めに預り光栄です……なんてね」
右手は腹、左手は腰、執事のような一礼をする。
アリアさんは少しだけ驚いていたが、すぐに表情を和らげ、フフフッと微笑みを浮かべていた。




