ゴールデンウィーク初日終了
寝ていた未来を軽く揺すって起こし、電車から降りた。
改札を抜け、外に出る。
帰って来た~! 気持ち的にはこれが一番しっくりくる。
明るかった朝や昼のような青空は鳴りを潜め、ほとんどが朱に侵食されており、着々と夜が迫っている。
若干の肌寒さを感じつつも、俺と未来は帰路に就く。
あの程度の睡眠時間じゃ足りなかったのだろう。未来は足取りが重く、口数も少ない。
ただ、手を離すことなく繋いでいるのは変わらない。
それにしても、少し遅すぎないか?
俺は基本的に未来の足取りに合わせてるのだが、疲れてるにしてもスローペース過ぎると思った。
駅から徒歩数分、住宅街の少し開けた通りで立ち止まり、俺は訊くことにする。
「足、疲れたか?」
「え、大丈夫。うん大丈夫だよ」
表面上は取り繕っているみたいだが、未来からは脂汗が流れていた。
「嘘だな。笑えてないぞ。痛みに耐えてるだろ?」
「ば、バレちゃったか~」
未来は後ろ髪を掻きながら、おどけて見せた後「あはは……」と力なく笑う。
「鎌をかけただけだよ」
「あ、もう卑怯だよ! 卑劣だよ! 騙したね。お母さんにも騙されたことないのに!」
間の抜けた声を出した未来は、俺を糾弾するが、小ネタを挟んでくる辺り、まだ少しは余裕がありそうだ。
「ま、冗談だ。靴擦れだろ?」
「うん……いたっ」
誤魔化しきれなくなり、隠し事を白状する子供のように暗くなった未来の額に、俺は弱いデコピンをした。
「はぁ……誰が痛みを我慢しろと。で、いつから痛み始めた?」
俺は額に手を当て、呆れ混じりに問う。
「痛みを感じてきたのは、確かぁ……ライオン見終わってからだったと思う。電車から降りた途端に痛みが増した感じかな」
未来は額をさすりながら、思い出すように答えた。
「三時間も前じゃないか。よく我慢できたな。アドレナリンでも出てたのか? 流石にはっちゃけ過ぎだろ。気づけなかった俺も駄目だけどさ」
もう少し注意を払っとけば良かった。
俺はうつむき、繋いでない方の手に力を強く入れて握る。
未来が履き慣れてない靴だったことを把握してた俺なら、容易に予想できた事態の筈なのに。
俺は俺で楽しみ過ぎたな。デートで未来の不調に気づかないなんて相手として失格だ。
しかも女神を苦痛から助けるのに遅れるとか、誰からの罵倒よりも精神的にきつい。
「お兄ちゃんは悪くないよ! 告白して初めてのちゃんとしたデートだから、最後まで迷惑かけずに楽しく過ごしたかったの。言ったら終わっちゃうと思って……。それだけは絶対に嫌だったから……」
それだけの想いを持っての一日だったのか。
未来のうるうるとした瞳からは、強い気持ちを感じ取れる。
「そっか……嬉しいよ。でも、無理は禁物すべきことだ。このデートで張り切ったのが原因で、万が一にでも未来が痛みで眠れなかった……なんてことになれば、俺は悲しくなる」
「ごめんなさい……」
未来が申し訳なさそうな顔になった。
「次から無理しなければそれで良いよ。あまり歩かなくても、楽しむ方法なんていくらでもあるんだから。よし、説教タイム終わり! さあ、乗りな」
俺は未来から手を離し、背を向けてかがむ。
「え、でも」
「黙ってた罰な」
俺は躊躇してる未来の逃げ場をなくさせる。
未来は「その言い方はズルい」と小さな声で発したが、しぶしぶながらも了承し、隣から後ろに回ると、首に手を回してきた。
「よいしょっと。お、重い……」
俺は未来のスカート越しの華奢な太ももに手を回すと、勢いをつけて立ち上がる。
立ち上がった俺だが、膝を少し折り、腰を落として、しんどさを表現するように低く苦しい声を絞り出す。
もちろん、俺の顔は余裕綽々のスマイルを浮かべている。
「ひどい! わたしそんなに重くないよ~」
ショックの強い声を上げた未来は、ポカポカと俺の肩を叩いてくる。
良いマッサージじゃ。
背中で小さく暴れる未来をよそに、俺は我が家へと向かって足を進め始める。
「あ、言い間違えた。羽のように軽いよー」
「気持ちがこもってない!?」
「はいはい。じゃあ走るぞー! 振り落とされるなよー」
「意味わかんないよ!」
「冗談、冗談」
俺は未来をあらゆる角度の言葉で翻弄する。
さっきは説教くさくなったからな。
暗い雰囲気は、俺と未来の仲にはそこまで必要ない。本当に必要なのは素晴らしき明るい関係さ。
「お兄ちゃんのテンションがバグった件について」
「お兄ちゃんは正常だぞ。むしろ、普段が異常なんだ」
「逆だよ逆。普段が正常。もういいや……」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
諦めた人には必ずこの名言が必要だ。
そしてこの言葉だけで人には活力が戻るのだ!
「今からお兄ちゃんの首を締め落とせば、わたしの勝ちだね」
俺はからかい過ぎたようだ。
低く冷たい芯まで凍るような声が耳元でささやかれた。
背筋がゾクゾクッとなる。
くすぐったさを感じる暇すらない。圧倒的な恐怖が――そこにはあった。
あれ? また気温が下がったのかな。震えが止まらないよ?
「ごめんなさい。許してください。調子に乗りすぎました。出来心なんです」
俺は今思いつく限りの言葉で謝り倒した。
「ありがとね」
未来のお礼がスッと染み渡るように入ってくると、先ほどまでの恐怖が嘘みたいに霧散する。
「何だかわかんないけど、どういたしまして」
俺は知らんぷりをした。
自分の思惑が言い当てられるのは、どことなく恥ずかしいからだ。
それからは少しの間が空き、お互い何も喋らず歩いていた。
ゆっくりと歩きながら、この空気感が最後まで続くのかと思いきや、未来が声を掛けてきた。
「ねぇ。訊いていい?」
「何を? まあ良いけどさ」
「ホントに仲直りするつもりなの? ……あの人と」
声から不安が伝わってくる。
なんやかんやで気にしてたみたいだな。何も言わないから平気なものとばかり思ってた。
それにしても、あの人……か。未来の姫川嫌いは相当みたいだ。
俺が振られる前までは、一応さん付けで名前を呼んでたんだけどな。
「するかもな。姫川の態度次第だけど」
「やっぱり……。どうして、どうしてなの? お兄ちゃんを傷つけた人だよ」
未来の声に不安や焦りといった部分が、より一層強くなったように感じる。
「幼なじみだからかな。関係が浅ければ、切り捨ててたと思う」
「幼なじみってそんなに大切なの?」
未来も姫川と幼なじみなんだけどなぁ……。
未来にとっては恋敵という意味合いの方が強いのかもな。
「大切かどうかは別として少しだけ心配はしてる。未来の次に過ごしてきた時間は長いし、その分思い出も多く共有してるからな。それに、今のままじゃ姫川の精神が気がかりだ」
「精神?」
「ああ。俺と決別してから暴走しただろ? だから今の姫川は不安定だと思う。学校では落ち着いてるように見えてもな。単に突き放すだけじゃ駄目だと思ったんだ」
幼なじみだからこそ、もう一度チャンスを上げてみる。
次が本当に最初で最後だけどな。
そこでもう修復不可能なら、俺たちはもう完全に終わった方が良い。
いつまでも中途半端に思い出という鎖に縛られ続けるのは、お互いを不幸にするだけだから。
「大丈夫だよね? またあの人を好きになったりしないよね?」
未来の心配も理解できる。
俺が同じ立場なら、冷めて終わりだけど、未来は違う。純粋に嫉妬もするし、不安にもなる。
俺なら、相手が勝手に付きまう以外の理由で、未来とアリアさんが拒絶もせず、親しい男を側に置いてたら、恋愛的な好意を抱くことは生涯ない。
ライバル的な存在は求めてないし、鬱陶しいと感じるだけだからだ。
俺は自分勝手だな。まだ俺が好きになってないとはいえ、自分なら冷める行為を好いてくれてる子にはしてるのだから。
「安心しろ。俺は姫川には惚れないさ。俺は二人の女の子に告白された幸せ者だからな」
未来から見ればライバルかもしれないが、俺は姫川に恋愛的な好意は抱かないと思う。百パーセントの断定は無理でも九割はそう言える。
元通りの幼なじみとして、仲良くするのが限度だろう。
同じ相手を二度好きになる事態が難しいし、惚れ直すにしても、未来とアリアさんをしのぐ存在にならなければあり得ないことだからだ。
必然的にかなりハードルが上がるだろう。
「そこは冗談でも『未来以外は見えないから大丈夫だよ』って言うところだよ。冗談を発揮するのはここここ」
未来はクオリティーの低い俺の物真似をした。
「それはまたの機会だな」
「逃げた……」
人聞きの悪い。ボソッと呟いても普通に聞こえてるからね。おんぶしてるんだからさ
「未来は姫川が嫌いか?」
「うん、嫌い」
即答か……。
言葉に迷いがまったくなかった。
心の底からの本音か。
「別に仲良くはしなくてもいい。ただ、無闇に喧嘩とかはしないでくれよな」
「それはあの人次第だよ」
「ま、いっか。強制しても仕方ないしな。じゃ、この話終わり。もう家の前だ」
俺は未来にしがみついてもらい、その間に鍵を開けて中に入った。
今、家にはお袋も親父もいない。
二人仲良く久しぶりのお泊まりデートに行ってるからだ。
何年経っても仲のよろしいことで。
「よし、もう降りてもいいぞ。靴擦れについては一回足を洗ってから治療しようか」
「どうした? もう降りても大丈夫だぞ」
降りる気配のない未来に再度確認する。
「連れてって……」
降りる気はないらしく、ぎゅっと抱きつく力を強めてきた。
寂しくなったのか? 昔はよくこんな感じだったよな。
「了解。まったく未来は甘えん坊さんだな。一回降ろすぞ。靴は自分で脱げるよな?」
未来を降ろすと、パンプスを脱いだ。
なるほど。確かにかかとが擦れて傷ついてる。
未来の細くて長い綺麗な足が緊急事態だ。早急に手当せねば。
「よーしよし偉いぞー」
俺は取り敢えず、ここまで痛みに耐えた未来にねぎらいを込めて優しく頭を撫で撫でする。
撫で終えたら、未来の背中と太ももの裏に手を回して抱き上げた。
「うわ!? お、お姫様抱っこ……」
「はーい。お姫様が通りまーす」
顔を真っ赤にさせてあわあわしてる未来を風呂場に運び、バスチェアに座らせる。
俺は靴下を脱ぎ、洗濯機に入れてから風呂場に戻り、色白な足をシャワーで綺麗に洗う。
「あっ、んっ、いっ」
痛いだろうし、見てて可哀想とは思うよ。思うんだけどさぁ、もう少しその色っぽい声……我慢できませんかね?
何とか理性で意識しないように耐えてるけど、結構きついぞ。
まだまだ異性というより、妹の割合が高くて良かった。
でなければ、危なかったな……。
「すぐ終わりますから。我慢しましょうね」
俺は邪念を払拭するように「はい、終わり!」と声高々に言って、タオルでふきふきし、リビングまで運んでソファーに降ろした。
救急箱から靴擦れ用の絆創膏を取り出し、未来のかかとに貼り終える。
「おし。一先ずこれで終わりだな」
「お兄ちゃんありがと」
「どいたま」
この後、未来とテレビを見ていたが、俺は風呂ためスイッチを前もって押しており『お風呂が沸きました』と音声が流れてきたので、ソファーから立ち上がった。
「じゃあ、風呂入ってくるから。ちょろちょろ動いて悪化させないように」
自分で言っててなんだが、俺は小言を口にする母ちゃんかよ。
「子供扱いし過ぎだから。これでもわたし、クラスではクールな美人で通ってるんだからね」
クッションを胸に抱く未来は、眉をしかめる。
「もう手遅れ手遅れ。今はシスコンブラコン兄妹で広まってるだろ。手を繋いで登校するのは見られたわけだしさ」
「それ以外の時はクールで美人なの!」
ソウカークールデビジンナノカー。
俺にはベストオブ可愛いとしか思えんけども。
「あんなに甘えてた口が生意気言うじゃないか。もう一度お姫様抱っこしても同じこと言えるか?」
「うぅ。知らない」
プイッとそっぽを向く未来だが、頬が赤く染まってるのがまるわかりだ。
ここは目をつぶっておくか。
「また後でな」
俺は軽く微笑んで、リビングを去った。
「また少し後で……」
俺はちゃっちゃか頭と体を洗ってお湯に浸かる。
縦に長く横に広めなバスタブだから、手も偉そうに広げられ、足もまっすぐ伸ばせるから極楽だ。
今日一日はっちゃけ過ぎたから、風呂がとても気持ちよく感じられ、疲れた体にしみていく。
心は癒され、体は疲れる。
でも嫌な疲れじゃない。むしろ、清々しささえ覚える。
俺はさらにリラックスする為に、鼻唄を歌う。
気分が乗っていると、ガラガラッと音が横槍を入れてきた。
ん? ガラガラッ? 俺の顔は反射的にドアの方を向く。
「お兄ちゃんは、まだ入浴中ですよ?」
「い、妹ちゃんは、お兄ちゃんと一緒に入浴したいそうですよ?」
おかしいな、ハハハ。
未来が、バスタオル一枚で風呂場に乱入してきたのだが、どうするのがベストなんだ?
ちなみに、恥ずかしがって顔に紅葉を散らし、タオルでは胸から膝上までしか隠せてません。
1まったく妹は最高だぜ!
2誘ってるのか? 朝まで止まらないぞ?
3凄く……セクシーですね。
4静まれぇ……俺の熱いパトスよ。
5俺は満足したからお先に失礼するよ。
咄嗟に思いついたのが、これだけ……だと。
しかもまともな選択肢がひとつしかねえとは恐れ入った。
俺の思考回路も突然のサプライズに相当混乱してるようだ。
「ま、まあ。ゆっくりしていきたまえ。俺は満足したからお先に失礼するけども」
「え、ちょ、ちょっと待っ――キャッ!?」
ど、どういうことだってばよ。
大事な部分を隠して、立ち上がりかけた俺を止めようとした未来が、足を滑らせたと思えば、その勢いのまま浴室にダイブ――というより、俺にダイブしてきたのだが。
俺は受け止めきれず、バスタブに背中から落ちて戻された。
つまり、平たく言えば、俺は抱きとめて抱きつかれています。
落ち着いてる場合じゃない。
この密着度はヤバすぎる。冗談抜きでだ。
俺の封印されし伝説のエクスカリバーが目覚めてしまう。
不意打ち過ぎるお風呂イベントは刺激がエグい。
「未来……離れてくれ」
「お腹にかた――」
「言わせねえよ!」
俺は未来の口を咄嗟に手で覆った。
そのネタに走ってはいけないよ? かなり危ない橋だからね。
俺はまだ欲情してないよ。ホントだよ? ギリギリなだけだから。
「未来お願いします。何でもしますから離れてください」
「じゃあ、五分だけ一緒に入浴しよ?」
「します。しますから」
約束通り一緒に背中合わせで入浴はしたが、恥ずかしさが勝る所為で、会話は弾まないし、内容なんてほとんど頭に入ってこなかった。
俺は本能に打ち勝ったが、精神面はボロボロにされた。
未来はホントにたくましく育ちましたね。未来に初めて完全敗北したよ。
以後、風呂乱入だけは勘弁してください。
次は封印が解けるかもしれませんので。
というか、俺素っ裸見られたよね。恥ずか死にそうだ。
どうかこの後、ムラムラだけはしませんように。
俺の理性、今が力を発揮する時期だ。頑張ってくれよ。




